8.願い
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11月中旬ともなると冷え込む日が増えてきた。
「もうひと月と少しなのね…学園祭」
「そうですね。それにしても学園祭が学期を締めくくる学校は珍しいと思います」
「うん。だから珍しがって外部のお客さんも沢山来るの。頑張ってね、運営委員のエースちゃん」
「エースってわたしの事ですか、お市さん…?」
「ちょっとした噂になってるわよ。それはさておき、この時期になるとね……」
***
いよいよ噂の決戦の日を迎えた。
その日の生徒達の反応はまちまちだが、今朝から特に話題になっている様子はない。
いや、敢えて話題にしない事でライバルを増やさない、意識させない作戦を取っているなんて噂も聞いている。
現在、午前最後の授業中。間もなく鳴るチャイムに備えて一部のクラスメイトが常日頃より姿勢良く、ソワソワしているのが朱音の席からでもわかる。
熱心な生徒の視線に耐えかねて、授業をしていた教師は3分早く切り上げてくれると、教室内から歓声が上がった。
暗黙のルールにより、扉の真ん前で待機する生徒の先頭を確保していたのは幸村だった。
「そんなに人気なのですね…」
「うむ!」
ぽつりと呟いた朱音の声が聞こえたのか、幸村は人目を縫って頷いて、グッと右手を突き上げてみせた。
サッカー部の幸村にこの例えば相応しくないかもしれないが、いわゆる予告ホームランようなものだろうか。闘志籠る表情と共に『必ず勝ち取ってみせる』という意思が伝わってきた。
『キーンコーン カーンコーン……』
遂に午前終業のチャイムが鳴った。すると朱音の所だけでなく、全クラスの扉が乱暴に開け放たれ、次いで怒涛の足音に包まれた。
スタートダッシュを決める幸村の雄叫びが埋もれるくらいの盛り上がりぶりだ。マラソン大会のスタートの如く、多くの生徒が一斉に走り出した。教室内から見守るに、男子の比率が少し高いかもしれない。
「うわぁ、あ〜〜!出遅れたァ!俺ってやつはまた…!」
数十秒後、幾分か大勢の移動が落ち着いた頃に、廊下から聞き覚えのある声がして覗いてみると、慶次が頭を抱えて座り込んでいた。
「大丈夫ですか?慶次」
「うう……俺も狙ってたのに…!孫市せんせーにあげようと思ってたのに…!明日からだと思ってて出遅れちまった…!」
「でも、明日も販売してるのでしょう?だったら…」
「それじゃあ駄目なんだ…!今日、初日のじゃないと!」
置いてけぼりを食らい、両手を着いて盛大に落ち込む慶次を、懐から現れた夢吉と一緒になだめながら朱音は事情を整理する。
『クリスマスシーズン限定★学食オリジナルパン』
毎季恒例だという、学食パンのクリスマス特別仕様が本日から販売される。
婆娑羅学園は食との結びつきが強い。学食メニューの評判もとても良く、いつ行っても賑わっている。朱音は兄と共に基本的に弁当を持参しているが、以前利用した時に食べた南瓜の煮物がとっても美味しかったなぁ、と回想する。もちろん育ち盛りの生徒も大満足のスタミナ系から、心をくすぐるスイーツのラインナップまで豊富なメニューが揃っている。
「数量限定のクリスマスパン……初日のを買えた人は願い事が叶うってジンクスがあるんだ……!特に恋の願い事にはテキメンだって!」
ポピュラーかつ思春期ユーザーが多いゆえに生まれた噂だろう。信憑性はさておき、この学園の生徒はイベント好きが多いため、本日も大半の生徒が学食に殺到している。
慶次のように出遅れた生徒もいれば、人混みついていけず早々と諦め、肩を落としながら戻ってくる生徒もちらほら見え始めた。
「今頃学食は戦場みたいになっているかもしれませんね…」
「ところで朱音は良かったのかい?もしかして、知らなかった?」
「いえ、お市さんから聞いていまして、ちょっと興味もあったのですが、皆さんの熱気見てたら……」
気が引けてしまったらしいが、それを聞いた慶次は目を輝かせて朱音の肩を掴んだ。
「なになに!?朱音にも想い人がいるのかい!?誰!?教えてくれよ〜っ!」
出たな。慶次の色恋センサー。
これだからお年頃の男子は、とでも言いたそうにすっかり慣れた様子で朱音は首を振る。
「はいはい、そんなんじゃないです。恋のお願いじゃないんです」
「ええ〜、そうなのかい!?じゃあもしかして、まだ…!」
「まだ?」
「ややや、何でもない!」
うっかり鶴姫の占いの事を言いかけた慶次は慌てて自らの口を塞いだ。対して朱音はどうせ恋に踊る慶次の言う事はろくに取り合う気はないのか特に言及してこなかった。
それはそれで恋愛絡みの慶次への信頼関係がまるでない、と示されているようなものだが。
「朱音殿ーッ!」
大きな声で呼びかけられて振り返ると、真っ先に飛び出した幸村が手を振りながらもう戻ってきた。
眩しい笑顔とその手に持っているのはきっと目的の品だ。
アア〜…!と悔しがる慶次を他所に幸村は朱音の目の前で足を止めた。
「一番駆け!……ではなかったが、この通り!手に入れましたぞ!」
「おめでとうございます。わ、かわいい…!」
数少ない者の手にしか渡らない限定パンを目にした朱音は思わず感嘆した。
今年のデザインは雪だるまをモチーフにしており、白地の生地にチョコペンで顔とボタンが描かれている。帽子とマフラーはピンクと黄緑のパン生地で表現されており、とても手間をかけて作られている事が分かる。毎日数量限定なのにも納得だ。
何より珍しいのはこの雪だるまは外国風の三等身仕様で、3つの丸パンをくっつけて焼かれている。
「食べ盛りの学生相手だから3段なのでしょうか?」
「否、2段の物と選べたのだ。2段の方はマフラーではなく手袋をかたどった生地が付いており申した!」
限定品の複数種展開までされているとは恐れ入る。学食側も需要を理解して徹底的に拘ってくれたのだろう。
「いいな……いいな……俺も手に入れて孫市先生とシェアしたかった…」
「ゆ、譲りませぬぞ、前田殿」
「わかってるよ……自分で手に入れなきゃ意味ねぇもん…、」
「して、朱音殿。共に来ていただけませぬか?」
幸村に促されるまま朱音は自分の弁当を持つと、2年生の教室から移動する事になった。
移動する二人を慶次はやや混乱気味で見送った。
(あれ、朱音の相手って占いだとお忍び君じゃ…?でも幸村と一緒に行っちゃって……しかも幸村とお忍び君超仲良しだし……どうなるのコレ!?)
手のひらに乗せた夢吉と一緒になって『気になる〜!!』と悶え始め、引き返してきた生徒達に好奇の目で見られたという。