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百合の時期にはやや早い


 結論から言えば、男二人を交えた鍋パーティーはとても楽しかった。
 普段話すことのないタイプの二人が相手なので、普通の雑談からまず楽しい。二人は同じ職場で働いているらしく、今日も二人揃って仕事帰りだったようだ。
 酒もないのに大盛り上がりなのは、普段からこのメンツは運転のために酒無しで集まっているからに他ならない。
 狭い1Kのリビングの真ん中で、テーブルの上にカセットコンロと鍋を置く。座る場所がないので、男性陣は座椅子代わりのクッションに座り、女性陣は行儀は悪いがベッドに腰掛けている。
 智夏のベッドに零さないように気を付けながら、碧は三人のマシンガントークに大笑いする。三人も碧が混ざっても楽しそうに笑っていてくれて、嬉しい。
 楽しい時間はあっという間に過ぎ去って、時刻は午後九時。そろそろお開きという話になった。
「じゃ、俺先に帰りますね。昌也はこのまま歩いて帰るんやろ?」
 明日の仕事も早いから、と立ち上がった健斗の横で、昌也が少し考える素振りをしながら曖昧に答える。
「あー、せやな……」
「じゃ、このまま置いてくで。あ、せや! 碧ちゃん! 連絡先教えて」
 満面の笑みで迫られて、碧としては断りにくさを感じて視線を泳がせてしまった。初対面のままの印象なら、間違いなく碧は断っていただろう。
 だが、あんなに楽しく騒いだ後だ。見た目は怖いが、悪い人ではないように思える。それに、何より智夏の仲間だし。
「えーっと……うん」
 視線の先の智夏が微笑んだので、碧も安心して通話アプリの連絡先を教える。碧の連絡先の入ったスマホを嬉しそうに振りながら、健斗は部屋を出て行った。
 階段を降りる遠慮のない音が扉を閉めた後も小さく響いてくることに苦笑していると、智夏が食べ終わった鍋をキッチンに運び始めた。
「私も手伝う」
 この鍋の準備は結局智夏が全て行った。料理はそんなに得意じゃないとか言っていたが、それでも安心出来る包丁さばきでテキパキと具材を用意し終えていた。
 それなら後片付けくらいは、と碧は思ったが、どうやら彼女達はそれよりももっと別のことを考えてくれていたようだった。
「いや、それより、碧もはよ帰らなあかんやろ? 昌也、悪いけどついてってくれへん? 夜の運転は心配やから、横で見てやっといてくれ」
「多分姐さんならそう言うやろな思ったから残ってました。碧さん、オレが助手席乗ってもエエですか?」
 不自然に残ったのはこのためか。昌也は立ち上がって遠慮がちに碧に問い掛けてくる。グイグイくる健斗とは違うのだが、何故だかその“やり方”が碧には遊び人のように思えてしまう。
 やはり智夏は優しく微笑んでくるので、碧は彼女を信じて昌也からの提案を受け入れることにした。
「うん、よろしく、お願いします」
 夜間の運転に不安があることも事実だった。鍋の時間が楽し過ぎて忘れ――ようとしていただけだが、いざ帰るとなると、ここから自分の実家までの数十分には恐怖しかない。
「じゃ、下まで送る」
 鍋を流しに置いたまま、智夏も一緒に部屋を出る。途端に夜風が身を貫き、その夜の濃さに愕然とした。
――お願いしといて、良かったかも。
 思わず安堵の息をついた碧に二人は笑い、その空気のまま駐車場まで下りる。
「オレ、姐さんの車取ってくるんで、碧さんは前に車出しといてください。そこに戻すんで」
 そう言って裏のコインパーキングに昌也は駆けていった。
 突然の二人きりの空気に、碧は息を呑んで智夏に目をやる。
 後ろからぎゅっと、智夏に抱き締められていた。智夏の方が背が低いので、包み込まれているとは言い難い。それでもその広く大きな心が、碧の心配を全て取り去ってくれているようだった。
「智夏……?」
