季節物短編


 祭り前のなんとも浮足立つような、そんな街の空気がリーファは幼い頃から大好きだった。
 そこまで裕福ではなかった実家ですらも祭りの準備のために可愛らしいキャンディーやクッキーを用意していたし、その当日に限っては近所で悪ガキと評判のリーファですらも「トリックオアトリート」という魔法の呪文をひとつ唱えれば、他の子と同じように甘いお菓子を家々からいただけた。
 さすがに学生になってからはそんな子供の楽しみ方からも卒業し、友人達のスイーツ巡りに付き添ったり家で特大のパンプキンパイを頬張るという方向にシフトしたが、それでも街の所々を彩る茶色や黒といった一目でわかる『ハロウィン』柄には、心躍るものがある。
 今では遠く離れた実家があった街と変わらない装飾は、きっとここが同じ大陸で、同じ『本部』による統治がなされているからだろう。どうやら元はここ、大陸中央部から広まった行事らしく、遥か昔の人ならざる者達が闊歩していた時代の名残で、『魔の者達を追い払う為に仮装をする』というお祭り要素だけが残ったのだと言う。
「人ならざるものねー……魔族やエルフなんて、御伽噺じゃあるまいし……」
 先週学校で習った歴史の授業を思い出しながら、リーファは鍋いっぱいのパンプキンスープをかき混ぜる。とろりとした黄色いスープからは、ほんのりと甘い香りが漂っている。見た目と香りは、我ながら完璧っ!
 リーファは現在十七歳の学生だ。以前は実家のあった大陸東部の『ハマナスの街』にある高校『グリーンローズハイスクール』に通っていたが、“色々あって”今はこの大陸のあらゆる意味で中心地であるこの街にて、学校とは名ばかりの軍学校に通っている。
 本来ならばごく普通の高校生として勉学や部活に励む予定のリーファの人生だったが、少しばかり不良の道に逸れて、うっかり悪魔のような女の子に恋なんてものをしてしまったせいで、親元から遠く離れた地で、軍属になるための座学と訓練に励む日々に変わってしまっていた。
 軍学校での学生生活は、とても――本当に、とてもとても厳しいものだった。
 それまで『不良』というレッテル通り、ろくに授業に顔も出していなかったリーファには、『特別に入れて貰えた』事情を考慮しても、それでもお釣りが出るくらいに厳しい学園生活が待っていたのである。
 クラスメートは皆が皆、軍の上層部だとか、偉大な先輩軍人だとか、街の人々を危険から守りたいだとか、そういった高い志を持った者達だらけの環境で、しかしリーファがそこで浮くことはなかった。リーファにとって本当に辛いのは、やたら難しい座学の時間だけだ。美味しい昼飯の時間も身体を動かす訓練の時間も、リーファにとってはとても有意義な時間だった。
 リーファにとって『軍人』とは、偉大なる人生の先輩で、自分を危険から守ってくれた存在そのものなのだ。
 だから……故郷には二度と戻れなくなったのも、両親には自分が死んだことになっているのも、愛しい――いや、『愛しかった彼女』とはいつか決着をつけなければならないことも……仕方がないと、理解している。
 それに、この環境に救い出してくれた『愛しい彼女』には、いくら感謝してもしたりない。
「スープに添えるパンには、『飛び散った血』を散らしてと……けっこうホラーテイストになるもんだな……」
 後は煮込むだけになったスープの鍋に蓋をして、リーファは付け合わせを早々にテーブルに運び始める。一人暮らしをしている『彼女』の部屋は、軍から支給されたマンションの一室である。隣には同じ部隊の同僚も住んでいる。
 軍の本部から程近い位置の物件で、それなりに広い。寝室は寝心地抜群のダブルベッドが占領し、もう一部屋は彼女の自室だ。リーファが拾われてから、彼女は私物を自室と定めた一部屋に引っ込めたので、あとの一部屋をリーファは好きなように使わせてもらっている。
 最後の一番広いリビングルームに、リーファは暖めたパンとサラダを運ぶ。サッパリしたわかりやすい性格の彼女らしく、リビングもその他の部屋も、過度な装飾はない。シンプルだがどことなく『尖った』印象が光る家具が並ぶのは、鋭すぎる彼女のセンスの賜物だろうか。
 ガラス張りのテーブルに街で買った黒のテーブルクロスを掛ける。そこに元から部屋にあったどろりと溶けかけた蝋燭を置いて、それに火を燈す。一気に闇の儀式っぽくなってリーファとしてはテンションが上がってくる。
