1.喪失
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父上と兄上はすぐに帰ってくると約束してくれた。
だから、この城も危険なんてないんだ。
それから少女は、身を隠す事もせず城に留まっていた。
心の底から家族を信じ、もし帰って来たら誰よりも先に、一番に会えるように。
やっぱり心配になってしまうから。帰って来たら今度こそ、武士になるお許しを貰おうと少女は決意を固める。
父上みたいに弓矢を格好良く使って、兄上みたいに上手に刀や体術が出来るようになるんだ。一緒にお家を守る為に。二人を、皆を守る為に強くなりたい、と。
やがて夜が明け迎えた新しい朝は、厚い雲に覆われどこか薄暗かった。
*
「姫様」
「なぁに?」
正午を過ぎた頃、屋敷に残っていた父の家臣の一人が少女に訊ねた。
「本当にここに留まるおつもりですか?」
「父上と兄上や皆が守ってくれるのでしょう?何ももんだいなんて、ないですよ!」
こわくなんてないです、大丈夫ですよ!と家臣に笑いかけ無邪気に答えた少女。
家臣は、そうでしたね、と小さく微笑み返したがそれ以上は、何も言えなかった。
少し前に報せが入っていた。
こちらが、劣勢であると。
しかし真っ直ぐに信じ続けている幼い姫に、事実を伝える事は誰にも出来なかった。
薄暗い景色は晴れることなく日は沈みきった。
その日、少女はずっと父の部屋に居た。父の留守は自分が守る、そう主張するかのようにただじっと座って待っていた。
やがて真っ暗な夜が訪れた。
―――――……遠くの方が、ざわざわしている気がする。
城から離れた、場所から。
「…姫様……!」
「こんばんは。きっともうすぐ皆帰ってきますよね、だから、今日はわたし、よふかししても……」
再び少女の元へやって来た家臣の表情はもう、偽りでは覆いきれないほど、悲痛と恐怖に歪んでいた。
少女がその表情を見た瞬間、嫌な未来が思い浮かんだ。慌てて首を振った。
そんなわけないじゃないか、二人はちゃんと……約束、してくれたのだから……、
「どうか、お逃げください…姫様……ッ!」
ぜったいにって、言ってくれたのだから。
家臣は、涙を流しながら、震える声でやっと真実を告げた。
「殿が……お父上様が……!!」
「うそつきは父上に怒られちゃいますよ、」
身体の奥がびりびりする。
息がしっかり吸えない。
「ちちうえ、と、あにうえ、とね、約束したんですよ」
身体の感覚がおかしい。
目眩がして、頭も痛くなってきた。一瞬にして不快感が全身を襲った。
「だから、そんなうそは、いっちゃだめ、なんですよ」
だから、かな。
なんだか、ゴロゴロとした声が、沢山聞こえる。
ざわざわと、恐ろしい音が、段々、確実に大きくなってくる。
「……お逃げください、姫様…!」
「――――――やだ!ここで、わたしはここで待ってるの!!」
帰ってくるまで、待ってるの。ずっとずっとずーっと!待つの、待ってるの!!
少女は目を見開いて家臣をギッと睨み付けた。自分はここを絶対に動かない、絶対に離れたりしないと訴えた。
負けた、のだ。
二人は、帰ってこないのだ。
そう理解するのを拒んだ。
『だって、約束したから』と、ただ、それだけの理由で。ただの口約束の為に。
重苦しい人の唸り声は止まない。どんどん、どんどん大きくなる。確実にこちらへ向かって来ているのがわかる。
それでも耳を塞いで動かない強情な姫の元へ、家臣と入れ替わりに大勢の女中達が集まった。
「これ以上は無理でございます!じきに敵軍が城に侵入してきます…!姫様、どうか!」
「武田様からの援軍はどうなっているの!?」
「既に向かっている報を受けていますが、敵の脚が速すぎるわ。きっと、待っている間にこの城は……!」
「お願いです姫様!姫であるあなた様は決して敵に捕まってならないのです!あなたのこれからの人生が、滅茶苦茶になってしまいます!」
「姫様、どうか!」
諌める誰の声も今は聞きたくない。少女は固く目を閉じて、耳を塞ぎ続け、信じ続けた。
涙を流したら後で兄上に笑われてしまう。そう思って零れそうになるのを必死で我慢して、強く強く目を瞑って、ひたすら拒み続けていた。
しかし部屋に新たに飛び込んできた一人の女中の報告が、全てを終わらせた。
「――――――この城に火が放たれました!」
*
黒い煙と気分が悪くなる臭いが部屋に充満してきた。
側にいる女中が少女の口を布で覆ってくれているが、やがて意思に沿わない幼い身体に限界が訪れ、激しく噎せだした。
「姫様!しっかり!………このままでは、あなたまで…!」
「しっかりなさってください!どうか…!」
「ちちうえ……あに、うえ……やくそ、く……」
「姫様…!」
揺れる視界に意識が朦朧とする。今にも途切れそうになる。
