貴方に捧げる、ふたつの心


 魔王との謁見は、案外簡単に済まされた。牢獄を出たままの血塗れの衣服に身を纏ったウィアスの姿に、魔王アレスは穏やかに笑っただけだった。
 牢獄から出たゼトアとウィアス(とヘルガ)は、本当に何の準備も着替えも無しに魔王との謁見の間へと足を進めた。
 ウィアスは初めて見る魔族の城の美しさに息を呑んだ。牢獄の入り口は城の内部と通じており、階段を上がった先の扉を開けると、そこはまるで水晶で出来たような輝きを放っていた。壁も床も天井も、そこに飾られる調度品までも、その全てが天然の光で彩られている。
 ゼトアが言うには城の内壁だけでなく外側も全て、魔力を含みやすい巨大な鉱石の山から削り出して造られたらしい。まるで生きているかのように光を優しく反射するこの城の中は、不思議な魔力に満ちた空間だった。
 今は全体的に青みがかった光に包まれており、この光もまた時間帯によって変わるらしい。日の光や気温が関係しているらしいが、優しい魔力に包まれたこの空間は、高い魔力を持つ魔族にとっても、霊獣であるウィアスにとっても居心地の良い場所だった。
「まるで魔力の海に漂っているみたいです」
「この城は魔王の魔力に護られた守護の要でもある。この城を中心に広がる城下の暮らしを護れるのも、魔王アレスの莫大な魔力があってこそだ」
「魔王が都市を守護し、魔将である貴方達が矛となるのですね」
「そういうことになる。魔王軍の士気が高いのは、魔王アレスへの感謝と忠誠の証だ」
「きっと……魔王だけでなく、貴方のその姿勢もありそうですが」
 ウィアスはゼトアに微笑んだ。目の前で魔王のことを語る彼は、本当に満たされていて。心からの信頼と尊敬をその瞳に映して、彼の心はきっと魔王への想いでいっぱいなのだろうとわかってしまった。
 看守の男が言っていた『噂話』が頭を過る。
「着いたぞ。この扉の向こうだ。今日はもう接見の予定もなかったはずだ。入るぞ」
「え、そんないきなり、良いのですか?」
 一国の王であるアレスは、ウィアスからしたら雲の上の存在のようなものだ。躊躇いもなく扉に手を掛けるゼトアに、ウィアスは慌てる。鉱山から切り出された壁にはめ込まれた大きな扉が、ゼトアの力でギィと音を立てる。
 豪奢な装飾のなされた扉を、彼は無遠慮に片手で押し開ける。ゼトアに連れられたウィアスが扉に着いた途端、この場を守護していた衛兵達は顔を見合わせて持ち場を離れていた。
 両開きの扉が押し開けられ、ウィアスの視界に王座に腰掛けた魔王の姿が映る。
 流れるような銀髪の下で美しいエメラルドグリーン――ウィアスの瞳と同じ色合いだ――の瞳が細められる。線の細い端正なる顔立ちの美しい魔王は、染まることすら出来ぬ程に強い魔力を発していた。人と変わらぬその肌は、透き通ったように白く繊細だ。
 謁見の間も廊下と同じく美しい光に彩られていた。優しい包みこむような魔力に、ウィアスの心が落ち着いていく。
「戦から帰って来たら、オレに挨拶をするのが先だろう。ゼトアよ」
「……それはすまないが、客人の前だ。そんな普段のお前を見せても良いのか?」
 からかいすら感じる物言いの魔王に、ゼトアも砕けた口調で答える。どうやら二人の間には、王と部下という関係以外のものがあるらしい。ゼトアに手を引かれたまま、ウィアスはそっと跪いた。
「噂の霊獣の娘か。どうか楽にしてくれ。ゼトアの嫁はオレにとっても、身内みたいなものになるからな。どうかこのつまらない男と添い遂げてやってくれ」
 王座に深く腰掛けたままくくくと笑う魔王に、ゼトアは溜め息をついて答える。穏やかな空気だ。
「誰がつまらない男だ。お前の尻拭いに奔走する俺の身にもなってくれ。だいたい何なんだ。『適齢期の男女の婚姻を奨励する』ってのは。あて付けのように『お前が指針を示せ』とまで」
