怪人少年と夏休み
空欄の場合は ミョウジ ナマエ になります。
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休憩時間中、バングの差し入れのスイカを食べながら、ニガムシは聞こえてきた声の方を見た。開け放した引き戸の縁にガロウとナマエが並んで座っている。
スイカの種を遥か前方まで飛ばしたガロウを見て、ナマエが歓声をあげている。その後、ナマエも真似をしてやってみたようだが全然飛ばなかったのか、ガロウが下手くそ、と笑う声が聞こえた。
「あ、バング先生」
気づくとバングがすぐ近くにいた。同じく二人の後ろ姿を見守っていたらしい。
「ナマエちゃんが来てから、ガロウのやつ前よりも明るい表情をするようになりましたね」
「そうじゃな」
家事当番の時以外でも、二人は一緒にいるのをよく見られるようになっていた。入門以来目立ったトラブルこそないものの、ガロウは自ら周りと距離を取っているところがあった。これまで最低限の会話しかしなかったガロウが軽口を叩いているのを見て、他の門下生は初め驚いたが、最近では年相応なその姿は微笑ましく見守られていた。
傍らのニガムシが感慨深そうな顔をしているのを横目で見ながら、バングはこれは思わぬ収穫だったな、と考えた。ひたすら強さを求めて邁進するガロウをバングはひそかに安じていた。練習熱心というよりも、まるで周囲の人間関係を切り捨てているかのようなその姿はどこか危うかった。
どれほど強くなろうとも、人間は一人では脆い。何もかもを抱えこむ必要はないのだと言いたかったが、ガロウが道場の門を叩いた時の切実な表情を思い出すと、深くは踏み込めなかった。
だから、まるで普通の少年のようにナマエとやり取りをするガロウを見るのは、バングにとっても喜ばしいことだった。
もう一度目をやると、二人は最後の一つのスイカを取り合っているようで、先手を取られ悔しげに抗議するナマエの声が聞こえてくる。
夏の日差しに切り取られたようなその風景が何故かとても儚いものに思えて、バングは知らず目を細めながらその姿を見つめていた。
同じクラスの友達がSNSに上げた画像を見て、ナマエはため息をついた。当たり前だが世間は夏休みの今、同年代は皆思い思いに休暇を楽しんでいる。
武術の道場に居候するというのも滅多にできない体験ではあるが、実際やることと言えば道場内の仕事の他には宿題しかない。遠出をしようにもまず石段の上り下りが大変だし、そこから市街地へでるまでもけっこう時間がかかる。
母親が大変な今自分がしっかりしなければいけないのはわかっているが、こうして楽しげな光景を見せつけられると気持ちが萎えるのを止められなかった。
これ以上見ていても落ち込むだけなので、目の前の宿題に意識を戻す。とっくに食べてしまったアイスの棒を齧りながら英語のテキストと睨めっこをしていると、傍らで自主練をしていたガロウが苛立った声をあげた。
「おい、扇風機一人占めにすんじゃねーよ」
「ガロウくんは今修行中でしょ?サマタゲになるといけないと思って。それに私は勉強してるから」
向きを固定した緩い送風に前髪を遊ばせながら返事をすると、ガロウは小さく舌打ちをした。
「さっきからアイス食って携帯弄ってるだけじゃねぇか」
「うるさいなぁ」
今やろうと思ってたのに、と問題文に目を通す側から、こんなの習ったかな、とヒナは首を傾げた。習ったからここに載っているんだと思うけど思い出せない。
閉じこもっていると気が滅入りそうなので、ガロウが自主練をしているのを見つけて扇風機と勉強道具を持ってきたは良かったが、やっぱりわからないものはわからない。
今日はまたバングに急用が入り、少し早いが全体の鍛錬はそこで切り上げてしまっていた。炊事の当番が早い夕食の仕度に取りかかっている外は、その他の住み込みの者も思い思いに余暇を過ごしているらしく、ようやく弱り始めた午後の日差しの中、蝉の声がする以外は辺りは安穏と静まり返っていた。
