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東の香りは罪の味


 今リーファの目の前には、五つのティーカップが並べられている。店内に設置されているカフェスペースにて、リーファとギーラは向かい合って座り、広めの丸テーブルにその五つのカップが置かれているのだ。
 カップの中には半分程の紅茶が注がれており、そのどれからも異なる香りが漂っている。色合いこそほとんど変わらない茶葉から出た色だが、その香りから全てが違う種類の紅茶だということがわかる。
「じゃあ、この右端の種類は?」
 ギーラが緊張した面持ちで、リーファから見たら左端のカップを指差す。それに応じてリーファはその指差されたカップを手に取り、香りを嗅いで、それから一口、口をつける。
「……」
 ギーラが思わず生唾を飲み込む音を聞きながら、リーファは少しだけもったいぶってから答えを告げる。真剣な碧の瞳を一心にこちらに向ける、そんな姿すらも愛らしい。とりあえず座っててね、と宥めるように笑顔を忘れずに手で示した。レジカウンターの奥から、店長がニヤニヤしていることだけは腹立たしい。
「サウススパークル。南部原産のお上品な風味が特徴の、貴族とかに好かれてる種類」
「正解……っ。これで十種類目なのに、百発百中。本当に、天才ね」
 がたりと腰掛けていた椅子から立ち上がり、興奮した様子でギーラが言った。その目にはもう、リーファへの遠慮は見えない。彼女からの熱心な視線を受けたのであれば、リーファとしても悪い気はしない。
「こんなの、ただの趣味だからさ」
 そう謙遜しながらも、心の中ではもっと褒めてと見えない尻尾を振っている。その尻尾を見えてでもいるのか、ギーラは更に目を輝かせる。
「私、学校の温室で自作の茶葉を育てるくらいには紅茶好きなんだけど、それでもリーファみたいには判別出来ないもの」
 紅茶の銘柄当てというお茶会を始めて早二時間。既にリーファとギーラは、お互いのことを呼び捨てで呼び合うまでになっていた。見た目だけでなく、会話のテンポや気を許した後の明るい感じがまた素晴らしい。こんなに相性が良い人がいるのかと、リーファは終始笑顔が引っ込まないでいた。
「学校の温室って、グリーンローズハイスクールの?」
「ええ。あの一番端っこの温室。あそこ、私のパパがお金を出して設置した設備だから」
「へ、へえ……パパさん、熱心なんだね」
 あまりに会話が弾み過ぎていて、リーファはついつい失念していた。優等生クラスのギーラの親が、底辺クラスのリーファの親と同じランクなはずがないのだ。
 ギーラの親はこの街の上流階級であり、娘が通う学校に対してもたんまりと資金援助を行っているらしい。しかし、その金の力で青色のリボンを手に入れた訳ではないことは、話しているリーファが一番よくわかっていた。
 ギーラは賢い子だった。それは少し理屈っぽい考え方や、会話のセンスに表れる。なにも学力は勉強の成績だけに表れるものではないのだ。すっと会話に差し込まれる返しのレベルが違うので、リーファからしたら何もかもが新鮮に感じて楽しめる。
「パパもママも、ちょっと過保護なんだもの。入学前に赤組のことだってしつこいぐらいに注意されたわ。『あのクラスはケダモノの集まりだから、絶対に関わるんじゃない』って。全然、そんなことないのにね」
 そう言ってまた上目遣いに微笑む。賢い子は、相手の心だって読めてしまうのだろうか。ふわりと彼女から香水の気配が漂う。ほろ苦い中に甘みがある、リーファの心を掻き立てる香りだ。女の子に対して女の子が、雌の香りなんて言ってしまいそうになるのはいかがなものか。
 試すような誘うような碧が、甘いカールの茶髪の隙間から揺れる。全身にフェミニンな愛らしさを纏った彼女からしたら、自分はいったいどんな風に見えているのだろうか。かっこよく見えてる? 素敵な女に見えてる? それか、もしかして……好みだなんて、思ってくれてる?