 後ろを振り返っても彼女の表情は髪に隠されて見えなかった。ただ、“病的”に細いその手が、碧を求めるように強く強く握られている。
「……碧と付き合えて良かった。ありがとう」
 私も、と碧が返そうとした瞬間、眩しいライトが視界に入る。蒼白の色合いが夜の空気を刺すようにして横切り、ブォンと唸るマフラー音を響かせて智夏の愛車が駐車場に入ってくる。
 智夏がすっと身体を離す。その意味を悟り碧も自分の車に乗り込んで、ぎらりと光る赤い車――智夏の愛車と場所を入れ替えた。
 入れ替えるといっても碧にそんな運転技術はないので、ただ単に前の道路の路肩に出しただけ。ハザードを焚いて車から降りて、改めて愛する恋人の愛車を見る。
 彼女の愛車は、久しぶりに見る。元はどこにでもあるようなコンパクトカーだが、しっかりと手を加えられたせいで今ではいかつい改造車だ。
 近所迷惑気味なマフラー音に、カーボンボンネット。そしてスポーツカーみたいなラインが入った真っ赤なボディのアクセントのように、黒色の強いホイールが光っていた。窓ガラスにも、暗めのフィルムが貼られている。
「じゃ、姐さん、オレが責任持って送りますんで」
「ああ、頼むわ」
 短いやり取りが聞こえて、そのまま昌也がこっちに人懐っこい笑みを向けてきた。
「じゃ、碧さん、行きましょか」
「あ、はい。じゃあ、智夏……」
「うん、気をつけてな。帰ったら電話して。何時でも、何時間でもエエから」
 にっとそう笑って言ってくれたので、思わず飛びつきたくなってしまった。でも、昌也の目があるので、碧はぐっと堪えて運転席に乗り込む。
「お邪魔します」
 そう断りを入れてから、昌也が助手席に乗り込んで来る。優しく扉を閉める姿から、彼も車好きなことがよく伝わる。
 ずっと寒空の下で智夏に見送らせるのも悪いので、碧は智夏に手を小さく振ってから、車を発進させた。
 ミラーに移る智夏の姿が建物に掻き消されるまで、彼女はずっと碧の車を見送ってくれていた。



 帰り道の車内は気まずい、ということもなく。それよりも碧は他人を乗せての運転に、昼間以上の緊張を感じていた。
 夜は昼よりも視界が悪いし、そもそもスピードを出している車が多い。光が遠くに見えたと思ったら、すぐそこまで迫っていることだってある。
 おっかなびっくり、という表現がぴったりの運転になりそうになったところで、昌也が「ほんま、オレのことは荷物かなんかやと思ってください」と大笑いしたので、そこで少しだけ碧の緊張が緩まる。
 昌也が普段帰る家は一人暮らしをしている部屋で、智夏の近所に住んでいるらしい。しかし今夜は碧を家に送り届けるという目的のために、わざわざ碧の家から徒歩で帰れる距離にある自分の実家で泊まってくれるらしい。
「昌也くんって、一人暮らしもして車も持ってるなんて、凄いですね」
 気まずくはないが、さすがに沈黙というのもなんなので、碧は視線を前に向けたまま昌也に話しかける。話す話題がわからなさすぎて、上辺ばかりのむず痒い会話内容だ。
「えーと、多分オレの方が一個年下なんで、そんな気ぃ遣わなくて良いですよ」
「え……そう、なん? でも、年下とか、もっと凄いやん……」
 ほとんど苦し紛れのような話題が、驚きの事実を掘り起こした。こんなにしっかりした年下の人間なんて、碧は学内でもバイト先でも会ったことがない。分母自体が数人程度なのだが。
 碧としては褒めたつもりだし、年下ともわかったので少し気を抜いてしまった。碧の言葉が少し砕けたことに、昌也の目が細められる。左折をするタイミングでその瞬間が目に入り、手元が狂いそうになる。
 車は問題なく左折を決め、車通りの少ない広めの道を直進していく。気を紛らわすようなものは、ない。
「年が一個二個上なくらいで、偉ぶれるもんやとは思ってないんで。オレは例え姐さんが年下やったとしても敬語で接しますよ。年齢だけで尊敬してるわけじゃないんで」
「あ……ごめん、なさい」