 今日、彼女は仕事が入っていた。軍からの急ぎの依頼で、昨日の昼から家を空けていた彼女の帰りを、リーファは案じていた。それはなにも、今回だけの話ではない。
 テーブルの真ん中の蝋燭の上で、酷く不安定な炎が揺らぐ。その揺らぎがまるで、リーファの心を映したように見えて、そっとそこから視線を外す。
「心配すんなって……するに決まってんだろ……」
 彼女は、軍人だった。
 正確に言うなら、軍人の中でも特異な『特務部隊』の所属であった。軍の中でも裏側の仕事を請け負うその部隊は、少数精鋭の凄腕達が集まるが故に、殉職率も他の部隊の比ではない。
 彼女達が動く時は、常に命の危険が付き纏う。そういう高難度な依頼内容ばかりなのは、詳しく教えて貰えていないリーファにも想像出来たし、間違いではないはずだ。
 リーファがこの家に“攫われて”からもう一年になるが、部屋の主である彼女が怪我をして帰って来たことなど、一度や二度ではない。大怪我はまだ見たことがないが、危険な職場だ。万が一ということは充分にあり得る。
「……っ」
 リーファの脳裏に、地に転がった頭部が蘇る。
 これは僅か一年前の記憶だ。今でも鮮明に蘇る『悪夢』。この夢の元凶をリーファは決して許しはしない。だからこそ、この悪夢はずっと見続けることになるだろう。しかし、それで良い。憎しみは、前に進むために必要だ。それは時に、愛情以上の力になることを、リーファは思い知ったのだから。
 転がる頭部は、特務部隊の男のものだった。あの当時のリーファより遥かに強いその男も、更に強い相手に殺されてしまった。そんな悪夢から攫って<救い出して>くれた彼女のことを、リーファは今では誰よりも愛しているのだった。
「リティスト先生……」
 転がった骸の名前を呼んだその時、部屋の扉の鍵が開いた。カチリと無機質な音が響くまで、足音一つ聞き取れなかった。確かに軍から支給されたこのマンションは、壁も厚いし防音もしっかりしている。それでも彼女が普段から着込んでいる制服と共に愛用されている軍用ブーツの足音は、なかなかに存在を主張するはずだった。
 今日も仕事帰りなのだから組織の制服を纏っているに違いない。金属の含まれた足音など一つもさせずに、彼女はリーファの待つ自宅の前まで来ていたのか。
 ドアノブが回され、扉が開く。
 一呼吸遅れて愛しい深紅の頭が見えて、リーファはリビングから「ハッピーハロウィン!」と声を掛けて――危うく悲鳴を上げそうになった。
 リーファは自分自身に女らしさが足りていないことは自覚している。女子の平均よりもよっぽど高い身長もそうだし、喧嘩ばかりしていた不良のために体格も良い。それに話し言葉だって、女の子らしい言葉は気恥ずかしいくらいだ。
 そんなリーファですらも、悲鳴を上げてしまいそうになった。
 彼女は――愛しい同性の恋人であるレイルは、血まみれで玄関に立っていた。
「おー、ただいま……」
 流れるような深紅のウェーブがかった髪の間から、色白の美しい顔立ちが覗いているのはいつものこと。フェミニンな色香をこれでもかと纏う彼女の美しさは、リーファの好みど真ん中だ。
 憂いを帯びたようなエメラルドグリーンの瞳は任務の疲れからかやや暗さが目立つが、薄っすら笑みを湛えた愛らしい口元からは苛立ちは見えない。それくらいにはリーファはレイルの『機嫌』を読めるようにはなっていた。
 リーファの好みの見た目は、もう説明不要だろう。レイルのような小柄で華奢な、美しい女の子だ。だが、性格は真逆だった。リーファの好みは女の子らしい、可憐で大人しいお嬢様のような性格だが、レイルはリーファと同じく、“普段は”やや女らしさに欠ける性格だった。
 現に今も短く帰宅の挨拶をしただけだ。しかし、それは今更問題ではないのだ。この世に完璧な人はいないし、百パーセント理想の恋人なんてのも実在しないと理解している。
 多少口は悪くても、レイルはリーファの自慢の恋人で、愛してやまない存在なのだ。
 だが、その彼女が目の前で、血まみれだった。リビングのホラーテイストを強調するために部屋の明かりを消していたせいで、余計にグロテスクに見える。
「レイル、その血……どうしたの?」
 任務で怪我でも負ったのだろうか? この量の出血はすぐに医者に診せなければならないのでは?
