【ss】補給班幹部と飯炊き番の日常(非エロ)
失礼します、という声と共に現れたのは、先日俺様専属の飯炊き番に就任した女構成員だった。
朝餉をお持ちしましたという声の通り、その手には総長専用の卓盆。モヤのたつ白米が今まさに作りたてだと、良い匂いと共に俺様へ訴えかけている。
朝昼晩と、飯炊き番は律儀にも決まった時間に必ずやってくる。手ずから配膳した後に必ず三つ指ついて頭を下げ、「では、お食事が終わったころにまた来ますので」と一言告げて去っていく。
元々が宮廷料理人だった名残もあるのだろうが、ならず者集団にしちゃあ、あまりにお上品な振る舞いだろう。そこまでかしこまらなくて良いと伝えてもこれだから、どうしようもない。今日も厳かに三つ指をつくものだから、「こいつはまた……」と呆れそうになったが、少しばかり予想が外れた。
飯炊き番が「えっと」と、いつもと違う第一声を発したからだ。
「コーガ様、その、少しお伝えしたいことがございます」
その言いづらそうな声音と言ったら。朝餉のメインでもある焼きマックスサーモンを早々に箸で割りながら、俺様は「あんだ、聞かせてみろ」と先を促した。
視線の先は床を見つめたまま、微かに飯炊き番の面が持ち上がる。よほど重大な発表をするつもりなんだろうか。面下から、息を吸う音、吐く音が聞こえる。肩の上がり下がりでも、深呼吸しているのが丸わかりだ。俺様が促してからも、なかなかその先の言葉が出ないんだから、相当のことを言うつもりなんだろう。
「実は、以前よりコーガ様にご相談していた男性と、その……お付き合いすることになりまして」
やっと口走ったかと思ったら、なんてことはない。知ってる内容だったし、そんなことを言うんだろうと分かってた。なんせ昨晩こいつの旦那を焚きつけたのは、紛れもなく俺様なのだから。
恥ずかしいくらい声を震わせて告げられた台詞に、こっちまで居ても立っても居られない羞恥を覚える。良い歳の女だろうに、なぜこいつはこうも、色事に照れがあるのか意味が分からん。やることやってるくせに。お付き合いする以前に、ど突き合いしてるくせに。すぐそこまで出掛かった台詞だが、話が進まなくなるので、白米を掻っ込んで一緒に飲み下す。
「おお、そうか。おめっとさん」
「コーガ様からご助言いただいたおかげです、ありがとうございました」
「俺様の助言のおかげってことは、腹くくったんだな?」
「え?」
「孕むってことだろ? 違うのか」
香の物をバリバリと咀嚼する音が室内に響く。一瞬空いて「ちッ」と上半身を起き上がらせたと思ったら、「がい、……ます」と徐々に語尾が消えていく。
明確に何か思い出すような間だ。ははぁ、こりゃ本当に強請ったな。そんで、しっかり中に出されたな。食事時にこんな話をするんじゃなかった。揶揄うつもりが失敗した。
「お前、本当に分かりやすいな。もっと隠密だってこと、意識しろよ」
一応俺様も集団の総長なんで、叱責することもある。特にこいつは、飯炊き業務にかまけて術とか弓とか、暗殺技術の習得が疎かになっていると聞いていた。まぁ、外部から来た人間なんてこんなもんだが、それにしたって気が抜けている。
「……すみません」と呟きながら、飯炊き番はもう一度頭を下げた。そうして、「では、お食事が終わったころにまた来ますので」といつもの台詞を口にして、そそくさと逃げるように去ってった。その逃げ足すら、どこか楽しげなステップに見えるんだから不思議なもんだ。
あいつは本当に、隠密集団に所属しているのが信じられないくらい、分かりやすい。なんせ、あいつに何か良いことがあっただろうってのは、この部屋に入ってきた瞬間から分かってた。軽やかな足取りと、隠すつもりもない浮き足立ったオーラ。昨日までの鬱屈とした様子を知る人間であれば、一目瞭然だ。
正直イーガとしては有るまじきだが、めそめそ悩みを聞かされるより遥かに良いし、今日ほど明るく、幸福そうな声は聞いたことが無い。団員が幸せになったってんなら、俺様としても勿論そっちの方が良いわけだ。
