2.経過
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名前を無くす事で己を殺した少女は、貸し与えられた一室の隅でうずくまっていた。
慶次に勧められた食事も結局手につかず、早々にこの部屋に退散し、膝を抱えたまま今に至る。
慶次さまも、まつさまも、先程会った利家さまも、皆いい人だった。
とても温かくて、優しくて………。
数日前までの当たり前の日々を過ごしていた自分が嫌でも投影され、苦しくて、仕方がなかった。
わたしの家族だって、とても温かくて、優しくて、あんなにも幸せだったのにと。
(どうして……)
「……して、居なくなっ…ちゃった…の……」
「なくならなきゃ、いけ、な……」
ここ数日、泣かない日は無かった。
泣いても、泣いても、涙は枯れてくれない。泣きすぎて目が腫れて痛くて辛いのに、それでも溢れ続けてしまう。
「……ぅ、ぅ……っ………!」
泣いて、泣いて。どんなに泣いても、父は助けに来てくれない。
それはそうだ。目の前であんなに泣いたのに返事すらしてくれなかったのだから。
だからもういない。もう会えないと思い知っている。
泣いていると真っ先に飛んで来て、頭を撫でて慰めてくれた父も。
涙を見せれば弱虫とからかいつつも、泣き止むまで気にかけてくれていた兄も、もういないのだ。
どんなに戻りたくても、どんなに会いたくても、現実は変わらない。
それが悲しくて仕方がない。
「ちちうえ……あにうえ……」
*
「また、泣いていたんだな……」
食事もろくに食べず、それ以来部屋に籠りきりだった少女を心配して部屋を訪れた慶次が見つけたのは、部屋の隅で泣き疲れて、無理矢理眠ったかのように倒れ伏している少女の姿だった。
忍び足で部屋へ入ると、起こさない様にそっと抱き起こした。
涙のせいで日に日に目蓋は腫れてしまっていて見ていられない。
ゆっくりと、涙に濡れる少女の頬に触れた。
「………何がいけないんだろうなぁ…」
この少女はなかなか笑顔を見せてくれない。近づこうとすればするほど、表情を歪ませ、拒まれてしまう。
自分は怯えられている。その認識はしていた。
お姫様であった以上、もしかしたら自分の立場が利用されはしないかと、疑われているのかもしれない。
無論慶次はおろか、前田家にそういった謀りの意図は一切ないが、それが理解できる年齢、あるいは状態ではないのだろう。
警戒心ゆえなら、人前で簡単に泣かないのではないだろうか。でもこの少女の場合は……。
(とにかく、布団を敷いて寝かせてあげよう)
布団を取り出す為に、一旦少女を下ろそうとしたが、それは少女自身によって阻まれた。
眠ったまま、慶次の服の裾を引っ張っていたのだ。
慶次が身体を離そうとした気配が伝わったのか、少女は更に手に力を入れ、しがみついた。
弱い息遣いと共に、無防備なうわごとが紡ぎ出された。
「……り…さ…い、ちちうえ……」
「………!」
《いってらっしゃい、》
《おかえりなさい!》
現世で叶わないのならば、せめて夢の中で。例え幻でも。
目が覚めたら、また愛する人の居ない世界に戻るのだから。
わかっているからこそ、強く信じたくて。精一杯の力で、もう二度と離れないように、強く、強く抱きしめるのだ。
《いい子にして待ってた》
《ちゃんと、ふたりやみんなを信じて待ってた!》
離れないように。
絶対に、離れないように。
「……俺、まだ二十にもなってないんだけどなぁ…」
大事なもののように、小さな身体から精一杯の力で抱きしめられる慶次は茶化すように笑みを浮かべた。
慶次からは見えなかったが、少女もかすかに笑顔を浮かべていた。あの日以来の、幸せな笑顔を。
無理に離して起こしてしまえば、夢の中の大切な人たちとの再会を引き裂いてしまうかもしれない。そう察した慶次は少女を抱えたまま立ち上がり、掛布団だけ取り出すと、一緒に背中からくるまった。敷布団は片手だけでは取り出せないため、慶次はこのまま壁にもたれて眠ることにした。
それにこの体勢なら一晩中抱きしめて、傍にいてあげられる。
《無事でよかった》
《帰ってきてくれて、本当に嬉しいです!ありがとう父上、兄上!》
「……り、がと……」
「なんのなんの。ゆっくり寝てな、お嬢ちゃん」
強ばりが解けた、喜びに満ちたお礼の言葉。
本当は夢の中の人に告げていたのはわかっていたけれど。
*
翌日、先に目覚めたのは慶次だった。
それでも周りは既に明るく照らされており、模範的な武士ならばとっくに寝坊の時間帯だった。
それはともかくと、慶次は腕の中で未だ眠る少女の背を軽く撫でた。
「おはよう」
彼女にまだ起きる気配が無かったので、掛布団を二つ折りにして間に挟むように少女を横たえると部屋を後にした。
「慶次、あの嬢ちゃんは?」
「まだ寝てる。今日は自分で起きるまで、そっとしといて欲しいんだ」
