私が貴方を包みます! ~変異してしまった彼の腕を隠すために、恋する編み物始めました~
モリスの治癒は翌朝まで続いていた。
途中、日付が変わろうかという時間帯に一度、エレアナが私を気遣って扉を開けた。相変わらず蹲ったままだった私を見て悲痛な表情を浮かべたので、慌てて「大丈夫やから」と答えた。
それから彼女に連れられて自宅に戻ったのだが、彼女も眠る気にはなれず――そもそも治癒を続けている室内に魔力が満ち過ぎてしまい、寝室まで通り抜けることすら困難な状況になっているようだった――そのまま二人で、話題は違えど昼間のティータイムの続きをすることになったのだ。
もう何杯目かもわからない冷えたお茶に口をつけ、私はエレアナに“彼”の容態をもう一度確認する。それこそ何度も、自分に言い聞かせるために繰り返したとも言える確認だった。
「なら彼は……クレイは無事、なんやね……」
「そう。モリスが言うには、あとは体内の魔力が安定すれば目が覚めるって。“身体から溢れ出る”ような魔力を抑えるには、空間全体に魔力を馴染ませて安定させないとあかんらしくて。あーもう、さすがにあたしには専門外やからわからんくて出て来たけど、ほんまにもうやれることないんかなー?」
運び込まれた若い兵士は、私の予想通りクレイであった。
クレイ本人が答えられる状況ではなかったが、彼を診療所まで運び込んだ村人によると、一人で村を歩いていたところ、苦しんでいる彼を見つけて慌てて運び込んだとのことだった。
そしてその村人も、二年前までこの村に住んでいた彼のことをちゃんと覚えていた。むしろ、覚えていたからこそ診療所に駆け込んだ。辺境と呼ぶにふさわしいこの村において、都からのよそ者は決して歓迎されることはない。同じくいけ好かない駐屯軍に放り込まれるか、下手をすれば通報だけしてその場に放置されることも考えらえる。
そんな村において彼は、多少の年月の経過では色褪せない顔立ちのまま、しかし決してまるきり幼き頃と同じというわけもなく、しっかりとした頼れる『軍人』へと成長を遂げた末に、手厚く保護されたのだった。
「いったい、アレは何やったん?」
幾度も重ねた質問に、私もようやく落ち着きを取り戻せてきた気がする。そしてそこまでしてようやく、彼の身に起きた異変を問うことが出来るようになった。頭ではずっと疑問に思ってはいたが、心が、感情がそれに行き付くまでに今までの時間を要したのだった。
不可思議な輝きを宿しながら膨らんだ、彼の肩を思い出す。ぶるりと震えるその恐怖が、いったいどこから来るのかは疑問だった。本当に、宿す輝きだけはどんな宝石のそれよりも美しかったというのに。
「あたしは魔術関係の知識がないから、モリスの言葉をそのまま話すことになるんやけど、クレイの肩は『強大な魔力によって装備していた剣と同化してる』状態なんやって。あのオレンジ色の輝きは、その同化させた元の魔力の色って言ってた」
エレアナももちろんクレイとは顔見知りだ。私と共に診療所を訪れていたクレイのことを、彼女は薄っすらとしか覚えていないようで、話す雰囲気も親しい相手に対して、という程のものではなかった。
「剣と、同化……それってつまり、今やってる治癒って……その剣を引き剥がしてるってことなん?」
どくりと震える心臓を抱き込むように、私は右手をぐっと胸に押し付けていた。そうでもしなければ自分の手が、心臓が、その言葉の意味のように引き剝がされてしまうかのように感じた。自分が知っている頃から我慢強かったクレイが、あんな悲鳴を上げる程の痛みなのだから。
「リグ、それは違うねん……」
しかし目の前で口を開いたエレアナは、そう言いながらも、私に都合の良い言葉を告げることはなかった。思案気に揺れた緑の瞳が、私に不安を抱かせるには充分で。
朝を迎えたリビングには、カーテン越しに朝日が入り込んでいる。しかしそのカーテンを開け放つ程の気力が、室内の二人にはまだなかった。二人共ただ、リビングのテーブルセットに掛けただけのティータイム。眩しい朝日に縋るには、まだ飲み込め切れていないものが大きすぎる。
「……何、なん?」
乾いた声でそう問うと、彼女はしばらく考えた末、ようやくその問いに答えてくれた。室内の灯りに照らされた彼女の目元は、昨夜から疲れを見せていた。
「あのまま……らしい。一生、あのまま。生命としての命は救えるけど、『人間』としての『生活』は諦めなあかんって、モリス……そう言ってた」
「……そんな……」