イーガへやって来てからというもの、あいつはここでの在り方に悩んでいたようだった。宮から敵方に鞍替えしたんだから、当然だろう。そろそろ一年ばかしになるが、漸くここを居場所に認めたかと、彼奴を拾った俺様の責任が果たされる気がする。
手掛ける飯にも、当初と比べて随分変化があった。良くも悪くも、あいつは根っからの宮廷料理人。宮廷料理っつーのは、各種族が文句を言わず、それなりに食える無難な味付けが施されてるもんだ。さまざまな種族の出入りが激しい宮だからこそ栄えた料理だろうが、うちの大半はシーカー族。料理の腕があるのは良いんだが、果実の汁で肉を煮たりとか、苺でソースを作ってみたりとか、レバーをわざわざペーストにしてビリビリハーブと混ぜたりとか、慣れ親しんでない団員からしたら何のこっちゃだったろう。
それがある時期を境に、単純で口なじみの良い家庭料理に変わった。団員にとっても、奴にとっても、それは良い変化だったに違いない。
パリパリに焼かれたサーモンの皮で白米をくるんで口に入れる。焼き加減も丁度良く、塩で味付けしただけのシンプルさが、全く俺様好みだ。少し前の彼奴だったら、きっとハーブの香草蒸しにされただろう。専属の飯炊きになってから暫く経つが、ここのところ漸く、俺様の口に合う食事が提供されるようになってきた。
とはいえ、多少なりとも文句はある。今日の朝餉だってそうだが、なぜ味噌汁にキノコを入れるんだ。これだけ俺様の好みを把握しながら、且つ汁物にキノコを入れるなとあれほど言っているにもかかわらず、必ずあいつはキノコを汁物に入れてくる。出汁にとるならまだしも、汁物に入れて良い食感じゃないだろ。
分かってる。敢えてだ。専属の飯炊き番という立場から、「好き嫌いせずに食べてください」と、あの女は度々苦言を呈してくる。実力行使に出ているつもりなんだ。一新人団員がイーガに慣れたのは総長としても喜ばしいが、これほど遠慮のない団員になるなんて、想定外だ。
「コーガ様、失礼いたします」
味噌汁をかき混ぜて揺蕩うキノコの切れ端をどうするか考えていたら、今度は幹部がやってきた。
軽く頭を下げて髷をこちらへ突き出すのは、今しがた飯を持ってきた飯炊き番の、相手の方だ。何の用事で来たって、まぁそういうことだろう。
既にお前のツレから聞いたぞ、と追っ払っても良かったが、昨日俺様がけしかけたんだ。黙って報告を聞いてやるのが筋ってもんだ。正直なところ、少々面倒だが仕方ねえ。
「実は、ご報告がありまして」
「おう、なんだ」
「昨日ご相談に乗っていただいた件なのですが、その、上手くまとまりました」
「おお、そうか。そりゃ良かったな。おめっとさん」
「コーガ様にはなんとお礼を言って良いか。本当に助かりました。ありがとうございます」
「いいってことよ」
ここまで十秒だ。あまりに素っ気ない態度だったからか、幹部は少し拍子抜けしたようだった。何を聞かれるのかとこいつなりに身構えていたんだろう。
昨晩既に情けない事情を聞いたばかりだし、なにより飯炊き番と違って、この男はあまり揶揄いがいが無い。イーガの掟にのっとって無感情に平坦な声を貫くだけだ。報告を聞くのは筋だとしても、惚気をきく道理はない。
だがまぁ、気になることはある。これは、双方の色恋事情を聞かされた身が問うのは、ある種タブーな質問かもしれない。
しかし、一方的に恋愛相談されていた身になってほしい。しかも、結果的には惚気みたいなもんだった。砂糖でも吐きそうなくらい、べったべたに甘い悩みを聞かされた。昨晩こいつが去っていった後といったら、羊羹丸一本だか苺のホールケーキをそのまま口に突っ込まれたときくらい胸がムカついた。
俺様はバナナ程度の自然な甘さは好きだが、砂糖をたっぷり使った甘味はそうでもない。茶くらい入れて欲しいもんだ。なので、今からする質問は、茶すら出されなかった俺様への褒美として、当然、許されるべきだろう。
