こがらしの記憶
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話し掛けてもいいのだろうか。
彼女はまだおれに気づいていないらしく、きょろきょろと呑気そうに辺りを見回している。
まさか迷子?こんな人気(ひとけ)のない山奥で?
ここに来て以来、他人には一切会わなかったというのに?
殺伐とした様子はなく困惑した様子もない。ぽかんとしてて、まるで自分の置かれた状況を理解していないみたいだ。
「……なにしてるの」
警戒する必要はなし。きっと嫌悪する必要もない相手。そう判断した頃には勝手に話し掛けていた。
腰元近くまである癖の強い長い髪を揺らしながら彼女が振り返った。
「あら、こんにちは」
「……こんにちは」
質問は無視されたが、挨拶には挨拶で返した。
「空気がおいしい所ですね、ここ」
無防備な笑顔と共に唐突に言われた内容は俺にはよくわからなかった。空気がおいしいってなに。空気に味があるって思うほどお腹空いてるってこと?
「あんた、どこから来たの」
「え?………あれ、どこから来たんでしょう」
「……バカにしてる?」
「し、してません!」
「ふーん」
「あなたは、どうしてここにいるのですか」
「捨てられたからだよ、親に」
吐き捨てた言葉には思いの外、力が籠ってしまった。そうだ、他人に自分の事情を話すのはこれが初めてだったんだ。
一瞬驚いた表情の後、彼女はおれの前まで歩み寄ると視線を合わせる為に膝を折った。
「……ここ、山の中ですよね。ずっとおひとりなのですか?」
「半年くらい経ったよ。もう慣れた。ちゃんと一人で暮らせてるよ。食糧も寝床も自分で揃えて……」
何も聞かれていないのに勝手にしゃべり出していたことに気づいたのは彼女の掌がおれの頭を覆ってからだった。
柔らかい手のひら。誰かに撫ででもらったの、いつぶりだろう。
「えらいですね」
「うん、えらいでしょ」
「でも、辛いのを我慢するともっと辛くなってしまいます」
「我慢しなきゃ、無理だよ」
「………」
「生きてけないよ、」
「…他に誰もいないのですか」
「いないよ、ずっと、ずっと一人」
撫でていた掌は頬まで降りて来た。
両頬に添えられた彼女の手の熱に忘れたはずの懐かしさを覚えた。
「どうせあんたも、すぐにどこか行っちゃうんだろ」
何かに急かされる想いのまま、早口でぶっきらぼうに問いかけていた。
すると彼女は困ったように首を傾げた後、笑顔を見せた。
「わたしね、何処から来たのかも、何処に行くかもわからないのです」
「……」
「どうしてでしょう、不思議ですね」
危機感のない間延びした声でそう言うと再びきょろきょろ周囲を見回した。どうにも彼女は本気らしかった。つまりこの人は今、行く宛てがないと。
「………だったら、さ」
だったら、そう。遠くにやったはずの気持ちがいとも簡単に蘇った。
「ここにいれば、思い出すまで」
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