怪人少年と夏休み
空欄の場合は ミョウジ ナマエ になります。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
お祭りの夜以来、ガロウとナマエの関係は表面上は元通りになっていた。
他愛ないやり取りをする一方で、ガロウの背中に負ぶわれながら話したことを時々思い出さないではなかったが、なんとなくそのことには触れられずにいた。ガロウも何も言わなかったが、ヒーローや怪人に関わる話題は敢えて避けている節があり、どちらも見ないふりをしながら元の日常を送っていた。
「こいつらおんなじもんばっか食って飽きねぇのかよ」
「さぁ…多分この餌が金魚にとってのご馳走なんだよ、焼き肉みたいな」
「いくら焼き肉でも毎日はキツくねーか?俺なら脱走するわ」
就寝までの空き時間に、並んで金魚鉢の前に座り込み餌をやっているところだった。
顆粒状のそれを水面に撒く度に、必死に口を動かして取り込もうとしている金魚を見て、ガロウはしきりに彼らの食生活を気にしている。
変なところに拘るなぁ、とそれを横目に見ながらナマエは答えた。
「私に聞かれてもわかんないよ、金魚の気持ちなんか。それより、大きくなったら鯉くらいのサイズになるってホントかな?」
「知らね。まあ飼い主に似てよく食うから、ある程度はでかくなるんじゃねーの」
デリカシーを欠いた台詞に軽く肘鉄を食らわせる。いてーな本当のことだろうが、と文句を言うのを無視して餌やりを続けていると、そこへバングが顔を出した。
呼ばれるままに廊下に出ると、バングはいつも通りの穏やかな表情に見えたが、何故かナマエは胸騒ぎを感じた。
「今病院から連絡があってな、お母さんの様態が少し不安定らしい」
ナマエは冷たい手で心臓を掴まれたような気持ちになった。表情をなくしたナマエを落ち着かせるように、バングの力強い手が肩を支えてくれた。
「そう危ない状態という訳じゃない。これから一晩処置を受けて様子を見て、その結果によっては治療法をまた変えるかもしれんっちゅうことじゃ」
「…そっか。わかった」
気遣わしげに見てくるバングに、なんとか普通の顔を作って返事したが、ナマエの心の中は不安で埋め尽くされていた。手の平に汗が滲み、先ほどから嫌な動悸が止まらない。そのまま就寝の挨拶もそこそこに自分の部屋に戻ったが、とても眠る気にはなれなかった。
直接ではなくバングから伝えられたということは、叔母はこのことをナマエには言わない方が良いと判断したのだろうか。携帯を確認してみたが、何も連絡は入っていないようだった。
死ぬ病気ではないことはずっと前から知っている。適切な療養をとれば普通に生活もできる。現に今まで母親はそうやって働いてナマエを育ててくれたのだから。
でも万が一ということがあったら?
明日死ぬかどうかなんて誰にもわからない。ナマエだって事故か何かで急に命を落とすことはありえるというのに。健康上の問題を抱える母親が、普通の人よりも死に近い場所にいるのは間違えようのない事実だった。
たった一人の家族を失うかもしれない可能性にナマエは震えた。
じっとしていられず、部屋を出て棟内を歩き回る。
誰にも見つからない、安全な場所に行きたいという気持ちがあった。
最初に入ってはいけないと言われていた、物置になっている部屋の扉が、誰かが閉め忘れたのか薄く開いている。誘われるように中に入ると、雨戸も閉めきられたその部屋は真っ暗闇だった。扉を閉め、何に使うのかわからない色んな物が置かれた隙間に座り込みナマエは膝を抱えた。
ここならば誰も来ない。もう泣いても大丈夫。
そう思うや否や、涙が堰を切って溢れ出した。胸中の不安を吐き出すように声を殺して嗚咽しながら、ナマエは母親のことを思い浮かべた。
(お母さんが死んだらどうしよう)
父親が物心つく前に亡くなっていたから、昔から何をするのも一緒だった。どんなことでも相談できる、親友のような存在でもあった。時々怒られることはあったが、必ずこちらの言い分を聞き、いつでもナマエのことを一番に考えてくれる母親。
居なくなってしまうかもしれない。
その後どうやって生きていけばいいんだろう。
一人で知らない土地に放り出されたような気分だった。