「で、世継ぎはいつだ?」
香の物をバリバリと咀嚼する音が室内に響く。デジャブだな。
「よ」と呟いた幹部の声は珍しく上ずっていて、「世継ぎ、ですか」とその場へ正座しながら肩を竦めてみせたので、俺様は箸の先を突きつけた。
「お前、外から来た女に手を出しといて、まさか責任取らねえとか考えてないだろうな」
「まさか! それはあり得ません」
即座に否定されて少々安心する。まぁ、こいつの性格上、それがあり得ないのも分かっていた。
何せ、いくら新人の初々しい女団員を下につかせても、一向に手を出さなかった男だ。割と言い寄られていたとも聞くし、今回、何も考え無しに性欲に負けたわけじゃあないはず。
こいつはイーガの中でも割と歴が長く、真面目で仕事ができる男だった。のは良いとして、正直そろそろ相手を見つけて欲しいと考えていた。
上に立つ人間がいつまでも独身じゃあ、下の人間が先に進めねえ。しかもこいつは酒飲みなものだから、過去には補給班団員から相談されたこともある。
「飲めないのに付き合わされて困ってるんです」
「一度飲み始めると長くて……」
嘗て聞かされた構成員たちの声が、頭に上ってくるようだ。回りくどく諭した結果、一人で晩酌するように変わったらしいが、どこか寂寥感もあったんだろう。
それが幸運にも漸く番(つがい)を見つけたって言うんだから、さっさと収まるところに収まってほしい。
イーガは常に人手が足りないし、血を絶やさないためにも、団員たちにはなるべく早く結婚して子作りしてほしいもんだと、俺様は常々気を揉んでいるのだ。
「しかし……世継ぎ、ですか」と繰り返す幹部は、どこか納得しかねるように頭を掻いた。ここにきて今更悩むことなんてあるか? 嫁の方はその気があるわけだし、男がうじうじしてるのはみっともない。
「言い訳は良いから孕ませろ」という、すぐそこまで出掛かった非人道的な台詞を米と一緒に飲み込みながら、俺様はゲフ、と息をつく。
「お前もあいつも良い歳だろ、孕むなら早いに越したこた、ねえぞ」
「はぁ……そう、ですね」
「子ができたら支援はするし、何かとあぶねえここにいるより、あいつも隠遁村で子育てしてた方が性に合うんじゃねえか?」
「ええ、まぁ……」
「煮え切らねえな、何が問題か言ってみろ」
こいつが理性的ながら思いきりの良い男だと知っている。それに、イーガの子作り事情だって、隠遁村の状況だってつぶさに知っている男だ。家庭を持った先達を何人も見送ってきているこいつが、自分の番になったからと言って今更怖気づくのは筋が通らねえ。
微かな苛立ちが乗った声に、幹部は「ええと」と肩を縮ませる。存在感のある巨漢が背中を丸めて視線を落とすのは滑稽だ。俺様は気を落ち着かせるためにも、味噌汁をずずずと口にした。もちろんキノコは椀に残したままで。
「俺が迷ってるのは、責任、とかではなく」
「おう、なんだ」
「孕むと、できなくなりますよね」
「何を」
「夜が」
箸で捕まえていたマックスサーモンの欠片が落ちる。
返す言葉が咄嗟に思いつかず、開け放した戸から流れてくる風の音さえ耳に入る静寂が場に満ちた。
幹部の声は至極平坦で、イーガの掟に則った無感そのもの。だからこそ本気で言っていると分かる。怖いくらい真剣だ。俺様ですらドン引きしてしまうほどに。
面下で眉間に皺を寄せながら、ひとつも様相が変わらない幹部の面を、しっかりと覗き込んだ。
「お前……助平男だったんだな……」
「あッ、いや! 違います、今のは」
「違わねえだろ……散々ヤッたんじゃねえのか、まだ足りねえのか」
「その、あいつとやっと腹を割って話せたので、惜しいと言うか、なんというか」
「ははぁ、昨晩は今までと段違いで盛り上がったんだな。恋人気分を味わいたいのは、まぁ分からんでもない」
