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とりとめのないことをそのままに
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  • これにて一旦おしまいです

    20231231(日)00:03


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    丸々ふた月ほど書き続けたこちらのつぶやき。
    ただただ自分が書きたいこと、気づいたこと、忘れたくないこと、それらを綴って来たように思います。

    書きたいことも今はすべて尽くしたような清々しさがあります。
    創作の方がどうしても滞ってしまった今年、頭の中の物語が形にできていないもどかしさを常に感じていました。

    そんな中でも素敵な親友に出会い、もうひとりの創作親友とは来年ラブホ女子会をしようと約束をしました。
    それが叶うか叶わないかはその時の自然な流れ。
    それでも何かを約束することは大いにわくわくするお話です。

    こちらへ文字を落とすのは一旦おしまいにしまして、来年は創作へ情熱を注ぎたいなと思っています。

    みなさまのこの1年は
    心を踊らせ、かき乱される喜怒哀楽が、
    さまざまな出来事に遭遇、
    もしくは穏やかな日々だったでしょうか。

    来るべき新しい年はきっとまた多くのことを経験されることでしょう。
    世の中の流れが激流になったとしてもご自分を見失わないで。
    同調圧力に負けないで。
    健康オタク、鬼滅オタクは変わらずここに腰を据えて静かに静観してゆきます。

    こんなつぶやき場所にわざわざ足を運んでくださるいつもの勇者の皆さま、本当にありがとうございました!面白いネタがあったかは不明ですが、何かお役に立てる内容があったのであれば嬉しい限りです。創作のネタ、飲み会のネタにできるものがあればどうぞお持ち帰りくださいw

    今日1日を穏やかに過ごしながら皆さまのご健康とご多幸を心からお祈りしております。

    よいお年をお迎えくださいませ。

    来年は創作の更新でお会いできたら♪

    それではまた!
                     
                     マユムラ


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  • タマ活

    20231230(土)05:41
    ここのところ連日神仏関連のお話が続いていますが今日も引き続き。
    まだまだ知らないことばかり…
    無知であることもまた神さまから学ぶ機会を与えられているのですよね。

    感謝!

    今日は初詣のお話です。



    9割の日本人は初詣で「今年は良いことがありますように」とか「今年こそ結婚できますように」と言う感じで神様に願い事をする方も多いと思いますが、それは捉え方を変えてみては?と言うものです。

    いいのです、神様にお願いしても…
    ですが、初詣って予祝。
    予祝=「よしゅく」と読みます。
    これは、もう願いが叶ったという前提で先祝いすること。

    「神様ありがとうございます。良い年を迎えられました」

    「今年は結婚のご神縁をいただきます!ありがとうございます」

    と言うものなんですね。
    ちょっとこれまでと違いますよね。
    でもこのちょっとの違いが大きい。

    この違いは決意の違い。
    決意を神様に宣言してその決意が揺るがぬ様にお力添えをいただくことが初詣なのです。

    神様は願いを叶えてくれる対象者ではない。
    だから上っ面の願いは叶いません。

    でも「何としてもこの願い叶える」という心の奥からの願いならば叶う確率は高くなります。
    それはあなたの心に内在する神が既にいらっしゃるから。
    心の奥宮に鎮まる神様って「魂」のこと。
    魂と神社に鎮まる神が共鳴した時に、満願成就のエネルギーが発動されます。
    神には魂の願いしか届きません。

    だから来年の初詣は「予祝」の心で参拝してほしいのです。
    自分の魂が望むことは当然叶う!という決意を持ってご参拝してくださいませね。



    なるほど…
    元日も迫って参りましたが初詣に行かれる皆さま、魂を磨く活動「タマ活」、ぜひ一緒にしてゆきましょう♪
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  • あなたの目の前にいる人が鏡

    20231229(金)05:21
    今日も神仏に携わる方の発信から。



    昔は綺麗にに映る鏡なんてなかったから自分の姿はボンヤリとしか把握できなかった。
    だから他人の目に映る「自分の姿」から自分を想定していた。
    でも、こちらの方が的確に自分を把握できたと言います。

