フレアニスの天罰


 ならず者達の根城である洞窟は、ひっそりとその大口を開けていた。
 荷馬車を洞窟の近くで停めて、一応用心のためにフレアニスの炎を分けて、荷馬車の中に転がっていた使われていないランタンにて留守番をさせておく。
 少しだけ小さくなった炎を宿したランタンを持ったアンフェルに、その意味を知らないフログは「アンフェルさんも充分信心深いと思いますよ」と揶揄いの空気で言葉を発していた。
 まだ陽は落ちていない時間だが、洞窟内にその日差しは差し込まないようで、内部に足を踏み入れて数分も経てば、頼れるものはアンフェルの手元で光るフレアニスの炎のみとなってしまっていた。
「フーちゃん、頑張って。もうちょい照らしてくれな、敵の動きがわからへん」
 横を歩くクーリーが炎に向かって手拍子しているが、炎の揺らぎは相変わらずで、三人の手が届く範囲の程度しか照らし出してくれない。
――天使の魔力は莫大やけん、今はまだ『その時』じゃないってことやろう?
 先程から蠢く気配には、さすがにクーリーだって気付いている。他人の気配に敏感なのは、アンフェルだけではない。いや、きっと……アンフェル以上にクーリーの方が、より深く闇夜にその身を浸し愛されているはずだ。
「……行き止まりやん」
 炎の照らす視界には、まだその終点は照らされていない。だが、空気の流れを感じ取れるアンフェルは、この場所を洞窟の行き止まりで――広い空間だと判断した。
 同じく隣で立ち止まったクーリーも、その目を――背後で立ち止まったフログに向けていた。その瞳に普段の愛らしさすら感じさせる大きな輝きはなく、淀んだ罪人らしい闇を湛えている。その瞳こそ『全てを奪う盗賊』に相応しい。
「……さすがに馬鹿な罪人、というわけではないのですね」
 背後でやけにおとなしかったフログが、少し引き攣った声でそう言った。
 彼の手には振るい慣れないと自ら白状していた剣ではなく、その懐から取り出されたナイフが握られており、荷馬車で見た時よりも遥かに使い慣れていることが手つきを見ただけでわかった。
「“お前ら”、素人やろ? ならず者達の根城なんて割には、うっすい殺気しか匂わんし、足音すらも殺せてない。こんなん、オレらの地元じゃ考えられんで」
 クーリーの挑発に、暗闇から複数の人間の足音が近付く。その音に反応してか、ようやくフレアニスの炎がその輝きを増した。空間の全容が、揺らぎを隠せない光に照らされる。
 アンフェルの予想通り、そこは洞窟の行き止まりに出来た広い空間だった。アンフェルとクーリーの背後を塞ぐようにしてフログがおり、そして前方の二人を囲うように男が八人。皆、カマや包丁などの武器を――村人達が使用するであろう武器を持っていた。
「おっしゃる通り、私達はただの“善良なる村人”です。貴方達を無力化してから、フェーデの村の全てを奪うつもりですが、“まだ”私達は善良なのです。だから――」
「――俺らは手出し出来ん、ね……」
 勝利を確信して笑うフログに、アンフェルは苦笑いしか返せない。
――純粋なる天使様が、ちゃんと言葉を聞いとらんと判決<判断>出来ん、下級天使<バカチン>やってわかってやっとるんかいな?。
 ダメ元で手元の炎に視線をやるが、案の定天使様は状況がわかっていないようだ。
 天使フレアニスの判決は絶対だ。『これから罪人になるであろう人間』の言葉に『裁くべき罪』がない限り、その者は『善良』であるため裁けない。
 裁けない者に、裁きは下りない。
「きさん……村長の息子ってのも嘘ついとったとや?」
「へー、これは驚きましたね。他人に親子関係を看破されるとは。村長や村の老人達は誰一人、私が息子に成りすました別人だとは気付かなかったというのに」
「なら、ここにいるお友達はどげなこつかね?」
 アンフェルは冷静に質問を続ける。相手の言葉を引き出して、そこに『罪』が零れ落ちるのを期待する。だが……
「彼等は正真正銘村の若者達ですよ。ここにいる人間で若者は全員です。皆、自らが生まれ育った村が寂れていく現状を、どうにか打開しようとしているだけです。ギルドにすらも頼れない、貧しい生活ともこれでおさらばです」
「村長は、知らんかったとや?」