「お前はこうでも言わないと嫁を取らんだろう。そろそろ身を固めろ。まったく、いつまで遊んでいるつもりだ」
 にやりと笑った魔王の表情があまりにも妖艶で、ウィアスは知らず知らずのうちに息を呑んだ。女性のように滑らかな銀髪が、魔王が笑う度に柔らかく揺れる。
 ひとしきり笑い、魔王の瞳がウィアスに向いた。途端に貫かれたかのように身体がぎゅっと冷える。魔王の魔力に委縮して、身体が上手く動かない。
「ゼトアよ……お前の性癖は幼い頃より理解しているつもりだが、まさかこのような美しい嫁にも悪趣味な首輪をつけるのがお前の癖なのか?」
 魔王の繊細な細腕が、ウィアスに悪戯気に向けられる。
「……それは魔力の妨害用だ。俺のことがわかっていると豪語するなら、わざわざ聞くんじゃない」
 そんな魔王の挑発を鼻で笑い飛ばしたゼトアは、急にその視線を鋭くして言った。
「……『セーピア』の動向は?」
 ゼトアの問いに魔王の瞳の色合いが変わる。美しいエメラルドグリーンはそのままに、瞳の深みが増していく。しばらくの沈黙の後、魔王アレスはその口を開いた。
「……どうやら国境から動きはないようだ。お前が追い払った人間達と合流しようとしているようだが、余力はもうないだろう。お前は……出るのだろう?」
「ああ。追撃の機会を逃したのでな」
「その娘のために、か?」
 魔王がおかしそうに笑いながら言った。瞳の色は戻っている。ウィアスは事態がわからないので黙っていることしか出来ない。
「そうだ。今度は共に連れて行くがな」
「初陣、か」
「仕方あるまい。国民に力を示さなければ」
「お前の嫁は大変だな」
 他人事のような会話だったが、ウィアスにもぼんやりとは理解出来た。どうやらこれから自分は、ゼトアと共に敵軍の追撃の任を任されるようだ。追撃という名のウィアスの初陣で、そこである程度働きを見せてから、国民に晴れてお披露目という流れになるのだろう。
「その顔は、察しが良いな。本当に賢い娘だ。戦という言葉に恐れもないか」
「……命のやり取りに、自信があるわけではありませんが」
 反射的にそう答えたウィアスの頭に、大きな手が添えられる。
「お前にそのようなことをさせる必要もない。お前は俺の後ろに控えているだけで良い。嫁を護るのは夫の役目だ」
 鋭い視線は魔王に向けたまま、ゼトアは静かにそう告げた。その言葉に冷たい何かを感じて、ウィアスはその顔を見ていられなくなり、視線を目の前の魔王へと戻した。
「これから『アモノの街』へ向かう。部隊は現地に待機させてある」
「それは良いがゼトアよ……まさか嫁をそのままの姿で連れて行く気か?」
 魔王の指摘に珍しくゼトアが困ったような表情をした。魔王から目を逸らした彼は、小さく唸りながら頭を掻く。
「……俺は、女物の服には明るくない」
 観念したように小さくそう呟いたゼトアの言葉に、魔王は今日一番の笑い声を上げた。
「オレが見繕ってやる。ゼトア、お前はその間に旅の用意をしてやれ。アモノの街までは二日は掛かるぞ」
「……了解した」
 魔王の命令にゼトアは短くそう言うと、さっさと扉を開けて出て行った。片手で押し開けるにはその扉から響く音が重た過ぎる気がするが、彼の魔力からしたらおかしくないのかもしれない。
 広い輝きに満ちた空間に、ウィアスは魔王と共に残される。魔王は王座に座ったまま、好奇心に満ちた視線を送ってくる。
「ふふ……そんなに緊張しなくて良い。オレも普段通り話すから、お前もそうしてくれ」
「……ありがとうございます」
「いきなりは難しいか。オレとゼトアは幼馴染でな。もう何百年の付き合いになる。あいつの家族はオレの家族同然だ。もう――命の心配をする必要はないぞ“二人共”」
