季節物短編


 騒がしい扉を目の前にして、エイトは一人葛藤していた。
 大陸南部の砂漠の国。その首都である『デザートローズ』での生活にもようやく慣れてきて、今日は生まれて二度目の『ハロウィン』という祭り当日である。
 エイトは今年十七歳になる陸軍の訓練生である。そんなエイトが何故人生二度目のハロウィンなのかというと、大陸中央部から派生したこの祭りが、たまたま南部ではここ、デザートローズでしか広まっていなかったのだ。
 エイトの生まれはこことは少し離れた『デザキア』というところなので、ここに迎え入れられた年に初めて、ハロウィンという祭りの存在を知ったのだ。
 どちらかというと子供が主体の祭り――仮装をして恋人同士で……といった楽しみ方もあるらしいが、エイトの相手はおそらくそういったものには興味がなさそうなので、去年も言い出さなかった――なので、エイトは特に気にもしていなかったのだが……
「トリックオアトリート!!」
「ハッピーハロウィンー!!」
 どんどんと扉を叩きながらそう口々に叫ぶ“小さな”怪物達の扱いに、エイトは困り果てていた。
 どうしてこんなことになったのかというと、もう数年住んでいた軍の寮が、先週から改装工事をしているのが全ての発端だった。
 改装工事が終わるまで、エイトやその他の寮生達は、軍の敷地から程近いアパートを丸々借り切って生活しているのだが、たまたま「買い出し等が面倒だから」と一階の部屋を選んだ為に、ハロウィンのお菓子を求めた子供達の襲撃を受ける羽目になったのである。
 在宅中、一人の時はだいたい窓を開けているので、エイトの存在は外にも伝わっている。流石に外の往来から丸見えということはないが、それでも生活音というものは、扉の前まで来ている子供達にも聞こえているはずだ。
「お菓子くれー!!」
「出てこーい!!」
 キャッキャッと歓声を上げながら扉を殴るように叩く子供達。エイトとしては本日のイベントは完全にスルーしていたために、お菓子なんてものは用意していない。甘いもの自体あまり好きではないので、家に常備しているものもない。
 今日はハロウィンのために休日だ。隣は確か彼女とデートに行くと言っていたし、その隣はそもそも空き室。子供達に二階へ向かう気配はないので、完全にエイトは貧乏くじだ。
「……仕方ねえな。菓子なんて、ねえもんはねえし。でもなー、さすがにガキは殴れねえしなぁ……」
 うーんと頭を抱えながら、それでも仕方なくドアノブに手を掛けるエイト。これ以上騒がれるのは御近所の目的にもあれだ。数週間だけの付き合いだとしても、軍人としてしっかりと自覚しろと彼から言われてしまっている為、エイトとしては守らざるを得ない。
 渋々扉を開ける。その途端、それまで耳を塞ぎたい程だった大歓声が一瞬にして、消えた。
 目の前に広がるのは、子供子供子供。ドラキュラにミイラ男に、魔女。それに……あれは、確か……?
 完全にエイトの姿に釘付けになっている子供達が立ち去る様子もないので、エイトは仕方なく言い訳を並べようとする。
「……あー、わりいけどよ……お菓子は持っ――」
「――うわぁぁぁ!!」
「怖いよー! ママー!!」
「血っ! 血だー!!」
「あー?」
 途端に泣きわめき始めた子供達の反応に驚き、そしてエイトはようやく自身の恰好に思い至った。
 今日は軍も休みの日だ。皆が皆、ハロウィンというイベントを堪能するように、エイトもまた、愛しい存在と『休日』を満喫するつもりだったのだ。
 部屋の窓辺に浮かぶ『彼女』に朝と同じく祈りを捧げて、それから愛しい『彼』と共に、エイトの用意したご馳走――鳥の丸焼きだ。血抜きまではエイトは得意だが、料理の段階からは彼にお願いしなければならないので、この場合は『ご馳走』ではなく『下ごしらえした素材』が正しい――を楽しむ予定だった。
 なので『下ごしらえ』の時に飛び散った鳥の血が、エプロン替わりに着ていたシャツに付着したまま子供達とご対面してしまったのである。
「バカ、こりゃ鳥の血だっての。ここには肉はあっても菓子はねーぞ」
「お野菜も自分で買って欲しいものですけどねぇ」
「へ?」
 先程まで目の前にいた子供達の悲鳴が、どんどん遠ざかっていく。それに代わるかのように、エイトの目の前には愛しい老人――エドワードが立っていた。休日仕様のシャツとスラックス姿の彼の手には、袋に入った野菜達がぶら下がっている。
「エドワード!」
 彼からの連絡がなかったので、来るのはもっと遅くなってからかと思っていたエイトは、素直に喜びの声を上げて彼を部屋に招き入れる。扉の鍵と一緒に開けっ放しにしていた窓も閉めて、二人っきりの密室を作り出す。
「おやおや、いくつになっても落ち着きがないことで……」
 ふぉっふぉと笑うエドワードだが、その声にはエイトにしかわからない確かな愛情が込められていて。そして玄関を越えたばかりの場所で――我慢できずにキスをせがんでいた。
 せっかく急いで作った二人っきりの空間なのだ。早く、早く……この淫らな雄の身体に、貴方の愛を注いでほしい……
 まるでこちらの真意を射抜くかのような鋭い瞳に貫かれる。狭い廊下で抱き合ったまま、エドワードはこの時すらも楽しむように、微笑みのみを落とす。
「っ……はや、く……」
「ちゃんとこれからは野菜も食べますか? 約束の出来ない悪い子には、悪戯が待っていますよ?」
 そう言ってキスよりも先に、しわがれた手が背中を撫でた。びくりと反応してしまいながら、上擦った声でエイトは反論する。
「ちゃんとっ、食べるから……だから……」
「約束ですよ」
 ようやく求めるものが与えられて、エイトは深く深く、それを受け入れる。どさりと落ちる野菜だらけの袋なんて視界にはいれない。視覚を閉じて、聴覚すらもエドワードとの情事に没頭する。
 彼の為だけに閉め切った空間に、エイトは脳から溶かされていくような感覚を味わう。