「パパさんの意見は間違ってないよ。あたしも教室では、けっこう……喧嘩っ早いし……」
 嘘を言っても仕方がない。同じ学校だと判明している以上、隠しても素行はバレることだ。ここは変に嘘はつかずに、自分の人柄を見てもらうしかない。あー、それにしても最後の方の声小さ過ぎだろ。
「もう、リーファったら、声小さくなってる。紅茶の銘柄とか当てる時、凄くはっきり言いきってたのに。リーファのハスキーボイス、好きだからしっかり聞かせて?」
 やはりリーファの心なんてお見通しなのか、ギーラはクスクスと笑ってまさにその点をついてくる。それよりも、それよりも、だ。
――す、好き? 今、好きって言ってくれた?
 彼女と出会ってからずっとバクバク煩い心臓が、もう臨界点ではないかと思う程にバクリと揺れる。
「あ、あたしも好きっ!」
 反射的にそう答えてから、好きに対する答えを間違えたと悟った。ギーラではなく目を丸くしている店長の顔が一番に視界の端に飛び込んできて、怖くて目の前へ視線を戻すことが出来ない。
「……えっと、そ、そうじゃな――」
「――私も好き」
 ふわりと、リーファを甘い香りが包み込む。ほろ苦い中に浮かぶこの甘みは、彼女の香りだ。彼女はリーファの目の前で、女神のような美しさで、その告白に応えてくれた。




 昨日はそれから、彼女のお手製の茶葉――名前はもう決まっていて、『東の夢(オリエンス)』と言っていた――を試飲した。少し酸味のようなものが強く、飲んでいる最中に舌の上が微かにちくりと痛むような違和感を感じると正直に伝えると、彼女は真剣な顔でその対処にはどんな調合が良いかと思案していた。
 その考え込む姿すらも可愛いなと思いながら、『もう少し深い甘みを足したら誤魔化せるだろうし、味自体もイーストゴールドに近くなって万人受けすると思う』とフォローすることも忘れなかった。その言葉にぱっと顔を輝かせる彼女に、リーファの心は踊りまくった。
 紅茶屋を出てからも、離れ難い二人は一緒にいた。お嬢様であるギーラに合わせたら、家の近くまでの短い猶予しかなかったが、それでも幸せを噛みしめながら一緒に帰った。手なんか初めて繋いだものだから、リーファはずっと顔が熱かったし、俯きながらも微笑む彼女もまた、その白い頬を染めていた。
 二人の出会いの記念にと、彼女から自家製茶葉を調合したパック――これも試行錯誤を重ねた途中のものなので、また違う風味が楽しめるとのことだった――を貰い、リーファは早速家に帰ってからそれを淹れた。両親はほとんど家に帰ってこない程激務なので、だいたい夜はリーファ一人の時間である。それがまさか功を奏することになるとは。
 彼女の甘い笑みを考えながら淹れていたのが悪かったのか、どうにも心が落ち着かないまま寝付けずに、寝不足の状態で通学路を歩く羽目になってしまった。
 どくんどくんと甘く脈打つ心臓は、朝の日差しを浴びてようやく落ち着いてきた。あくびはとまらないままだったが、通学路を歩く頭はいやにすっきりしている。少し酸味の利いた味わいだったので、もしかしたら柑橘系の成分のせいかもしれない。
 人生で初めての彼女が出来たのだ。まさか今まで抱いていた可愛いという感情がそのまま同性に対しての恋愛感情に繋がるとは思ってもみなかったし、ましてや告白してしまった相手が受け入れてくれるなんて……
 とんとん拍子に付き合うことになったが、愛しい彼女とはクラスは別々。物理的にも精神的にも距離がある。本当ならば登校だって一緒にしたかったが、彼女に優等生クラスの友達と一緒に登校するから難しいと言われたら、リーファとしては仕方なくいつも通りに『真面目な時間』に一人で登校するだけだ。
 放課後は二人でまた過ごそうと約束しているので、それだけを楽しみに今日もつまらない授業を受けると決める。しかし、その日はいつも通りには事が進まなかった。
 がらりと教室の扉を開けると、そこには数人の先客がいた。
「よう。おはよーさん。待ってたぜ」
 グロウとその取り巻き連中の三人が、あくびをしながらリーファに言った。なんの気もない挨拶のように見えて、取り巻き連中の笑みに下品な空気を感じ取り、リーファはきゅっと口元を引き締める。
「……おはよー。グロウはともかく、お前らまでえらく早いな。今日、何かあったっけ?」
 少しいつもより距離を取った席に鞄を置きながら、目だけで相手との距離を計る。後ろ側の机の上にそのまま座っているグロウは大丈夫だが、その周りに立ったままの三人の取り巻きは、同時に来られると対処は難しそうだ。間に二脚程机があるが、そんなものが障害にならないのは、リーファも取り巻きも一緒だった。
「何かあったのは昨日だろ。お前、何『優等生ちゃん』と手なんか繋いでんだよ?」
 見られていたのか。思いもよらない方向からの指摘に、リーファは思わず言葉に詰まった。
――手を繋いでるのを見られた……ならどこに寄り道してたかは、見られてない、のか?