 細められたままの視線は、ずっと前を向いたままだ。智夏との約束のために、彼はちゃんと碧を送り届けようとしてくれている。周囲をちゃんと見てくれているし、これまでも見落としていた車の接近を伝えてくれた。
 でも、先程の一言で――碧の迂闊な一言で、彼を失望させたかもしれない。
 碧にとっての上下関係は、学内での学年とバイトでの先輩後輩の関係だけだ。バイト先はたまたまだろうが年上の先輩しかいなかったし、学内の先輩は学年がわかった途端に砕けた口調に変わった。先程の碧と同じように。年下だとわかったから。理由は本当に、それだけだった。
――年齢だけで尊敬してるわけじゃない……か。
 昌也の言葉に気付かされた。碧だって、智夏が年上だから惹かれたわけじゃない。それは断言出来る。男じゃなくても彼女が好きだし、きっと同い年の学生だったとしても、彼女はあのスタンスな気がする。だから、好きだ。彼女だから、好きだ。
「……オレ、べつに怒ってるわけじゃないですよ。多分姐さんにも言われてそうですけど、“今”失敗したことは、これから失敗しなければ良いと思うんで、オレも。だから、そんな泣きそうな顔で運転せんといてください。こっちが怖いし。アクセルもハンドルもブレーキもこっちに欲しいレベル」
 最後には自然な流れで頭まで撫でられた。年下なのに、とか未だに思ってしまった頭を振ってから、碧は「ありがとう」と呟いた。小声になってしまったのは、やっぱり『年上のプライド』というやつなのだろう。智夏に言われた時よりも、やっぱり彼に言われるのはダメージが大きい気がする。
「素直に謝らんと、姐さんに呆れられちゃいますよ。姐さんの可愛い彼女さん」
 赤信号に反応するように、ぐっとブレーキを踏み込んでしまう。ガックンと漫画のような止まり方をした愛車に、思わずシートベルトに感謝を捧げつつ、驚きを隠せない目を彼に向ける。心臓の鼓動が騒がし過ぎて、彼に筒抜けなのではないかとすら思ってしまう。
――な、なに? なんで知ってるん?
「えっと……な、何が? 彼女って?」
 なんとも間抜けなとぼけ方だと自分自身でも思った。嘘をつける程器用ではないし、助手席に座る彼はどうにも、碧の心の奥底を見抜いている気がする。
「碧さんって天然すか? そんな必死になって隠さんくても大丈夫ですよ。オレも仲間なんで」
「へ? 仲間? 集まり、の?」
「ちゃいます。オレも男の彼氏と付き合ってます。ゲイなんで。姐さんから碧さんのこと好きかもしれんって相談受けて、背中押したんですけど、迷惑じゃなかったですよね?」
「そんなっ――」
――迷惑なわけないやん!
 胸がどくんと熱くなる。その勢いのまま言葉を吐き出そうとして咽てしまった。
 そんな碧の反応が面白いのか、昌也は「前、前」と言いながらも大笑いする。相変わらず男前の笑顔だが、こんなモテそうな人もゲイ、なんだ……
――絶対、女の子が放っておかんやん。でも……智夏だって、そうか……
「ありがとう……」
 もう一度色々な意味を込めた感謝を口にした碧に、昌也も伝わったのか安心した顔をする。
 それからは二人で色々な話をした。
 まずは昌也の恋人である男の子の話や、お兄さんの話。
 恋人はまだお披露目していないらしいが、一応仲の良い仲間内には話したらしい。先程まで一緒だった健斗も知っているのだと言う。
 年の離れた兄もそのことは知っているが、基本的には応援してくれているということ。そしてどうやらその兄は、今日、失恋してしまったらしいのだ。
 智夏相手に。
 昌也の兄も車好きで、あの集まりにもよく参加している。見た目の特徴を聞いたら確かに、よく智夏と一緒にいるところを見掛けた男だった。智夏よりも三歳年上らしく、弟の昌也とは反対にガタイが良かった記憶がある。そして強面。やはり見た目がアウトロー全開なのは家系なのだろうか。