いつかは自分より先に死ぬのだと頭ではわかっていても、今はまだ母親のいない人生など考えられなかった。
ナマエが部屋にいないことに気づいたのか、廊下を慌ただしく人が行き来する気配がしている。悪く思いつつ、とても出て行く気にはなれずナマエが膝を抱えていると、静かに物置の扉が開け閉めされる音がした。
顔をあげると、うずくまるナマエのすぐ側に座り、背中を撫でてくれている人影があった。暗闇で姿は見えないのに、何故かガロウだ、とわかった。
「…お願い、あっち行っててよ」
泣いてるのを見られたくなくて、しゃくりあげながら手で押しやるがびくともしない。バングと同じで細身に見えるが鋼のように鍛え上げられている。改めて彼が武術家であることを思い出した。意地になって遠ざけようと腕を突っ張るナマエに、暗闇の中からいてぇな、と小さく文句が返ってきた。
「こんなところで一人で泣いてんじゃねえよ」
「うるさいな…ほっとけばいいでしょ」
疲れたナマエが諦めて小さくうずくまると、おもむろにガロウは体に腕を回しやんわりと抱きしめてきた。
「…メソメソされると鬱陶しいんだよ。早く泣き止め」
言葉とはうらはらに、その声と腕はどこまでも優しかった。
だからだろうか、暗がりの中で異性に抱きしめられるという思春期においては微妙なシチュエーションであったにも関わらず、ナマエは驚く程安心していた。
何故だかもう覚えていないはずの、両親二人ともが側に居た幼い頃の気持ちになった。
張り詰めていた糸が切れるように、ナマエは大きな声をあげて小さな子どもに戻ったように泣きだした。そんなナマエの背中をガロウは黙って撫でている。
(どうして私が寂しい時、不安な時いつも助けにきてくれるんだろう?)
初めて会った時も、お祭りの時もそうだった。
(ガロウくんもたくさん辛い思いをしてきたのかな)
普段はなかなか懐かない野良猫みたいなくせに、人が本当に弱っている時には気がついてひっそりと側にいる。
こんなおかしな怪人がいるだろうか。
いたとしてもきっと誰も怖いだなんて思わない。
恐らくガロウの本質は、彼が一番嫌っているはずの存在に似ていた。
どこかで決定的な行き違いがあって、彼は正反対の道へ進もうとしている。
その行き違いを解消することは、ナマエにも、バングにも、もしかしたらガロウ本人にもできないのかもしれなかった。
どうすることもできないのなら、せめてその行く末がガロウにとって良いものであってほしい。祈るように思いながらナマエは目を閉じた。
「いやあナマエちゃん、昨夜は不安にさせるようなこと言ってすまんかったな…さっき電話でめちゃくちゃ怒られたわ」
翌朝、目を腫らしたナマエが遅い時間に起きてくると開口一番バングに謝られた。
先ほど病院にいる叔母から連絡があり、母親の状態がどうにか落ち着いたという連絡と共に、昨夜バングが独断でナマエに状況を伝えたことを知られ、懇々と責められたのだという。
バングも良かれと思ってしたことだろうから、ナマエは別に気にしていなかった。
「ううん、気にしないで。それより昨夜はごめんなさい。勝手にいなくなったりして…」
どうやら住み込みの門下生総出で探し回ってくれていたようで、起きてから誰かとすれ違う度に、見つかって良かった、心配したよ、等と優しい言葉をかけられて居たたまれない気持ちになった。バングは落ち込んだナマエを見て鷹揚に笑った。
「構わん構わん、無事で何よりじゃ。それより、あとでまた叔母さんがナマエちゃんの携帯にも直接連絡すると言っとったぞ」
「うん、わかった…おじさん、ところでガロウくんは?」
昨夜物置で大泣きをしてからの記憶があやふやだった。自分で布団に戻った覚えもなく、ガロウが運んでくれたのかもしれなかった。それならちゃんとお礼を言いたい。
バングによると、ガロウは今日買い出し当番で市街地へ出かけてしまったらしい。
一旦自室に戻り、それなら帰ってきてから話をしにいこう、と思っていると叔母からの連絡が入った。
『ナマエ?おじさんからも聞いてると思うけど、お姉ちゃんはもう大丈夫だからね』
心配させたくないから言わないでって言ったのに、と未だにバングへの文句を零す叔母に苦笑していると、そうだ、良い知らせがあるんだ、と急に声の調子が弾んだものに変わった。