 リーファとしては、放課後に紅茶屋に寄っているところを見られる方が痛手である。女同士が手を繋ぎながら歩くなんて、他のクラスの女子達だってよくしていることだ。そこに恋愛感情があろうがなかろうが、『よくある女子同士の戯れ』だと言い張れば何も問題はない。
「大通りを歩いてたらお前の姿が見えてよ、声掛けようとしたら小さい女と手を繋いでんだもんな」
「……違うクラスに友達が出来たから、浮かれて手なんて繋いじまった。恥ずかしいとこ見るんじゃねえよ」
 敢えて『恥ずかしい』ということを言ってのけて、話の焦点をずらすリーファに、グロウはむっとした顔を隠そうともしない。この男はいったい何が言いたいんだ。
「友達だったら手も繋ぐのかよ。なら俺だって……繋いでも良いだろうが……」
「はぁ? なんであたしがお前と手を繋ぐんだよ?」
 理解出来ずに呆れた声を上げたリーファに、グロウは黙り込み、取り巻き連中は大爆笑。野太い大きな笑い声が響き、そのしばらく後に三発の打撃音が響いた。
 机に伸びた三人の取り巻き連中を見下してから、グロウは何故か赤い顔をしてリーファをじっと見詰めて言った。
「お、俺と……放課後、どっか行かねえ?」
「嫌だ。あたしにはもう先約がある」
 話は終わったと席に座ろうとするリーファに、結局グロウは授業が始まっても休み時間になろうとも、しつこく絡んでくるのだった。その光景こそはいつものことだが、そのなんとも締まりのない内容のせいか、終始教室中からクスクスと笑い声が聞こえるのが、リーファには理解出来なかった。




 昼飯のために訪れた食堂にまで、グロウとその取り巻き連中は付き纏ってきた。ここまでされるといくら気心がしれた友人という相手でも、そろそろ面倒になってくる。
 教室八部屋分はありそうかという程大きなこの学生食堂は、昼間の時間帯はそれなりに盛況だ。家からお抱えシェフの力作ランチを持ってくる富裕層も多いこの高校で、唯一褒められる部分であるとリーファは思っている。
 どんな学生でもお腹いっぱいになるであろうボリューム満点のメニュー達が、リーファだけでなく学生達の心を掴むのだ。だが、そんな至福の時間も、余計なおまけのせいで素直に楽しめない。
 食堂は何も赤組のためだけに開放されているわけではないので、遠巻きながらも他クラスの生徒達が何事かとこちらを窺っている。この段階になってくると、グロウも羞恥心すらなくなったのか、極めて直球な言葉を口に出していた。
「だからよ、あんなお高くとまった女なんて放っといて、俺と遊びに行こうって」
「お前にあの子の何がわかんだよ? 予定が空いてたとしてもお前とは行かねえ。さっさと失せな」
「そ、それは……」
 大きなカツサンドを頬張りながらリーファがしっしと手を振っても、ハンバーグ定食を言葉の代わりに素早く口に放り込みながら、それでもグロウは引こうとしない。この学食のテーブルは四人掛けばかりなので、取り巻き連中は隣の席で三人とも北部のご当地丼を食べている。
「とにかく! 俺らがあの女を知ってようが知ってまいが、そんなのどうでも良いじゃねえか! 放課後、俺に付き合ってくれよ」
 これではまるで口説き文句じゃないか。事の経緯を知らない周りの人間達は、皆が皆冷やかしのような目でこちらを見ているのが気配だけでもわかる。大声で、こんなところで話す話題ではない。
 リーファはそう結論付けてカツサンドをさっさと口に放り込むと、グロウ達なんて目にも入っていないかのように席を立つ。慌てて立ち上がったグロウを視界の隅で確認すると、もうハンバーグ定食は綺麗に食べ終わっていた。取り巻き連中も立ち上がり――おいおい、なんで更に四人も増えてんだ?――ついてくる。
