季節物短編


 彼がいないその部屋で、良は開けた段ボールの前で固まってしまった。
「……これ……なんだよ……」
 部屋の主である彼がいないのは、なんとなくわかる。冷蔵庫にストックしていたエナジードリンクが切れていたし、たまに吸っているタバコを切らしたのかもしれない。とにかく、ぶらりと近くのコンビニまで行っていた、なんてことは今までもあった。
 部屋に大きな段ボールが置いてあるのも、それもおかしなことではない。これまでも、彼の『買い物』のために、大きな段ボールが届くなんてことはざらにあったし、購入品である車の部品が包装資材に巻かれてそのまま届いたこともあった。
 そう、彼は『車好き』の彼氏だ。だから、良の目の前に大きな段ボールが部屋の主の代わりにその存在を主張しているのは、それ程おかしなことではない。彼との付き合いもそれなりになってきた良だ。今更こんな高そうな輝きを放つ部品のひとつやふたつ、それこそ見飽きたぐらいだった。
 しかし――
「……これは、絶対……車の関係じゃねえだろ……」
 良の目の前の段ボールには、大きな筒状の部品と共に、カボチャ色をしたコスプレ衣装が入っていたのだ。ちなみにコスプレ衣装だとわかったのは、激安を謡うディスカウントストアの名前の入ったパッケージに入っていたからだ。
――しかも女物って……
 良は彼と付き合ってはいるが、れっきとした男である。今までのやり取りでも、彼が良のことを決して『女扱いしたい』という素振りは全くなかった。『可愛い』だとか、『オレが守ってやっから』だとかはよく言われるけど……
「……彼女……?」
 パッケージに入った状態のそれを恐る恐る手に取りながら、良は一番考えたくない展開をつい想像してしまう。手にとっているものは普通の女物の服ではない。際どいデザインの、それこそ『コスチューム“プレイ”』のための衣装だ。
 流石に買うだけ買って鑑賞用なんてことはない――いや、あるにはあるのかもしれないが――だろう。こんなものを着せる相手なんて、普通の友人関係ではない。カボチャ感の強いメイド服のような衣装の腰回りは、滑らかにくびれていて――
「――っ……って、え!?」
 ぐるぐる回る頭で考えながら持ち上げたそれから、何故か衣装がするりと落ちた。パッケージに入っていたから、てっきり未開封のものだと思っていたのに。
 ギラリと光る部品の上に落ちた衣装を拾い上げると、白のウエストラインが少し黒く汚れてしまった。慌てて他に汚れた所はないかとひっくり返すと、カボチャ色のスカート部分に、考えたくなかった“汚れ”の跡がついていた。カピカピになったその跡を、わからない男はいないだろう。
「……使用済み、とか……」
 流石にここまで状況証拠が揃ってしまうと、いくら良でも彼への疑念が生まれてくる。一緒にいる時は本当に、本当に大切にしてくれていて、世界一愛してくれていると信じているが、彼はモテる。それはもう確実に。
 以前から付き合いのある不良仲間にも、新しい仕事先の人間にも、車の集まりの場でも、彼には常に『女友達』が寄って来る。それを目にする度に良の心は少しばかりの不安が渦巻いて、その度に彼は「男同士なら不自然じゃないから」と周囲に見せつけるように肩を抱いてくれるのだった。
 『男同士なら不自然じゃないから』
 その言葉はとても万能で、残酷だ。
 いつも一緒にいる二人のことを、周りは『仲良し』だと冷やかした。しかし、その冷やかしには『真実』は含まれていない。男同士付き合っているという真実は、周りには気付かれないし、考えもしないだろう。
 『公然』の仲なのに、『公然』ではない。そんな彼が少し微笑めば、手に入らない女なんていないんじゃないだろうか。
 ピリリリリリリ――
 突然、部屋の中に電子音が響く。スマートフォンの着信音だ。そしてこの音は、彼のスマホに違いない。
 背後から聞こえる音を頼りに、良が視線を走らせると、テーブルの上で彼のスマホが鳴っていた。折りたたみのカバーが開いたままだったため、電話相手の登録名が丸見えだ。
「……ユウリって、誰だよ……」
 画面表示にはカタカナの名前。写真アイコンは彼と同じく車の写真。色こそ違うが彼の愛車とほとんど同じに見える。
――なんなんだよ、これ……
 青のボディに黒のカーボンボンネットのその車は、彼の愛車ととても似ていて――
「……もしもし」
 良は思わず、その電話に出ていた。沸騰した頭で、考えなんてあったものではない。だが、声だけでも聞きたかったのだ。おそらく浮気相手であろう、『ユウリ』という女の声を……
『もしもし? あれ、お前昌也ちゃうな? 誰や? 昌也おらんの?』
 意を決して出たにも関わらず、その電話の声は男だった。ハスキーな女の声とかではない。完全に、男の声だ。彼と同じ関西弁。話しぶりから考えるに、友人、だろうか?
「えっと、昌也は今出てて……部屋にスマホが置いてあって、それで……」
『あー、あいつまたそんなんしてるんかいな。ま、ええわ。すぐ帰ってきそう?』
「いえ、わからないです……」
 なんで関西弁の人って、こんなやたら押しが強いんだろうか。勢いに流されて考えがまとまらない良の態度に、電話の向こうで微かに笑った気配があった。
『なんか変やなぁ思たら、標準語やん! わかった! 君、『良クン』やろ? 昌也からイロイロ聞いてんで。ま、世間的には大変やろけど、弟をよろしゅうな』
――え、今なんて? 弟?
