こがらしの記憶
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「雨止んできたぞ。出てみるかい?」
一刻くらいは経っただろうか。思ったより長く真っ暗な闇の中でおねーさんと過ごしてると上からじいさんが顔を出して話しかけてきた。背後からは外の淡い光も窺えた。
まだ少し歩かなきゃいけないからこのままここで待っててもいい、との事だったが遠慮なく外に出してもらった。
確かに景色は随分変わっていて、本当にこの穴?の中にいただけで移動出来ていたらしい。
確かに居心地はそこそこだったけど不気味な印象には変わらないし、おねーさんと一緒じゃなきゃこんな真っ黒い空間とても居られたものじゃなかった。
これ、行きの時おれと話もできなかったおねーさんはかなり怖かったんじゃ…。
「そんなことないですよ。声だけでしたがおじいさまとお話しながらでしたから」
真っ暗な中得体の知れないじいさんと会話…。余計怖くないか、それ。
「年不相応なくらいに警戒心が強いな。生き延びる為にはいい事だな」
「……そもそも、大雨の中じいさんも何でふらふら外にいたんだよ。十分怪しいだろ」
「なにぃ〜、この天才忍者たる俺様を訝しむとはなんて無礼なちびっ子か!」
おどけてみせた年齢不相応に元気なじいさんは本当に何者なんだよ。
何が面白いのか、おねーさんはにこにこ笑っている。たまたまお人好しな人に会えて本当に運が良かったんだろう。
「ほら、あの辺でお前たちと会ったんだよ」
雨は弱まりつつあるものの、まだまだ厚い雲がかかる空。じいさんが指差した先には正直見覚えが無かったけどそこから登り斜面が始まっている。
「わたしも夢中でしたので……。ほら穴まで戻れるよう頑張らなきゃですね……!」
「そうだね、帰ろう。ほら」
何となく気が向いて、手を差し出したらおねーさんは嬉しそうに手を繋いでくれた。全く、心配になるくらい単純な人だ。
見送りのつもりなのか、じいさんも山に少し入った所まで着いて来た。
辺りを見回すと少し懐かしい感覚がした。これでまた木々や枯葉に囲まれた日々に戻るんだ。
「おじいさま、本当に何日もありがとうございました」
「いいや、気にすることはないよ………さて、そろそろ本気で限界じゃないかい?お嬢さん」
この数日間で聞いた事のない、慎重な声色でじいさんがおねーさんに話しかけた。
「……もう大丈夫だぞ、お嬢さん」
「…え?どういう意味でしょう」
緩やかな動きでじいさんはおねーさんの頭を撫でる。おねーさんは不思議そうにしているけどおれだったらしゃがんでもらわないと届かないのに気安く触られて内側がざわついた。おれの悶々をよそにじいさんは続けた。
「心配だったのだろう、このちびっ子が。後はこの俺が引き受けよう。だから、君は…―――――在るべき場所に、もうお帰り」
じいさんの言葉の意味は一切わからなかった。
しかし、突然強い風が吹き付けて散りに雨水を含んでいるはずの散った木の葉が容赦なく飛び交って俺の視覚と聴覚を奪った。おねーさんと手を繋いでるはずなのに何もわからない。二人の会話が聞こえない。
なに、一体何を話しているの?おねーさん、今どんな顔してるの?そのじいさんは何者なの!?
雨とは関係ない不気味な強風。唐突な違和感。ほら穴にいた時も時々感じた危うげで嫌な予感がどんどん強くなる。まさか。いやだ、待って、待って…
「―――――おねーさんッ!」
風が止まないまま、何とか声が届いたのか俺の顔を見たおねーさんは、ここで見たいつよりも、瞳にしっかりした感情を映していた。
思い出したんだ、全部。それだけは察した。
それまで繋がれていた手は力を抜いた訳でもないのにするりと解けてしまった。瞬間、風の勢いが増しておれは耐えきれず後ろに飛ばされ尻もちをついた。
*
「いやぁ、長年邪魔だ邪魔だと思ってた霊感がここにきて面白い役立ち方をするとは、」
「………霊、ですか。わたしは」
幼い彼の言う「ふわふわ」な雰囲気は随分と落ち着いて、彼女は目の前に佇む男と会話する。彼の言う通り、これ以上はもつまいと理解しているようだ。
吹き付ける風と舞い飛ぶ木の葉たちがこの会話を彼に届ける事を遮ってくれている。
「半々だな。君からは死者と生者の気配、どちらも感じる。あの子どもを心配しているのは死者の方だな。でも、死の淵を超えた魂は生者と触れ合う事はできないから、」
「『次のわたし』の身体を借りたわけですね」
「それにしても、無茶して時を超えるまでなんざよっぽどなんだねぇ。こんなの初めて見たよ」
「そうですね、とても大切な人ですから」
「ほう、さては恋仲か?」
ニヤリと返す老人に、彼女はそっと人差し指を口元にあてがった。ここに来て以来一番の穏やかな笑み…照れ笑いを添えて。
「―――――――――――おねーさんッ!」
遮る風に負けじと叫ぶ彼の声が二人の耳に飛び込んできた。声色だけでわかる、彼は本気で彼女の心配をしている。
「――――さすけ、」
「それがあの子の名か」
「……はい、わたしと初めて出会った頃の。今のあの子は名を持っていないそうです」
「なるほどね」
「………忍として、彼を育てるおつもりですか」
「そうなるんだろうね。君のおかげであのちびっ子にも興味が出てきたよ。弟子なんて考えてもいなかったけど、影にも適性があるみたいだし」
常人にとって闇の濃いあの穴の空間は耐えられないはずものだった。それこそ適性があるか特別強い思いがないとあっという間に生命力が吸われてしまう本来危険な場所ではあった。
老人は初対面の時から彼女から不思議な気配を感じ、ただの人間ではないと察していた。そしてただの幽霊でもないということも。かつて見た事のない死人にしては清らかな執着と守護の意思。
それにあの子どもは警戒心も強く、生き延びる為に良い素質持ってるよ、と評価する男に彼女は複雑そうにも納得したように笑みを浮かべた。
「ちびちゃん!」
せりあがる思いを封じ込めて彼女も彼を呼んだ。
日頃から察しの良い彼の切羽詰まった表情を見て心が軋んだが、それに構っていられる時間はもう残されていない。
彼女は吹き荒れる風に抗って駆け寄ると精一杯抱きしめた。
小さな身体から伝わってくるはずの熱をもう感じない。数日前まではあれだけこまめに触れて気にかけていたというのに。彼女の身体が、魂が、すでにこの時代から離れ始めてしまっているのだろう。今、きちんと彼を抱きしめられているだろうか。
「また会えます。必ず会いにいきます。……ううん、あなたが、独りのわたしを助けてくれる……!」
「ま、またって何だよ…!なんで急に、なにが…!?」
「絶対に会えますからね、これから。……これからの、これからも…」
「――――いやだッ!!これからなんかじゃなくて……今、ずっと、一緒にいて!!」
これまで気恥ずかしさからずっと言えずにいた思いが漸く形になった。
唐突な別れを呑み込む間もなく感情が激しくのたうつ。お互いとても悲しくて。けれど彼女はそれでも幸せそうに微笑んだ。
「……そう、あなたは、そんな人。だから……」
(大好きなの、さすけ)
苦しいくらいの愛しい想いは今の彼には届かないまま。
彼女の執念による幻のような時間は終わりを告げた。
.