ガロウは一人住居スペースの中庭で型を反復している。最初ナマエがやってきたのを見てあからさまに迷惑そうにしていたが、お構いなしに開け放った戸の近くに陣取って宿題を広げると、諦めたのか何も言わなくなった。
しばらくどちらも黙ったまま、ナマエが問題と格闘していると、不意にガロウが話し掛けてきた。
「…お前の母さん大丈夫なのかよ」
「え?」
顔をあげると、ガロウはこちらを見ず自分の動作に集中したままだったが、先ほどの言葉はナマエに向けたもので間違いなさそうだった。
昨夜叔母と話したことを思い出しながらナマエは答えた。
「今新しい薬を試してるところなんだって。それが合えば退院の時期もわかるかもしれないって言ってた」
投薬の影響なのか母親は日中寝ていることが多いらしく、直接言葉を交わしたのは一度きりだった。携帯の画面ごしに見た母の姿は、前より痩せているのが気になったが、思ったよりも元気そうで安心したのを思い出す。ガロウは聞いているのかいないのかこちらを見ることはなかったが、それをきいて少し雰囲気が和らいだように見えた。
「心配してくれてるの?」
「別に…昨夜ジジイが電話してたからちょっと気になっただけだよ」
そういえば、ナマエと話した後でバングと叔母も話をしていたが、その場にガロウも居た気がする。
「ふーん…でもありがとう」
ナマエが礼を言うと、ガロウは僅かに居心地悪そうな表情になった。
拗ねてしまいそうなのでそれ以上何も言わなかったが、不器用な気遣いが嬉しくてナマエはこっそり笑った。
そこでふと、後から人づてに聞いた母親が運ばれた時のことを思い出した。
「そういえば、お母さんが具合悪くなったの外に出た時だったんだけど、パトロールしてたヒーローの人が見つけて救急車も呼んで病院まで付き添ってくれたんだって」
昨年発足したばかりの組織は、頻発する怪人災害への対抗手段という面が大々的に喧伝されており、なんとなく違う世界の存在だという気がしていたが、そうした地道な活動も行っていることを知り、少し見直していたところだった。
後でお礼の手紙書こうと思ってたんだけど何ていう人か聞きそびれちゃった、と軽い雑談のつもりで振った話題だったが、それを聞いたガロウが一瞬不自然に動きを止めたのがわかった。
「…ガロウくん?」
「何だよ」
「どうしたの?」
目を合わせずに、どうもしてねぇけど、と答えるガロウは、先ほどと変わりなく鍛錬を続けているように見えて、どこか纏った空気がぎこちない。
ガロウの様子が急に変わったことを気がかりに思いながら、ナマエの頭には前からずっと考えていたひとつの疑問が再浮上していた。それを口にすることは、ガロウの内面に深く踏み込むことになるという予感がどこかでしていたが、好奇心を抑え切れずナマエはその疑問を投げかけていた。
「ねえ、ガロウくんが強くなろうとしてるのって、将来ヒーローになるためなの?」
「は?」
ガロウは今度こそぴたりと動きを止め、ナマエの方を見た。
何故だか彼の顔には、裏切られた、と思っているかのような失望が浮かんでいた。
「…何でそう思ったんだよ」
「別に…何となくだけど。違うの?」
「違うに決まってんだろ」
感情の読み取れない声でそう答えると、それきりガロウは黙ってしまった。蝉の声だけがやけに大きく辺りに響いている。
僅かに眉を寄せて地面に視線を落とした横顔は緊張し、初めて会った時のような警戒心に満ちていた。
雲行きが怪しくなり出した空気を払拭したくて焦ったナマエは、殊更明るい声を作って話し掛けた。
「でも今ヒーロー協会っていうのができて、バングおじさんだって道場しながらプロヒーローもしてるんでしょ?ガロウくん強いし、ヒーローになれば有名人になったりして…」
「くっだらね」
突然強い調子で吐き捨てられ、ナマエは口を噤んだ。
