1.喪失
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*
「…―――、―――、」
身体が何かに揺さぶられる感覚がした。
それによって意識が引き上げられていく。という事は今まで自分は眠っていたのだろうか。
どうにも重く、重く、痛みに焼かれる目蓋をゆっくりこじ開けた。
「―――! 君、大丈夫かい!?」
目の前は真っ暗だった。未だ遥か頭上に留まる雨雲のせいだろう。
周りからは湿った樹木の香りがする。
ここはどこだろう。城の裏山とは雰囲気が少し違う気がした。
何より自分の前にいる人物は、誰なのだろう。
長い長い琥珀色の髪を後ろでひとつに括る少年は、少女よりずっと大きな身体つきをしていた。けれど表情はまだ少年といっても差し支えない幼さを残しており、そして今は心配そうな表情で、暫く雨ざらしだった少女に傘を開いて差し出している。
少女は意識が朦朧とするなか、感情の宿らぬ目で少年を見詰めた。
「立てるかい?」
「………」
ここはどこ?どうして自分はこんな所にいるの?
父上や兄上は、お城はどこ?
………父上……兄上…?
疑問を口にする前に――――――あの雨の闇の記憶が蘇った。
「―――……ど…こ…」
「え?」
「ちちうえと、あにうえの………いくさば…!」
血相を変えた少女が立ち上がろうとした。しかし何故か脚に力が全く入らず、転びそうになった所を少年が支えた。
それでも立ち上がろうと必死で藻掻いていたところを、少年は自分の着物が汚れるのも気にもせず抱きしめるように留めた。
「はなし…て……!」
「………君は自分の足でここまで来たんじゃないの?」
少女は彼の言っていることが分からなかったが、次の言葉で動きが止まった。
「自分の足でここまで来たから、こんなに震えて動けないんじゃないのかい?」
言われた瞬間眩暈に襲われ、少しだけ思い出した。
確か、暗い森の中を、雨に濡れながら、息を切らしながら、ひとりでずっと走って……。
それが確かなら、少年の言う通り、少女は自分の意志でここまで来た事になる。
なぜ、そんな事をしたのだろうか。
父や兄を置いて、自分は何をしていたんだ……!
「……か、かい、は、どっち…!?」
「そこには何があるの?」
「ちちうえとあにうえの所に、戻る……!」
未だ身動ぐ少女を少年は抱き締めるように抱え続けている。
ここまで酷い状態は初めて見たと少年に思わせるまでに、少女の瞼はひどく腫れ上がり、普通なら触るのを躊躇いたくなる程に身体も泥だらけだ。
恐らくショック状態のまま走り続けて、脚が立ち上がれない程の炎症を引き起こしてしまっている。
それでも今は少年の拘束を振り解こうと、力の入りきらぬ拳で背中を叩いている。
「………戻って、どうするの?」
「いっしょに……いるの、ずっと……!」
「間違ってたらごめんよ、」
「その人達が亡くなったから、君はこの場所にいるんじゃないのかい?」
ボロボロの身なり。
衰弱した身体。
必死に抱える家紋の刻まれた刀。
悲壮の表情。
悟るには、十分だった。
『亡くなった』
その言葉を聞いて少女の瞳に涙が浮かび、事実を示した。
《取り残されて、独りになって。》
《生きる理由もわからなくなった。》
《なんの、なんのために、これから…、》
少年は少女を包み込むように、強く腕を回した。
「……ぁ、ぁ、……」
「本当に戻りたいのかい?」
「ぅ、うぁああ、あ、ぁ……っ」
「そこに戻っても、…そこに居ても、大切な人達は帰ってこないだろう……!?」
帰ってこない。
決して生き返りはしない。
元通りにはもう戻らない。
「………ッ!ぁああああああああっ……ぁぁあぁああああああ!」
知っていた。ずっと恐れていた。
だから戦場に向かう二人を止めたかった。それができないから、自らも力をつけて守る為に戦いたいと、ずっとずっと訴えてきた。
けれど結果は全てが手遅れ。少女の意志も、力も、年齢も、何もかもが間に合わなかった。運命は待ってはくれなかった。漠然と感じていた恐怖が遂に現実になった。
少女の慟哭が激しく震撼する。少年の衣服を引き裂いてしまいそうなほど、強く握りしめて涙を流し続けた。
少年は黙って受け止め、少女の背中を撫でるしかなかった。
「……やくそく、したのに……っ―――――――ぜったいに、帰ってくるって…………やくそくしたのに、ぃ………ッ!!」
「どうして……!ちちうえ…あにうえぇええええええ…!!」
*
泣き疲れて漸く眠った少女は、少年におぶられて、甲斐ではない場所に連れられようとしている。
相変わらず昼間でも天を覆う雲は黒々として暗く、鋭い雨が少年の傘を弾いていく。
「………加賀に戻るには丸三日かかるよなぁ……せめて、途中で着替えさせないと…」
徐々に体温が上がりつつある少女の異変に気づいた少年が焦りと共に呟いた。
抱き上げた時、この少女は見た目以上に軽く感られた。
現実を受け入れられず、肉親の亡骸に背を向けて、一体どれほどの時間を独りで走り続けたのだろうか。
(……まだ、こんなに小さな子なのに)
こんな時代じゃ、やはり皆幸せにはなれない。本来、沢山の愛情を受け取るはずの幼子でさえ、こんなにも涙で頬を濡らしている。
(こんな戦ばかりの世の中のままじゃ駄目なんだ、)
そう悟ると、少年は少女をしっかりと抱え直し、先を急いだ。
*
少女は再び、降り止まぬ雨の音で目を覚ました。
けれど今度は雨は身体に当たらない。視界は藍色の緑から蝋燭に灯される黄土色になっていた。どこかこ屋内と思しき場所だが、城と比べると随分狭くて質素な印象だ。
横たわる身体には、薄い生地の布団が掛けられており、部屋全体を見回そうと首を動かしたらズキリと頭が痛んだ。
以前、頭が痛くて父に訴えた事があった。
『これだけお顔も熱いと、きっとお熱が出てるよ、×××』
『おねつ?』
『身体が弱ってるって事。暫くお部屋で休んでおいで』
『やぁ〜です…ちちうえがいいの……』
『あ、また聞かん坊だ。しょうがないね』
その日はいつもと身体の感覚が違ったから少し怖かったのだと思う。
結局、いつものように父の側を離れたがらなかった少女は、眠りに落ちるまで父の膝の上で抱き締めてもらって、頭を撫で続けて貰った。
どうして。
どうして日常の回想が、こんなにもズキリと刺さるのだろう。そう問いかける必要はなかった。全てが終わった瞬間、あのおぞましい現実が、既に少女に纒わり付いて片時も離れはしない。
「ちち、うえ……、」
声が掠れた。
喉の奥が熱くて痛い。
腕で目元を、熱い顔を覆った。
「―――目が覚めたかい?」
声を聞き付けたのか、傘を差してくれた少年が土手の方から姿を現した。
遠慮なく少女の側に腰を降ろすと、覆われた腕の隙間から額に手を当ててきた。
「ん〜……少しは下がった、かなぁ…?」
「………、」
ここはどこ?