 食堂から少し離れた廊下に差し掛かったところで、ついにグロウがリーファの前に立ち塞がる。まだ昼飯時のこの廊下は、教室に続くそれとは違う。もう疲れてしまったリーファは午後からの授業はサボってしまおうと、屋上に向かうこの廊下を選んだのだが、それがグロウのおかしなスイッチを入れてしまったらしい。
 背後では四人増えて合計七人の取り巻き達が、文字通りの通せんぼの形をとる。これでは食堂の方から見ても、どういう事態になっているのか窺うことは出来ないだろう。この廊下の奥は屋上への階段と普段から使用されている教室と言えば音楽室ぐらいしかない。人通りが少ないことは嬉しいことだが、この状況には少し問題だった。
「おい、リーファ!」
 グロウが馴れ馴れしく名前を呼んでくる。名前を呼ばれること自体はいつものことなのに、何故か今は非常に不快だった。その自分の心の変化に驚きながら、リーファが手を考えていると、階段から降りてくる人影が視界に入った。
「何してるんだ?」
 グロウの手がリーファの肩に掛かった瞬間、その人物は目を見開いてこちらに駆け寄ってくる。漆黒のジャケットが見えて、リーファは思わず舌打ち。
 その人物はリーファ達のクラスの担任である数学教師のリティストだった。常日頃から漆黒のジャケットに身を包んでいる担任がこちらに向かって走って来ても、グロウも取り巻きも焦る素振りすら見せない。それもそうだ。
 リティストは問題児ばかりのクラスを担当するには、誰が見ても役不足な若い男であった。数学が得意ですと言われたら誰もがそうだろうなと頷くその細い体格は、女で、しかも学生であるリーファですらも『自分が殴ったら倒せる』と思わせる貧弱ぶりで、赤組の生徒達からの尊敬なんてものは皆無である。
 教職というストレス環境のせいか金の短髪は輝きが弱く、その下で光る紫の瞳がやけに印象に残る。好青年や男前といった形容が似合うはずの顔のパーツなのに、問題児達に疲れ果てた風体がその全てをぶち壊してしまっている。
「なーにもー?」
 グロウがわざとらしいくらいの笑みを浮かべて、リーファの肩から手を離す。その手をそのままリティストの肩に乗せ変えて、今度は凄みの効いた真顔で低い声で言う。
「先生、クラスメート達が仲良くしてるの止めるんすか?」
 肩に手を掛けられたままでは教師生命的によくないと判断したのか、よせば良いのにリティストも伸ばされたグロウの腕に手を掛けた。身長だけはリティストの方が高いが、その腕の太さは丸太と針金。両者違う意味で血管の浮き出た手に、ぐっと力が入ったのがわかった。
「グロウくん。君とは少し話した方が良さそうだね?」
 針金から、いやに低い声が響いた。全てを凍てつかせるようなその声は、ぞくりとした背筋の冷えと共に廊下に広がる。喧嘩に明け暮れた不良であるリーファにはわかった。この空気は――殺気。
 取り巻き達の顔からニヤついた笑みが消えた。対峙しているグロウの顔からは、表情というものが消えている。
「っ……また今度な」
 野生動物ばりの感覚でその空気を察したのか、グロウはそれだけ小さく絞り出すと、さっさと食堂に向けて踵を返した。それに慌ててついていく七人は、酷く足をもつれさせながら歩いていく。さすがは赤組の中心人物。相手の危険度を見極める鼻は、リーファよりも優秀かもしれない。
「ふぅ、大丈夫かい? リーファくん」
 大袈裟に溜め息をついてから、針金――じゃなかった、リティストが笑顔で振り向いて言った。先程感じた寒気等、まるで最初からなかったような笑顔だ。
「は、はい……ありがとうございます」