 その兄はどうやら、検査結果を聞いた智夏から、一方的に関係を断たれたらしい。恋愛感情を抱いていた兄に対して、智夏は性欲しか刺激されていなかったらしく、セフレのような関係を続けていたらしいのだが、それを一方的に断たれたということだった。告白すらも出来ぬまま電話を切られ、傷心の兄から連絡があったと弟は大笑いしていた。
「姐さんは碧さんに本気やから、兄貴のこと切ったんすよ。だから、自信持って、堂々と付き合ったら良いんですよ」
 身内が失恋したとは思えない笑顔に、碧もしかし、笑顔で頷いた。自分の知らないところで色々と被害が出ていそうだが、それすらも彼女の本気の現れのようで嬉しかった。しばらく夜道は気を付けようと思ったけれど。
 楽しい時間はあっという間で、もうすぐ碧の家に着くというところで、不快な電子音が車内に響いた。
 それはスマホの着信音で、音と共に振動しているのは碧のものだ。一応何かあった時のために車内中央の足元にあるポケットに入れておいたのだが、そこからの着信音がやけに不吉に碧には聞こえた。
 運転中の碧に代わって、昌也が気を利かせてスマホを手に取る。
「えー、と見る気はなかったけど、健斗からの着信みたいやな。出ます?」
 彼の言葉通り、ロックも掛けていなかった自身のスマホの画面には、健斗からの着信の表示が踊っている。
「あ……ええっと……」
 なんとなく、今は出たくなかった。出来ればこれからも、ずっと。
 そんな碧の心中なんて、昌也にはお見通しなのだろう。彼はロックの掛かっていない碧のスマホをすっとスワイプして、健斗からの通話に出てしまう。
「もしもし」
『もし……ってなんでお前が出んねん!? まさかお前、碧ちゃん食ってもた!?』
 敢えてスピーカーモードにしたのか、健斗の怒号が聞こえてきて、碧は面喰ってしまう。確かに怖そうな見た目はしていたけど、話せば気も遣える優しい人に感じたのに、今はそんな空気はどこにもない。低く大きい、恫喝の声だ。
「食う訳ないやろ、お前とちゃうし」
『せやろな! ホモ野郎のお前は女なんて興味ないわなぁ!』
「……そのホモ野郎に女取られてるんは誰やろなぁ? とにかくこいつはヒトのもんやから、もう連絡してくんなよ!」
 売り言葉に買い言葉の勢いで昌也もそう捲し立て、そのまま通話を切ってしまった。あまりの勢いに言葉を失っていた碧だが、車が家の傍に着いたところで、ようやく声を出すことが出来た。
「健斗くん……同性愛には……」
「初めてカミングアウトした時は、面と向かって『キモイ』言われたで。『もうお前とは出掛けたない』とも言われた。それからいろいろあって、今はもう表面上は元通りに接してるわ。仕事も一緒やから距離とか開けれへんしな。一応嫌悪感はあっても、周りに言いふらすとかはしおらんかったし。まぁ、ついさっき言いやがったけど」
 オレ、あいつのことなんか興味もないのになーと頭を搔きながら笑う昌也に、碧は上手く笑顔を返すことが出来なかった。
 昌也と健斗の関係は、碧から見たら仲が良さそうな、それこそ親友のようなものに見えていたのに。その水面下ではそんな辛辣な言葉が飛び交っていたなんて。
――私は……言える?
 仲の良い友人に。家族に。自分は言うことが出来るだろうか。そして、受け入れてもらうことが出来るのだろうか。
 碧の微妙な表情に気付いた昌也が「じゃ、オレはここで。運転してもらってありがとうございました。何かあったら、オレにも連絡してくれて良いんで」と言って連絡先をスマホに登録してくれた。そしてそのまま車を降りて、扉を閉める前に碧に言った。
「べつに周りになんでもかんでも恋愛のこと言うのが良いってこともないと思いますよ。言いたくないことは言わなければ良いし、絶対に全部話すなんてこと、“普通の恋愛”でもしないでしょ?」
 最後までフォローを忘れない年下には頭が上がらないなと碧は思いながら、車庫入れのために気合を入れ直した。
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