けれど無数のおぞましい足音がそれを許さない。決して待ってはくれまい。
既に敵が城内へ侵入し始めている。このままでは姫は捕らえられて、敵国へ拐われてしまう。
《それだけは、避けなくては…!!》
先程まで連れ出そうとすれば暴れだし、乱暴にばたつかせた少女の身体は、煙や臭いに消耗してしまい、もう意のままに動かない。
意を決した、武術の心得がある一人の女中が少女を抱き上げた。
「や……やだ……!」
弱った身体で尚も抵抗しようと、身動ぐ。
そんな彼女に女中から、少女の身体と同じくらいの長さの刀が手渡された。
「こ、れ……!」
「殿が大切にされていた、家宝の刀です。どうか、あなた様が城に残れない代わりに……!」
殿が、城に戻って来られない代わりに。
少女は涙を溢しそうになるのを必死に耐えながら、体の全てを使って刀を抱えた。
意地でも泣こうとしない少女の頭を、女中は憐れんで撫でると、部屋に集う女中達に指示を出した。
「わたしが、姫様を外へお連れします!戦える者は姫様の警護と退路の確保を!他の者は協力しながら安全な場所まで逃げなさい!決して死んではなりません!」
「「「はい!」」」
「………参りましょう、姫様」
「………っ、」
*
暗い暗い藍色の闇の中、城を糧に豪炎が舞い上がる。不気味なくらい明るい夜だ。
熱気と煙で星一つ見えない空が、禍々しく歪んでいる。
少女を抱えた女中は薙刀をもう片方の手に携え、補佐の者達と共に慎重に進んでいた。
これまで上手く敵兵のいない経路を通って来たものの、これから先は殆どか火に囲まれてしまっている。この炎道では、ただでさえ消耗している姫には相当堪えるだろう。
「姫様……もうしばしの辛抱です」
「は、い……こう、さん……」
「あら、私の名前……ご存知でしたか」
「お膳、いつもはこんできてくれてたから……」
こう、と呼ばれた女中は姫をしっかりと抱え直した。少女も刀が邪魔にならないように彼女の首に腕を回した。
「出口まで、後少しです。どうか、気をしっかり持ってください」
「……はい、……」
やっとの思いで屋敷の敷居の前まで一行は辿り着いた。しかし問題はここで起こった。
「……ほぼ全方位、敵方にこの城は囲まれてしまったみたいです」
先に様子を見に走っていた女中の一人が報告した。
つまりどの門から出ようしても敵と衝突してしまう。すると、
「……ここから東の追壁に、外へ行ける小さな穴があったはず。丁度、姫様くらいのお身体が通り抜けられる程の」
こうが城の抜け穴の存在を思い出し、少女に告げた。
「ぬけあな…?」
「いつしかあなたのお兄様が鍛錬中に壊したものです。姫様には黙っておくように言われていましたが」
まさか、こんな形で役に立つ時がくるとは。すぐに直さなくてよかったですね。と、こうは少女に微笑んだ。
外の空気を吸った事でいくらか体力が回復した少女を降ろすと、こうは彼女の両肩に手を添えた。
「その穴を抜けた先は裏手の山です。敵もまだ裏山にまでさしかかってはいないでしょうから、そのまま走り抜けて、目立たない洞穴などで姿を隠していてください。辺りが明るくなるまで、じっと息を潜めて、」
「こうさん達は……?」
「我々ではあの穴は抜けられませんので、……………けれど力の限りを尽くして、あなた様をお守りします」
あわよくばお迎えに参上しますと、この場の女中達は一斉に少女にかしづいた。
少女は息を呑み、腕の刀を強く強く握った。ガシャン、と鍔が冷たく震える音が耳についた。
「どうか姫様、生きてください。生きてさえいれば………きっと、また希望は生まれます」
「――――――こう、抜け穴から西方面の路はまだウチの衛兵が持ち堪えているそうよ」
「、っ!こう様!!別方向から、敵兵がこちらへ向かって来るのを確認しました!お急ぎを!」
「…ならば、もう今しかありませんね。―――――さぁ姫様、」
こうは少女の背中を抜け穴の方へ押し出した。
衝撃でよろよろと数歩踏み出した少女は後ろを振り返った。
こう以外の女中は既に少女に背を向け、路を塞ぐべく炎に向かって武器を構えていた。
またあの恐ろしい音が聞こえてきた。今となっては塞ぐことも無意味なくらいに、大きく、大きくなって。
もしかして、ここに残る女中達も、これから………、
父上みたいに。兄上みたいに。
「………ッ、」
少女は立ち竦んだ。
こうはそんな姫を睨んだ。凛とした声で、怒鳴った。
「――――――姫様!!はやく、はやくお行きなさい!!」
「あなたが生きている事が………ここにいる全員の希望なのです!…おねがい、……私達の望みを、叶えてぇッ!!」
「また、あえる?」
「お迎えにあがります!必ずや…!」
唇を噛み締めて、まなこから零れ落ちた一滴を拭いさると、少女は走り出した。