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背中を押すもの


 彼の言いたいことはわかっていた。私もそこを狙っての決行だったのだから。
「はい。近所でも噂になっていたので」
「自殺者の写真がネットに公開されているのは知ってる?」
「え?」
 まるで世間話をするように、彼は恐ろしいことを口にした。
 写真? それって? どういう……?
「知らないか。まぁ、オレも趣味繋がりだから見れるってだけなんだけど」
 そう小さく笑いながら、青年は私に先程と同じようにスマホを見せてきた。先程と違うのは、画面いっぱいに電車に衝突する寸前の女性の画像が写っていることだ。どうやらSNSの個人ページのようで、鍵のマークがついている。
「何人か写してるけど、同じ人の連続写真もある。連続する方は横にスワイプするごとに車両との距離が近くなる。場所はまさにこのホームで、飛び込み。もちろん衝突して弾け飛ぶ瞬間の画像もある」
 震える私の手を、青年が強引に掴んで横にスライドさせる。
 まだ明るい太陽の光に踊り出すように、女性が宙を舞っている。そこに近づく車両とは、まだ少し距離があるような気がした。まるで現実味のない空気が流れるのは、そこに他の存在が介入しないからである。
「これはまだ序の口。作品の序章だよ」
 彼の手に力がこもり、その口が歌を口ずさむように告げる。
 燃えるような夕日が目に飛び込んできた。それは画面のなかの風景で、今の時期より太陽の距離が近い。力強い赤をバックに、宙を踊る人影と車両が見事な影を作り出している。
「夕日は逆光になるからね」
 彼の手――私の指が動く。スワイプ。
 可愛らしい水色のカーディガンを羽織った女性が、まるで電車に挑むように真正面を向いて飛び込んでいる。何かを必死に握りしめているのだろうが、その手元は身体に隠されていて見えない。
 気持ちはわかる。あの恐怖心は、今から考えたら二度と経験したくないものだった。
 どうやらこの写真達はホームから撮影された訳ではなく、駅の外、つまりフェンスの向こう側から撮影されているようだ。そうでなければこのアングルは実現しない。だが、フェンスのようなものは写りこんでいなかった。
 すでにこの画面の女性は、電車と衝突寸前だ。もう見たくない。思わず私は目を瞑った。
「この線の車両の模様。人が正面からぶつかると、まるで断頭台で斬首されたように見えるんだ。だからこの写真は芸術的」
 目を瞑っていても彼の説明は耳から入る。考えたくもない想像をしてしまい、私は自分の足が震えるのを自覚していた。
「ねぇ、君は本当に死にたい?」
 先程と同じように、青年が甘く囁く。誘うようなトーンで、まるで死神のように。
「……生きたい、です」
 絞り出すようにそう答えると、青年はポーンと両手で私の肩を叩いた。
「よく言った! こんな風に死にたくないから生きる! 単純だけどそれで良い! だろ!?」
 目の前にはもう何度目かの笑顔があった。なんだ、わざときつい言い方をしたのか。この青年はきっと、生への執着を教えてくれるために、先程の画像を見せたのだろう。
 構内にアナウンスが流れる。快速電車が間もなく通過するようだ。人気のない構内は、まるで時間が止まったような錯覚を覚える。
 ここに来た時とほとんど変わらない――時間にしてもそこまで経っていないのだから当たり前と言えば当たり前だ――相変わらず人がいないホームに、デタラメな方向を向いた監視カメラ。飲み物を飲み終え座りこんでいる自販機の男。少しばかり赤みが増した夕日。
 先程とは少し違った心境で見るそれは、まるで生命の炎のように私には感じられた。気の持ちようで物の見方が、こんなにも変わるのか。
「丁度電車も通過するみたいだし、君も写真撮ってみない?」
 青年が明るい口調で提案してきた。先程見た――車両単体の方だ――写真を思い出す。あの迫力に充ちた映像が、自分のスマホに残る。
 それは本当の意味でのプレゼント――命を喜ぶ誕生日プレゼントのように感じる。
「はい。私もあんな写真撮ってみたいです」
 スマホを操作しながら立ち上がり、ホームを歩き出す。青年もついてきてくれて「初めてだとぶれちゃうだろうから動画がオススメ。そこから一枚を静止画に切り出せば良いし」とアドバイスしてくれた。
 二人で並んで、今はまだ遠くに光る先頭車両のライトを見つめる。徐々に大きくなる車輪の音が心地好い。スマホの画面は既に、動画の撮影を開始している。





 隣で並んで立っているとつくづく思う。オレは本当に女グセが悪くて、芸術に貪欲だ。
 自販機の前で、親友が飲み干したコーヒーをゴミ箱に捨てている。荷物はカメラ一つにしておかないと、上まで上手く登れないから当たり前か。その辺に捨てときゃ良いのにと以前笑ったら、彼は「現場に証拠は残したくない」と言っていた。それならゴミ箱もダメだろ真面目君が。
 最初は小さかった光が、どんどん迫ってくる。
「これが……っ」
 隣の彼女が小さく息を飲んだ。そうだよ。これが君の命を奪う圧力だ。
「怖いだろ?」
「はい。今は怖い」
 その言葉が聞けて、オレは本当に満足した。生きる希望を手にした彼女の背中を押してあげたオレは、一層激しく鳴り響いた車輪の音を聞きながらホームをあとにする。
 階段を上がりきるとスマホが着信を告げた。このタイミングは親友しかない。
「わりぃ。遅くなった」
『何話してたかは聞かないけどさ。お前のその性格、ビョーキだよビョーキ』
「えー? だってさ、生きたいってもがくからこそ、最後の時は綺麗なんだぜ。芸術ってそういうもんだろ?」




 END
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