 どう考えても逃げ遅れたリーファは、逃げ延びたグロウの背を追って食堂への廊下に向かって視線を投げた。くそ、この流れはマズい。
「いったいグロウくんと何があったんだ? これはクラス担任として、放課後にでも面談しないといけないな」
 やはりこの流れになってしまった。数学教師なんてものを好き好んでやっているこの男が、クソ真面目じゃないわけがない。おまけにこれまでは『担任』というだけだった面談の対象が、これからは『逃げられない程強い担任』とランクアップすることになるのだ。
――いったいこいつ、何者なんだよ?
 今まで喧嘩してきたどんな相手にも感じたことのない殺気を、この担任は先程放っていた。針金みたいにヒョロヒョロの身体からは、そんな気配を感じさせない。ならば魔力だろうか。
 こうなったら面談なんてさっさと終わらせて、どうせ逃げられないならばこいつの強さの秘密を探ってみようと考え直して、リーファは素直に担任に向かって頷くのだった。



 放課後の面談の舞台は、職員室でも教室でもなく、どういうわけか音楽室だった。この時間に音楽室を使用するであろう吹奏楽部は、本日屋上にて青空の下練習に励んでいるらしい。
 完全に閉め切られた音楽室は、防音機能がしっかりしているために、声を発しても壁に全て吸い込まれるような不思議な感覚が残る。
「なんで面談場所が音楽室なんすか?」
 くだけた敬語もどきで声を掛けるリーファを怒ることもせず、リティストは血色の悪い顔で笑った。どことなく昼間見た時よりも疲れ切っている気がする。
「職員室も教室も、リーファくんのプライバシーを守ることが出来なさそうだったからね。君達とは入学当初の面談でしかしっかり話したこともなかったし、良い機会だと思っているよ」
 あくまでもっともらしいことを言っているリティストからは、昼間の殺気は感じられない。本当に、今この時だけを見るならばお人好しの数学教師だ。
 だが、リーファの身体は忘れていない。彼から発せられた恐ろしいまでの殺気を。今だって音楽室という広い教室の真ん中で、こんなにも隙なく立っている。前後にある扉にその神経が走らされているのもわかる。彼は、強い。
「あたし的にはさっさと帰りたいんだよなー。グロウ達とはいつものからかいの延長だって。あいつ、あたしが女だってのを忘れてるからよ」
「忘れてなんかないだろ。グロウくんは君のことを、入学当初から女だと意識しているよ」
 さも当たり前のことのようにそう言い切ったリティストに、リーファは思わず噴き出してしまう。
「おいおい、先生。冗談はやめてくれよ。いくらなんでもグロウが怒るっての」
「午前中の教室で『放課後付き合ってくれ』と散々誘われていたのに?」
「あー、あれは……違うんだって……」
 この担任になんて弁明しようか考えながら、壁に掛かった時計に目を向ける。放課後に突入して早三十分。このままだと約束の時間に遅刻してしまう。
「先生、あたしこれから友達と約束があるんだ。とにかくグロウとはなんともないから、今日はもう、いいだろ?」
 およそ年上の教師に対する言葉遣いではないリーファのことを、それでもリティストは笑って許してくれる。こういうところばかりが目立つから、赤組での彼の発言権が無くなるのだ。だが、それも今日までだろうが。
 赤組のリーダー格であるグロウが、不本意ながらも彼の強さを認めたのだ。さすがに逃げ帰ったということは絶対に口を割らないだろうが、これから彼はそれなりにこの教師に対しては態度を改めるだろう。
「それは……ギーラ・ボーデンとの約束かい?」
「っ!? なんでそれを?」
 まさかこの教師まで昨日の帰り道を見ていたというのか?
