怪人少年と夏休み
空欄の場合は ミョウジ ナマエ になります。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
それからナマエはガロウに謝る機会をうかがっていたが、なかなかタイミングがつかめずにいた。
夏休みも半ばにさしかかっていた。一度は話が出ていた母親の退院の件はまた宙ぶらりんになったらしく、遠方の親戚が一時的にこちらへ移り住む話も出ているらしい。不安定な立場におかれる中、母親の病状が落ち着いていることだけが救いだった。
そんな中、毎年開かれる地元のお祭りがあることをバングに聞かされた。
「ここに籠もりっきりも辛いじゃろ。あんまり大きいお祭りじゃないが、いい気晴らしになるかと思ってな」
「ほんとに?行きたい!」
ナマエの住む街でも毎年花火大会が開かれるが、今年はいけなくて残念だと思っていたので、何か少しでも夏休みらしいことができるのは嬉しい。
「わしの知人が着付けの先生をしとってな、浴衣も貸して貰えるし、そこで着替えてから行こうか」
同伴相手がこんなジジイでわりーがな、と頬をかくバングに、ナマエは大きくかぶりを振った。多忙な中ナマエの為に心を砕いてくれた思いやりが何よりも嬉しかった。礼を言うと、バングは少し逡巡した後、ガロウにも一応声をかけたんじゃが、と言った。
「でも私も行くって知ってたら、ガロウくんは来ないでしょ」
バングはすまなそうにしていたが、喧嘩してるしそれも仕方のないことだ、とナマエは半ば諦めの心境でいた。
だから、当日出発する時間になって石段の降り口にガロウが居るのを見た時、ナマエは思わず自分の目を疑った。バングにも意外そうな目を向けられ、誘ったのはジジイじゃねーか、と不機嫌そうにしていたが、大人しく後をついてくるガロウはお祭りに同行する気でいるのは間違いなさそうだった。
三人で連れ立って石段を降り、市街地の方へいくと、お祭りの日とあってどこか浮き立った雰囲気が漂っていた。
もう出店なども始まっているようだったが、お祭りの会場へ行く前にバングの知人宅に寄り、浴衣の着付けと髪の結い上げをしてもらった。去年友達と花火大会へ行った時は準備が間に合わず私服だったので今年は絶対浴衣を着たいと思っていた。こんな形で願いが叶うとは思っていなかったナマエは、喜びに頬を紅潮させて綺麗に着付けてもらった朝顔の柄の浴衣を見下ろした。
準備のできたナマエが出て行くと、バングは相好を崩して大げさに褒めた。
「おお、ナマエちゃんよう似合っとるの」
「ありがと」
バングと着付けの先生二人がかりで褒められ、照れくさくなり俯きがちになっていると視線を感じた。
顔を上げると、着飾ったナマエを見てガロウがちょっと驚いたように目を見張っていた。しかし視線があうなり逸らされてしまう。
「ほれ、お前もなんとか言わんかい」
バングに小突かれたガロウはますますそっぽを向いてしまった。
先ほどから相変わらずナマエには近づこうとしないので少し気まずい。
しかし、いざお祭りへいくとそんなもやもやした気持ちはどこかへ行ってしまった。
ナマエの住む街で開かれるものに比べると小さなお祭りだったが、ひさびさの外出というのもあって気分が高揚し、あちこちの出店を見て回るのは楽しかった。
綿菓子やフランクフルトを食べながら歩き回り、金魚すくい、ヨーヨー釣り、射的と他愛の無い遊びを子どもに戻ったように楽しむ。色とりどりの提灯に照らされたお祭りの光景は、どこか現実感がなくノスタルジックな夢の中のようだった。
「ナマエちゃん、あんまりはしゃぎすぎてはぐれんようにな」
「うん、わかってる」
心配するバングを後目に、手持ちの食べ物が無くなってしまったので今度はりんご飴の屋台に並ぶ。
念のためにと家からある程度まとまったお金は持たされており、道場にいる間は使い道もなかったのでまだまだ余裕はあった。思いついて、ナマエは自分が食べる分の他にも二本りんご飴を買った。
離れたところで待っていた二人のところに戻ると、バングが焼もろこしをかじる側でガロウは黙々と焼きそばをかきこんでいる。