『※市に住んでる伯父さん夫婦には何回か会ったことあるでしょ?お姉ちゃんが退院するまでの間、ナマエの家に一時的に住んで身の回りの面倒を見てくれることになったって』
もうすぐ家に帰れるからね、と叔母が明るく言うのを聞きながら、それが良い知らせであることは間違いないのに、ナマエは心に空洞が空いたような気持ちになっていた。
家に帰れば、もうガロウには会えなくなってしまう。
元々夏休みの間だけという話だったから、ずっと一緒にはいられないことはわかっていたはずなのに。
あの時、背中に負ぶわれながら聞いた言葉が蘇る。
このままお別れしてしまって、本当に良いんだろうか。
何かガロウに言いたいこと、言うべきことがあると思ったが、今のナマエにはそれが何なのかわからなかった。
道場を発つ日の朝、ナマエは自室で荷造りをしていた。部屋の入り口にはガロウが寄りかかっている。先ほどから何を言うでもなく黙っているが、ナマエの背中を見ているのがなんとなくわかった。
「なんかあっというまだったね」
「ああ」
「私が帰ったら寂しい?」
「全然。うるさい奴がいなくなってせいせいする」
言葉とは違い、ガロウの声はいつもよりも元気がなかった。
短い付き合いから学習したことだが、ひねくれた言動が多い割にガロウの感情の動きは意外とわかりやすい。指摘するとまた喧嘩になりそうなので言わなかったが、その正直さはナマエにとって好ましいものだった。
荷物をまとめ終えたナマエが振り向くと、案の定ガロウはどことなく意気消沈したような雰囲気をまとっている。ナマエはしばらく黙ってその目を見つめていたが、意を決して口を開いた。
「…あのさ、こないだ言ってたことなんだけど」
ガロウは何も言わなかったが、『こないだ』というのがお祭りの夜のことだということはわかったらしくやや緊張した面もちになった。
それでも言葉を遮らず聞こうとしてくれているのを見て、やっぱりガロウくんは優しいや、と思いながらナマエは続けた。
「ガロウくんがどうしても怪人になるっていうんなら、私はずっとガロウくんの友だちでいるから。寂しくなったら会いにきてよ」
「…ハア?」
緊張から一転怪訝な表情になってガロウは声をあげた。
そういう反応が返ってくるような気はしていたが、あまりに呆れたような顔をされて、ムキになってナマエは続けた。
「怪人にも一人くらい友だちがいたっていいでしょ」
ガロウは何とも言えない顔をしていたが、やがて馬鹿にしたように鼻で笑った。
「…やだよ。お前みたいな脳天気な奴とつるんでる怪人なんか、誰も怖がらねえだろ」
「何それ、人が親切で言ってあげたのに」
「ありがた迷惑なんだよ」
「ほんと可愛くないよねガロウくんって」
「そりゃどうも」
憎まれ口をききながらも、ガロウの口の端が微妙に上がっているのに気づき、ナマエは声を立てて笑った。ガロウは何笑ってんだよ、と不機嫌そうな顔を作ったが、ナマエが笑ったままでいると、取り繕うのが馬鹿馬鹿しくなったのか、やがて表情を緩め小さく笑顔を見せた。
そこへ、廊下の方からバングの呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい、ナマエちゃんや、そろそろ出発するぞ」
それに返事をしてから、ナマエはガロウに向き直った。
ガロウは初めて会った時のぴりぴりした雰囲気が嘘のように、穏やかな表情をしていた。
「今までいろいろありがとう、元気でね」
「…お前もな、ナマエ」
応じてもらえないかも、と思いながら差し出したナマエの手を、ガロウはごく当たり前のように握った。初めて触ったその手は、ナマエよりも少し体温が高く、大きな手だった。
金魚の世話よろしくね、と言うと、結局押し付けていきやがって、と不満そうにしていたが、多分自分がいなくなったあともちゃんと面倒を見てくれるんだろうな、とナマエは思った。
「ガロウくん携帯持ってないの?」
「ねーよ。必要ねえもん」
「なんだ、持ってたら電話してあげようと思ったのに」
「上からかよ。もし持っててもお前なんか着信拒否してやる」
「酷いなぁもう」
これで最後だとわかっていて、いつも通りのやり取りをする。