「えっと……昌也の、お兄さんですか?」
『せやで……って待て、あいつ俺のことなんて登録しとんねん? 兄貴って一発でわからん登録しとるんか?』
「カタカナでユウリって」
『あー、なる程な。優しいに利って書いて優利って名前なんやわ。紛らわしいてごめんな。そんな名前出とったら、慌てて電話取るわなぁ』
 大声で笑っている電話越しの声が、確かに彼の声に重なる気がした。彼よりも少し力強くて、でも彼と同じく小さなことなんて押し流してしまいそうな、頼りがいのある声だ。
「あの、えっと……すみません」
 おそらく良がなんで弟の電話に出たのか、それはもうお見通しなのだろう。どうやら彼は、兄にだけは『真実』を伝えているらしい。
『ええってええって。それより、弟の『秘密』を知ってる俺の頼み、少し聞いてくれへん?』
 少し声を落とした電話越しの声に、良は一瞬躊躇する。なんだか、嫌な予感……
「……俺が出来ることなら……」
『簡単なことやわ。俺の名前で弟の部屋に荷物が届いてると思うんやけど、その中身からな……えーと、まぁ、あれや。“仮装のための衣装”があるから、それを処分しといて欲しいんやわ。弟には内緒で』
 後半は随分早口に言われたが、既にそれを発見してしまっている良にとっては、合点がいく話であった。
 どうやらこの『使用済み衣装』は、愛しい彼ではなく、その兄が間違えて送ってきたものらしい。日頃から兄弟間で、車の部品のやり取りをしているのだろう。それにしても、なんでそんなところに紛れ込むんだろうか。
 ガチャリ――
「はー、歩いてコンビニとかダッルー……って、良……オレのスマホ持って何してんの?」
『やべっ、良クンとにかくバレんように隠しといてや、じゃっ』
 ブツリと切れた通話音が空しく響く中、コンビニから帰って来た彼――昌也がきょとんとした顔をしている。そして、良を見ていた昌也の視線が、その手に握られた自身のスマホを経由して開いた段ボールに落ちる。
 やがて、その整った顔の口角がヒクヒクと動き、ついには堪えきれずに笑いだした。
「どうせ兄貴からやろ? あいつ絶対慌てて連絡くるやろなて思ててん。すぐには出んといたろ思てスマホ置いてったんやけど、そっか、良が出たか」
 そう言ってゲラゲラと腹を抱えて笑っている。どうやら彼は全てをわかっているようだ。電話の向こうの兄はあんなに慌てていたというのに。
「お兄さん、優利っていうんだね」
「せやねん。女みたいな名前やろ? あいつ彼女おんのに他にも『そういう相手』がおるからさ、どうせその相手との『遊び道具』が彼女にバレそうになって、咄嗟に隠したままオレんとこに送ってもたんやろな。だっさいわ」
「そ、そうなんだ」
 電話で話した雰囲気では、昌也に似て、とても人を惹き付ける魅力のようなものを感じた。なんだか、こう……『自信のある人間』という空気が、話し方だけで伝わってくる。でも、そんな人でも浮気、してるんだ……
「あいつ女関係けっこうクソやからな。むしろ彼女は繋ぎで本命はセフレとか意味わからんし……あー、こんなん良の前で話す話ちゃうよなー」
 ごめんごめんと謝る昌也。やはりこの兄弟には、心の中なんてものは見透かされてしまうのだろうか。いつの間にか靴も上着も脱いで、いつものセンスの良い黒のシャツ姿の昌也が、じっと目を覗き込んで来る。
「な、なに……?」
「んー? 兄貴のこと、カタカナで登録してたから、心配して取ってもたんやろ? 『俺の昌也に手なんか出して、どこの女よ』って」
 最後の方なんて裏声に隠しもしない笑いまで滲ませて、大袈裟なくらいに――不安を消し去ってくれる。
「だって、『ユウリ』なんて名前、女だって思うし……」
「それ兄貴の前でもう一回言って」
 また腹を抱えて笑いだした昌也に、少し目を伏せてしまった。そんな良の反応に、昌也はすぐさま真面目な顔になる。変わり身の早さも見事だが、それより見事なのは、その顔だ。
――本当に、いつ見てもカッコいいんだから。
「良……オレはいつも、お前しか見てへん。女も男も、良の他には誰も見いひん。オレのこと、信じれへん?」
 いつの間にか背中に手を添えられていて、優しく抱き締められている。完璧な表情で見下ろすその瞳には、言葉通り、ただ一人の恋人が映っていて。
――そんな言い方……ズルい。
「俺は……昌也のこと、信じてる。少しでも、疑ってごめん」
「いやいや、オレもなんも説明もなしにコンビニ行ってたし。そりゃ“あんなん”見たら『他に女がっ!?』ってなるて。ほんまあの兄貴、バレたら良かってん」
 カボチャメイドでどんだけ元気に飛ばしとんねんな、とまた腹を抱えて笑い出した昌也の背中を、今度は良が摩ってやる番だった。




 END
10/18ページ
スキ