「これ、今日連れてきてくれたお礼。私の奢りだから」
そう言って二人にりんご飴をわたすと、バングは皺深い顔に笑みを浮かべ、ありがとうな、と言い、ガロウは何も言わなかったが断ることなく受け取った。
そのまま三人でしばらく飲み食いしていると、なあ、と唐突にガロウに話しかけられた。
「金魚どうする気だよ」
久しぶりにまともに声をきいたな、と思いながらその顔を見ると、感情の読みとれない平坦な表情をしていたが、喧嘩した時のような敵意は見当たらなかった。
金魚、という言葉に、先ほど掬った二匹と屋台のおじさんにオマケしてもらった何匹かが入ったビニール袋に目をやり、少し考えてから口を開いた。
「飼うよ。お店の人に餌ももらったし」
「うち金魚鉢ねーぞ」
「うーん、じゃぁなんかバケツとか別の器に入れる」
「雑な飼い方しようとすんじゃねえよ、金魚が可哀想だろうが」
二人のやり取りを見かねて、バングが割って入った。
「まぁまぁ、取りあえず今日は洗濯桶にでも入れて、明日必要なものを揃えて道場で飼えばいいじゃろ」
「結局俺らが世話すんのかよ」
「生き物を飼うのは良いことじゃぞ」
「そうそう、アニマルセラピー」
「アニマルってか魚じゃねーか」
軽口を交わすうちに、ガロウは次第にあきれ顔になり、以前のような調子を取り戻したように見えた。この勢いのまま先日のことを謝ろうかと思ったが、その場にバングがいることを思い出し、ナマエは開きかけた口を噤んだ。
また後でタイミングを見て話しかけよう、と思ったところで、手のひらが妙にベタベタしていることにナマエは気づいた。
「あ!」
見るとりんご飴の一部が溶けて、持っていた手に付いてしまっていたようだった。
下手に動かすと借り物の浴衣にまで付いてしまいそうで、ナマエは片手を浮かせたまま二人に言った。
「ちょっと手洗いにいってくるね」
「一人でも大丈夫か?わしも付いていこうか」
「ううん、平気。悪いけどこれだけ持ってて」
持っていた金魚やらヨーヨーやらを二人に預け、ナマエは断ってその場を離れた。
手洗い場を出て辺りを見回すと、日が暮れた為か来た時よりも遥かに人出が増えていた。
元居た場所にたどり着けるかな、と思いながら、目印にしていたお面売りの屋台を目指し、人の群れを掻き分けて進む。しかし人混みに流されるうちに、ナマエは自分がどこにいるのかわからなくなってしまった。四方を見渡してもどこも同じような景色なのでだんだんと方向感覚が狂ってくる。
うろうろと歩き回るうちに、気付けば祭り会場の外れに来てしまっていた。
携帯を取り出しバングにかけてみたが繋がらない。万事において大らかというかいい加減なところがあるので、せっかく協会から支給されたという携帯電話も持ち歩いていないのかもしれない。
ナマエは途方にくれた。
更にタイミング悪く、先ほどから下駄の鼻緒が擦れていた足の指が痛み出した。人のはけたところにしゃがみ込んで状態を確認すると、傷になり血が滲んでいる。
「痛…これじゃ歩けないや」
ナマエの地元ではないので、当然知ってる人間は一緒にきた二人以外にはいるはずもなく、色とりどりに着飾った人の群れが目の前を素知らぬ顔で通り過ぎていく。
急に世界からはじき出されたようで心細くなった。
(お母さん何してるかな…)
実際には一カ月も経っていなかったが、もう長いこと顔を見ていないような気がする。
今年はナマエの好きな柄の浴衣買ってあげるからね、と七月に入ってすぐ一緒に買いにいく約束をしていたのを思い出した。
病院の窓から花火は見えるんだろうか。
そのまま俯いてじっとしていると、頭上から声をかけられた。
「おい、何やってんだよこんなとこで」
聞き慣れた声に顔を上げるとガロウが立っていた。はぐれたナマエを懸命に探してくれていたのか、少し息切れしている。
「ガロウくん…」
「ジジイんとこ戻るぞ」
そのまま手をひき、ガロウはしゃがみこんだナマエを立たせようとしたが、その弾みに足の傷がこすれ呻き声があがった。
「いっ…!」
「どうした?…足痛くて歩けねーのか」