自分をからかって笑う屈託のないガロウの顔を見て、やっぱり子どもみたいだ、とナマエは思った。
(終わり)
他愛ないやり取りをする一方で、ガロウの背中に負ぶわれながら話したことを時々思い出さないではなかったが、なんとなくそのことには触れられずにいた。ガロウも何も言わなかったが、ヒーローや怪人に関わる話題は敢えて避けている節があり、どちらも見ないふりをしながら元の日常を送っていた。
「こいつらおんなじもんばっか食って飽きねぇのかよ」
「さぁ…多分この餌が金魚にとってのご馳走なんだよ、焼き肉みたいな」
「いくら焼き肉でも毎日はキツくねーか?俺なら脱走するわ」
就寝までの空き時間に、並んで金魚鉢の前に座り込み餌をやっているところだった。
顆粒状のそれを水面に撒く度に、必死に口を動かして取り込もうとしている金魚を見て、ガロウはしきりに彼らの食生活を気にしている。
変なところに拘るなぁ、とそれを横目に見ながらナマエは答えた。
「私に聞かれてもわかんないよ、金魚の気持ちなんか。それより、大きくなったら鯉くらいのサイズになるってホントかな?」
「知らね。まあ飼い主に似てよく食うから、ある程度はでかくなるんじゃねーの」
デリカシーを欠いた台詞に軽く肘鉄を食らわせる。いてーな本当のことだろうが、と文句を言うのを無視して餌やりを続けていると、そこへバングが顔を出した。
呼ばれるままに廊下に出ると、バングはいつも通りの穏やかな表情に見えたが、何故かナマエは胸騒ぎを感じた。
「今病院から連絡があってな、お母さんの様態が少し不安定らしい」
ナマエは冷たい手で心臓を掴まれたような気持ちになった。表情をなくしたナマエを落ち着かせるように、バングの力強い手が肩を支えてくれた。
「そう危ない状態という訳じゃない。これから一晩処置を受けて様子を見て、その結果によっては治療法をまた変えるかもしれんっちゅうことじゃ」
「…そっか。わかった」
気遣わしげに見てくるバングに、なんとか普通の顔を作って返事したが、ナマエの心の中は不安で埋め尽くされていた。手の平に汗が滲み、先ほどから嫌な動悸が止まらない。そのまま就寝の挨拶もそこそこに自分の部屋に戻ったが、とても眠る気にはなれなかった。
直接ではなくバングから伝えられたということは、叔母はこのことをナマエには言わない方が良いと判断したのだろうか。携帯を確認してみたが、何も連絡は入っていないようだった。
死ぬ病気ではないことはずっと前から知っている。適切な療養をとれば普通に生活もできる。現に今まで母親はそうやって働いてナマエを育ててくれたのだから。
でも万が一ということがあったら?
明日死ぬかどうかなんて誰にもわからない。ナマエだって事故か何かで急に命を落とすことはありえるというのに。健康上の問題を抱える母親が、普通の人よりも死に近い場所にいるのは間違えようのない事実だった。
たった一人の家族を失うかもしれない可能性にナマエは震えた。
じっとしていられず、部屋を出て棟内を歩き回る。
誰にも見つからない、安全な場所に行きたいという気持ちがあった。
最初に入ってはいけないと言われていた、物置になっている部屋の扉が、誰かが閉め忘れたのか薄く開いている。誘われるように中に入ると、雨戸も閉めきられたその部屋は真っ暗闇だった。扉を閉め、何に使うのかわからない色んな物が置かれた隙間に座り込みナマエは膝を抱えた。
ここならば誰も来ない。もう泣いても大丈夫。
そう思うや否や、涙が堰を切って溢れ出した。胸中の不安を吐き出すように声を殺して嗚咽しながら、ナマエは母親のことを思い浮かべた。
(お母さんが死んだらどうしよう)
父親が物心つく前に亡くなっていたから、昔から何をするのも一緒だった。どんなことでも相談できる、親友のような存在でもあった。時々怒られることはあったが、必ずこちらの言い分を聞き、いつでもナマエのことを一番に考えてくれる母親。
居なくなってしまうかもしれない。
その後どうやって生きていけばいいんだろう。
一人で知らない土地に放り出されたような気分だった。
いつかは自分より先に死ぬのだと頭ではわかっていても、今はまだ母親のいない人生など考えられなかった。