「有名人だ?馬鹿馬鹿しい。そんなことの為にヒーローやる奴なんざただの偽善者だろ。吐き気がする」
ガロウが初めて見せた激しい負の感情に、ナマエは目を丸くした。
大衆に持て囃されるヒーロー達を、あいつら俺らの寄付金で食ってるんだぜ、等と悪し様に言う人間はナマエのクラスメートにもいる。
しかし今ガロウが見せたそれは単なるやっかみとは比べ物にならない、もはや敵愾心と言ってもいいくらい激しいものだった。
ここへ来た日にバングを睨み付けていた視線の鋭さを思い出す。
『ヒーロー』という存在が彼にとっての地雷であるらしいことは明らかだったが、何がそこまでガロウの憎悪を掻き立てるのかわからず、ナマエは戸惑いがちに声をかけた。
「そんな風に言わなくてもいいでしょ…どうしたの?」
「お前が変なこというからだろ」
辺りに重い沈黙が落ちる。
どうしていいかわからずナマエが困っていると、おもむろにガロウが口を開いた。
「…俺が強くなるのは怪人になる為だ」
予想だにしない返答だった。
怪人になる、とは。そもそもなろうと思って怪人になれるものなのか。
元々普通の人間だったものが、怪人化することがあるのはニュース等で見て知っている。
しかし彼らの末路は、大衆から恐れられ、嫌悪され、家族や親しい人間からも見放されて、害獣のように駆除されるという悲惨なものだ。
ナマエは面食らって問いかけた。
「か、怪人って…あの怪人?」
「他に何があるんだよ」
「だって…」
戸惑うナマエを余所に、ガロウは今まで見たこともない程思い詰めた表情で続けた。
「…俺は誰よりも強くて恐れられる怪人になる。ヒーローにも誰にも文句は言わせねえ」
普通ではないガロウの様子が気になったが、それ以上にナマエは自身の中で沸き起こった強烈な違和感に眉をひそめた。
ガロウと怪人。その二つはどうしてもナマエの中でうまく結びつかなかった。
これがガロウにとって触れられたくない話題だということにはとっくに気づいていたが、自分の中の衝動を抑えきれずナマエは言った。
「おかしいよ、そんなの」
「何がおかしいんだよ」
ガロウは顔を上げ、ナマエを真っ直ぐに睨みつけている。視線の強さに怯みそうになりながらナマエは続けた。
「だって怪人って皆に嫌われて最後にはやっつけられちゃうんだよ?何で自分からそんな風になろうとするの?」
「俺は簡単にやられたりしねえ」
「そうじゃなくって…」
言いたいことがうまく言葉にならない。
「ねえ、怪人になんかならないでよ、だってガロウくんは、」
「知った風な口きくな!!」
遮るように上がった大声にナマエは体をビクリと跳ねさせた。
ガロウは肩を上下させて荒い息をついていた。そのまま目を丸くするナマエを睨みつけていたが、次第に呼吸が整ってくると苦しげに視線を逸らした。
「お前にわかってもらおうとは思ってない。もう話し掛けてくんな」
最後にそれだけ言うと、ガロウはナマエに背を向けた。去り際に見えた表情はもう激高しておらず、代わりに何か静かな感情を湛えていたが、それが何なのか見極める間もなく彼は行ってしまった。
あんたはいつも考える前に物を言うから気を付けないとダメよ、と前に母親に言われたのを今更になって思い出した。今も自分はガロウのことを不用意な言葉で傷つけたのに違いなかった。そう頭ではわかっていても、体が石になったようにナマエはその場を動くことができなかった。
お風呂上がりにナマエ縁側で夕涼みをしていると、誰かが後ろから近づく気配がした。
振り向くと蚊取り線香を持ったバングがこちらへやってくるところだった。
「そんなとこにおったら蚊に喰われるじゃろ」
近くに蚊取り線香を置きながら隣に座ったバングにナマエは礼を言った。
標高の高い位置にあるからか、この道場では夜になると気温が下がりエアコン要らずで、湯上がりで火照った体を冷やしにこうして外に面した場所で過ごすのがナマエのお気に入りだった。