ガロウもナマエの足の状態に気づいたのか、膝に手を付き覗き込んでいる。
「ガロウくん先に行ってていいよ、ゆっくり歩いていくから」
どうすることもできないのでそう言うと、ガロウは大きなため息をつき、背中を向けてナマエの前にしゃがみ込んだ。
「ほら、乗れよ」
「え?」
「だからおぶってやるって」
向けられた背中にナマエは戸惑った。親切から言ってくれているのだと頭ではわかっていても、未だに先日のことを謝ることができていない後ろめたさから態度は頑なになった。
「いいよ、別に」
きっとへそを曲げて自分を置いていってしまうだろうなと思いつつ、ナマエは硬い調子の声で断った。
しかし予想に反して、ガロウから返ってきたのはごく静かな声だった。
「…そんな状態でほっとけるわけねえだろ」
ナマエは思わず黙り込んだ。
急に素直にならないでほしい、と八つ当たり気味に考えてから、意固地な自分が恥ずかしくなる。少しの間迷う素振りをしてみたが、もう心は決まっているようなものだった。観念して、じゃあお願い、と言いながらナマエは遠慮がちにガロウの肩に手をかけた。
「ねえ、重くない?」
「重いんじゃねえの、平均よりは」
恐らくわざとこちらの発言の意図を読み違えただろうその返しに、ナマエは負ぶわれながらガロウの肩の辺りをグーで小突いた。
浴衣の前は着崩れてしまったが、このまま着付けの先生宅まで運んでやるからと言われ、疲れないか心配したのだが取り越し苦労だったらしい。初めて会った時も大荷物を背負っていたのを思い出す。ナマエ一人の体重など問題ではないのだろう。
「いてぇな、落とすぞお前」
「そっちが失礼なこと言うからでしょ」
負けじと言い返すと、背負ってもらっといて生意気なんだよ、とガロウは憎まれ口を叩いたが、ナマエの負担を考えてかその歩みは遅く、人の群れがまばらになっている場所を選んで歩いてくれていた。会場周辺の雑木林に棲んでいるのか、どこからか聞こえる虫の声だけが辺りに響き、まるでそこだけ祭りの喧騒からは隔離されているようだった。
言うなら今しかない気がして、ナマエは黙ったままの背中にそっと声をかけた。
「あのさ、こないだごめんね」
「…別に気にしてねえ」
ぼそりと呟くように返ってきた言葉は、半ば予想していたが、やはりナマエを責めるものではなかった。
なんだかんだ言ってこの少年はいつも寛容だった。
このまま仲直りをして、先日の件はこれでお終いにするべきなのかもしれない。しかしナマエには、どうしても言わなければならないことがあった。
「ううん、変な意地はってごめん。でも私、やっぱりガロウくんには怪人になってほしくないんだ」
一瞬空気が張りつめたが、ガロウは何も言わなかった。
続きを待っている気配を感じて、ナマエは言葉を選びながらその先を続けた。
「だって怪人になったら、皆に嫌われて一人になっちゃうでしょ…そんなの寂しいよ」
ナマエは自分があの時何を言いたかったのか、やっとわかった気がした。
ヒーローだとか怪人だとかそんなことはどうでもよかった。
きっと自分は、自ら人の輪を逸脱しようとしているガロウをただ引き止めたかったのだ。後ろ指を指され人間社会から排除される、そんな存在にはなってほしくなかった。
あの時のガロウの思い詰めた様子からして、冗談や思いつきで言ったことではないのはわかっている。
それでもナマエから見たガロウは、ひねくれ者でそのくせ優しい、どこにでもいるただの少年だった。
ガロウは何も言わずに聞いていたが、しばらくしてぽつりと呟いた。
「良いんだよ、それで」
今まで聞いたことがないくらい静かな声だった。
多分ガロウの心の中の一番柔らかい部分に触れている、と思ったら無性に泣きたいような気持ちになり、ナマエは首に回した腕に力を込め、ぎゅっと抱き付いた。
どういう事情があるのかはわからない。
ただ彼はそうすると決めてしまったのだということだけはわかった。
ガロウの薄く筋肉のついた首筋からは、どこか懐かしい日向のような匂いがした。
今ここにいる彼は間違いなく人間だった。
それなのに一体どこへ行ってしまうんだろう。