    今、毛穴までクリアに見える鏡の前で…
    見ている姿は本当の自分じゃない。

    見ている自分は「見たい自分」。
    気分がよければ「なんか今日イケてる」
    気分が悪ければ「ホントに老けたな…」

    そう映っている。

    鏡は祭具。
    古代は神の心を映すものだったのです。
    今だって、鏡が映し出すのは「自分の心の真実」。
    だから心構えなしにみると、あっという間に自我のとらわれの世界に行ってしまう。
    これが「魔」。

    今はどこにでも鏡があるから神聖さは失われて、鏡に映る姿が「自分」だと思ってしまいますが、実はそうではない。

    いま、あなたの目の前にいる人が鏡。
    全てそこに映し出されている。

    年末年始は目の前にいる人とじっくり向き合える時間があると思います。
    自分の鏡だと思って接してみましょう。



    そうおっしゃっています。
    鏡の姿を変えようとしても変わらない。
    自分が変わらなきゃ、まさにそうですよね。

    「鏡(かがみ)」から「我(が)」を取れば残るものは「神(かみ)」

    昔から鏡を見るのがあまり得意ではない、と言うか朝お化粧や髪の毛を整える時以外は日中、鏡を見ることはあまりしません。
    仕事の途中、お手洗いに行く際も手洗いを済ませると、目の前にある鏡をあまり見ないでお手洗いを出て来てしまう。
    自分を見るのが恥ずかしい、そこに映る自分をまじまじを見るあの瞬間が今だに慣れません。
    お手洗いでお化粧直しをされている女性を見ると、ご自分を直視できて羨ましいなと思うこともしばしば。
    人ぞれぞれではあるでしょうけれど、この鏡と向き合う心と言うのは上記のように「神の心を映すもの」だったと思うとまだまだ自分は神の心を直視することが出来ない未熟者なのでしょうね。
    ただ『心構えなしにみると、あっという間に自我のとらわれの世界に行ってしまう。これが「魔」』
    となると、心構えなしに見られない自分は魔の世界にとらわれにくい、とも言えるのかな。

    自分がどう他人から見られようと気にして来なかったのはよかったのかも知れません。
    少しずつ、少しずつ。
    目の前にいる人を今まで以上に愛おしみ、慈しみながらその人の瞳に映る自分を磨き続けてゆこうと改めて思わせてくださるお言葉でした。
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  • 愛を知る

    20231228(木)05:25
    神仏に携わる方のお話から。



    「愛」という言葉の落とし穴について。

    いのちの根源は「愛」
    この世の真理は「愛」
    全ては、最終的には、究極の答えは「愛」

    そうは言ってもこの「愛」って言葉は日本人とは相性が悪いと言います。
    相性が悪い…
    だから誤解が生じるんじゃないか、と。

    犠牲とか、受容とか、許しとか、奉仕とか…
    ちょっと偏った意味付けがされやすい。
    だから多くの日本人が「愛」という言葉を実人生に活かすことができないそうです。
    何かつかみどころがない。
    しっかり把握しようと思うと偏った理解になってしまう…

    もっと「愛」という感覚を適切に表現できる日本語ってないのかしら?と思われて、考え始めて早7年が経つそうです。

    未だに「これだ」と言うしっくり来る言葉が見つからないようですが、
    この2023年の年末時点で一番の言葉は「調和」であると。

    調べが和する

    これ社会的に調和するって意味じゃない。
    ここを誤解のなきよう…
    もっと根源的な魂の話、いのちの話。

    神から承認された、
    人それぞれの、
    いのちのそれぞれの響きが美しい和音となって
    響きあうイメージ。

    それぞれの人のそれぞれの人生が、壮大なミュージックとなって鳴り響くイメージ。

    これが「愛」なのではないか、と。

    神道には「愛」という言葉はないと言いますが、神々と共振する言葉ってたくさんあるそうなんです。

    雷は「神が鳴る」こと
    感動は「魂が震える」こと
    言霊は「音の響き」のこと

    神々と全ての人の魂が響きあう。
    これはエネルギーの調和。

    全ての響きが「調和」している状態を「愛」というのではないでしょうか。



    こんな風に愛を捉えてらっしゃいます。
    以前もここで書いたかわかりませんが、私自身「愛」と言う言葉を創作にも実生活でも使ったことがほとんどありません。
    本当のところの「愛」をまだ知らないように思うから…
    愛してる、なんて言ったことがないので創作でも無闇矢鱈に使えない。
    わからない。
    渾身の想いから愛してる、と書いた作品もありましたがたぶんその作品にしか書いていないように思います。
    今作もラストまでに取り入れるのか…わたしにもまだわからずw