私の角度からは、彼の顔は見れなかった。でも、その代わり、その変異した『手』はしっかりと見えた。まるでそこから結晶が飛び出たように膨らんだ右肩。そしてその下に伸びる同じく結晶のような輝きを宿す、『腕の形をしたモノ』。その先端、手首があった部分から突き出た軍用の剣。
全てが異質だった。専門の知識がない私ですらも、その姿が『異質』で『変異』した何かだと思わせるに足りる。軍での戦闘によって片腕が吹き飛んだ兵士の話はたまに聞くが、そんなものよりももしかしたら悲惨かもしれない。
まるで、人のようには見えない身体の部位がある。それは即ち、彼がこれから先の人生において、人間扱いされない可能性がある、ということだった。
「……っ」
咄嗟に言葉が出てこない私と違い、エレアナはある程度冷静なようだった。彼女は私の様子を窺いながらも、一冊のノートをテーブルに広げる。それは診療所から持ち出して来たのであろう、モリスが書いたノートであった。几帳面な彼らしい字で、表紙に『魔道具暴走事故』と書かれている。
「ほら、クレイが運び込まれる前にモリスが言ってたやろ? 先月魔道具の暴走事故があったって……どうやらその事故が原因らしくて」
そう言ってエレアナがノートのページを捲る。目的のページはある程度予測していたのか、すぐに行き付き手を止めた。
「これこれ。この暴走事故。重傷者ってのがクレイのことみたいやね。中央での治癒魔法によって命は助かったけど、あの腕はそのままだったと……それからの記録は、何故か不明、不明、不明のオンパレード」
「なら……あの腕のまま、クレイはこの村に帰って来たってこと?」
「……そう考えるのが自然、かな。誰にも言わずに中央から逃げてきたんかも……」
真相がどうにしろ、クレイが事故の被害者なのは間違いなさそうだ。とにかく、これ以上の情報を得るにはモリスか、クレイ本人から話を聞くしかない。
そう考え至った私の気持ちを読んでいたのか、エレアナがよしっと声を上げながら席を立つ。
「陽も出て来たことやし、そろそろ診療所に戻ろか。クレイだけやなくてモリスの調子も心配やしね」
「うん!」
結局二人共、食事もシャワーも済ませていないが、今はとにかく診療所の様子が気になって仕方がなかった。持ち出していたノートを片手に、エレアナと共に私は診療所へと戻ることにした。
診療所に戻ると、ちょうどモリスが一服のために外に出ていたところだった。
片手に持つ火のついたタバコの減り具合を見るに、本当にたった今出て来たところのようだった。品の良い、御伽噺に出てくる王子様のような見た目のモリスには、少しばかりタバコは似合わないように思う。だが彼の一番の理解者である嫁からすれば、喫煙時の流し目が素敵なんだとか。医者としては止めるべきなのだろうが、そういった口出しは控えているようだった。
「二人共、良くは……寝れなかったようだね」
それは僕もだけど、と苦笑いしながら言うモリスに、エレアナが「クレイの様子はどうなん?」と労いよりも先にそう問うている。今の彼女は妻である前に医者である。愛する夫の状態など見てわかるわと言わんばかりの単刀直入具合に、モリスも反論せずに真剣な魔術師の顔で答える。
「なんとか、あれ以上の悪化は防いだよ。中央での治療が不完全なままここまで来たようでね。同化した腕がまだ不安定だったようだ。今はもう、完全に安定させたから、夕方頃には目が覚めるんじゃないかな。彼も僕に付き合って、昨日は徹夜になってしまったからね」
そこで小さくふふっと笑うと、「二人もだったね。お疲れ様」と完璧な微笑みを浮かべるのだった。その絵に描いたような『完璧』な仕草に、私だけでなくエレアナまでもが照れたように笑ってしまう。
「モリスこそ、お疲れ様! あとはあたしが看病するから、とりあえずあんたはしっかり眠って魔力を回復させなさい」
「ああ、そうさせてもらうよ。本音を言うと、もう立っているのも辛いくらいなんだ。お言葉に甘えさせてもらうよ」
「それなら、私も! 私も看病手伝いたい!」
私が勢い込んでそう言ったものだから、エレアナだけでなくモリスもぷっと噴き出して笑い出す。モリスの細められた紫の瞳には薄っすら涙まで滲んでいて、これは本気でおかしく思っているのだろう。
「それならリグちゃんに是非ともお願いしようかな。それじゃエレアナ、後は頼む」
「はいはい、さっさと寝なさいよーっと」
口ではそう言いながら愛する夫の背に触れるエレアナに、見ている私も心が暖かくなった。