そう言いたげに腕を退かせて、静かに少年を見詰める少女の意図を、すぐに理解したようだ。
「飛騨の外れの村だよ。ここに住んでるばあちゃんに頼んで泊めてもらってるんだ」
「………」
「……余計な世話、だったかい?」
気遣うように少年は問いかけてきたが、少女は返事が出来なかった。
実際、己は何を思っているのだろうか。
国を離れてしまって本当に良かったのか。今から何をすべきなのか、何を目指して、何がしたいのか………頭の中が痛みと混乱でぐしゃぐしゃになってしまい、一切わからなくなってしまった。
わからない事は父に聞けば何でも教えて貰えた。
けれど父はいない。もう、どこにも。
わからないことは、ずっとわからないまま。
少女の顔つきがまた酷く歪んだのを見て、話題を変えた方が良いと察した少年は、少女に食事を勧めた。初めて会った時から既に一日以上経過したが、何も口にしていない。それより前の出会う前の事情はわからない。
しかし食欲はないと、少女は力なく首を振った。
「ほ、ほら、食べないと治んないよ」
「……いらない、です」
「そんなんじゃ、きっとお嬢ちゃんの両親が心配しちまうし…」
「…母上は、知りません」
「でも父上と兄上は知ってるんだろう。何も食べない君を知って、その人達はきっと喜ばないよ」
父上と兄上。
悲痛のさなか何度も呼んだ彼らを、他人の口から出されるとカッと身体が熱くなった。すぐに涙が幾筋も零れた。
少年もまた、言葉を上手く選べなくて少女を泣かせた事を後悔した。けれど他に説得できる方法はすぐには思いつかなかった。
「……ごめんな。でも、俺……君に生きて欲しいんだ。これから元気になって、沢山笑顔でいてほしい。こんな悲しいままじゃ、やだよ」
「………どうして、」
「ん?」
「会ったばかり、なのに……どうして、」
少年の無償の優しさは、さながら散ったばかりの家族や城の皆が思い出された。
それゆえに血の気が失せるような息苦しさを覚え、胸の奥が痛んだ。
「俺はね、皆が笑顔で、幸せでいて欲しいって思うから」
無償の優しさに、心が軋んだ。
「ほら、あーん」
……あーん、と。根負けしてしまった少女は、大人しく少年から粥を食べさせて貰った。
お米は城で食べてきたものと変わらない味で、美味しかった。
「坊ちゃん、お嬢ちゃん起きて良かったねぇ」
雨の中、近くの畑の様子を見に行っていたという家主の老婆が戻ってきた。
居間に顔を出し、目を覚ました少女と目が合うと微笑み、小さく切った漬物まで出してくれた。
日頃食事に出ていた漬物含むおかずは、隙あらば兄に取られていたため、ゆっくり味わえたのは実は久しぶりだった。……この場で思い出してもあまり心地良くはない。
大人しく食べ物を口にする少女の様子を穏やかに見守る老婆に少年が向き直った。
「ばあちゃん、ほんとにありがと!」
「いいんだよ。この子、坊ちゃんの妹だったかねぇ?」
「んん〜、………友達なんだ!」
驚いたのは少女の方だった。
ねっ、と明るい笑顔を向けられ、内心の激しい動揺を漬物をぽりぽり一生懸命噛むことで誤魔化した。
老婆もそれ以上は詮索せず、漬物を必死に咀嚼する様子を眺めながら、ほんと可愛い子ねぇ、と微笑んでいる。
そういえば身体はもう濡れていない、着物も身体に合う子ども用サイズで、硬い質感だが丈夫そうな物に変わっていた。
こうして食べ物まで貰って、多くの施しを受けている状況に、漸く少女は気付いた。
お礼をしなきゃ、と慌てて上体を起こそうとしたところ身体がふらついてしまい、再び少年に支えられた。
せめてちゃんとお礼を言わなきゃと、少女は声帯を震わせた。
「おばあさま、ありがとうございます」
老婆はゆっくり頷いたが、少年がふざけた調子で口を挟んだ。
「今の、笑顔で言ってくれたらさいっこーに可愛かったのになぁ」