バングはしばらく何も言わずに、月明かりに照らされる岩山の風景を眺めていたが、おもむろに口を開いた。
「ガロウとは、なんかあったか?」
聞かれるだろうな、と予想はしていた。
最近のガロウはナマエに近づこうとせず、当番で一緒になる時もほぼ無言で、必要最低限のやりとりをするだけになっていた。何かあったのは周りにも伝わってしまっているだろう。
隠しても仕方ないので、ナマエは正直に答えた。
「ちょっと喧嘩して…私が悪いんだ。多分ガロウくんが言ってほしくないことを言っちゃった」
謝りたかったが、ナマエを露骨に避けているガロウにどう声をかけていいのかわからなかった。
「あいつも頑固じゃからなぁ…」
それを聞いたバングは怒ったりせず、のんびりと一人ごちた。
ガロウに気難しいところがあるのはよく知っていたので、いつかこういうことが起こるのではないかとバングは予想していた。
わかっていながら放っておいたのは、それが決してガロウにとって悪いことではないと思ったからだった。
気落ちしている様子のナマエを励ますようにバングは言った。
「でもワシは、ナマエちゃんがここへ来てくれて良かったと思っとるよ」
「え?」
目を丸くしているナマエを見ながら、バングは続けた。
「以前のガロウは自分の感情を表に出さず、周りとも距離を置いておってな。練習熱心なのはけっこうじゃが、ワシは心配しとった」
ナマエの脳裏に、初めて会った時の警戒心の強そうなガロウの眼差しが浮かんだ。
あの時に受けた印象は間違いではなかったらしい。
まばたきもせずに真剣な顔で話を聞いているナマエに、バングは笑いかけた。
「誰かと喧嘩するというのは、自分をさらけ出さんとできん。あいつがナマエちゃんにそれだけ心を開いとるっちゅうことじゃ」
言いたくない話題だろうに、軽はずみな問いかけに真剣に答えてくれたことを思い出してナマエは目を伏せた。
やっぱりちゃんと謝りたい。許してくれないかもしれないけど。
ナマエの心を読んだように、大丈夫、また仲直りできるよ、と頭を撫でてくれるバングに、ありがとう、と微笑み返した。
スイカの種を遥か前方まで飛ばしたガロウを見て、ナマエが歓声をあげている。その後、ナマエも真似をしてやってみたようだが全然飛ばなかったのか、ガロウが下手くそ、と笑う声が聞こえた。
「あ、バング先生」
気づくとバングがすぐ近くにいた。同じく二人の後ろ姿を見守っていたらしい。
「ナマエちゃんが来てから、ガロウのやつ前よりも明るい表情をするようになりましたね」
「そうじゃな」
家事当番の時以外でも、二人は一緒にいるのをよく見られるようになっていた。入門以来目立ったトラブルこそないものの、ガロウは自ら周りと距離を取っているところがあった。これまで最低限の会話しかしなかったガロウが軽口を叩いているのを見て、他の門下生は初め驚いたが、最近では年相応なその姿は微笑ましく見守られていた。
傍らのニガムシが感慨深そうな顔をしているのを横目で見ながら、バングはこれは思わぬ収穫だったな、と考えた。ひたすら強さを求めて邁進するガロウをバングはひそかに安じていた。練習熱心というよりも、まるで周囲の人間関係を切り捨てているかのようなその姿はどこか危うかった。
どれほど強くなろうとも、人間は一人では脆い。何もかもを抱えこむ必要はないのだと言いたかったが、ガロウが道場の門を叩いた時の切実な表情を思い出すと、深くは踏み込めなかった。
だから、まるで普通の少年のようにナマエとやり取りをするガロウを見るのは、バングにとっても喜ばしいことだった。
もう一度目をやると、二人は最後の一つのスイカを取り合っているようで、先手を取られ悔しげに抗議するナマエの声が聞こえてくる。
夏の日差しに切り取られたようなその風景が何故かとても儚いものに思えて、バングは知らず目を細めながらその姿を見つめていた。