「いや、今飯炊き番が孕んだら、コーガ様の飯炊きがいなくなりますし、業務が滞りますので」
外聞もなく手を右往左往させて狼狽えるものだから、こいつも随分呆けちまったなぁ、と思った。
しかし、口にしたのはまともな言い訳である。俺様は箸を咥えながら、朧に浮かんでいた考えを頭の中で整理して、「あー」とぼやいた。
「そのことなんだがな、もう俺様の専属じゃなくていいぞ」
「え」
「補給班から寄越した団員が、飯炊きに慣れてきたろ。飯も俺様好みの味付けになってきたし、そろそろ専属を解任して良い」
「そ、そうですか」
「明日から、二人で日毎交代して飯炊き業務につかせてやってくれ。あいつ、隠密の業があまりに疎かだしな。飯炊きじゃないときは、補給業務やりながら教えてやったらどうだ」
「俺が、ですか」
「それでいいだろ。めんどくせーし」
面倒くさい、というのはほとんど本音みたいなもんだったが、存外、目の前の男がそわっと浮足立ったのが分かった。
イーガは人数が少ない故に、一人ひとりの責任がそれなりに重い。加えて朝昼晩と関係なしに任務があるものだから、団員同士だと逢瀬の時間を合わせるのが難しく、場所にも難儀していると聞いていた。
こいつも同じだったのだろう。同じ任に就けば、それだけ一緒にいられる時間も増える。純粋に嬉しいのだろうが、俺様としても、早く収まってほしいが故の采配だ。他の独身団員には申し訳ない気もある。
「その代わりしっかり見ろよ。業務中にいちゃいちゃすんな、士気に関わる」
「はっ、毛頭そのようなつもりございません」
イーガの無感が聞いて呆れる。花の散るような明るい声音に、俺様は思わずまた、しかめっ面になるのを抑えきれなかった。
とはいえだ、これは長年イーガに貢献してきたこいつへの、褒美みたいなもんだ。
さっさと情愛を育んで、満足するまでまぐわって、夫婦になっちまえば良い。先達のその姿を見て「いいな」と思った団員が、勝手にその後に続き、イーガは繫栄を続けていく。そうしてこの集団は、どうにかこうにか形が残ってるんだから、遠慮せずにバンバンやってもらわんと。
胡坐をかいたその膝にバシッと手をついて、「俺様からは以上! 飯炊き番にも伝えてやってくれ」と声を張れば、幹部は「はい、ありがとうございます」と深々頭を下げた。
そのまま立ち上がり、去ろうとする一瞬。踵を返す直前に、幹部がぴたりと止まって動かなくなる。「ん、どうかしたか」と見上げれば、幹部は翻していた半身を戻し、俺様の卓盆を上から覗き込んできた。
「いえ、……味噌汁の中身が残っているなと思いまして」
「う」
すっかり飯を食い終わった気で後ろ手をついていた俺様は、その一言にずんと気が重くなった。
じ、と面下でじっとりとした視線を向けてきているのが分かる。こいつのツレは俺様専属の飯炊き番。嫁の作った料理をはっきりと残されて、良い気のする旦那は居ないもんだろう。
やけに姿勢よく立ち尽くし、何も言わずに俺様を見つめてくる巨漢。テコでも動かない様相だ。
キノコを食うか否かは、今までだったらあくまで飯炊き番との抗争だった。絶対食わねえぞと心に決め、実際どれほど悪態を吐かれようと食わなければ俺様の勝ちだった。しかし、ここへきて彼奴に助太刀が現れるとは。
物言わぬ大男の圧は、なかなかにある。だといって俺様が食わなきゃいいだけの話なんだが、あれだけ偉そうに講釈を垂れておいて、キノコ如きに遅れをとるのも、こいつの手前かっこうがつかないだろう。
「食えば良いんだろ食えば」
俺様は今日ばかし、飯炊き番と、無骨な助平男に負けた。とはいえ、これは決して物言わぬ圧に負けたのではない。イーガに新しく生まれた恋人に、そして未来の夫婦への祝福として、潔く負けを認めてやろうと思ったまでだ。
椀に取り残されたキノコを口の中へ誘い出す。噛まずに飲み込んだ塊が喉につっかえそうになったので、俺様はえずきながら茶で流し込んだ。
