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ヒトやモノ

2023/12/24 07:15
主要な駅に直結する大型ショッピングモール。
土日になるとどこからヒトが湧いて来るのか、あちこちの出入り口、駐車場入り口の自動ドアはひっきりなしに開閉される。

駐車場は地下、1階から埋まり始め、表示パネルは屋上へ行け、と案内する。
買い物や用が済んだ客の駐車スペースは空きが出るから屋上まで行かずとも済むわけだが、それでもぐるぐるとしばらく徐行運転しながら右左をキョロキョロしていると空きスペースが見つかる。

駐車し終えると今度は売り場に上がるエスカレーターやエレベーター乗り場がわからない。
買い物慣れていない大型ショッピングモールはこれだから苦手である。
何となくの勘を頼りに無事に売り場へ上がればもうそこは品物に溢れた一種の戦場のようだった。
ヒトが行き交い、次々に積み上げられた商品に手を伸ばし、カゴに放り込む。
正直、モノがありすぎて買い物する意欲が削がれてしまう。わたしの場合だが大型店に行くといつもそんな気持ちになる。

予約していた商品を受け取り、売り場をざっと見るも、こんなにモノに囲まれてしまうと狂気すら感じてしまう。

八百屋、肉屋、魚屋などそれぞれの専門店が意識高く商売をしていた時代はもう戻って来ないのだろうか。
店主たちと会話しながら
「このみかん、皮がね薄くっておすすめよ!」
と言われれば買うつもりがなくても
「じゃあそれも」
なんて買わされてしまう、それもまたいい。
まだ辛うじて生き残る、そんな個人商店が職場のある小さなショッピングセンター内にテナントとして入っている。
やはり、いつもの八百屋さんで買いたい、そう思いながら大型ショッピングモールの食品売り場では手が伸びなかった。

ヒトを掻き分け、すれ違いざまに肩がぶつかり合う。
本当に豊かな暮らし、豊かな社会になっているだろうか。
ヒトビトは幸せだろうか。
お母さんが毎日外に仕事に出る社会は子どもたちにとってどうなんだろう。
わたしは感覚が古いままなのか、今の時代に適応することに抵抗しているのだろうか。

小さな街、小さな人間関係、小さな社会。
モノを与えられることが豊かな社会ではなく、自分の意思で選択できること、どうしたいのか、どうなりたいのかを考える余地、余白がほんの少しあってもいいのではないか。
ベルトコンベアーの上に立ち、自らの足で歩かなくなってしまった私たちが一旦そこから降りて立ち止まり、もう少しだけ丁寧な暮らしに戻りたい。

久しぶりに大型店で感じたことを大切に考えたいと思う。

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