お前なんか好きじゃない。

 最初に動いたのは、蓮条だった。左の手のひらを翳し、静かに詠唱する。
 
「わが身に宿る水の元素よ。――彼の気と結べ」
 
 次の瞬間、蓮条の前の床に魔法陣が四つ、出現する。
 それらの中心に、奈落を上がるように「水」の人形が生れ出た。 
 四体の水の兵は荘厳な甲冑を纏い、景色が透けて見えなければ、本物みたいだ。
 
「おお、蓮条の水の兵士か」
「相変わらず、すげえな。精神力だけで、あんなくっきり」
 
 ギャラリーから、感嘆の声が上がる。
 自然界の元素を、イメージ通りに操ることが魔法の神髄だ。けれど――慣れないうちは、手の中にコップ一杯の水を集めるだけでも難しい。それを人型に固めるとなると、かなりの修練が必要になる。
 おれは、唇を噛んで兵を凝視した。
 
「蓮条! 俺も最初っから、全力で行くぜ!」
 
 対する木ノ下は、目を輝かせて叫んだ。ポケットから刀の「柄」を取り出すと、剣道の構えをとる。
 
「やあっ!」
 
 木ノ下は鋭い踏み込みで、蓮条に向かって行く。――と、蓮条を護るように、兵たちが立ちはだかった。四方から、木ノ下に巨大な斧を振り下ろす。
 
 ――ガシン!
 
 重い音を立て、斧がリングの床を断ち割った。瓦礫が跳ね、土煙が立ち込める。元が水と思えない、凄まじい威力だ。――しかし。
 
「へへっ、残念だったな!」
 
 木ノ下は、上空に飛んで逃れていた。――そして、捻った上体を戻す勢いで、打ちおろすように柄を振る。
 
 ――キィ……ン!
 
 ガラスを掻くような鋭い音が響く。すると、リングの床が、真一文字に切り裂かれていた。その軌道にいた蓮条の水の兵も、もろともに裂かれ、像が揺らいでいる。
 
「……!」
「まだまだ!」
 
 蓮条がリカバリーをはかる前に、木ノ下はさらに柄を振る。
 目にも止まらない斬撃を食らい、水の兵はバシャリと床に平たく流れ落ちた。
 オオオ……! とギャラリーがどよめく。
 
「すっげーじゃん、木ノ下! 前はボコボコにされてたのに」
「風刃の精度も、上がってんね。ありゃ、相当頑張ったなー」
 
 真北が、興奮気味に言う。田中も、感心したように頷いた。
「風刃」というのは、木ノ下の戦闘スタイルのことだ。刀の柄だけ振っているように見えるけど、実は、刀身はちゃんとある。ただ、風の魔法で作り出された刃は、目には見えないというだけで――
 
「うらぁ!」
 
 軽く着地した木ノ下が、横薙ぎに腕を振るう。と、柄の描いた動線――その延長にあるもの全てが、薙ぎ払われた。キイイン! と高い音を立て、結界にまで斬撃が及ぶ。
 咄嗟に身を屈めて避けた蓮条は、驚きに目を丸くした。
 
「木ノ下君。刀身の長さを変じていますね?」
「ふはは。そうよ! 風の刃は鉄の刀身と違いっ、伸縮自在! さらには、目に見えねえ。間合いの測りにくさは、段違いだぜー!」
 
 ヒュン、ヒュン、と見えない刀身が空を切り裂く。凄まじい連撃を繰り出しながら、木ノ下は得意になって、高笑いした。
 
「すげーな。でも、言わねえほうがいんじゃね?」
「だよな」
 
 田中と真北が頷き合う。
 
「木ノ下、頑張れー!」
「蓮条先輩、負けないで!」
 
 調子よく攻める木ノ下と、防戦一方の蓮条に、思い思いの声が飛ぶ。
 
「……」
 
 おれは、固唾を飲んで蓮条の動きを注視する。
 押されてるようでいて――蓮条の翡翠色の瞳は、静かに凪いでいる。
 あいつは、ちっとも焦っていない。
 バックステップで斬撃をかわしていた蓮条が、ふいに動きを止める。

「もらったぁ!」

 木ノ下が、刃を上段に振り上げた。

――ギィン……!