ナマエが部屋にいないことに気づいたのか、廊下を慌ただしく人が行き来する気配がしている。悪く思いつつ、とても出て行く気にはなれずナマエが膝を抱えていると、静かに物置の扉が開け閉めされる音がした。
顔をあげると、うずくまるナマエのすぐ側に座り、背中を撫でてくれている人影があった。暗闇で姿は見えないのに、何故かガロウだ、とわかった。
「…お願い、あっち行っててよ」
泣いてるのを見られたくなくて、しゃくりあげながら手で押しやるがびくともしない。バングと同じで細身に見えるが鋼のように鍛え上げられている。改めて彼が武術家であることを思い出した。意地になって遠ざけようと腕を突っ張るナマエに、暗闇の中からいてぇな、と小さく文句が返ってきた。
「こんなところで一人で泣いてんじゃねえよ」
「うるさいな…ほっとけばいいでしょ」
疲れたナマエが諦めて小さくうずくまると、おもむろにガロウは体に腕を回しやんわりと抱きしめてきた。
「…メソメソされると鬱陶しいんだよ。早く泣き止め」
言葉とはうらはらに、その声と腕はどこまでも優しかった。
だからだろうか、暗がりの中で異性に抱きしめられるという思春期においては微妙なシチュエーションであったにも関わらず、ナマエは驚く程安心していた。
何故だかもう覚えていないはずの、両親二人ともが側に居た幼い頃の気持ちになった。
張り詰めていた糸が切れるように、ナマエは大きな声をあげて小さな子どもに戻ったように泣きだした。そんなナマエの背中をガロウは黙って撫でている。
(どうして私が寂しい時、不安な時いつも助けにきてくれるんだろう?)
初めて会った時も、お祭りの時もそうだった。
(ガロウくんもたくさん辛い思いをしてきたのかな)
普段はなかなか懐かない野良猫みたいなくせに、人が本当に弱っている時には気がついてひっそりと側にいる。
こんなおかしな怪人がいるだろうか。
いたとしてもきっと誰も怖いだなんて思わない。
恐らくガロウの本質は、彼が一番嫌っているはずの存在に似ていた。
どこかで決定的な行き違いがあって、彼は正反対の道へ進もうとしている。
その行き違いを解消することは、ナマエにも、バングにも、もしかしたらガロウ本人にもできないのかもしれなかった。
どうすることもできないのなら、せめてその行く末がガロウにとって良いものであってほしい。祈るように思いながらナマエは目を閉じた。
「いやあナマエちゃん、昨夜は不安にさせるようなこと言ってすまんかったな…さっき電話でめちゃくちゃ怒られたわ」
翌朝、目を腫らしたナマエが遅い時間に起きてくると開口一番バングに謝られた。
先ほど病院にいる叔母から連絡があり、母親の状態がどうにか落ち着いたという連絡と共に、昨夜バングが独断でナマエに状況を伝えたことを知られ、懇々と責められたのだという。
バングも良かれと思ってしたことだろうから、ナマエは別に気にしていなかった。
「ううん、気にしないで。それより昨夜はごめんなさい。勝手にいなくなったりして…」
どうやら住み込みの門下生総出で探し回ってくれていたようで、起きてから誰かとすれ違う度に、見つかって良かった、心配したよ、等と優しい言葉をかけられて居たたまれない気持ちになった。バングは落ち込んだナマエを見て鷹揚に笑った。
「構わん構わん、無事で何よりじゃ。それより、あとでまた叔母さんがナマエちゃんの携帯にも直接連絡すると言っとったぞ」
「うん、わかった…おじさん、ところでガロウくんは?」
昨夜物置で大泣きをしてからの記憶があやふやだった。自分で布団に戻った覚えもなく、ガロウが運んでくれたのかもしれなかった。それならちゃんとお礼を言いたい。
バングによると、ガロウは今日買い出し当番で市街地へ出かけてしまったらしい。
一旦自室に戻り、それなら帰ってきてから話をしにいこう、と思っていると叔母からの連絡が入った。
『ナマエ?おじさんからも聞いてると思うけど、お姉ちゃんはもう大丈夫だからね』
心配させたくないから言わないでって言ったのに、と未だにバングへの文句を零す叔母に苦笑していると、そうだ、良い知らせがあるんだ、と急に声の調子が弾んだものに変わった。
