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背中を押すもの


「死にたかったんです」
 目の前の少女は、やや目を伏せてそう言った。少しだけ残念そうに言葉にした。瞳には感情がなく、唇にだけ嘲笑を浮かべている。
 彼女は幾分落ち着いたようだった。そして冷えた頭で、先ほどのことを一言、説明してくれた。
 正直オレは、自分から死にたい人間の気持ちを完全には理解出来ていない。だから多分迷惑だろうけど助けたし、生きたいと思えるように手助けしてあげたい。
 人間とは――生物とは本来生きるために毎日を過ごしているのであって、自ら死へ向かうのはオレの美学に反する。もがいてこその生であり、それが美しいのだ。
「……理由、聞いても良い?」
 踏み込んで大丈夫か不安だったが、どうやらそこはクリア出来ていたようだ。
 最初の反応で自分のことを怖がっていたのはなんとなく理解していたので、出来るだけ優しく話すようには心掛けていた。多分いつもの調子で話していたら通報されている。まぁ、人気のないこの時間ならそんな心配はないのだけれども。
「……私、病気なんです」
「……余命、とか言っちゃう?」
「そんなことはないんですけど……」
 彼女は立ち上がり制服を少し捲る。一瞬ドキリとしたが、彼女の腹が目に入ってそんな気持ちはどこかに消えた。
――痛々しい。
 元来色白の肌なのだろう。日差しとは無縁の美しい、蒼白に近い肌。そこに無数に走るどす黒い朱が、彼女の生の苦しさを浮き彫りにしているようだった。
 何度も何度も繰り返された手術痕が、彼女の身体を覆っていた。制服から伸びる筋肉の弱った手足が、悪い予感を加速させる。
「多分死ぬのは、もっと先。だけど、普通には生きられない。運動にも長時間の学校生活にも耐えられないんです、私の身体は。たまにしか学校に行けないから……」
「……」
 言い淀んだ彼女の言葉の先を、オレは敢えて口に出さなかった。
 学生生活において、周りと同じことが出来ないことは死刑宣告に等しい。彼女は病気が原因でイジメられているのだろう。普段から被害者になることはないオレにも、それぐらいは理解出来る。
 弾かれるようにして立ち上がり抱き締める。オレにはこれくらいしか出来ない。本当の意味で同じ立場に立ったことのないオレには、簡単に慰めの言葉をかけてやる資格なんてないからだ。
 彼女は、強く抱いたら壊れてしまいそうだった。ガラス細工に触れるように、添えてやるだけの抱擁。
 腕のなかで彼女の啜り泣く声が聞こえてきた。それでいい。まずは反省。前を向くのはそれから。
 しばらく声に出して泣き続ける彼女の気が済むまで、オレはそのままでいた。




 私はその温もりに驚いていた。家族以外にここまでの体温を感じたことがなかった。そして最初は怖いと思っていた青年に、泣きついている自分にも驚いた。
 不思議な魅力のある青年だった。努めて優しく話してくれているのは感じ取れるが、それが不快ではない。それはきっと、青年が本心から私の自殺を止めたいのが伝わってくるからだろう。本心からの言葉を、私は望んでいたのかもしれない。
「もう、大丈夫です」
 泣き疲れて、普段のものとはほど遠くなってしまった声で、彼の抱擁から離れる。
「うん。ちょっと元気になったみたいで安心した」
 私の表情を確認して、彼も優しい笑顔になってくれた。嬉しい。そんな感情が胸に広がる。相手の表情の変化に喜びを感じたのはいつぶりだろうか。少なくとも学内では感じたことのない感情だった。心地好い。
「えーっと、なんだかナンパみたいで癪なんだけど、時間がまだ大丈夫なら話さない?」
 彼が頭上に流れる案内板をチラリと見ながら提案。表示されている車両は通過する快速電車なので、彼が乗るのであろう各駅停車が来るまでには、まだそれなりに時間がある。
 私が小さく頷くと彼はニッと歯を見せて笑った。ワイルドな風貌が途端に魅力的に感じた。眩しい笑顔だった。
 もう一度、二人並んで腰掛ける。
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