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貴方に捧げる、ふたつの心


 初めて聞いたゼトアの大声に、ウィアスは反射的に飛び退る。だがその動きすらも予見していたかのように、天使の振るう剣がウィアスの身体に迫った。
 斬撃を覚悟し目を瞑るウィアスだが、その衝撃は“ウィアスの身体”には伝わることはなかった。
 ウィアスに迫る二振りの剣を、二人の男がその身を挺して受け止めていた。
 天使の左手の剣はゼトアが血塗れの手で握り締め、右手の剣はヘルガが“自分の左腕”だったウィアスの左腕で受け止めている。左腕の痛みはウィアスに伝わっているが、それよりも二人の男を傷つける、天使への怒りがその痛みを打ち消していた。
「貴方はっ! 許せません!!」
 ウィアスは残った自らの魔力に染まった右腕に精神を集中する。途端に水のカーテンが崩れ始めるが、もう護る必要がないので問題はない。崩れ始めた魔力の塊をも巻き込んで、天使に向かって細く尖らせた水弾を放った。
 ウィアスの右手から、そして上空から放たれた水弾は、狙い違わず天使に全て命中する。狂おしいまでの水の勢いに負けて、天使の身体が吹き飛ばされる。みしりと音を立てて、その神々しいまでの大翼が折れる。
「ゼトアっ! 大丈夫ですか!?」
 水流の勢いを横に避けていたゼトアに、ウィアスは己の左腕からの出血など気にせず駆け寄る。彼は右腕から出血こそしているが、その顔色はいつもと変わらず落ち着いていた。たまに痛みに眉間に皺こそ寄るが、冷静に状況を把握している。
「すぐに命がどうこうというわけではないが、この手では槍が振るえん。あの天使もまだ生きているというのにな……」
 彼の血塗れの右手を見て、ウィアスは涙が出そうになった。だがそれだけは我慢する。ここは戦場で、戦場に出ている限り自分も彼も、軍人なのだ。命のやり取りをする、そういった覚悟を持ってここにいる。
「っ……とにかく、傷を見せてください。血を補給することは出来ませんが、傷を塞ぐことは出来るかもしれません」
 それでも彼の身を案じることは、妻としても、助けられた霊獣としても、はたまた共に軍に所属する身としても当然であった。ウィアスは手早く彼の傷口に、癒しの祈りを捧げていく。
 たちまちゼトアの腕からの出血が少なくなり、その眉間の皺もほぐれていく。
「魔族の俺に聖なる魔術を施して、反発すら起こさせないとはな」
「すでにこの身は、肩書よりも先に『魔族の妻』となっているのでしょう」
 本来ならば聖なる癒しの魔法は、魔族にとっては逆に毒となる。しかし既に身体に魔族の男が共存しているウィアスの魔力は、純粋なる聖なる力とは異なっている。そのため魔族であるゼトアに対しても、反発が起こらなかったのだろう。もちろん、ウィアスの魔力が高いということも一因としては考えられる。
 その事実を、ウィアスは敢えて『魔族の妻である』という言葉で伝えた。それはきっとゼトアにも伝わっている。彼は優しく笑うとウィアスを抱き締めようとして、鋭い視線を――起き上がっていた天使に向けた。
 天使は吹き飛ばされたままの場所に立ち上がっていた。高台の端にある柵にぶつかった天使は、折れた羽根もそのままに機械的に立っている。表情のないその顔には、痛みも恐れも浮かばない。
「お前は、その魔将と愛し合っているのか?」
「……貴方には関係ありません」
 殺すつもりで放った水弾は、天使の命を奪うまでは至らなかった。ウィアスは今度こそトドメを刺すために、腰の魔剣を抜き放つ。きらりと露が零れ落ちる水剣は、まるで涙を流す乙女のように繊細で、そして美しい。
「お前の村を襲ったのは、その魔将だぞ?」
 天使が酷く歪に笑った。まるで機械が感情もなく筋肉を動かしたような笑みには、冷たく突き放すような瞳が添えられていて。