ガロウは、苦しい、と小さな声で文句を言ったが、浴衣から着替えてからも、結局道場までナマエをおぶって帰ってくれた。
夏休みも半ばにさしかかっていた。一度は話が出ていた母親の退院の件はまた宙ぶらりんになったらしく、遠方の親戚が一時的にこちらへ移り住む話も出ているらしい。不安定な立場におかれる中、母親の病状が落ち着いていることだけが救いだった。
そんな中、毎年開かれる地元のお祭りがあることをバングに聞かされた。
「ここに籠もりっきりも辛いじゃろ。あんまり大きいお祭りじゃないが、いい気晴らしになるかと思ってな」
「ほんとに?行きたい!」
ナマエの住む街でも毎年花火大会が開かれるが、今年はいけなくて残念だと思っていたので、何か少しでも夏休みらしいことができるのは嬉しい。
「わしの知人が着付けの先生をしとってな、浴衣も貸して貰えるし、そこで着替えてから行こうか」
同伴相手がこんなジジイでわりーがな、と頬をかくバングに、ナマエは大きくかぶりを振った。多忙な中ナマエの為に心を砕いてくれた思いやりが何よりも嬉しかった。礼を言うと、バングは少し逡巡した後、ガロウにも一応声をかけたんじゃが、と言った。
「でも私も行くって知ってたら、ガロウくんは来ないでしょ」
バングはすまなそうにしていたが、喧嘩してるしそれも仕方のないことだ、とナマエは半ば諦めの心境でいた。
だから、当日出発する時間になって石段の降り口にガロウが居るのを見た時、ナマエは思わず自分の目を疑った。バングにも意外そうな目を向けられ、誘ったのはジジイじゃねーか、と不機嫌そうにしていたが、大人しく後をついてくるガロウはお祭りに同行する気でいるのは間違いなさそうだった。
三人で連れ立って石段を降り、市街地の方へいくと、お祭りの日とあってどこか浮き立った雰囲気が漂っていた。
もう出店なども始まっているようだったが、お祭りの会場へ行く前にバングの知人宅に寄り、浴衣の着付けと髪の結い上げをしてもらった。去年友達と花火大会へ行った時は準備が間に合わず私服だったので今年は絶対浴衣を着たいと思っていた。こんな形で願いが叶うとは思っていなかったナマエは、喜びに頬を紅潮させて綺麗に着付けてもらった朝顔の柄の浴衣を見下ろした。
準備のできたナマエが出て行くと、バングは相好を崩して大げさに褒めた。
「おお、ナマエちゃんよう似合っとるの」
「ありがと」
バングと着付けの先生二人がかりで褒められ、照れくさくなり俯きがちになっていると視線を感じた。
顔を上げると、着飾ったナマエを見てガロウがちょっと驚いたように目を見張っていた。しかし視線があうなり逸らされてしまう。
「ほれ、お前もなんとか言わんかい」
バングに小突かれたガロウはますますそっぽを向いてしまった。
先ほどから相変わらずナマエには近づこうとしないので少し気まずい。
しかし、いざお祭りへいくとそんなもやもやした気持ちはどこかへ行ってしまった。
ナマエの住む街で開かれるものに比べると小さなお祭りだったが、ひさびさの外出というのもあって気分が高揚し、あちこちの出店を見て回るのは楽しかった。
綿菓子やフランクフルトを食べながら歩き回り、金魚すくい、ヨーヨー釣り、射的と他愛の無い遊びを子どもに戻ったように楽しむ。色とりどりの提灯に照らされたお祭りの光景は、どこか現実感がなくノスタルジックな夢の中のようだった。
「ナマエちゃん、あんまりはしゃぎすぎてはぐれんようにな」
「うん、わかってる」
心配するバングを後目に、手持ちの食べ物が無くなってしまったので今度はりんご飴の屋台に並ぶ。
念のためにと家からある程度まとまったお金は持たされており、道場にいる間は使い道もなかったのでまだまだ余裕はあった。思いついて、ナマエは自分が食べる分の他にも二本りんご飴を買った。
離れたところで待っていた二人のところに戻ると、バングが焼もろこしをかじる側でガロウは黙々と焼きそばをかきこんでいる。
「これ、今日連れてきてくれたお礼。私の奢りだから」