一部始終を見終え、椀の中に何もないと確認した幹部は、満足そうに頭を下げて、総長室から出ていった。
朝餉をお持ちしましたという声の通り、その手には総長専用の卓盆。モヤのたつ白米が今まさに作りたてだと、良い匂いと共に俺様へ訴えかけている。
朝昼晩と、飯炊き番は律儀にも決まった時間に必ずやってくる。手ずから配膳した後に必ず三つ指ついて頭を下げ、「では、お食事が終わったころにまた来ますので」と一言告げて去っていく。
元々が宮廷料理人だった名残もあるのだろうが、ならず者集団にしちゃあ、あまりにお上品な振る舞いだろう。そこまでかしこまらなくて良いと伝えてもこれだから、どうしようもない。今日も厳かに三つ指をつくものだから、「こいつはまた……」と呆れそうになったが、少しばかり予想が外れた。
飯炊き番が「えっと」と、いつもと違う第一声を発したからだ。
「コーガ様、その、少しお伝えしたいことがございます」
その言いづらそうな声音と言ったら。朝餉のメインでもある焼きマックスサーモンを早々に箸で割りながら、俺様は「あんだ、聞かせてみろ」と先を促した。
視線の先は床を見つめたまま、微かに飯炊き番の面が持ち上がる。よほど重大な発表をするつもりなんだろうか。面下から、息を吸う音、吐く音が聞こえる。肩の上がり下がりでも、深呼吸しているのが丸わかりだ。俺様が促してからも、なかなかその先の言葉が出ないんだから、相当のことを言うつもりなんだろう。
「実は、以前よりコーガ様にご相談していた男性と、その……お付き合いすることになりまして」
やっと口走ったかと思ったら、なんてことはない。知ってる内容だったし、そんなことを言うんだろうと分かってた。なんせ昨晩こいつの旦那を焚きつけたのは、紛れもなく俺様なのだから。
恥ずかしいくらい声を震わせて告げられた台詞に、こっちまで居ても立っても居られない羞恥を覚える。良い歳の女だろうに、なぜこいつはこうも、色事に照れがあるのか意味が分からん。やることやってるくせに。お付き合いする以前に、ど突き合いしてるくせに。すぐそこまで出掛かった台詞だが、話が進まなくなるので、白米を掻っ込んで一緒に飲み下す。
「おお、そうか。おめっとさん」
「コーガ様からご助言いただいたおかげです、ありがとうございました」
「俺様の助言のおかげってことは、腹くくったんだな?」
「え?」
「孕むってことだろ? 違うのか」
香の物をバリバリと咀嚼する音が室内に響く。一瞬空いて「ちッ」と上半身を起き上がらせたと思ったら、「がい、……ます」と徐々に語尾が消えていく。
明確に何か思い出すような間だ。ははぁ、こりゃ本当に強請ったな。そんで、しっかり中に出されたな。食事時にこんな話をするんじゃなかった。揶揄うつもりが失敗した。
「お前、本当に分かりやすいな。もっと隠密だってこと、意識しろよ」
一応俺様も集団の総長なんで、叱責することもある。特にこいつは、飯炊き業務にかまけて術とか弓とか、暗殺技術の習得が疎かになっていると聞いていた。まぁ、外部から来た人間なんてこんなもんだが、それにしたって気が抜けている。
「……すみません」と呟きながら、飯炊き番はもう一度頭を下げた。そうして、「では、お食事が終わったころにまた来ますので」といつもの台詞を口にして、そそくさと逃げるように去ってった。その逃げ足すら、どこか楽しげなステップに見えるんだから不思議なもんだ。
あいつは本当に、隠密集団に所属しているのが信じられないくらい、分かりやすい。なんせ、あいつに何か良いことがあっただろうってのは、この部屋に入ってきた瞬間から分かってた。軽やかな足取りと、隠すつもりもない浮き足立ったオーラ。昨日までの鬱屈とした様子を知る人間であれば、一目瞭然だ。
正直イーガとしては有るまじきだが、めそめそ悩みを聞かされるより遥かに良いし、今日ほど明るく、幸福そうな声は聞いたことが無い。団員が幸せになったってんなら、俺様としても勿論そっちの方が良いわけだ。