「……え?」
 ウィアスはその言葉の意味が飲み込めなくて、小さく聞き返すことしか出来なかった。隣の男が制止する、素振りはない。
「そこの魔将は水神の力を天界に渡さぬために、霊獣の一族を皆殺しにしたのだ。幼く美しいお前のことは、上手くたぶらかしたようだがな」
 天使の言葉にウィアスは恐る恐るゼトアを見やる。まるでそこには望みもしない答えが、最初から用意されているかのように。躊躇いながら合わせる瞳に、彼の強い視線が絡みつく。
「……ゼトア、嘘……ですよね?」
 答えを聞きたくないと、駄々をこねるように、ウィアスは彼に小さな声で縋る。そう、縋るのだ。そこには答えが、もう用意されている。
「……魔王アレスの命令だ。天界に水神を握られるよりも先に、霊獣の一族……特に召喚のキーである契約者を押さえろと」
「……」
 ゼトアには用意されていた答え――真実を告げられた。それは、紛れもない事実。
 しかし――
 ウィアスは冷静だった。そこには真実がある。そしてその真実には、天使の言う『彼が加害者である』証拠がなかった。
「……契約者である私を押さえた貴方は、一族の者には何をしましたか?」
「俺が村に到着した時には既に、人間共と霊獣達の戦闘は終わっていた。数に勝る人間共が、村にいた霊獣達を虐殺している最中だった。特命を受けて動いていた俺は、その虐殺を止めることが出来なかった。召喚のキーであるウィアス……お前の父親は既に殺され、そしてお前自身の姿がそこにはなかったからだ」
 ゼトアは村の者達を見殺しにした。彼にならきっと、魔王からの特命さえなければ村の者を救う力があっただろう。だがそれで、それだけで彼を責めるのは間違いだ。
 彼は加害者ではない。
「……ゼトアは村の者達に“何もしなかった”」
「助けることすらもしなかったのだぞ? それをお前は許せるのか?」
「村の者達に危害を加えたのは、貴方と人間達です。それに……ただ逃げることしか出来なかった私も、“何もしなかった”同罪です」
「……救えんな。愚かな霊獣の娘め……」
 天使が両手に剣を構えて空中に飛び上がる。折れた翼などただの飾り。地上の理の通用しない天使には、空を舞うその行為の原理から違うのだ。天使の背から天界からの光が差す。聖なる光に照らされた天使が、判決を下す。
「魔にその身を犯されし者よ。水神の力を天に明け渡せ」
「私は、貴方のことを許しません! 私だけでなく、夫を侮辱したこともです!」
 ゼトアを庇うように魔剣を構えるウィアスに、天使が空中から襲い掛かる。剣と剣がぶつかり合い、激しい突風が起こる。剣と共にお互いの纏った魔力もまた、ぶつかり合う。空間に波打つ波紋の大きさが、二人の魔力の大きさを物語っている。
 剣を扱うことに慣れていないウィアスは、心の中でヘルガと混じり合う。ウィアスにとってこの天使は村の者達の仇である。それをわかっているヘルガは、敢えて表面上にその意識を出すことをしなかった。二人で身体を、支え合う。敵討ちはウィアスがやるべきだと、ヘルガの心がそう言っている。それは彼なりの信頼だと、ウィアスはしっかりと受け取った。
 魔剣を持つ右手に力を込める。天使の二本の剣に、徐々にウィアスは押されていく。それは仕方のないことだった。人型に慣れないこの身体で、命のやり取りをしているのだから。天使の剣ががら空きの左半身に向かって切り下ろされ、それをヘルガが左手ではじき返した。彼の爆炎の魔力を纏って、その左手からは鮮やかな炎が湧き出ている。
『この身体は俺のもんでもあるんだ。天界の野郎になんか、やれねえよ』
「……ガーゴイルか。既に神槍は同化し、その力も失せている。貴様は未来永劫、その身体の付属のままだぞ? それでも良いのか? その身体から解放してやっても良いのだぞ?」