そう言って二人にりんご飴をわたすと、バングは皺深い顔に笑みを浮かべ、ありがとうな、と言い、ガロウは何も言わなかったが断ることなく受け取った。
そのまま三人でしばらく飲み食いしていると、なあ、と唐突にガロウに話しかけられた。
「金魚どうする気だよ」
久しぶりにまともに声をきいたな、と思いながらその顔を見ると、感情の読みとれない平坦な表情をしていたが、喧嘩した時のような敵意は見当たらなかった。
金魚、という言葉に、先ほど掬った二匹と屋台のおじさんにオマケしてもらった何匹かが入ったビニール袋に目をやり、少し考えてから口を開いた。
「飼うよ。お店の人に餌ももらったし」
「うち金魚鉢ねーぞ」
「うーん、じゃぁなんかバケツとか別の器に入れる」
「雑な飼い方しようとすんじゃねえよ、金魚が可哀想だろうが」
二人のやり取りを見かねて、バングが割って入った。
「まぁまぁ、取りあえず今日は洗濯桶にでも入れて、明日必要なものを揃えて道場で飼えばいいじゃろ」
「結局俺らが世話すんのかよ」
「生き物を飼うのは良いことじゃぞ」
「そうそう、アニマルセラピー」
「アニマルってか魚じゃねーか」
軽口を交わすうちに、ガロウは次第にあきれ顔になり、以前のような調子を取り戻したように見えた。この勢いのまま先日のことを謝ろうかと思ったが、その場にバングがいることを思い出し、ナマエは開きかけた口を噤んだ。
また後でタイミングを見て話しかけよう、と思ったところで、手のひらが妙にベタベタしていることにナマエは気づいた。
「あ!」
見るとりんご飴の一部が溶けて、持っていた手に付いてしまっていたようだった。
下手に動かすと借り物の浴衣にまで付いてしまいそうで、ナマエは片手を浮かせたまま二人に言った。
「ちょっと手洗いにいってくるね」
「一人でも大丈夫か?わしも付いていこうか」
「ううん、平気。悪いけどこれだけ持ってて」
持っていた金魚やらヨーヨーやらを二人に預け、ナマエは断ってその場を離れた。
手洗い場を出て辺りを見回すと、日が暮れた為か来た時よりも遥かに人出が増えていた。
元居た場所にたどり着けるかな、と思いながら、目印にしていたお面売りの屋台を目指し、人の群れを掻き分けて進む。しかし人混みに流されるうちに、ナマエは自分がどこにいるのかわからなくなってしまった。四方を見渡してもどこも同じような景色なのでだんだんと方向感覚が狂ってくる。
うろうろと歩き回るうちに、気付けば祭り会場の外れに来てしまっていた。
携帯を取り出しバングにかけてみたが繋がらない。万事において大らかというかいい加減なところがあるので、せっかく協会から支給されたという携帯電話も持ち歩いていないのかもしれない。
ナマエは途方にくれた。
更にタイミング悪く、先ほどから下駄の鼻緒が擦れていた足の指が痛み出した。人のはけたところにしゃがみ込んで状態を確認すると、傷になり血が滲んでいる。
「痛…これじゃ歩けないや」
ナマエの地元ではないので、当然知ってる人間は一緒にきた二人以外にはいるはずもなく、色とりどりに着飾った人の群れが目の前を素知らぬ顔で通り過ぎていく。
急に世界からはじき出されたようで心細くなった。
(お母さん何してるかな…)
実際には一カ月も経っていなかったが、もう長いこと顔を見ていないような気がする。
今年はナマエの好きな柄の浴衣買ってあげるからね、と七月に入ってすぐ一緒に買いにいく約束をしていたのを思い出した。
病院の窓から花火は見えるんだろうか。
そのまま俯いてじっとしていると、頭上から声をかけられた。
「おい、何やってんだよこんなとこで」
聞き慣れた声に顔を上げるとガロウが立っていた。はぐれたナマエを懸命に探してくれていたのか、少し息切れしている。
「ガロウくん…」
「ジジイんとこ戻るぞ」
そのまま手をひき、ガロウはしゃがみこんだナマエを立たせようとしたが、その弾みに足の傷がこすれ呻き声があがった。
「いっ…!」
「どうした?…足痛くて歩けねーのか」
ガロウもナマエの足の状態に気づいたのか、膝に手を付き覗き込んでいる。
「ガロウくん先に行ってていいよ、ゆっくり歩いていくから」