 混乱する頭でレイルの身体のことばかり考えるリーファだったが、しかし目の前のレイルは特に気にしていないように笑って見せた。
「あー、やっぱそういう反応になるよな。本当なら止血のために使った包帯変えてから帰りたかったんだけどよ。誰かさんが『今日は絶対帰って来い』なんて連絡寄越すもんだから、任務終えたその足で帰ったんだよ。医療班に寄ったら確実に、その手前の部屋に缶詰にされちまって日付が変わるまでには帰れねえだろうからな」
 レイルはそう言いながら、血にまみれた漆黒のジャケット――特務部隊は組織のカラーとして、漆黒をその身に纏っている――を脱ぐ。ジャケットの下に着ていた淡い紫色のシャツの左腕の部分が無残に赤黒く染まっている。
「シャツは着替えて来たんだが、包帯変えてなかったから汚しちまった。またクリーニングに出さねえと……」
「クリーニングにはまた、あたしが出しに行くから、それよりっ……レイルは大丈夫なのか?」
 リーファは思わず、その小柄な身体を抱き締めていた。一瞬驚いたような気配が伝わってきて、足元から小さな音が聞こえた。それから身体と同じく小さな手が、優しくリーファの背中をとんとんと叩く。
「私を誰だと思ってんだ? 狂犬部隊のレイル様だぜ? そんな簡単に死ねるか。こんな可愛い女、待たせてるのによ」
 レイルはそう言って身体を離して、にっと悪い笑みをリーファに見せてくれる。獰猛な肉食動物のような、ギラギラとした自信家の笑みだ。
 その顔が、リーファの大好きな顔だということは、レイルにはもう見抜かれている。わかってやってる、本当に危険な恋人だ。
 レイルの手がいつの間にか背中から後頭部に移動している。そしてグイっと引き寄せられて、ただいまのキスを受け入れる。触れるだけの挨拶。二人の挨拶はいつも、なんでも、そうしている。
 暖かい、柔らかい感触が、いつもリーファの心を安心させてくれる。その安心を不安が塗り替えようとしている時も、今までもあった。何度も、何夜も。
 心に負った傷のせいか。それとも新しい生活に心が付いて行かないからか。
 そんな時、レイルはいつもリーファの『我儘』に可能な限り付き合ってくれた。さすがに任務の時は仕方なかったが、普段はがさつで面倒くさがりのレイルが、リーファの心が乱れた時は、ずっと傍についていてくれた。
 優しく抱き締めてくれた。何度も何度も“温もり”を求める自分に、文句も言わずに愛情を注いでくれた。その憂いとも悪意ともつかない魅惑的な笑みで、そっと愛の言葉を囁いてくれた。
 そんな彼女のことを、好きにならないわけがない。
 ここで生活を始めてから挑戦しだした家事も、軍の仕事で忙しいレイルのためにリーファが始めたことだ。今日みたいなイベントの日は、盛大に二人でお祝いしようと、そう思って下準備から時間をかけたのだ。
「ただいま、リーファ。いつも美味いメシありがとうな。今日は普段のお礼のつもりで、こいつを買って来たんだけどよ……ついつい、やっちまった」
 キスの後はいつも悪い笑みを浮かべているレイルの顔が、少し違った。彼女は小声で「わりい」と零しながら、今はリーファの首にまで落ちていた自身の右手を、足元に落ちた箱に下ろす。
 玄関の床に、白い箱が落ちていた。そう言えば先程軽い小さな音がしていたような気がする。箱には可愛らしいロゴマークがプリントされていて、その箱が最近噂のケーキ屋で購入されたものだとわかった。
 レイルが右手でその箱を拾い上げながら、少々申し訳なさそうに笑った。
「前に言ってたろ? この店のケーキ食べたいって。今日はハロウィンだからパンプキンパイしかなくてよ。こんだけ部屋中カボチャ臭いなら、嫌いじゃないよな?」
「レイル……」
「ん? まさか嫌いだったか?」
「カボチャは好きだし、パンプキンパイも大好きだ。でも、それより……先に言うことあるだろ?」
「……あー」
 リーファの気持ちを、レイルはすぐに察してくれる。バツが悪そうに笑う彼女は、やっと白状する気になったようだ。これ以上レイルの“負担”にならないように、彼女の右手からケーキの箱を受け取る。
「……敵の反撃を喰らっちまって、左腕がしばらく上がりそうにない。血はもう止まってるが、服着るのすら億劫だ。リーファの協力があると……助かる」
「そんなのっ……当たり前だろ」
 彼女の小さな身体を抱き締めた時、リーファは気付いた。左腕の痛みに耐えるレイルの、ほんの小さな違和感が。それくらいにはリーファはレイルの『違和感』も読めるようにはなっていた。
 受け取った箱の中身が心配になり、リーファはそっと蓋を開ける。右手しか使えないために、わざわざ買ってきたケーキも落としてしまったけれど、中を見た限りは崩れてもいない。パイ生地だからだろう。今日がハロウィンで、パンプキンパイで良かったと思えば良いのだ。
 白い箱いっぱいの大きさのそれは、きっとかなりのお値段だ。少し指先にクリームがついてしまった。きっと素晴らしく甘いに違いない。パイの上にはチョコのプレートでしっかりとハッピーハロウィンと書かれている。
「ハッピーハロウィン」
 その装飾のあまりの愛らしさに、リーファはついつい読み上げてしまった。
 その言葉にレイルがニヤリと笑う。愛しい恋人を見る目。そしてそこには、『悪戯』な光も宿していて……
「さあ、まずはメシの前にシャワーだな。服も上手く脱げねえし、これじゃあ身体も洗えねえよ。リーファが協力してくれるんだよなー?」
「なっ! さっきジャケット自分で脱いでただろ!?」
 目の前のニヤニヤした笑みに顔にどんどん熱が集まるリーファ。そんなリーファにレイルは大笑いしつつ、クリームのついたままの指先をぺろりと舐めとり、上目遣いに続けるのだった。
「細かいこと言うなよ。今日は『悪戯しても良い日』なんだろ?」
「……っ!」
 そんな蠱惑的な目で見られたら、もうリーファは言い返せなくなる。イベントの趣旨を間違えてるとか、いろいろ違うとか、悪戯ってそっちの意味じゃないとか、そんな文句が口から零れるにはまだ、リーファは経験不足なのだから。




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