 天使の提案にヘルガは、その腕を振るって天使を押し返すことで意思を示す。その姿に天使は、表情は変わらない。機械的に「理解出来ん」とだけ呟く。背後でゼトアが小さく笑った気がした。
 強引に押し返されて天使の体勢が崩れる。今度は天使ががら空きになる番だった。そのがら空きの胸に水のカーテンであった残骸を操り水弾を叩き込む。その弾丸は天使の身体を容易に貫通し、その口元からいやに朱の強い液体が零れる。
 天使の姿が白く輝き、そしてそのまま天界へと昇っていく。キラキラとした結晶を撒き散らしながら、凄まじいスピードで雲の彼方へとその身体は消えてしまった。
「……やった、のでしょうか?」
「天使の肉体を構成する魔力が切れたのだろう。あいつはその身も武器も“神兵”と呼ばれる高位天使の劣化品だ。本来の神槍の力ならば、お前の身は常に何かを取り込み混ざり込む魔力の塊と化していただろうな。劣化品だからこそ、俺もお前を助けたわけだが……」
 呆然と空を見上げるウィアスの頭を、ゼトアの大きな手が撫でる。天界の兵士のことにも詳しい彼が言うには、どうやらウィアスの身体に混ざり込んだ神槍(の劣化品らしいが)の効力は、ヘルガを取り込んだ時点で消えてしまっているらしい。ウィアスの身から天界の気配を消し去る為にも、魔なる存在を取り込まなければならなかったらしいのだ。
「……私とヘルガは、二人でお互いのバランスを取っているのですね」
『おー、俺も同じこと言おうと思ってたぜ』
「お前たちは、お互いがお互いの首輪だ。聖なる槍を中和する魔なる血に、乾きを潤す水の魔力だ」
 ウィアスはなんだかおかしくて、浮かんだ笑みを隠すことなくゼトアを見上げる。手からの出血もなくなり血の跡こそ目立つものの、彼のその顔はいつも通り。いつもと同じく、素敵な夫の顔だ。
「ゼトア……」
「……どうした?」
 甘い空気が伝わったのか、ゼトアの顔にも穏やかな笑みが浮かぶ。水浸しになってしまった高台の中心で、二人は静かに抱き締め合った。二人の間には静寂だけがあった。遥か彼方の地響きも、もう止んでいる。争いは終焉を迎えつつある。陸戦隊の雄々しい魔力がこちらまで伝わってくる。快勝である。
「……私は、私とヘルガ……二人で一人です。おそらく普通の夫婦の関係は難しいのでしょうが、私は……貴方を愛しています」
 強く抱き締める腕の中で、ウィアスは夫に愛を告げる。そこに何の偽りもなく、本心からの言葉だった。愛している。だから、一緒にいたい。夫婦になりたいのだ。
「……最初は俺の我儘だった。魔王アレスへの当てつけのような、な。だが次第に、ウィアス……お前のことも愛してしまった」
 ウィアスを抱き締めたままゼトアも、偽りなく白状してくれた。魔王アレスへの反抗心から行った我儘が、ウィアスとヘルガの二人の――いや、三人の運命を変えたのだ。
「ヘルガも、ですよね?」
「……ああ、そうだ」
「正直でよろしい。私の半身まで愛してくださって、私は嬉しいです。そんな貴方だから、夫婦になるんです」
 くすりとウィアスが笑うと、ゼトアもくっくと喉の奥で笑う。まるで悪びれない彼の態度は、わざとだ。その優しい瞳の奥に、詫びる光が隠れていることを、ウィアスは気付いてしまっていた。
『俺も、お前ら二人共、まあ、あれだ……愛してるって言ってやるよ。それにどんな夫婦なら“普通”か“普通じゃない”かなんて、本人達が良いならそれで良いじゃねえか』
 言いたいことははっきり言うヘルガの態度に、今度こそ三人で笑い合った。照れたように熱を集めた半身の態度に、ウィアスの心も暖まる。頼りがいある腕に抱かれたまま、熱を持った“両頬”を隠すためにぎゅっと抱き着いた。
「三人は、ずっと一緒です」
「ああ。これから、よろしく頼む。お前は俺の自慢の嫁だ」
「こちらこそ。貴方は、私の自慢の夫です」
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