    それでもお客さまや仕事仲間などからは
    「愛情豊かな人ですね」
    と不思議なことに言われる。
    誰かのために、人のために生きることを人生のメインにして来たから…らしい。
    今秋

    「人のために生きるのは心身共によくないから、自分のために、生きてください。そうしないと命すら縮めてしまいます…」

    と神仏に携わる方から切実なお願いと言われてしまいました。
    人のために生きることは自分に跳ね返って来ていると思っていた思考を、自分のために生きていれば自然と人のために生きている、そう変えるようになりました。
    自分を大切に。
    心乱されることから離れたり、穏やかな心であり続けることを軸にしながら。

    愛する、愛している、と言う己を震わせる経験が死ぬまでに訪れるよう、体内から溢れる情に敏感にこの先も生きてみようかな、と。

    調和。
    これもまた魂が揺さぶられる相手と心を交わし合い、調和させ合う。

    愛であろうと調和であろうとこの先も自分に関わってくださる方々と感情を出し合い、与え合うことをし続けてゆきたいと思います。
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  • 予約完了!

    20231227(水)07:07
    2024年2月2日(金)『ワールドツアー上映「鬼滅の刃」絆の奇跡、そして柱稽古へ』

    先週22日からムビチケの販売が開始されています。早速絵柄違い、壱、弐、参の3枚を予約して支払いも完了。

    年が明けたらあっという間に上映が始まって、テレビ放映も開始されるのでしょうね♪

    わくわくソワソワしながら待ちたいと思います!
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  • あなたの心は他人のもの

    20231226(火)05:08


    「他人にどう
    思われているかを
    心配している限り
    あなたの心は
    他人のものだ」



    ああ、そうなのかも。
    こんな文言が目に飛び込んでくる。
    世間体、見てくれ、そんなことを気にしている間は「自分」と言うものがまだまだ確立できていないのかも知れない。

    自分軸
    取捨選択

    生きていると幾つもの分岐点にぶち当たって

    「さてどうしようか、どちらへ行こうか、引き返そうか」

    そんなことを繰り返している。

    この言葉のラスト

    「あなたの心は他人のもの」

    他人の言動に振り回され自分というものがブレてしまうこと、そんなこともひとつあるだろう。
    でも見方を変えてみると

    「わたしの心はあなたのもの」

    そんな捉え方も悪くないんじゃないか。
    「心を奪われること、翻弄されること、支配されること」
    それだって悪くない心のあり方なんじゃないか。

    そこには自分軸がしっかりあれば翻弄されることだって人間を育めると思ったりする。

    来年はもう少しいろいろな景色を見てみようと思う。
    行きたいところへ行ってみようと思う。
    会いたい人に会おうと思う。

    来年の今頃、また違った景色が目の前に広がっていたらいいなと。
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  • 今日は静かな朝

    20231225(月)05:52
    世界中の人々、子どもたちが幸せな朝を迎えられますように。

    メリークリスマス。
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  • ヒトやモノ

    20231224(日)07:15
    主要な駅に直結する大型ショッピングモール。
    土日になるとどこからヒトが湧いて来るのか、あちこちの出入り口、駐車場入り口の自動ドアはひっきりなしに開閉される。

    駐車場は地下、1階から埋まり始め、表示パネルは屋上へ行け、と案内する。
    買い物や用が済んだ客の駐車スペースは空きが出るから屋上まで行かずとも済むわけだが、それでもぐるぐるとしばらく徐行運転しながら右左をキョロキョロしていると空きスペースが見つかる。

