Ch.8:シンクロ・パラドックス
部屋の中は、もはや現実の体をなしていなかった。
床には無数のケーブルがのたうち回り、シオンの細い手足には、もはや医療用か拷問用かも判別できない端子が幾重にも突き刺さっている。
シオンは、自ら構築した「繭(コクーン)」の最深部に、一日の大半を沈めていた。
そこでは、かつて彼が守ろうとしたプライドも、自分という個の境界も、すべてがネオンのノイズに溶けて、泥のように濁っている。
「……あ、は……っ、カイム……」
シオンの唇から、熱を帯びた吐息が漏れる。
現実の彼は、ただ暗い部屋で椅子に縛り付けられ、涎を垂らしているだけの廃人同然の姿だ。しかし、脳内——同期率95%を超えた仮想空間において、彼はこの世のどんな生物よりも濃厚な「生」を謳歌していた。
空間を支配しているのは、もはやハッカーのコードではない。カイムという名の、圧倒的な暴力と愛撫だ。
シオンの視界の中で、カイムの指先が彼の眼球を優しく撫で、そのまま視神経を一本ずつ引き抜いていく。
視界が暗転するたびに、脳が焼き切れるような激痛が走る。だが、その激痛は瞬時に反転し、シオンの全身を震わせる至上の蜜へと変わる。
「……いい声だ、シオン。君の神経が、僕を求めて泣き叫んでいるのが聞こえるよ」
カイムの声は、今やシオンの思考そのものと入れ替わっていた。
シオンは、自分の内臓が引き摺り出され、カイムの肉体の一部として繋ぎ合わされていく感覚に、絶頂に近い嗚咽を上げる。
「ああ、もっと……もっと壊して……。僕を消して、君のパーツにして……っ!」
シオンは、かつて抱いていた「罪悪感」さえもが、快楽を増幅させるためのスパイスに過ぎなかったことに気づいていた。
自分を否定すればするほど、カイムに屈服する快感は深まる。
彼が求めていたのは、自由ではない。
逃げ場のない檻の中で、絶対的な強者にその身を捧げ、精神の髄まで侵食し尽くされるという「究極の無責任」だったのだ。
ふと、シオンの意識の隅で、現実の警告音が鳴った。
【心拍数異常上昇。神経系に不可逆的な損傷を確認。強制遮断を推奨します】
だが、シオンはその警告を笑い飛ばした。
指一本動かせない現実の肉体など、もはや彼にとっては、カイムと繋がるための「ノイズ」を出すだけの不要な塊に過ぎない。
「……遮断なんて、させない……。このまま……このまま、全部……」
シオンは自ら、システムの安全装置(セーフティ)を完全に削除した。
同期率のゲージが、98%を指して赤く激しく点滅する。
カイムの影が、シオンを包み込むように巨大化していく。
それはもはや人間の形をしていなかった。無数の神経の触手、拍動する肉の塊、そして自分を食らい尽くそうとする底なしの闇。
シオンはその闇に向かって、喜悦に満ちた表情で自ら飛び込んだ。
背後で、現実の扉が何者かによってこじ開けられる音が聞こえた気がしたが、彼にはもう、それが雨の音なのか、自分の理性が砕ける音なのかさえ判別できなかった。
二人の結末は、すぐそこまで来ていた。
美しく、悍ましく、そして一滴の救いもない、完璧なバッドエンドの足音が。
床には無数のケーブルがのたうち回り、シオンの細い手足には、もはや医療用か拷問用かも判別できない端子が幾重にも突き刺さっている。
シオンは、自ら構築した「繭(コクーン)」の最深部に、一日の大半を沈めていた。
そこでは、かつて彼が守ろうとしたプライドも、自分という個の境界も、すべてがネオンのノイズに溶けて、泥のように濁っている。
「……あ、は……っ、カイム……」
シオンの唇から、熱を帯びた吐息が漏れる。
現実の彼は、ただ暗い部屋で椅子に縛り付けられ、涎を垂らしているだけの廃人同然の姿だ。しかし、脳内——同期率95%を超えた仮想空間において、彼はこの世のどんな生物よりも濃厚な「生」を謳歌していた。
空間を支配しているのは、もはやハッカーのコードではない。カイムという名の、圧倒的な暴力と愛撫だ。
シオンの視界の中で、カイムの指先が彼の眼球を優しく撫で、そのまま視神経を一本ずつ引き抜いていく。
視界が暗転するたびに、脳が焼き切れるような激痛が走る。だが、その激痛は瞬時に反転し、シオンの全身を震わせる至上の蜜へと変わる。
「……いい声だ、シオン。君の神経が、僕を求めて泣き叫んでいるのが聞こえるよ」
カイムの声は、今やシオンの思考そのものと入れ替わっていた。
シオンは、自分の内臓が引き摺り出され、カイムの肉体の一部として繋ぎ合わされていく感覚に、絶頂に近い嗚咽を上げる。
「ああ、もっと……もっと壊して……。僕を消して、君のパーツにして……っ!」
シオンは、かつて抱いていた「罪悪感」さえもが、快楽を増幅させるためのスパイスに過ぎなかったことに気づいていた。
自分を否定すればするほど、カイムに屈服する快感は深まる。
彼が求めていたのは、自由ではない。
逃げ場のない檻の中で、絶対的な強者にその身を捧げ、精神の髄まで侵食し尽くされるという「究極の無責任」だったのだ。
ふと、シオンの意識の隅で、現実の警告音が鳴った。
【心拍数異常上昇。神経系に不可逆的な損傷を確認。強制遮断を推奨します】
だが、シオンはその警告を笑い飛ばした。
指一本動かせない現実の肉体など、もはや彼にとっては、カイムと繋がるための「ノイズ」を出すだけの不要な塊に過ぎない。
「……遮断なんて、させない……。このまま……このまま、全部……」
シオンは自ら、システムの安全装置(セーフティ)を完全に削除した。
同期率のゲージが、98%を指して赤く激しく点滅する。
カイムの影が、シオンを包み込むように巨大化していく。
それはもはや人間の形をしていなかった。無数の神経の触手、拍動する肉の塊、そして自分を食らい尽くそうとする底なしの闇。
シオンはその闇に向かって、喜悦に満ちた表情で自ら飛び込んだ。
背後で、現実の扉が何者かによってこじ開けられる音が聞こえた気がしたが、彼にはもう、それが雨の音なのか、自分の理性が砕ける音なのかさえ判別できなかった。
二人の結末は、すぐそこまで来ていた。
美しく、悍ましく、そして一滴の救いもない、完璧なバッドエンドの足音が。
