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第七章 蒼海の王〈プロトタイプ〉


 魔力にて生み出された水流の勢いが弱くなったところで、リチャードは部下数人を率いて集会場内に突入した。
 まだところどころに水が残る室内は、なにかが腐るような独特な臭いで満ちていた。それを部下達が風を魔力で生み出し、吹き飛ばしていく。濁流に浸かり、不安定になった足場が頼りない悲鳴を上げる。
 広い空間に差し掛かったところで、リチャード達は何体もの死体を見付けた。
 人間だったものが十数体。それに大型の生物の亡きがらが一つ。
 そのほとんどが濁流により大きく破損し原型を留めておらず、胴体から数と性別を判別するのがやっとの状態だった。
 リチャードの心に警鐘が鳴り響く。顔まで破損したその死体達には、当然ながら見覚えはない。
「リチャード様! これを見て下さい!!」
 少し奥、まだ臭いの残る向こうから部下の呼び声が聞こえた。リチャードはその方向に向かって口元を押さえながら歩いた。
 濁流の発生源となった場所だろうか。ところどころに魔力の源として使われたあの塔の残骸が、キラキラと舞っている。まるでスターダストのように舞い散るその光から、自分の浄化が完全に完了していることがわかった。
 その空間に、それらは寄り添うように横になっていた。その手前にも乱雑に破壊された数体が転がってはいるが、その死体達とは違う、明らかに濁流に抵抗した形跡がある死体が四体。水圧に押し潰され、多少は変形が見られるが、まだ他の残骸状態のものに比べたら綺麗だ。
 眠るようにして死んでおり、男が三体に女が一体。固く閉じられた瞳の下、口から少量の泡を零している。
「まさか、フェンリル? ……追い詰められての自害でしょうか?」
 これを最初に発見した部下が困惑した目でこちらを見、すぐに尋常ではない空気を悟って息を呑んだ。
「……本当にお前なのか?」
 リチャードの口から、本人もびっくりする程の低く冷たい声が零れた。願いこがれていた光景が目の前に広がっているはずなのに、何故こうも心がざわめくのか。普段の余裕ある美しい彼の声に聞き慣れていた部下達は、知らず知らずに姿勢を正した。
 全員が、リチャードの発言を待っている。
「この死体達をフェンリルと断定。各員、捜索を続行せよ」
 リチャードは吐き捨てるようにそう言うと、後のことは部下に任せることにした。
 頭の中に流れたあの光景と酷似し過ぎて、その場にいたらどうにかなってしまいそうだった。









 集会場の前につけていた軍用車に乗って、クリス、レイル、ルーク、ロックの四人は無事にデザートローズを脱出した。
 途中城門を通過する時に、兵士に車内を覗かれそうになったが、“後輩達”が門番に事前に話をつけてくれていたので問題無く出国することが出来た。
「んで……どこまで走らせるんだ?」
 ハンドルを任されているロックが言った。
 欠伸をしながらの彼の運転は、お世話にも安全運転とは言い難い。
 助手席に座るクリスはその言葉を完全に無視し、忙しそうに地図をめくりながら何かを呟いている。
「とりあえず緊急事態だから、本部の国境まで行くのが妥当じゃねーの?」
「俺もそう思う!」
 後ろの座席に座っていたレイルとルークが口々に返す。
 二人はがたがたと揺れる車内――砂漠の隆起に車輪を取られているせいだ――にも関わらず、ガツガツと食事を取っていた。
 車の最後尾のスペースに詰め込まれていた簡易食料と水分を、食い尽くさん勢いでがっついている。
 固く焼かれた焼き菓子のようなものに、ベタベタにジャムをつけたものだ。
 見るからにカロリーの高そうなむせ返るような匂いのするそれらを、二人は身体に悪そうなジュースで流し込んでいる。
 味と匂いのきつさが食べ物とは別の次元にある代物だが、今の二人にはどこ吹く風だ。
 こちらに目もくれずに食べるレイルの姿は、肉食動物のそれ。
 食べ方には人の性格が出るらしいが、彼女はかなり当て嵌まっているように感じる。
「ルーク……後、半日は掛かる。後半の分も残しておけよ」
 相変わらず地図と睨めっこしたままクリスが、見もせずにルークに釘を刺した。
 ルークはその言葉に「むー」と神妙な顔を作り、それから食料を漁る手を止めた。
 レイルも満足したのか、ルークの隣で欠伸をしている。
 彼女の足元と周りには、まだ残った食料達が出番を待っている。
「それにしても、まさか初任務から捨て駒にされるなんて、なんつー新人教育なんだか」
 眠そうにしながらレイルがこともなげに言う。
「南部支部に在籍中の人間は軍に顔が割れている。だから替え玉には本部からまだ移動していなかったあの新人達が当てられた。それだけだ」
 地図を見ながら返すクリスだが、まだ頭が痛そうだった。
「まだ痛むか?」
 運転中だが気付いたようで、ロックがクリスに視線だけを向けながら言った。
「リーダーってば刀の悪意をビスマルクにぶつけるなんて人間技じゃねぇことするから」
 ニヤニヤ笑うレイルに、クリスは苦笑い。
「予想以上にゼウスが抑えたんでな。少々慌てたよ。俺の計算では俺達が逃げる道を作った後には力尽きると思っていたんだが」
「まぁ、そんだけ真面目だったんじゃねぇの? 新人も然り」
 クリスの頭を撫でながらそう返すロックは、相変わらず顔は前を向いたままだ。運転中だから当たり前と言えば当たり前だが。
「なぁ、ロック……恋人、だったんだよな?」
 思わずルークは聞いてしまい、もっと他に言い方がなかったのかと後悔した。あのやりとりを見る限りは、多分、恋人だ、多分。
「あー、あの女?」
 だが予想に反して返ってきた言葉は冷やかだった。
「僕に今回の作戦が伝えられたのは少し前だった。レイルの替え玉が必要になると連絡があったから、僕の言うことを少しでも聞きやすくしておいた方が良いかと思って動いてただけ。だからレイルと同じー」
 そう言いながらレイルを振り返る。
「最初から言ってやってるのにな」
 その視線に、レイルも挑発的に返した。
 僕のために生きて欲しいし、女は猫を被るもんだと。
 自分達の替え玉なのだから、大事な大事なフェンリルの仲間だ。
「んであの新人くんが俺で、あとはエキストラがなんとかしてるってわけだな?」








