背中を押すもの
私は自殺に失敗してしまった。
さっき確かに終わるはずだった私の人生は、迷惑なことにまだ続いている。いきなり知らない青年に押し倒された私は、仕方なく構内に備え付けられたベンチに腰を下ろしていた。
知らない青年と一緒に。
「無事でよかった」
青年は盛大に擦りむいた切り傷なんてなんのその、これが当然だという態度で、笑顔で私にそう言葉を投げた。
そうですね。きっと世間的にはあなたは正しいことをしました。
「……」
そう心では思っていても、年上であろう青年に直接伝える勇気はなかった。
馬鹿らしい。死ぬ気ではいたのに、こんな土壇場でも私という人間は、他人に歯向かうことが出来ないのだ。
「……言いたくないなら、言わなくて良いけどさ。もしかして……死のうとしてた?」
黙ったままの私を見かねて、隣に座る青年はそう質問してきた。隣を盗み見ると彼は、真っ直ぐ前を見詰めている。澄んだ瞳に敢えて自分を映さないようにしてくれている気がした。
不良という言葉を連想させるやや派手めの身なりに、日焼けした男らしさを引き立たせる肌。きっとクラスの中心になれる人物像だろう。私とは正反対。
どう答えるべきか返答に窮していると、青年は小さく笑いだした。短い金色の髪が小刻みに揺れるが、しっかりと整えられたその髪型が崩れるようなことはない。
「君ってかなり真面目だよね? 言いたくないなら言わなくて良いって言ってるのに、その表情だもんなー」
よっぽど顔に出ていたのだろうか。ますます返事に困っていると、青年の顔がこちらを向いた。
隣に共に座ってから、初めて真っ直ぐこちらに注がれる視線に、私の心臓が早鐘を打つ。逃げ出したい。その感情でいっぱいになる。視線は苦手だ。とても。
「……えっと、もう大丈夫です」
大丈夫なことなんて何もない。でも大丈夫と言わないと逃がしてもらえないと直感していた。顔を背けて、視線から逃げる。真っ直ぐな目は怖いのだ。
「大丈夫って顔色してないよ? もしかして……」
そこまで言って青年の言葉が止まる。失礼な態度を取っているのは私だ。恐る恐る彼の方に向き直ると、予想に反して弱々しい表情の青年と目が合った。
「オレのこと、怖い?」
所謂ヤンキーと言える派手な服装、そこから垣間見える筋肉質な腕や胸元には、ジャラジャラとしたシルバーのアクセサリーが巻き付いてる。怖い。
でも、今の表情は優しい、多分。私が小さく頷いたら、青年は大袈裟なくらいため息をついた。片手を額にあてるオーバーリアクションつき。
「あー、親友にも言われるんだよなー。オレ、こう見えても芸術家志望のインドアなんで!」
「……ダンサーとか、ミュージシャンじゃなくて?」
「それもよく言われる! どちらも好きだけど才能ないからさ、オレがなりたいのは写真家!」
ほら、と青年はパーカー(背中に毒々しい髑髏の柄が入っていた)のポケットをまさぐり、その動きが止まる。
「あれ? オレ、スマホ落としちゃったかな?」
そう言いながら周りをキョロキョロと見渡して、改札に向かう階段の前に落ちていたスマホを発見する。
「あったあった。そうだった。親友と話してたら君が見えて、慌てて放り投げちゃったんだ」
青年が拾い上げたスマホは、カバーが外れてしまっており、それをやや力ずくで修復しながら戻ってくる。
パーカーと同じく髑髏柄のカバーに守られていた本体は、予想に反して可愛らしい水色をしていた。所々に亀裂が生じており、使い込んだというよりは大きな衝撃により削れたといった印象を受ける。通話は切れているようだ。
「……ごめんなさい」
傷が目立つ本体がカバーで覆い隠されても、私の罪悪感が消えることはなかった。
「オレが勝手にそうしただけだから、責任なんか感じないで。電話も大した用事じゃないし、傷だらけなのは前からだし」
相変わらず優しく微笑む青年に、私は心を開きかけている自分に気付いた。
それは罪悪感からくる感情なのか、それとも見掛けとは裏腹に優しい青年のギャップに惹かれたのか。自分の気持ちに戸惑いながら、口が勝手に言葉を紡ぐ。
「死にたかったんです」
青年の瞳が揺らぐのがわかった。