こがらしの記憶
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次におれが目を覚ました時、日は殆ど落ちていた。曇天の夕暮れはほとんど色を纏っていなかった。
大雨にも阻まれて薄暗い視界ではあるけど、いつも通り木々に囲まれている。けれどあまり見慣れた感じはしない。
「……起きましたか?ちびちゃん」
真上にはおねーさんの顔があった。彼女に抱えられたまま移動しているようだ。
下へ、下へ。山を下る方へ。
何と答えたらいいか分からなくておれは黙って顔を伏せた。体勢としてはおねーさんの身体に顔を埋める事になってしまった。やたら大きな雨音が耳につく。そのわりにはおれの身体に当たる雨粒の感覚はない。だけど傘もそれに代わる物ようなもなかったはず。全身に湿っぽい感覚はあって……状況を確認すべくしぶしぶ顔を上げた。
どうやらおれは何かの布にくるまれているらしい。待てよ、この色の布…
「ごめんなさい、これよりしっかりした物が見つけられなかったので…」
「………ばか…」
布団代わりに巻かれていたのは例の袴だ。
あんだけ怒ったのに、またこんな事して。本当にもう、だめだめな人だ。
ばかでいい、なんて。ほんとにばかなお人よし。
「おねーさん、寒くないの?」
「全然平気ですよ。ちびちゃんは?」
うそだ。散々寒いって言ってたくせに。寒さ対策の工作もしてきたくせに。
ずぶ濡れ袴越しだけど身体を寄せてる部分は確かに寒さが和らいでいる。それでもまだ全身は変に熱い。
「小さい子は体調崩しやすいんですよ。むしろ、気づくのが遅くなってすみませんでした」
おれの体勢に気を配りながら水に浸った地面を進んでいく。寒い時期は日も短い。あっという間に真っ暗になろうとしている。
こんな日は月明かりもあてにできないし、当然火も起こせない。それでもおねーさんは足を止めることはない。
本当は今すぐに暴れてでも逃げ出したいのに身体が重たくて。文句も言いたいのに喉も熱いからあんまり喋りたくなくて。されるがままだ。雨の感触のなかほんのり伝わる人肌に少し安らぎを感じてしまっているのにも悔しい。
「大丈夫ですからね、ちょっとの辛抱ですからね」
ろくに返事もできないおれに構わずおねーさんはずっと声をかけ続けてくる。
ちょっと前まではこんなに他人の声を聞くことになるなんて思ってもいなかったのに。それもこんな大雨でもやかましい人。
嫌でもひとりじゃないって伝えられる。
だけど、そんなおねーさんの声も掻き消すくらい強い大きな音が響いてきた。雷鳴だ。
ゴロゴロ、と低い唸るような音はまだ続いている。
おねーさんが息を呑むのがわかった。少し歩みを速めたようだ。相変わらずおれに話しかけつつ抱える腕の力も強めた。
いや、多分それだけじゃない。
「……雷、苦手なの?」
「……ちょっとだけ。雨や雷はあまり好きじゃなくて」
おねーさん自身も怖い思いをしながら歩いていたのか。怖いならほら穴から動かなければよかったのに。俺も行かないってずっと言ってたのに。なんでわざわざそんな思いをしてまで……。
バン!と再び大きな雷鳴がした。
地面ごと割ってしまいそうな轟音だ。
大きな音におねーさんの身体が強ばるのがわかって、身体が大きく傾いた。
「っ!」
雷の衝撃で足を滑らせたうえ、暗い視界の中運の悪い事に崖のように離れた段差がある場所だったようだ。
抵抗できぬままそれでもおれの事は絶対離さないようにと、頭ごと抱え腕に力を込めながら落ちて転がっていく。
ドン!とおねーさんの身体越しに何かに打ち付けたのがわかった。
落下も止まったけれど、どこか強くぶつけたのかおねーさんは呻いている。
「おねーさん…っ」
荒い息遣いが聞こえてくる。急いで腕を解くとおねーさんの身体を確認した。
行く手を阻む様に倒れていた大木に背中からぶつかったらしい。足元にはまばらな大きさの岩もある。痛かったに違いない。
俺の体温を保つためにと袴も脱いでいたから足には幾つもの傷が見える。
「……ち、ちびちゃん……けが、してない…?」
「ばか、でしょ…」
「ご、ごめん…なさ…」
「そうじゃなくて!」
怪我をしたというのに、なんで尚もおれの事を気にかけてるんだ。おれ以上にずぶ濡れなのにおねーさんは構わず上体を起こしておれを抱きしめてきた。
「怖い思いをさせてごめんなさい。もう大丈夫ですからね、」
「なんで、なんでここまでして……!」
胸の奥がぐしゃぐしゃになって、気づけば泣き出したい気持ちになっていた。
おねーさんの道着の背中を両手で強く握った。
「ごめん、ごめん……おねーさん…っ」
おれのせいだ。おれが熱なんて出したから。山を下りるのをしばらく嫌がってたからこんなに辺りも暗くなった。
おねーさんに寒い思いをさせて、怪我までさせてしまった。
「いいえ、ちびちゃんが謝ることではありません」
おねーさんは静かな声で背中をさすってくれた。おれが抱きしめ返したのをいいことにまた袴を被せて抱き上げるとゆっくり立ち上がった。
「必ず、安全なところへお連れしますからね」
怪我してるはずなのに、痛い思いをしたはずなのにまた歩き出した。
とうに真っ暗闇の木々、雨粒で濁る視界。
他人に会うのは嫌だけど、いつまでもこんな危ない状況におねーさんが晒されているのも嫌だ。
はやく、はやく、どこでもいいから安全な場所に…。
そんな一心で、何もできないおれはおねーさんの首元に腕を回してしがみつく事しかできなかった。