 軍の会議室からリチャードは苦い顔をしながら出てきた。
 それを見てアレグロは嫌味な程に深々と頭を下げて労いの言葉をかけてきた。
「我が国は身元の割れない死体をフェンリルと判断した。本部に漏れるのは時間の問題だが、おそらく向こうもすぐさま公にはしてこないだろう。なのでこちらも下手な行動はせずに様子を見ることになった」
 そう説明してやると、彼はほうと感嘆の声を上げ、ニヤリと笑いながら問う。
「その死体の認定にはリチャード殿の証言が決め手だと聞きましたが」
 どこから漏れたのかも気になったが、詮索は諦めて頷いてやる。
「あぁ、そうだ。どこかのイカれた科学者が、他者とリンクさせる力を持った水を媒介にさせたせいで、何故かフェンリルのスナイパーの視界とリンクした」
「何故、スナイパーと断定出来るのですかな?」
 アレグロのいやらしい疑問は、妥当だった。
 まさか血縁関係だからだとは言えない。血縁だからこそ、魔力の根本が同じ二人の視界がリンクした。
 その仮説はさすがに言えず、仕方なくもうひとつの判断材料を伝える。
「視界の人間が使用していた魔法だが、水流を遮っているように見えた。あれはフェンリルのスナイパーが得意とする重力魔法だ」
「確かにあのメンバーの中で魔法を得意とするのは銃使い達だと情報にはあるが、どうやらリチャード殿は、私の知らない情報もお持ちのようですな」
「お互い様だろう」
 そう皮肉で返してやると彼は小さく笑った。
 現場を更に詳しく捜査した結果、氷結魔法を使用した形跡のある男性の死体、腕に見覚えのあるブレスレットをつけた女の死体。
 そしてもう一体の下に今は亡き家紋の描かれた布切れを見つけて、リチャードはそれ以上考えるのを止めた。もうこの心のざわめきに蓋をしてしまいたかった。
 リチャードは思う。
 あの危険過ぎる狂犬達は水に押し潰されたのだと、どうしても信じたかった。逃げ切れたとしても、この国に追撃を加える力は残ってはいない。
 不確定な敵よりも、この国にはやらなければならないことが山積みなのだ。







 リチャードとの立ち話を終え、アレグロは自室兼研究所に戻った。そのまま通信端末を立ち上げ、相手の応答を待つ。
 狭い間取りのその部屋は、壁一面が棚になっており、今までの実験のサンプルが所狭しと並んでいた。
『空軍は落ち着いたか?』
 通信端末からここ数日毎日聞いていた声が響き、アレグロは短くああと返事をする。
「どうやらリッチ坊やは視界のリンク先がおたくのスナイパーだと思っているようだったぞ。あそこには重力魔法ではなく、風を操れる人間がいたのにな」
『地晶術だと、データから改竄していたのはこの為か?』
 ゼウスに繋がった浄化の光はそのままオーバーヒートを起こし、起動者の視界を光の魔力の根元に見せたのだろう。人ならざる存在の介する魔力なのだから当然。
 狂犬達のリーダーはもちろんそこまで読んでいた。
 陸軍がバイオウェポンを使って反乱を起こそうとしている情報を掴んだアレグロは、それに対抗するために他者の魔力に直接リンク出来るゼウスのコアの奪還をフェンリルに依頼した。
 だがこの国に、生身のゼウスをそのまま置いておくわけにもいかない。まだこの国には、そこまで大きな力をつけて欲しくなかった。
 陸軍と並び、召喚獣ビスマルクの破壊力も危惧していたので、あの水神に悪意の真の意味での浄化と後始末を擦り付けた。それにより宮廷魔術師は頼みの綱を失くし、アレグロの理想である空軍一強の時代が到来したのだ。
 これからリッチ坊やは他国からの追及や防戦を、無能な上層部に代わり行わなければならない。
 これならば自分も研究に没頭出来るというものだ。
 夢は実現させる。もちろん……
「ゼウスのコピーはお互いに手の内だ。本部は何も言うまいよ」
 クリスには感謝をしている。こんなに臨機応変に対応出来るのは、数々の修羅場を潜り抜けた土壇場での対応力だろう。
 だが最高傑作の仇は必ず自分が取る。その時を夢想し、ただただ笑みが溢れた。





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