イーガへやって来てからというもの、あいつはここでの在り方に悩んでいたようだった。宮から敵方に鞍替えしたんだから、当然だろう。そろそろ一年ばかしになるが、漸くここを居場所に認めたかと、彼奴を拾った俺様の責任が果たされる気がする。
手掛ける飯にも、当初と比べて随分変化があった。良くも悪くも、あいつは根っからの宮廷料理人。宮廷料理っつーのは、各種族が文句を言わず、それなりに食える無難な味付けが施されてるもんだ。さまざまな種族の出入りが激しい宮だからこそ栄えた料理だろうが、うちの大半はシーカー族。料理の腕があるのは良いんだが、果実の汁で肉を煮たりとか、苺でソースを作ってみたりとか、レバーをわざわざペーストにしてビリビリハーブと混ぜたりとか、慣れ親しんでない団員からしたら何のこっちゃだったろう。
それがある時期を境に、単純で口なじみの良い家庭料理に変わった。団員にとっても、奴にとっても、それは良い変化だったに違いない。
パリパリに焼かれたサーモンの皮で白米をくるんで口に入れる。焼き加減も丁度良く、塩で味付けしただけのシンプルさが、全く俺様好みだ。少し前の彼奴だったら、きっとハーブの香草蒸しにされただろう。専属の飯炊きになってから暫く経つが、ここのところ漸く、俺様の口に合う食事が提供されるようになってきた。
とはいえ、多少なりとも文句はある。今日の朝餉だってそうだが、なぜ味噌汁にキノコを入れるんだ。これだけ俺様の好みを把握しながら、且つ汁物にキノコを入れるなとあれほど言っているにもかかわらず、必ずあいつはキノコを汁物に入れてくる。出汁にとるならまだしも、汁物に入れて良い食感じゃないだろ。
分かってる。敢えてだ。専属の飯炊き番という立場から、「好き嫌いせずに食べてください」と、あの女は度々苦言を呈してくる。実力行使に出ているつもりなんだ。一新人団員がイーガに慣れたのは総長としても喜ばしいが、これほど遠慮のない団員になるなんて、想定外だ。
「コーガ様、失礼いたします」
味噌汁をかき混ぜて揺蕩うキノコの切れ端をどうするか考えていたら、今度は幹部がやってきた。
軽く頭を下げて髷をこちらへ突き出すのは、今しがた飯を持ってきた飯炊き番の、相手の方だ。何の用事で来たって、まぁそういうことだろう。
既にお前のツレから聞いたぞ、と追っ払っても良かったが、昨日俺様がけしかけたんだ。黙って報告を聞いてやるのが筋ってもんだ。正直なところ、少々面倒だが仕方ねえ。
「実は、ご報告がありまして」
「おう、なんだ」
「昨日ご相談に乗っていただいた件なのですが、その、上手くまとまりました」
「おお、そうか。そりゃ良かったな。おめっとさん」
「コーガ様にはなんとお礼を言って良いか。本当に助かりました。ありがとうございます」
「いいってことよ」
ここまで十秒だ。あまりに素っ気ない態度だったからか、幹部は少し拍子抜けしたようだった。何を聞かれるのかとこいつなりに身構えていたんだろう。
昨晩既に情けない事情を聞いたばかりだし、なにより飯炊き番と違って、この男はあまり揶揄いがいが無い。イーガの掟にのっとって無感情に平坦な声を貫くだけだ。報告を聞くのは筋だとしても、惚気をきく道理はない。
だがまぁ、気になることはある。これは、双方の色恋事情を聞かされた身が問うのは、ある種タブーな質問かもしれない。
しかし、一方的に恋愛相談されていた身になってほしい。しかも、結果的には惚気みたいなもんだった。砂糖でも吐きそうなくらい、べったべたに甘い悩みを聞かされた。昨晩こいつが去っていった後といったら、羊羹丸一本だか苺のホールケーキをそのまま口に突っ込まれたときくらい胸がムカついた。
俺様はバナナ程度の自然な甘さは好きだが、砂糖をたっぷり使った甘味はそうでもない。茶くらい入れて欲しいもんだ。なので、今からする質問は、茶すら出されなかった俺様への褒美として、当然、許されるべきだろう。