同じクラスの友達がSNSに上げた画像を見て、ナマエはため息をついた。当たり前だが世間は夏休みの今、同年代は皆思い思いに休暇を楽しんでいる。
武術の道場に居候するというのも滅多にできない体験ではあるが、実際やることと言えば道場内の仕事の他には宿題しかない。遠出をしようにもまず石段の上り下りが大変だし、そこから市街地へでるまでもけっこう時間がかかる。
母親が大変な今自分がしっかりしなければいけないのはわかっているが、こうして楽しげな光景を見せつけられると気持ちが萎えるのを止められなかった。
これ以上見ていても落ち込むだけなので、目の前の宿題に意識を戻す。とっくに食べてしまったアイスの棒を齧りながら英語のテキストと睨めっこをしていると、傍らで自主練をしていたガロウが苛立った声をあげた。
「おい、扇風機一人占めにすんじゃねーよ」
「ガロウくんは今修行中でしょ?サマタゲになるといけないと思って。それに私は勉強してるから」
向きを固定した緩い送風に前髪を遊ばせながら返事をすると、ガロウは小さく舌打ちをした。
「さっきからアイス食って携帯弄ってるだけじゃねぇか」
「うるさいなぁ」
今やろうと思ってたのに、と問題文に目を通す側から、こんなの習ったかな、とヒナは首を傾げた。習ったからここに載っているんだと思うけど思い出せない。
閉じこもっていると気が滅入りそうなので、ガロウが自主練をしているのを見つけて扇風機と勉強道具を持ってきたは良かったが、やっぱりわからないものはわからない。
今日はまたバングに急用が入り、少し早いが全体の鍛錬はそこで切り上げてしまっていた。炊事の当番が早い夕食の仕度に取りかかっている外は、その他の住み込みの者も思い思いに余暇を過ごしているらしく、ようやく弱り始めた午後の日差しの中、蝉の声がする以外は辺りは安穏と静まり返っていた。
ガロウは一人住居スペースの中庭で型を反復している。最初ナマエがやってきたのを見てあからさまに迷惑そうにしていたが、お構いなしに開け放った戸の近くに陣取って宿題を広げると、諦めたのか何も言わなくなった。
しばらくどちらも黙ったまま、ナマエが問題と格闘していると、不意にガロウが話し掛けてきた。
「…お前の母さん大丈夫なのかよ」
「え?」
顔をあげると、ガロウはこちらを見ず自分の動作に集中したままだったが、先ほどの言葉はナマエに向けたもので間違いなさそうだった。
昨夜叔母と話したことを思い出しながらナマエは答えた。
「今新しい薬を試してるところなんだって。それが合えば退院の時期もわかるかもしれないって言ってた」
投薬の影響なのか母親は日中寝ていることが多いらしく、直接言葉を交わしたのは一度きりだった。携帯の画面ごしに見た母の姿は、前より痩せているのが気になったが、思ったよりも元気そうで安心したのを思い出す。ガロウは聞いているのかいないのかこちらを見ることはなかったが、それをきいて少し雰囲気が和らいだように見えた。
「心配してくれてるの?」
「別に…昨夜ジジイが電話してたからちょっと気になっただけだよ」
そういえば、ナマエと話した後でバングと叔母も話をしていたが、その場にガロウも居た気がする。
「ふーん…でもありがとう」
ナマエが礼を言うと、ガロウは僅かに居心地悪そうな表情になった。
拗ねてしまいそうなのでそれ以上何も言わなかったが、不器用な気遣いが嬉しくてナマエはこっそり笑った。
そこでふと、後から人づてに聞いた母親が運ばれた時のことを思い出した。
「そういえば、お母さんが具合悪くなったの外に出た時だったんだけど、パトロールしてたヒーローの人が見つけて救急車も呼んで病院まで付き添ってくれたんだって」
昨年発足したばかりの組織は、頻発する怪人災害への対抗手段という面が大々的に喧伝されており、なんとなく違う世界の存在だという気がしていたが、そうした地道な活動も行っていることを知り、少し見直していたところだった。
