1.喪失
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足元の不規則に広がる木々の根に足を取られ、何度も躓いた。それに伴って預かった父の刀も、すれ違う木の幹や根、地面に悉くぶつけてしまい頼りない足取りによって傷が付いてしまった。
恐怖と不甲斐なさに苛まれ、よろめきながら、それでも約束を果たすために何時間も走り抜けた。
屋敷の裏山には人を襲うような獣はいない事を承知していたが為に、こうは少女をひとりで送り出せたのだろう。夜中に奥深くまで入り込んでも、命を脅かす生き物には一度も遭遇しなかった。
そもそも動物自体を殆ど見かけず、この火と煙に怯えて隠れてしまっていたのかもしれない。
山の湿気ですっかり身体を冷やした頃、こうに言われた通り、少女の身体が隠せそうなちょうど良い場所を見つけた。傾斜と岩の隙間に潜り込む前に、荒い息のまま来た方角を振り返った。
入り組む木の葉や斜面が邪魔してよく見えないが、立ち込める赤黒い色で未だ激しく燃えているのがわかった。
その事実に戦慄する。
「………み、んな……どうか……」
声が震え、身体が震え、少女はその場に力なく座り込んだ。
*
力尽きる様に眠りに沈んでいた少女は、ある音で意識を呼び戻された。
雨だ。
一夜明けて視界は明るくなっていたものの、雨が降っている。
少女は隙間から慎重に出ると城の方向に目を凝らしたのだが、前方は霞んでいて何も見えなかった。
『明るくなるまで』と、こうは少女に言っていた。
既に朝は迎えられているだろう。ならばもう動いてもいいはず、と少女は預けられた父の刀を抱えるとゆっくり山を下りだした。
城に近付くに従って自分の中の鼓動がうるさくなる。
ドクドクドク、と。酷く耳障りで落ち着かない。けれど止まる事は出来なかった。
今の自分に逃げ出すなんて選択肢はない。僅かな希望をどうしても確かめずにはいられなかった。
黒色。
城の面影ばかりが残り、辺り一面が真っ黒に変わり果てていた。
襲ってきた敵兵達の姿はもうなかった。
かわりに、沢山の屍で満ち溢れていた。
それは完全なる、お家の敗北の証だった。
東の門であった場所から少女は城に入った。
雨の臭いと様々が焼けた臭いが入り混ざって気持ちが悪い。足も震え出して、今にも力が抜けそうだ。でも、すすむ。すすむしかないのだ。
やがて脚が止まった。それ以上前に出せず、膝からゆっくり崩れ折れた。
そこは昨夜の抜け穴の側だった。
誰一人例外なく、灰に染まった体には刃が突き立てられていた。
昨日まで存在していた筈の、送り出してくれた強く優しい瞳の光は、ひとつ残らず消えていた。
少女は、取り残されたのだ。
それが、現実。
「…やくそく………、………」
冷たい冷たい雨が勢いを増して数多の槍のように身体に容赦なく突き刺さる。
「………くる、……しんじ、る………かえってくる………」
どれ程時が経ったか分からない。気づいた時はそう言い聞かせていた。自分自身に向かって、他の人がそうしてくれたように。きっと、だいじょうぶ。と。
力なく、それでも一人で立ち上がった。
「やくそく………した、もの………」
そうして、歩きだす。
―――――――――もしかしたら、ふたりとも戦場で怪我をしてしまったのだろうか。
それで、戦場から動けないでいるのかもしれない。帰って来られないでいるだけなのかもしれない。
約束はおぼえてる。
ふたりが大切な約束を破らないことも知っている。
少女は焼け落ちた真っ黒な城から、足を引き摺るように出た。
父を、兄を、皆を探すために。
雨は止まない。
傘もなく、傘を差してくれる人も当然いない少女はただ、父の刀だけを抱え、父達が向かった方向へ歩いていた。