「ええ。老人達は頭が固い。ならず者達の仕業として、しばらくは隠し通すつもりです」
 無言でクーリーを庇うように立つアンフェルに、フログがその獰猛なる笑みを隠さず続けた。
「どうやらこの辺りの村でまともに戦えるのは、貴方だけのようですね。クーリーさんはこちらに……」
 武器を持った敵に囲まれたこの状態で、素手であるクーリーに抵抗する術はない。素直にフログの元へと歩み寄り、その手を後ろ手に掴まれ拘束されるクーリーに、アンフェルは舌打ちしたい気持ちを我慢する。
 それを見届けた男達は武器を振りかざしアンフェルに襲い掛かって来た。
 勝利を信じてやまないフログの笑い声が、男達の足音に掻き消される。
 男達とは少し距離があったので、鋭利な刃物がアンフェルの身体に到達するまでの時間としては、回避行動に専念すれば、こちらが反撃すらも許されない素手の状態だとしても十秒は稼げる。
 十秒もあれば、充分だった。
「なぁ、オレを見て……」
 クーリーがフログに向かって、誘惑<魔法を発動>した。
 魔力に暴れる空気にその色素を抜かれたかのような白に近い銀髪が揺れ、その下の甘き甘き瞳が潤んだように――惹き付ける。
 アンフェルの魔力が物理的な炎による格闘術の強化なのに対して、クーリーの魔力は『目を合わせた対象一人の注意を、五秒だけ自分に惹き付ける』ことが出来る。美青年の彼が扱うにはあまりにも毒となりえるその魔力の名称を、捕らえた軍は悪意を込めて『魅了』と呼んだらしい。
 元来盗人であるクーリーは、闇夜に姿を隠す存在だ。そんな彼には他人の注意を惹く魔力等、無用の長物に思えるかもしれない。だが、度を過ぎた『注意』はそれこそ『魅了』と呼ぶに相応しく、その五秒間の間にクーリーは現状を打開する“仕事”をすることが出来る。
 対象が人間であればそこに性別なんてものは関係ない程に強力な彼の『魅了』の魔力に貫かれ、フログの目が見開かれる。
「わ、私には……妻子が……」
 そう口は譫言のように言葉を紡いだが、彼の手は乱暴にクーリーのローブを引っ掴み、その露出した首元が露わになった瞬間、「愛おしい……」と――『罪』を零した。
『判決:死刑』
 抗いがたい五秒間が終わり、フログの目に生気が――戻らなかった。
 煉獄の如き炎とそれ故の揺るがぬ愛を司る天使フレアニスは、奉仕と償いには寛容であるが、不貞と裏切りには鉄槌を下す。
 彼の腹には自身が一秒前まで持っていたナイフが深々と刺さっており、その柄を握ったまま爛々とした笑みを浮かべるクーリーが、『天使の裁き』を罪人に伝える。
 言葉ではなく、暴力で。
 腹と口から大量の血を零して、罪人が崩れ落ちた。
 クーリーは『全てを奪う盗人』だ。その“全て”には文字通り、獲物が持つ全てが含まれる。金品、命――そして情欲。その全て。
 あまりにも数多な“モノ”を奪い過ぎたが故に、殺した人間の数だけでは『虐殺者』とまで言われたアンフェルよりも極悪人と称されたらしい。
 フレアニスの炎が煉獄の如き怒りに燃える。それに呼応するように、開けたクーリーの胸元の紋様にも焔が走るのが見えた。ああ、この感覚は久しぶりだ。
 久しぶりの殺しの喜びに震えるクーリーが、ナイフ<得物>を手に立ち上がる。
 アンフェルも己の手に焔の紋様が伸びる感触を喜びつつ、聖職者のローブの上部を開け、投獄時から変わらない鍛え上げた上半身をさらけ出す。胸から今や手の甲まで這い伸びた紋様が、まるで地中から顔を出したマグマのように滾る。
 この胸に刻まれた罪状は――シンプルに『撲殺』。
 華奢な身体に数えきれない程の『罪』を刻んだ相棒と並び、残りの相手に相対する。
 手に持つランタンが照らさずとも、この身に宿した『炎』<罪>がこの地を――処刑場を照らしていた。
 虐殺の高揚感が喉を震わせ、罪人<聖職者>達は天使の判決を言い渡す。
「これがお前らの天罰や!」
「天使フレアニスの判決は絶対やけんな!」
『執行せよ。聖なりし者達よ』
 耳に焼き付く啓示を聞き入れ、アンフェルは喜びに震える拳を振りかざす。
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