あなたに出逢わなければ〈April.1 Another story〉
**(本文サンプル1)
「――泣いてるのか」
「……っ」
頬に伝った涙を指で辿られて、ぼくは息を詰まらせました。
「そんなに苦しかった?」
「……いえ」
枕に頭を預けたまま、ぼくは小さく頭を振ります。すると、彼は案外ではなかったようで、喉の奥で笑いました。
「うん。強く、しがみついていたものな」
「……!」
揶揄するように囁かれ、頬がかっと火照りました。――なんて人なんでしょう。
羞恥で声も出せずいると、宏章さんはふと笑いを治めます。そして、くゆらせていた煙草を、乱暴に灰皿へ押し付けました。
「……"誰か"を想ってた」
「……!?」
息を飲んだ瞬間、顎を強く掴まれました。
「痛っ……」
「わざわざ傷に爪を立てるなんて……君は、被虐的思考の持ち主なのか?」
「そんなこと、ありませ……」
灰色がかった瞳には、愉悦と、嗜虐心と……なにか、どろどろした熱いものが覗きました。ぼくは恐怖にかられ、身を捩ります。
「おっと」
「あっ……!」
けれど、彼はものともせず、ぼくを寝台に抑え込みました。怖いほどに整った顔に、心の底の解らない笑みが浮かびます。
「一つ、忠告しておく。俺はあまり気が長くない。次に、あの男のことを考えたら……」
「……っ」
握られた手首が、ぎり、と軋みました。痛みに呻くと、宏章さんはやわらかな声で言います。
「俺の手で、泣くまで甚振ってやる」
「……っ」
獰猛な森の香りに包まれて、涙が溢れました。
唇に、キスが降ってきます。――ほろ苦くて、甘い……知ったばかりの味。
「愛してるよ。可愛い奥さん」
***(サンプル2)
「わあ、桜庭宏樹!」
ぼくは、本棚に並んでいた本を見て、歓声を上げました。
「知ってるのか?」
宏章さんは、少し驚いたようです。ぼくは、興奮が抑えられないまま、何度も頷きました。
「はいっ! 大好きな作家なんです」
「……珍しい。そんなに有名じゃないだろ?」
たしかに、宏章さんの言う通り、桜庭先生は有名とは言えません。ぼくの周りでも、陽平と椹木先生しか読んでいませんでしたけど。
「桜庭先生は最高ですっ。ぼく、一番好きな作家さんなんです」
――それに、数年前に突然、活動休止されてなかったら……もっと知られていたはず!
宏章さんに詰め寄ると、彼はびっくりしたように、目を丸くしていました。
「……」
「あ……ごめんなさい。つい、同志が嬉しくて……」
我に返って、熱る頬を抑えていると……大きな手が頭に乗りました。
「え?」
子供をいい子いい子するように、撫でられてしまいます。ぽかんとしていると、宏章さんは楽しそうに言いました。
「そんなに好き?」
「あ……はい! 大好きですっ」
「あはは、そうか。どこが好きなんだ?」
「えと、たくさんあります! まず、すっごく面白くて、夢中になれるところ! 伏線回収の凄さもですし、主人公が素敵で……」
ぼくは、ここぞと熱弁をふるいます。桜庭トークに飢えていたのもありますが……夫との共通点が嬉しかったのです。
「恋人との日常のやり取りも、すごく好きでっ。あと……」
宏章さんは、ぼくの話をどこか嬉しげに、笑って聞いてくれました。
「――泣いてるのか」
「……っ」
頬に伝った涙を指で辿られて、ぼくは息を詰まらせました。
「そんなに苦しかった?」
「……いえ」
枕に頭を預けたまま、ぼくは小さく頭を振ります。すると、彼は案外ではなかったようで、喉の奥で笑いました。
「うん。強く、しがみついていたものな」
「……!」
揶揄するように囁かれ、頬がかっと火照りました。――なんて人なんでしょう。
羞恥で声も出せずいると、宏章さんはふと笑いを治めます。そして、くゆらせていた煙草を、乱暴に灰皿へ押し付けました。
「……"誰か"を想ってた」
「……!?」
息を飲んだ瞬間、顎を強く掴まれました。
「痛っ……」
「わざわざ傷に爪を立てるなんて……君は、被虐的思考の持ち主なのか?」
「そんなこと、ありませ……」
灰色がかった瞳には、愉悦と、嗜虐心と……なにか、どろどろした熱いものが覗きました。ぼくは恐怖にかられ、身を捩ります。
「おっと」
「あっ……!」
けれど、彼はものともせず、ぼくを寝台に抑え込みました。怖いほどに整った顔に、心の底の解らない笑みが浮かびます。
「一つ、忠告しておく。俺はあまり気が長くない。次に、あの男のことを考えたら……」
「……っ」
握られた手首が、ぎり、と軋みました。痛みに呻くと、宏章さんはやわらかな声で言います。
「俺の手で、泣くまで甚振ってやる」
「……っ」
獰猛な森の香りに包まれて、涙が溢れました。
唇に、キスが降ってきます。――ほろ苦くて、甘い……知ったばかりの味。
「愛してるよ。可愛い奥さん」
***(サンプル2)
「わあ、桜庭宏樹!」
ぼくは、本棚に並んでいた本を見て、歓声を上げました。
「知ってるのか?」
宏章さんは、少し驚いたようです。ぼくは、興奮が抑えられないまま、何度も頷きました。
「はいっ! 大好きな作家なんです」
「……珍しい。そんなに有名じゃないだろ?」
たしかに、宏章さんの言う通り、桜庭先生は有名とは言えません。ぼくの周りでも、陽平と椹木先生しか読んでいませんでしたけど。
「桜庭先生は最高ですっ。ぼく、一番好きな作家さんなんです」
――それに、数年前に突然、活動休止されてなかったら……もっと知られていたはず!
宏章さんに詰め寄ると、彼はびっくりしたように、目を丸くしていました。
「……」
「あ……ごめんなさい。つい、同志が嬉しくて……」
我に返って、熱る頬を抑えていると……大きな手が頭に乗りました。
「え?」
子供をいい子いい子するように、撫でられてしまいます。ぽかんとしていると、宏章さんは楽しそうに言いました。
「そんなに好き?」
「あ……はい! 大好きですっ」
「あはは、そうか。どこが好きなんだ?」
「えと、たくさんあります! まず、すっごく面白くて、夢中になれるところ! 伏線回収の凄さもですし、主人公が素敵で……」
ぼくは、ここぞと熱弁をふるいます。桜庭トークに飢えていたのもありますが……夫との共通点が嬉しかったのです。
「恋人との日常のやり取りも、すごく好きでっ。あと……」
宏章さんは、ぼくの話をどこか嬉しげに、笑って聞いてくれました。