 訝しむ視線を送るリーファに、リティストは頭痛でも覚えたのかこめかみに片手をやって目を瞑った。
「グロウくん達が散々騒いでいたじゃないか。ギーラくんは上流階級のお嬢様だ。この学校にもたくさん援助を戴いている。まさかグロウくん達が、彼女に付き纏ってるわけじゃないだろうな?」
 なるほど。学校に対しての金払いによって、教員達からの待遇も良くなるのか。さすがは悪評高きグリーンローズハイスクールだ。もしかしたら先程のリティストの質問も、リーファとギーラの関係ではなく、グロウ達が彼女に手を出していないかを聞きたかっただけかもしれない。
「その点は大丈夫だよ。あたしらも他クラスに絡む程暇じゃねーし。さすがに上流階級様に喧嘩売ったらどうなるかなんて、あのグロウだってわかってるだろ」
「リーファくんのその言葉を信じるよ……生徒の恋愛関係に口を出すつもりはないが、あまり羽目を外し過ぎるなよ? 特にリーファくんのその香りは禁止にする。明日からはつけてこないように」
 信じると言いながらちゃっかり注意を挟んでくるのが、いかにも真面目な教師らしい。どうやら昨日飲んでいた紅茶の香りがまだ制服から漂っていたようだ。てっきり香水とでも勘違いされたのだろうが、残念ながらその指摘には頷くことは出来ない。今日もまた、彼女のお手製紅茶の味見をする約束をしているのだから。
「はいはい。了解しましたよー。じゃ、あたしはこれで……」
 口だけで了承の言葉を放ち、リーファは音楽室の扉に向かった。
「……リーファくん」
 まだ何か用があるのかと、面倒くさいが振り返ったリーファに、リティストは笑顔でこう言った。
「何か少しでもおかしなことがあったら、担任である僕を頼るように。これでも生徒を守るくらいには、強いつもりだ」
 その笑顔が何故だか少し魅力的に見えて、リーファは慌ててそっぽを向いて扉に手を掛けた。
――結局聞けなかったな。あの担任がなんであんなに強いのか……




 音楽室から出たリーファは、階段を降りたところで偶然にもギーラとばったり出会った。
「ギーラ。今から温室に行こうとしてたんだ。悪い、遅くなっちゃって」
「ううん、私も実は遅くなっちゃって、慌てて向かってたところなの。こんなところでリーファと会えて嬉しい。同じ高校なのに、クラスが違うと全然会わないね」
 二人で並んで階段を降りて、廊下を歩いてそのまま温室まで向かう。さすがに学内では手は繋げない。愛しい彼女が隣にいて、少しじれったいと思うのはリーファだけなのだろうか。
「でも、これからの時間は一緒、でしょ?」
「リーファって、カッコいいね」
 ちょっとキザだったか心配になるセリフを言ってしまったが、どうやらギーラには刺さったらしい。こういう価値観のフィット感も、彼女が愛おしいと思える部分だ。彼女に対してならどんな甘い恥ずかしい言葉も、この口から流れていくことだろう。
「そう? ギーラにそう言われて、嬉しい」
 思わず抱きしめたくなったが我慢する。だがそんなリーファの心境を、今回ばかりはギーラは読み取ってくれなかった。
「リーファ、さっきちらっと見えたんだけど……」
 昨日も受けた上目遣い。だがなんだか今日は居心地が悪い。それはきっと、彼女の目が疑いの色を含んでいたからだろう。
「音楽室でリティスト先生と、二人っきりで何してたの?」
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