後でお礼の手紙書こうと思ってたんだけど何ていう人か聞きそびれちゃった、と軽い雑談のつもりで振った話題だったが、それを聞いたガロウが一瞬不自然に動きを止めたのがわかった。
「…ガロウくん?」
「何だよ」
「どうしたの?」
目を合わせずに、どうもしてねぇけど、と答えるガロウは、先ほどと変わりなく鍛錬を続けているように見えて、どこか纏った空気がぎこちない。
ガロウの様子が急に変わったことを気がかりに思いながら、ナマエの頭には前からずっと考えていたひとつの疑問が再浮上していた。それを口にすることは、ガロウの内面に深く踏み込むことになるという予感がどこかでしていたが、好奇心を抑え切れずナマエはその疑問を投げかけていた。
「ねえ、ガロウくんが強くなろうとしてるのって、将来ヒーローになるためなの?」
「は?」
ガロウは今度こそぴたりと動きを止め、ナマエの方を見た。
何故だか彼の顔には、裏切られた、と思っているかのような失望が浮かんでいた。
「…何でそう思ったんだよ」
「別に…何となくだけど。違うの?」
「違うに決まってんだろ」
感情の読み取れない声でそう答えると、それきりガロウは黙ってしまった。蝉の声だけがやけに大きく辺りに響いている。
僅かに眉を寄せて地面に視線を落とした横顔は緊張し、初めて会った時のような警戒心に満ちていた。
雲行きが怪しくなり出した空気を払拭したくて焦ったナマエは、殊更明るい声を作って話し掛けた。
「でも今ヒーロー協会っていうのができて、バングおじさんだって道場しながらプロヒーローもしてるんでしょ?ガロウくん強いし、ヒーローになれば有名人になったりして…」
「くっだらね」
突然強い調子で吐き捨てられ、ナマエは口を噤んだ。
「有名人だ?馬鹿馬鹿しい。そんなことの為にヒーローやる奴なんざただの偽善者だろ。吐き気がする」
ガロウが初めて見せた激しい負の感情に、ナマエは目を丸くした。
大衆に持て囃されるヒーロー達を、あいつら俺らの寄付金で食ってるんだぜ、等と悪し様に言う人間はナマエのクラスメートにもいる。
しかし今ガロウが見せたそれは単なるやっかみとは比べ物にならない、もはや敵愾心と言ってもいいくらい激しいものだった。
ここへ来た日にバングを睨み付けていた視線の鋭さを思い出す。
『ヒーロー』という存在が彼にとっての地雷であるらしいことは明らかだったが、何がそこまでガロウの憎悪を掻き立てるのかわからず、ナマエは戸惑いがちに声をかけた。
「そんな風に言わなくてもいいでしょ…どうしたの?」
「お前が変なこというからだろ」
辺りに重い沈黙が落ちる。
どうしていいかわからずナマエが困っていると、おもむろにガロウが口を開いた。
「…俺が強くなるのは怪人になる為だ」
予想だにしない返答だった。
怪人になる、とは。そもそもなろうと思って怪人になれるものなのか。
元々普通の人間だったものが、怪人化することがあるのはニュース等で見て知っている。
しかし彼らの末路は、大衆から恐れられ、嫌悪され、家族や親しい人間からも見放されて、害獣のように駆除されるという悲惨なものだ。
ナマエは面食らって問いかけた。
「か、怪人って…あの怪人?」
「他に何があるんだよ」
「だって…」
戸惑うナマエを余所に、ガロウは今まで見たこともない程思い詰めた表情で続けた。
「…俺は誰よりも強くて恐れられる怪人になる。ヒーローにも誰にも文句は言わせねえ」
普通ではないガロウの様子が気になったが、それ以上にナマエは自身の中で沸き起こった強烈な違和感に眉をひそめた。
ガロウと怪人。その二つはどうしてもナマエの中でうまく結びつかなかった。
これがガロウにとって触れられたくない話題だということにはとっくに気づいていたが、自分の中の衝動を抑えきれずナマエは言った。
「おかしいよ、そんなの」
「何がおかしいんだよ」