「いただきます」
 エドワードと二人で窓に飾った『彼女』に対して手を合わせる。
 結局夕方から準備することになってしまった鳥の丸焼きは、程よい柔らかさで食べごろだ。今はもう夜も遅い。この時間まで彼が居てくれるということは、今夜は泊っていってくれるかもしれない。狭いシングルベッドしかないこの部屋に、果たして彼は泊ってくれるだろうか……
「エイト? 何を考えているのですか?」
 考えなんて読まれているだろうに、それでもエドワードはそうエイトに聞いた。彼の口から自分の名が呼ばれるだけで、じくりとこの身が焼かれるようだ。恋焦がれているのは、自分だけのようで、苦しく、熱い。
「いや……えっと、そうだ! エドワードが来た時にいたガキ共、覚えてる?」
「……え、ええ。可愛らしい子供達でしたね。皆、揃って仮装姿が様になっておりました」
 ふぉっふぉといつものように笑うその寸前。一瞬、不穏な間があった気がしたのは、エイトにやましいところがあるからだろうか。誤魔化す為に口から出た言葉は、昼間に感じた“それ”を問う言葉で……
「あの中に、変な『継ぎ接ぎの怪物』みたいな恰好の奴がいただろ? あれってさ……確か――」
「――フランケンシュタイン、ですな」
 被せるようにして答えた老人の目は、もう笑っていなかった。貫くような視線が、今は、とても――冷たく、暗い。
――理由なんて、わかってるけどよ。そんな目は、やっぱり、しないで欲しいな。
 咎めるエイトの目なんてものは、エドワードには通用しなくて……
「あれは遠い昔の話……伝説とでも言うべき出来事です。例え実在していたとしても、今、この時代に誕生させることは、おそらく不可能な産物でしょう」
 エドワードが語るのは、遥か昔、この大陸に魔なるモノ達が蠢いていた時代の言い伝えだ。
 その時代、人間以外にも人型を模した『魔族』や『エルフ』といった魔法に秀でた生物達が戦争を行っていたらしい。その時に、兵士として死体を繋ぎ合わせて魔力によって命を吹き込んだ『フランケンシュタイン』という人造人間を作り出したというのだ。
 その人造人間は、人の感情を持ち、継ぎ接ぎの身体で生活をしたという。そう――『継ぎ接ぎの身体』で『命』を得ていたのだ。
「今の我々の技術は、拒絶反応に苦しみながら『見た目だけの継ぎ接ぎ』に躍起になる程度。それ程までに、『人の身体』というものは複雑であり、『他を認めない』のです。あの時代は今よりも、魔法の技術が高かったと聞きます。『魔力を宿したままその身を混ぜ込む』技術なんてものもあったとか。本部が行っているという噂の『魔力や体質を継承させる』実験など、足元にも及びません。時たま出土するあの時代の魔道具から見ても、それは明白。この地方を砂嵐で包んだ元凶や、島一つを移動させた等といった伝説まである時代です。夢を見るには些か……」
 そこまで言ってエドワードは、震えているエイトの肩を抱き寄せた。狭い室内に比例して狭いテーブルに横並びに向かっていたので、彼の長い足は少しばかり窮屈そうだ。
「夢でも……オレは……デミをっ」
「……ええ。そうですね。デミさんの『心』はまだ生きている。身体の継ぎ接ぎを行えば、原理的には『彼女』を肉体的にも生き返らせることが出来る」
 この空間は閉め切った空間だ。隣もデートだから今夜は帰って来ないかもと言っていた。上はどうか知らないが、多分そこまで漏れないだろう。だから――
「絶対っ! 絶対元に戻すっ!! オレが絶対にっ、デミを……っ」
 もう何度繰り返したかわからない誓いを、嗚咽と共にエドワードにぶつける。窓辺に残る『彼女』の心だけが、今のエイトに残された『彼女の全て』だった。
 頬を伝う熱い涙が、幾筋もエドワードのシャツの胸元を濡らす。それを彼は咎めることもなく、ただ、エイトが落ち着くまで抱き続けてくれるのだった。それも、もう何度繰り返したかわからない。
 咎めるように水に浮かぶ『彼女』だけが、静かに、ただ静かにエイトを見下すのだった。




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