幾刻も立ち止まることなく歩き続け、やがて方向は間違ってなかった事を知る。
鎧を纏った人が多く現れるようになってきた。見える範囲で見つけた人間は、全て倒れ伏している。まるで今の自分の城みたいだとぼんやり感じた。
だけどきっとこのまま行けば父達に会えるはずだ。
そう思うと、少女は刀をしっかり握り締め、徐々に走り出した。
―――――――はやく、会いたい。
負けたからって、必ず死ぬわけではないはずだ。
だから生きてるに違いない。生きているんだ。
はやく、あいたい。
あいたい。
あいたい、
あいたい、
あいたい、
あいたい、
雨脚が更に強まった。
数歩先が見えないくらい激しくなって、身体に打ち付ける雨粒が痛い。小さな身体にとって本当に貫かれてしまいそうなくらい重く鋭い。
それでも、少女は走り続けた。
幾多の屍の間を縫って、泥を踏みしめて、
走って、走って、走って、走って、走って、走って、走って、走った。
ただ、信じて。
「………!」
遂に、見つけた。
父の弓だ。
見慣れたそれを確かに父の物だと確かめると、それならばこの辺りに父自身もいるのではないかと屍の群を見回した。
希望を疑うことは、恐ろしくてできなかった。例え無数の身知っているような気がする顔が骸となって自分を取り囲んでいたとしても。もう、止まる事なんて、出来はしない。
父上、父上、ごめんなさい。
わたし、待つことが出来なくて来てしまいました。
でもね、もしかしたら父上も兄上も怪我をして動けないのかも、と思ったのです。それならわたしも助けに行かなきゃって思って……。
ごめんなさい、父上。お説教もたくさん受けます。反省もします。
でもね、それで、お説教が終わったら、頭をなでてほしいのです。
怖かったのです。おしろにもたくさん敵方のひとたちがきてたのです。
でもね、こうさん達に言われて、わたし朝までお山に隠れて、ちゃんと生き延びたんだよ。
ほめてくれますか?
だから、たくさん頭を撫でてもらって、たくさんたくさん抱き締めてもらって、あんしんしたいです。
少女は、父を見つけた。
父だって、ちゃんとわかった。
例えば、その脚を見て、
例えば、その手のひらの大きさを見て、
例えば、その肩幅を見て、
父だと、わかって、しまった。
少女自身が誰よりも慕っていたのだから、見間違えられるはずかない。
激しい雨が洗い流していく。
真っ黒な赤色になって流れていく。
少女は父の傍で、崩れ落ちた。
欠け落ちたおもかげの前で、泣き叫んだ。
自分の悲鳴が目の前の魂のない身体をすり抜けていき、暗い雨の中でただ虚しく響く。
爆発した感情が己の世界を強く揺さぶる。
ぐるぐる、する。
目の前がぐるぐるぐるぐるぐらぐらぐらぐらする。
(ちちうえ、ちちうえ……!)
手を伸ばして、父の身体に触れようとした。
出来なかった。激しい眩暈に遮られ少女は土砂の中に両手をついた。
気持ちが悪い。身体中がギシギシギシギシ喚き散らす。
胃の中のものが込み上げて嘔吐した。中々収まらなくて胃液まで全て吐いた。
腰が抜けて立てない。
息が吸えない。
雨がうるさい。
溢れ出す感情で身体を壊さん勢いで、幼い少女はただ泣き続けた。
今までの人生で一番大きな声で泣いているというのに、目の前の父は何もしてくれない。何も言ってくれない。だからこそ、これが現実なのだ。
ふと、引き寄せられたように上げた視線の先。
同じ様に倒れている人影を捉えた。
あれは、きっと。
(……あに、うえ……)
涙の温かさを感じる間もなく、冷えきった雨水に紛れて落ちていく。
どれだけ溢しても雨に飲み込まれる。まるで全てを覆い潰すかのように。唯の、己一人の存在など何の意味もないかのように。
そうして、悟る。
少女は取り残された。
たった、独りになったのだと。