ガロウは顔を上げ、ナマエを真っ直ぐに睨みつけている。視線の強さに怯みそうになりながらナマエは続けた。
「だって怪人って皆に嫌われて最後にはやっつけられちゃうんだよ?何で自分からそんな風になろうとするの?」
「俺は簡単にやられたりしねえ」
「そうじゃなくって…」
言いたいことがうまく言葉にならない。
「ねえ、怪人になんかならないでよ、だってガロウくんは、」
「知った風な口きくな!!」
遮るように上がった大声にナマエは体をビクリと跳ねさせた。
ガロウは肩を上下させて荒い息をついていた。そのまま目を丸くするナマエを睨みつけていたが、次第に呼吸が整ってくると苦しげに視線を逸らした。
「お前にわかってもらおうとは思ってない。もう話し掛けてくんな」
最後にそれだけ言うと、ガロウはナマエに背を向けた。去り際に見えた表情はもう激高しておらず、代わりに何か静かな感情を湛えていたが、それが何なのか見極める間もなく彼は行ってしまった。
あんたはいつも考える前に物を言うから気を付けないとダメよ、と前に母親に言われたのを今更になって思い出した。今も自分はガロウのことを不用意な言葉で傷つけたのに違いなかった。そう頭ではわかっていても、体が石になったようにナマエはその場を動くことができなかった。
お風呂上がりにナマエ縁側で夕涼みをしていると、誰かが後ろから近づく気配がした。
振り向くと蚊取り線香を持ったバングがこちらへやってくるところだった。
「そんなとこにおったら蚊に喰われるじゃろ」
近くに蚊取り線香を置きながら隣に座ったバングにナマエは礼を言った。
標高の高い位置にあるからか、この道場では夜になると気温が下がりエアコン要らずで、湯上がりで火照った体を冷やしにこうして外に面した場所で過ごすのがナマエのお気に入りだった。
バングはしばらく何も言わずに、月明かりに照らされる岩山の風景を眺めていたが、おもむろに口を開いた。
「ガロウとは、なんかあったか?」
聞かれるだろうな、と予想はしていた。
最近のガロウはナマエに近づこうとせず、当番で一緒になる時もほぼ無言で、必要最低限のやりとりをするだけになっていた。何かあったのは周りにも伝わってしまっているだろう。
隠しても仕方ないので、ナマエは正直に答えた。
「ちょっと喧嘩して…私が悪いんだ。多分ガロウくんが言ってほしくないことを言っちゃった」
謝りたかったが、ナマエを露骨に避けているガロウにどう声をかけていいのかわからなかった。
「あいつも頑固じゃからなぁ…」
それを聞いたバングは怒ったりせず、のんびりと一人ごちた。
ガロウに気難しいところがあるのはよく知っていたので、いつかこういうことが起こるのではないかとバングは予想していた。
わかっていながら放っておいたのは、それが決してガロウにとって悪いことではないと思ったからだった。
気落ちしている様子のナマエを励ますようにバングは言った。
「でもワシは、ナマエちゃんがここへ来てくれて良かったと思っとるよ」
「え?」
目を丸くしているナマエを見ながら、バングは続けた。
「以前のガロウは自分の感情を表に出さず、周りとも距離を置いておってな。練習熱心なのはけっこうじゃが、ワシは心配しとった」
ナマエの脳裏に、初めて会った時の警戒心の強そうなガロウの眼差しが浮かんだ。
あの時に受けた印象は間違いではなかったらしい。
まばたきもせずに真剣な顔で話を聞いているナマエに、バングは笑いかけた。
「誰かと喧嘩するというのは、自分をさらけ出さんとできん。あいつがナマエちゃんにそれだけ心を開いとるっちゅうことじゃ」
言いたくない話題だろうに、軽はずみな問いかけに真剣に答えてくれたことを思い出してナマエは目を伏せた。
やっぱりちゃんと謝りたい。許してくれないかもしれないけど。
ナマエの心を読んだように、大丈夫、また仲直りできるよ、と頭を撫でてくれるバングに、ありがとう、と微笑み返した。