「ふむ……まつの飯、こんなに美味いのになぁ。」
「利、はやく食べてもらいたいんだな」
「ああ!食えばすぐに元気になるからな!」
いつも通りの調子の利家に慶次は緩く笑い返す。
時間帯的に本日既に二度目の朝飯を食べていると思われ、常に朗らかな雰囲気を纏う利家は戦国大名らしくないかもしれない。
昨日、少女と初めて顔を合わせた時もこの物腰は変らず、快活な笑顔で挨拶をした。
対して少女も利家の様子に特別驚いた様子はなく、もしかしたら彼女の父も利家のように柔和な物腰の人だったのかもしれない、と慶次は味噌汁を口にしながらぼんやり考える。
(それでも、怯える態度は変わらなかったんだよな)
どうしたら自分は彼女の力になれるのだろう。
どうしたら、自分達に向けて笑ってくれるのだろう。
あんなにも苦しみ続けているのだから、少しでもはやく救われてほしいのに。
「………」
「お嬢ちゃんが心配か、慶次」
いつの間にか視線を下に落としていた慶次に利家は気づいていたようで、やがて口を開いた。
「お前まで暗くなってどうするんだ」
ハッとした慶次は顔を上げ、利家を見詰めた。
利家は片手に茶碗を持ったまま、にっこり笑って続ける。
「感情っていうのは皆にうつるんだぞ慶次。今はお前の方があの嬢ちゃんの悲しみに引き摺られかけてる。それじゃ、お前の望みは叶わないんじゃないか?」
「逆も然りだぞ、慶次」
「お前は明るく元気な奴だ。誰とでも笑顔で接することができる。なら、お前が持ってるその元気さを、あの子に分けてやればいいじゃないか」
そこまで言うと利家は白米を一気にかきこみ始めた。唖然とする慶次を余所に大盛りのお米の山はあっという間に消え、最後にトンと軽い音を立てて膳に戻された。
利家は笑顔のまま慶次と向き合った。
「そうだろ?」
「……一緒にいて、俺にできることをすれば良いってことだよな?」
「おう!皆、元気なのが一番だからな!」
「……ありがとう、利」
自分はこんなにも優しい人たちに囲まれて暮らせている。
それはとても……この上ないくらい贅沢で、恵まれた事だ。
だからこそ恩返しのように。自らの周りの人にも、皆、幸せになって欲しいのだ。
*
時刻を確認するまでもなく部屋の中は明るい。
布団の色も、畳の色も、天井の色もはっきりとわかる。
ゆっくり掛け布団から這い出て、重くぼんやりする頭を緩く振った少女は、改めて周りを見渡した。
ここは自分の家の城ではなく、前田さまのお屋敷。
『うちにおいでよ、お嬢ちゃん』
(……どうしよう………)
結局慶次に押し負けて、ここで一晩厄介になってしまった。
これからどうしよう。これから何をしよう。………まだ何もわからず、全てが不安なままだ。
けれど、目が覚めて思い出した事があった。
《命は、尊い》
いつしか、父が言っていた言葉だ。
少女はこの言葉を、二人の亡骸を見つけた瞬間にも思い出していたことに気付いた。
命は尊い。だから大切に、必死に生きていく。
決して無下にしてはいけないものだ。
その言葉が心の内にあったために、少女は今、死を選びきれないのだろう。
尊敬していた父の言葉は全うしたい。それがもはや、せめてもの……。
少女は自分の胸に両の手を当てた。
祈るように。何も言わず。悼むように。
暫くそうしていたら、スラリと背後で部屋の襖が開けられた。
「……起きましたか?おはようございまする」
振り返れば、まつが襖の側で正座していた。
少女は手のひらを膝の上に落とした。
「よく眠って居られたようですね。着替えをもって来たのでどうぞお召しなさい」
「……お金、わたし、何も、もっていません、ので」
服も、ご飯も、受け取れません。と少女は目も合わせず、弱々しく答えた。
本当はわかっている。前田の人達は厚意で施してくれていて、見返りなど求めていないということを。
わかっているのに近づけない。今は誰とも近づきたいと思えないのだ。
無礼なのは承知で、少女はまつに背を向け、立てた膝を抱きしめるように座り直した。
「お金がないというのなら、私達からのもてなしを素直にお受け取りなさい。それが私達にとっては、お金の代わりになりまするゆえ」
一本取られた。
無礼な態度を物ともしないまつに、少女は何も言い返せなくなった。それでもしぶろうとする少女に、しびれを切らしたまつは強引に服を脱がしにかかった。
「う、うなぁぁ…!ま、まつさま!じ、自分でぬげます…!」
「そんなの待っていては日が暮れてしまいまする!――――――あら?」
昨日から着ていた少女の衣服を脱がせたまつは、少女の脚の異変に気付いた。腫れ上がっているように見えたのだ。
試しに身体を拭く為に用意した温めた布で脚に触れただけで、少女の表情が痛みに歪んだ。
「いた、っ……!」
「これは……一大事にござりまする!」
急いで新しい衣服を纏わせると、まつは少女を抱きあげて部屋を飛び出した。