『青服の日常』より

 過去がコツコツと俺の頭蓋を叩いている。
 雨垂れよりは少し硬質な音で。
 何事もなかった過去。普通の過去に思い出す価値などない。俺はただ億劫な毎日を億劫なままずるずると過ごしていればいい。
 わかっているのに過去が俺の頭蓋を叩く。
 コツコツ。
 コツコツ。
 しつこくてしつこくて、これがセールスなら警察を呼びますよとでも言うところだろうが、しかし脳に警察はないので、叩いてくるそれからひたすら目を逸らして気付かないふりをし続けるしかない。
 コツコツ。
 コツコツ。
 いったい何の過去だ? アンノウンである俺にそんな大した過去があるとは思えない。こんなにしつこく叩いてくるのだ、何か大事な過去だったんじゃないのか?
 違う。そうであるはずがない。己に属するもののなかでは悪いものほどしつこく纏わり付いてくるというのは半ば常識である。
 そのせいで俺は日夜ぐるぐると思考を回す羽目になっているのだし。
 話が逸れた。いや、逸れてくれた方がよかった。逸れれば逸れるほどその記憶からも意識が逸れてくれるのだから。
 話が逸れて一段落した後に元の話に戻る、という簡単かつ基本的なコミュニケーション手段を一人になってもやってしまっているのは、俺が骨の髄まで、思考の端まで、一般人……善良な一般人である所以なのか。
 知らない。知るものか。俺が一般人であることは当然、周知の事実であるし、それを俺が今ここでもう一度認識してやる必要性など皆無だ。無意味そのもの。
 本当に?
 知らない。
 本当にお前は一般人なのか?
 知らないと言っているのにしつこい思考だ。さっきからの記憶並みだ。しつこい奴は嫌われるというのに、自分に対しては何をやってもいいと思っているので己というものは遠慮も容赦も配慮もない。他人に対しての方がまだ優しげがあるのではないか。
 そんなことだって本当はどうでもよくて、今はただ記憶から気を逸らしたいだけなのだ。
 また戻ってきてしまった。向き合わなければ永久に逃げられない記憶なのだろうか。そんなに大事な記憶なのだろうか。それは……

 いったいどんな記憶なのだろうか。

 湧いてしまった好奇心から俺は記憶の蓋を開け、そして、胃の中が空っぽだったので、口を押さえて布団にくるまり丸くなった。
 しつこい記憶というものはやはり、思い出さぬ方がよい記憶なのだ。
 今回はたぶん、そんな話。
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