    駐車し終えると今度は売り場に上がるエスカレーターやエレベーター乗り場がわからない。
    買い物慣れていない大型ショッピングモールはこれだから苦手である。
    何となくの勘を頼りに無事に売り場へ上がればもうそこは品物に溢れた一種の戦場のようだった。
    ヒトが行き交い、次々に積み上げられた商品に手を伸ばし、カゴに放り込む。
    正直、モノがありすぎて買い物する意欲が削がれてしまう。わたしの場合だが大型店に行くといつもそんな気持ちになる。

    予約していた商品を受け取り、売り場をざっと見るも、こんなにモノに囲まれてしまうと狂気すら感じてしまう。

    八百屋、肉屋、魚屋などそれぞれの専門店が意識高く商売をしていた時代はもう戻って来ないのだろうか。
    店主たちと会話しながら
    「このみかん、皮がね薄くっておすすめよ!」
    と言われれば買うつもりがなくても
    「じゃあそれも」
    なんて買わされてしまう、それもまたいい。
    まだ辛うじて生き残る、そんな個人商店が職場のある小さなショッピングセンター内にテナントとして入っている。
    やはり、いつもの八百屋さんで買いたい、そう思いながら大型ショッピングモールの食品売り場では手が伸びなかった。

    ヒトを掻き分け、すれ違いざまに肩がぶつかり合う。
    本当に豊かな暮らし、豊かな社会になっているだろうか。
    ヒトビトは幸せだろうか。
    お母さんが毎日外に仕事に出る社会は子どもたちにとってどうなんだろう。
    わたしは感覚が古いままなのか、今の時代に適応することに抵抗しているのだろうか。

    小さな街、小さな人間関係、小さな社会。
    モノを与えられることが豊かな社会ではなく、自分の意思で選択できること、どうしたいのか、どうなりたいのかを考える余地、余白がほんの少しあってもいいのではないか。
    ベルトコンベアーの上に立ち、自らの足で歩かなくなってしまった私たちが一旦そこから降りて立ち止まり、もう少しだけ丁寧な暮らしに戻りたい。

    久しぶりに大型店で感じたことを大切に考えたいと思う。
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  • 同調圧力

    20231223(土)05:10

    「我々が皆同じ考え方をしたからといって、それが一番いいということにはならない。競馬だって、意見の違いがあるからこそ成り立つのだ」

    It is not best that we should all think alike; it is a difference of opinion that makes horse races.


    マーク・トウェイン(米国の作家、小説家 『トム・ソーヤーの冒険』の著者。/ 1835~1910)


    昨今言われている同調圧力と言う言葉。
    考える余地を許さずに、頭ごなしに同調を促す流れ…
    それで多くの方が苦しんでいると言う現状もあって心がとても痛みます。

    それぞれが、ひとりひとりが自分軸で考える時間と余地をください。
    そんなに慌てなくたって大丈夫なはずだから…
    真実に辿り着けることがすべてでもなく、それが正解なのかもわからない。
    それでも大きな流れに流されることなく見届けることもまた必要なんだと。

    もう平和な、穏やかな日々は戻って来ないのかも知れなけれど、自分の心の中だけは真っ直ぐでありたい。

    今日もお天道さまのあたたかさを浴びながら。
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  • 揉まれ納め

    20231222(金)04:00
    何だか卑猥な響きに捉えられてしまったら申し訳ない!!www

    今日のタイトル、仕事場でこの時期出る言葉のひとつになります。
    今年も残すところ、あと10日ほど。職場ではありがたいことに連日お疲れのお客さまのご予約をいただき、スタッフ一同心を込めて施術にあたっています。

    我がお店に君臨されているw愛すべきオツボネサマが電話を受け、ご予約を取っていました。その後わたしのところにいらして

    「マユムラさん、Nさんご夫婦、別日だけど予約が入ったよ」

    「揉まれ納めですね?」

    と笑いながらわたしが返します。

    そんな駆け込み揉まれ納めのお客さま、そしてこれまでご来店くださったお客さまがいてくださるお陰で今年も無事にスタッフ一同、生き抜くことが出来るのです。

    ここでも。

    お陰さまで。

    みなさまのお仕事もまたラストスパートの時期かと思います。
    どうかお身体ご無理なさらずに。
    あれやこれやと考えがちな年末ですがひとつひとつこなしながら、出来ないことは「ま、いっか」とわたしのようにお過ごしくださいね♪
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