 鋭い金属音が響く。

「な……?!」

 驚愕の声を上げたのは、木ノ下だった。
 蓮条の周囲を、分厚い水の壁が覆っている。それは、水の兵を切り裂いた木ノ下の風刃を、なんなく防いだ。
 蓮条は手を叩きながら、穏やかに微笑む。

「素晴らしかったです、木ノ下君。風の密度、伸縮速度。とても、三ヶ月で到達したと思えません」

 その足元に、巨大な青い魔方陣が現れる。

「君の修練に敬意を表し――私も新しい技を見せましょう」

 次の瞬間。
 蓮条の足元から、巨大な頭が盛り上がる。
 そいつは、青く波紋を輝かせながら、ズズズ……と魔方陣から突き上がってきた。

「んなあーっ?!」

 木ノ下は、驚愕も露に叫んだ。
 それは、ここにいる全員の気持ちだったと思う。
 魔方陣から現れたのは――水の巨人だった。
 3階建てのビルより大きく、巨大な腕と頑丈そうな胴体を持っている。

「では、参りましょうか」

 巨人の肩に腰かけた蓮条が、木ノ下を指す。すると、主に忠実な巨人は、その剛腕を高く振り上げる。
 ブォン! と空を切る凄まじい音を立て、拳が振り下ろされた。

「うおおっ!」

 木ノ下は、間一髪避ける。それまでいた場所に、轟音と共に大穴が空く。

「木ノ下ー!」

 ギャラリーから、心配する声が上がった。しかし、木ノ下は不敵に笑うと、巨人に突っ込んでいく。

「威力はでけえけど、動きは兵ほどじゃねー! ぶったぎってやる!」

 ひらりひらりと攻撃を避けながら、巨人の懐に入り込んだ。

「でぇぇい!」

――ザンッ……!

 木ノ下の風刃が、巨人の胴体を袈裟斬りにした。
 うおおおお! と歓声があがる。
――しかし。

「えっ?」

 巨人の断面が、ぱかりと開いた口に変わる。
 中から、幾百の触手が飛び出してきて、木ノ下に巻き付いた。
 そのまま、ザブンと巨人の腹に引き込まれてしまう。

「ごぼっ?!」
「残念でしたね、木ノ下君。ブリキの人形と違って、水に形はありませんよ」
「ごぼぼっ!」

 巨人の透明な体のなかで、木ノ下のもがきが見えた。白いあぶくが、煙のように上がっている。
 苦しげに水をかく手足が、次第に力を失くしていって――

「……っ」
「西浦?」

 おれは、息が苦しくなって喉を押さえた。
 田中が、心配そうに背を擦ってくれる。「大丈夫」と頷いて、おれは前を見た。
 もう、勝負はつくだろう。

「ごぼごぼ……!」

 木ノ下は、何か叫んだかに見えた。それから、力尽きたように、ぐったりと動かなくなる。

「――それまで!」

 飛び込んできたジャッジ――黒河先輩が、鋭く叫んだ。
 蓮条が、魔法を解除する。さあ……っと巨体が消え失せ、リングの中にだけ霧雨が降った。

「勝者、蓮条幸也!」

 気を失った木ノ下に、風紀委員達が救急措置を加えている。
 会場は、興奮と戸惑いが半々くらいで、ざわめいていた。

「ちぇ。やっぱ強えな、蓮条は」
「ああ。ものが違えや」

 木ノ下を応援していた生徒が言うのが聞こえた。

「えげつな! 松代も嫌だけど、蓮条には挑みたくないやね。なあ、田中」
「お、おう……」


 明るい真北の言葉に、田中が曖昧に頷く。
 おれは、ぼんやりとリングを見つめていた。

――蓮条……また強くなっていた。

 ぴんと伸びた背中を、駆け寄った八千草が叩く。笑いあう二人の姿が眩しくて、おれは唇を噛み締めた。

……と。

 ふいに、蓮条が振り返る。
 目があって、翡翠の瞳が見開かれた。
 その瞬間、おれは弾かれたように踵を返す。

「――瑛君!」

 蓮条の声が、逃げるおれの背に刺さる。

「――待ってください。瑛君!」

 やめてくれ。
 もう、おれとお前は関係ないんだから!

「……っ」


 そう思いながら――懐かしい呼び名に、胸の底が震えて仕方なかった。
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