「で、世継ぎはいつだ?」
香の物をバリバリと咀嚼する音が室内に響く。デジャブだな。
「よ」と呟いた幹部の声は珍しく上ずっていて、「世継ぎ、ですか」とその場へ正座しながら肩を竦めてみせたので、俺様は箸の先を突きつけた。
「お前、外から来た女に手を出しといて、まさか責任取らねえとか考えてないだろうな」
「まさか! それはあり得ません」
即座に否定されて少々安心する。まぁ、こいつの性格上、それがあり得ないのも分かっていた。
何せ、いくら新人の初々しい女団員を下につかせても、一向に手を出さなかった男だ。割と言い寄られていたとも聞くし、今回、何も考え無しに性欲に負けたわけじゃあないはず。
こいつはイーガの中でも割と歴が長く、真面目で仕事ができる男だった。のは良いとして、正直そろそろ相手を見つけて欲しいと考えていた。
上に立つ人間がいつまでも独身じゃあ、下の人間が先に進めねえ。しかもこいつは酒飲みなものだから、過去には補給班団員から相談されたこともある。
「飲めないのに付き合わされて困ってるんです」
「一度飲み始めると長くて……」
嘗て聞かされた構成員たちの声が、頭に上ってくるようだ。回りくどく諭した結果、一人で晩酌するように変わったらしいが、どこか寂寥感もあったんだろう。
それが幸運にも漸く番(つがい)を見つけたって言うんだから、さっさと収まるところに収まってほしい。
イーガは常に人手が足りないし、血を絶やさないためにも、団員たちにはなるべく早く結婚して子作りしてほしいもんだと、俺様は常々気を揉んでいるのだ。
「しかし……世継ぎ、ですか」と繰り返す幹部は、どこか納得しかねるように頭を掻いた。ここにきて今更悩むことなんてあるか? 嫁の方はその気があるわけだし、男がうじうじしてるのはみっともない。
「言い訳は良いから孕ませろ」という、すぐそこまで出掛かった非人道的な台詞を米と一緒に飲み込みながら、俺様はゲフ、と息をつく。
「お前もあいつも良い歳だろ、孕むなら早いに越したこた、ねえぞ」
「はぁ……そう、ですね」
「子ができたら支援はするし、何かとあぶねえここにいるより、あいつも隠遁村で子育てしてた方が性に合うんじゃねえか?」
「ええ、まぁ……」
「煮え切らねえな、何が問題か言ってみろ」
こいつが理性的ながら思いきりの良い男だと知っている。それに、イーガの子作り事情だって、隠遁村の状況だってつぶさに知っている男だ。家庭を持った先達を何人も見送ってきているこいつが、自分の番になったからと言って今更怖気づくのは筋が通らねえ。
微かな苛立ちが乗った声に、幹部は「ええと」と肩を縮ませる。存在感のある巨漢が背中を丸めて視線を落とすのは滑稽だ。俺様は気を落ち着かせるためにも、味噌汁をずずずと口にした。もちろんキノコは椀に残したままで。
「俺が迷ってるのは、責任、とかではなく」
「おう、なんだ」
「孕むと、できなくなりますよね」
「何を」
「夜が」
箸で捕まえていたマックスサーモンの欠片が落ちる。
返す言葉が咄嗟に思いつかず、開け放した戸から流れてくる風の音さえ耳に入る静寂が場に満ちた。
幹部の声は至極平坦で、イーガの掟に則った無感そのもの。だからこそ本気で言っていると分かる。怖いくらい真剣だ。俺様ですらドン引きしてしまうほどに。
面下で眉間に皺を寄せながら、ひとつも様相が変わらない幹部の面を、しっかりと覗き込んだ。
「お前……助平男だったんだな……」
「あッ、いや! 違います、今のは」
「違わねえだろ……散々ヤッたんじゃねえのか、まだ足りねえのか」
「その、あいつとやっと腹を割って話せたので、惜しいと言うか、なんというか」
「ははぁ、昨晩は今までと段違いで盛り上がったんだな。恋人気分を味わいたいのは、まぁ分からんでもない」
「いや、今飯炊き番が孕んだら、コーガ様の飯炊きがいなくなりますし、業務が滞りますので」