『※市に住んでる伯父さん夫婦には何回か会ったことあるでしょ?お姉ちゃんが退院するまでの間、ナマエの家に一時的に住んで身の回りの面倒を見てくれることになったって』
もうすぐ家に帰れるからね、と叔母が明るく言うのを聞きながら、それが良い知らせであることは間違いないのに、ナマエは心に空洞が空いたような気持ちになっていた。
家に帰れば、もうガロウには会えなくなってしまう。
元々夏休みの間だけという話だったから、ずっと一緒にはいられないことはわかっていたはずなのに。
あの時、背中に負ぶわれながら聞いた言葉が蘇る。
このままお別れしてしまって、本当に良いんだろうか。
何かガロウに言いたいこと、言うべきことがあると思ったが、今のナマエにはそれが何なのかわからなかった。
道場を発つ日の朝、ナマエは自室で荷造りをしていた。部屋の入り口にはガロウが寄りかかっている。先ほどから何を言うでもなく黙っているが、ナマエの背中を見ているのがなんとなくわかった。
「なんかあっというまだったね」
「ああ」
「私が帰ったら寂しい?」
「全然。うるさい奴がいなくなってせいせいする」
言葉とは違い、ガロウの声はいつもよりも元気がなかった。
短い付き合いから学習したことだが、ひねくれた言動が多い割にガロウの感情の動きは意外とわかりやすい。指摘するとまた喧嘩になりそうなので言わなかったが、その正直さはナマエにとって好ましいものだった。
荷物をまとめ終えたナマエが振り向くと、案の定ガロウはどことなく意気消沈したような雰囲気をまとっている。ナマエはしばらく黙ってその目を見つめていたが、意を決して口を開いた。
「…あのさ、こないだ言ってたことなんだけど」
ガロウは何も言わなかったが、『こないだ』というのがお祭りの夜のことだということはわかったらしくやや緊張した面もちになった。
それでも言葉を遮らず聞こうとしてくれているのを見て、やっぱりガロウくんは優しいや、と思いながらナマエは続けた。
「ガロウくんがどうしても怪人になるっていうんなら、私はずっとガロウくんの友だちでいるから。寂しくなったら会いにきてよ」
「…ハア?」
緊張から一転怪訝な表情になってガロウは声をあげた。
そういう反応が返ってくるような気はしていたが、あまりに呆れたような顔をされて、ムキになってナマエは続けた。
「怪人にも一人くらい友だちがいたっていいでしょ」
ガロウは何とも言えない顔をしていたが、やがて馬鹿にしたように鼻で笑った。
「…やだよ。お前みたいな脳天気な奴とつるんでる怪人なんか、誰も怖がらねえだろ」
「何それ、人が親切で言ってあげたのに」
「ありがた迷惑なんだよ」
「ほんと可愛くないよねガロウくんって」
「そりゃどうも」
憎まれ口をききながらも、ガロウの口の端が微妙に上がっているのに気づき、ナマエは声を立てて笑った。ガロウは何笑ってんだよ、と不機嫌そうな顔を作ったが、ナマエが笑ったままでいると、取り繕うのが馬鹿馬鹿しくなったのか、やがて表情を緩め小さく笑顔を見せた。
そこへ、廊下の方からバングの呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい、ナマエちゃんや、そろそろ出発するぞ」
それに返事をしてから、ナマエはガロウに向き直った。
ガロウは初めて会った時のぴりぴりした雰囲気が嘘のように、穏やかな表情をしていた。
「今までいろいろありがとう、元気でね」
「…お前もな、ナマエ」
応じてもらえないかも、と思いながら差し出したナマエの手を、ガロウはごく当たり前のように握った。初めて触ったその手は、ナマエよりも少し体温が高く、大きな手だった。
金魚の世話よろしくね、と言うと、結局押し付けていきやがって、と不満そうにしていたが、多分自分がいなくなったあともちゃんと面倒を見てくれるんだろうな、とナマエは思った。
「ガロウくん携帯持ってないの?」
「ねーよ。必要ねえもん」
「なんだ、持ってたら電話してあげようと思ったのに」
「上からかよ。もし持っててもお前なんか着信拒否してやる」
「酷いなぁもう」
これで最後だとわかっていて、いつも通りのやり取りをする。
自分をからかって笑う屈託のないガロウの顔を見て、やっぱり子どもみたいだ、とナマエは思った。
(終わり)
6/6ページ