どうすることもできないのでそう言うと、ガロウは大きなため息をつき、背中を向けてナマエの前にしゃがみ込んだ。
「ほら、乗れよ」
「え?」
「だからおぶってやるって」
向けられた背中にナマエは戸惑った。親切から言ってくれているのだと頭ではわかっていても、未だに先日のことを謝ることができていない後ろめたさから態度は頑なになった。
「いいよ、別に」
きっとへそを曲げて自分を置いていってしまうだろうなと思いつつ、ナマエは硬い調子の声で断った。
しかし予想に反して、ガロウから返ってきたのはごく静かな声だった。
「…そんな状態でほっとけるわけねえだろ」
ナマエは思わず黙り込んだ。
急に素直にならないでほしい、と八つ当たり気味に考えてから、意固地な自分が恥ずかしくなる。少しの間迷う素振りをしてみたが、もう心は決まっているようなものだった。観念して、じゃあお願い、と言いながらナマエは遠慮がちにガロウの肩に手をかけた。
「ねえ、重くない?」
「重いんじゃねえの、平均よりは」
恐らくわざとこちらの発言の意図を読み違えただろうその返しに、ナマエは負ぶわれながらガロウの肩の辺りをグーで小突いた。
浴衣の前は着崩れてしまったが、このまま着付けの先生宅まで運んでやるからと言われ、疲れないか心配したのだが取り越し苦労だったらしい。初めて会った時も大荷物を背負っていたのを思い出す。ナマエ一人の体重など問題ではないのだろう。
「いてぇな、落とすぞお前」
「そっちが失礼なこと言うからでしょ」
負けじと言い返すと、背負ってもらっといて生意気なんだよ、とガロウは憎まれ口を叩いたが、ナマエの負担を考えてかその歩みは遅く、人の群れがまばらになっている場所を選んで歩いてくれていた。会場周辺の雑木林に棲んでいるのか、どこからか聞こえる虫の声だけが辺りに響き、まるでそこだけ祭りの喧騒からは隔離されているようだった。
言うなら今しかない気がして、ナマエは黙ったままの背中にそっと声をかけた。
「あのさ、こないだごめんね」
「…別に気にしてねえ」
ぼそりと呟くように返ってきた言葉は、半ば予想していたが、やはりナマエを責めるものではなかった。
なんだかんだ言ってこの少年はいつも寛容だった。
このまま仲直りをして、先日の件はこれでお終いにするべきなのかもしれない。しかしナマエには、どうしても言わなければならないことがあった。
「ううん、変な意地はってごめん。でも私、やっぱりガロウくんには怪人になってほしくないんだ」
一瞬空気が張りつめたが、ガロウは何も言わなかった。
続きを待っている気配を感じて、ナマエは言葉を選びながらその先を続けた。
「だって怪人になったら、皆に嫌われて一人になっちゃうでしょ…そんなの寂しいよ」
ナマエは自分があの時何を言いたかったのか、やっとわかった気がした。
ヒーローだとか怪人だとかそんなことはどうでもよかった。
きっと自分は、自ら人の輪を逸脱しようとしているガロウをただ引き止めたかったのだ。後ろ指を指され人間社会から排除される、そんな存在にはなってほしくなかった。
あの時のガロウの思い詰めた様子からして、冗談や思いつきで言ったことではないのはわかっている。
それでもナマエから見たガロウは、ひねくれ者でそのくせ優しい、どこにでもいるただの少年だった。
ガロウは何も言わずに聞いていたが、しばらくしてぽつりと呟いた。
「良いんだよ、それで」
今まで聞いたことがないくらい静かな声だった。
多分ガロウの心の中の一番柔らかい部分に触れている、と思ったら無性に泣きたいような気持ちになり、ナマエは首に回した腕に力を込め、ぎゅっと抱き付いた。
どういう事情があるのかはわからない。
ただ彼はそうすると決めてしまったのだということだけはわかった。
ガロウの薄く筋肉のついた首筋からは、どこか懐かしい日向のような匂いがした。
今ここにいる彼は間違いなく人間だった。
それなのに一体どこへ行ってしまうんだろう。
ガロウは、苦しい、と小さな声で文句を言ったが、浴衣から着替えてからも、結局道場までナマエをおぶって帰ってくれた。