外聞もなく手を右往左往させて狼狽えるものだから、こいつも随分呆けちまったなぁ、と思った。
しかし、口にしたのはまともな言い訳である。俺様は箸を咥えながら、朧に浮かんでいた考えを頭の中で整理して、「あー」とぼやいた。
「そのことなんだがな、もう俺様の専属じゃなくていいぞ」
「え」
「補給班から寄越した団員が、飯炊きに慣れてきたろ。飯も俺様好みの味付けになってきたし、そろそろ専属を解任して良い」
「そ、そうですか」
「明日から、二人で日毎交代して飯炊き業務につかせてやってくれ。あいつ、隠密の業があまりに疎かだしな。飯炊きじゃないときは、補給業務やりながら教えてやったらどうだ」
「俺が、ですか」
「それでいいだろ。めんどくせーし」
面倒くさい、というのはほとんど本音みたいなもんだったが、存外、目の前の男がそわっと浮足立ったのが分かった。
イーガは人数が少ない故に、一人ひとりの責任がそれなりに重い。加えて朝昼晩と関係なしに任務があるものだから、団員同士だと逢瀬の時間を合わせるのが難しく、場所にも難儀していると聞いていた。
こいつも同じだったのだろう。同じ任に就けば、それだけ一緒にいられる時間も増える。純粋に嬉しいのだろうが、俺様としても、早く収まってほしいが故の采配だ。他の独身団員には申し訳ない気もある。
「その代わりしっかり見ろよ。業務中にいちゃいちゃすんな、士気に関わる」
「はっ、毛頭そのようなつもりございません」
イーガの無感が聞いて呆れる。花の散るような明るい声音に、俺様は思わずまた、しかめっ面になるのを抑えきれなかった。
とはいえだ、これは長年イーガに貢献してきたこいつへの、褒美みたいなもんだ。
さっさと情愛を育んで、満足するまでまぐわって、夫婦になっちまえば良い。先達のその姿を見て「いいな」と思った団員が、勝手にその後に続き、イーガは繫栄を続けていく。そうしてこの集団は、どうにかこうにか形が残ってるんだから、遠慮せずにバンバンやってもらわんと。
胡坐をかいたその膝にバシッと手をついて、「俺様からは以上! 飯炊き番にも伝えてやってくれ」と声を張れば、幹部は「はい、ありがとうございます」と深々頭を下げた。
そのまま立ち上がり、去ろうとする一瞬。踵を返す直前に、幹部がぴたりと止まって動かなくなる。「ん、どうかしたか」と見上げれば、幹部は翻していた半身を戻し、俺様の卓盆を上から覗き込んできた。
「いえ、……味噌汁の中身が残っているなと思いまして」
「う」
すっかり飯を食い終わった気で後ろ手をついていた俺様は、その一言にずんと気が重くなった。
じ、と面下でじっとりとした視線を向けてきているのが分かる。こいつのツレは俺様専属の飯炊き番。嫁の作った料理をはっきりと残されて、良い気のする旦那は居ないもんだろう。
やけに姿勢よく立ち尽くし、何も言わずに俺様を見つめてくる巨漢。テコでも動かない様相だ。
キノコを食うか否かは、今までだったらあくまで飯炊き番との抗争だった。絶対食わねえぞと心に決め、実際どれほど悪態を吐かれようと食わなければ俺様の勝ちだった。しかし、ここへきて彼奴に助太刀が現れるとは。
物言わぬ大男の圧は、なかなかにある。だといって俺様が食わなきゃいいだけの話なんだが、あれだけ偉そうに講釈を垂れておいて、キノコ如きに遅れをとるのも、こいつの手前かっこうがつかないだろう。
「食えば良いんだろ食えば」
俺様は今日ばかし、飯炊き番と、無骨な助平男に負けた。とはいえ、これは決して物言わぬ圧に負けたのではない。イーガに新しく生まれた恋人に、そして未来の夫婦への祝福として、潔く負けを認めてやろうと思ったまでだ。
椀に取り残されたキノコを口の中へ誘い出す。噛まずに飲み込んだ塊が喉につっかえそうになったので、俺様はえずきながら茶で流し込んだ。
一部始終を見終え、椀の中に何もないと確認した幹部は、満足そうに頭を下げて、総長室から出ていった。