『……さすがに気付いてるよな』
 ウィアスの口から出たヘルガの声に、魔王アレスは動じることもなかった。そんなものなど彼には既に――視えていた。
 魔王アレスは全てを視通す。その言葉は決して比喩等ではない。彼のあの美しいエメラルドグリーンの瞳は、この地表の全てを“視て”いるのだ。
「初めまして、ガーゴイルの青年よ。名前は確か……ヘルガだったな。まったく、あいつの性癖には呆れを通り越して感心する」
 心底おかしそうに魔王は笑い、その王座からすっと立ち上がった。長身のゼトアよりかは幾分低い。それでもスタイルの良い美青年といった風貌だ。白すぎる細腕には、ゼトアとはまた違う色香が潜んでいる。
「お前たちはどうやら、まだ鏡を見ていないようだな。なかなかに、興味深い共存の仕方だ」
 魔王はそう言って、ウィアスの目の前まで歩み寄ると、その身の隣に大きな魔力の塊を作り出した。鋭く光を反射するその塊は、魔力で造った鏡に他ならない。
「獣だった美しい娘の顔に、獰猛なる気配を孕む青年の顔か。甘く香りそうな程の因果だな」
 まるで歌うようにそう告げた魔王に誘われるように、ウィアスは立ち上がりその身を鏡に映した。
 ウィアスの肌は左右に半分に色分けされていた。右側をウィアス本来の水の魔力に染まった薄い蒼に、左側をヘルガの肌を色濃く宿した灰色に染められている。彼の肌の部分には、その特徴的な翼や角も尻尾も見て取れない。髪の毛は全体が、ウィアスの毛並みそのままの濃い蒼だ。だが、その顔だけは違った。
 ウィアスの顔は幼き娘の顔だった。だが、男を宿す左側には、輪郭はそのままにヘルガの表情が浮かんでいた。獰猛なる獣の気配を感じさせる、それなのに色気を感じる整った顔立ち。チグハグな彼の美しい容姿が、更に半分に分けることで歪な美となり馴染んでいた。
「これが……ヘルガ」
『へえ、やっぱりイイ女じゃねえか』
 見惚れるウィアスの顔の半分で、ヘルガが舌なめずりをするように怪しく笑った。灰色の顔を彩る瞳も、彼本来の燃えるような深紅の光を宿していた。
「自分の姿を初めて見て、どう思った?」
 魔王がその手をウィアスの肩に置いて、端正な顔を近付け囁く。耳元に響く甘き声音に、ウィアスは心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚える。心、ではない。心臓だ。
「……」
 どう、と問われても、ウィアスは困った。自身の人型の容姿等、どうとも思うことではなかったからだ。むしろウィアスの心を占める感想は、“彼”への言葉で満ちている。
「わ、私は……ヘルガの顔に……見惚れていました」
 全てを視通す魔王の前で、小手先の隠蔽等意味がない。ウィアスが素直に本心を述べると、魔王より先に顔の半分が口を開いた。
『……嬉しい言葉だぜ。ゼトアの野郎に言われるよりよっぽど気分が良い。その礼だ。俺も本心を言ってやる。ウィアスの顔に欲情した。身体が一緒くたになってなければ、犯したいほど』
 まるで反応までも楽しむような悪い笑みに、ウィアスではなく魔王の口元に笑みが広がる。
「ほう、これはオレも視ていなかったな。たまには慌てるゼトアの姿を視るのも良い。男二人が欲情する程、着飾らせてやる。用意させるから少し待ってろ」
 最後まで楽しそうに笑う魔王に、ウィアスはもう一度跪く。
「お礼の申し上げようもございません」
 感謝の言葉を告げるウィアスに、魔王は優しく微笑んだ。
「着飾ると言っても戦場へと向かう装備も兼ねている。あまり華やかなものは期待するなよ」
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