お前なんか好きじゃない。

「……落ち着いた?」
「うす。すんまぜん……」
 
 吉村くんは、鼻を啜って頷いた。
 おれたちは、ベッドに並んで腰かけていた。体中の水分を吐き出すように泣いて、吉村くんは些かぼんやりしているようだった。
 
「飲める?」
 
 棚から湯冷ましを拝借し、コップに注いで手渡した。ぺこりと頭を下げて、吉村くんは口をつける。すぐに干してしまったので、注いであげる。それを二、三度繰り返した後、吉村くんは「ふーー」と長く息を吐いた。
 
「……先輩、すんません。俺、めっちゃ泣いちまって……」
「いいんだよ」
 
 少し落ち着いて、恥ずかしくなってきたんだと思う。思春期の男として気持ちはわかるので、深く切り込まず、頷くに留めた。
 吉村くんは、ちょっとはにかんだ顔をして――コップを両手で包みながら、ぽつぽつと話してくれた。
 今朝、桜沢くんが見舞いに来てくれたこと。
 そうして、何の前触れもなく――「もう、近づかないで。俺に話しかけないでくれ」と言われたこと。
 ショックを受けて言葉を失ってる間に、部屋を出て行ってしまったこと……
 
「なんでなんすかね……俺たち、喧嘩したことないから、びっくりして……。よっぽど、嫌な事しちまったのかなあ」
「吉村くん……」
「もっと話、聞けばよかった。仲直りできなかったら、どうしよう……」
 
 しょんぼりと丸くなった背中を、黙って擦った。
 どうしよう、と思う。
 桜沢くんは、吉村くんを守るために離れたんだって――おれはわかってる。
 今回捕まった彼の信者は、おそらく氷山の一角に過ぎない。吉村くんは、桜沢くんの側にいる限り、奴らの嫉妬の的にされるだろう。
 だから、吉村くんから奴らの注意を逸らす為に、そばを離れるしかないって決意したんだ。
 だけど――吉村くんからしたら、そんなことは寝耳に水。いきなり親友に「絶交」されて、戸惑いショックを受けている。
 おれは、俯く吉村くんの、涙で熱を持った瞼を見て――胸が痛くなる。
 
「……」
 
 伝えるべきだろうか。……でも、そうしたら、桜沢くんの決意はどうなる?
 
「……大丈夫だよ、吉村くん」
 
 悶々と考えた挙句、おれは単なる慰めの言葉を口にした。吉村くんは、へにゃりと眉を下げる。
 
「桜沢くんは、きみを嫌ってなんかないよ。絶対に」 
「そうでしょうか……」
「そうだよ。その、少し時間が欲しいだけだと思うんだ。吉村くんも、大変なことがあったし」
「……たいへん?」
「うん。だから――その、一度、自分のことだけ考えて。ね?」
 
 我ながら励ますのが下手くそすぎて、ヘンな汗が額に滲んだ。
 すると、吉村くんはきょとんとして、言う。
 
「でも、転校してきて、てんやわんやなの、俺だけじゃないですし」
「へ? 転校? それも大変だけど――」
「ん?」
 
 ――何か、話がかみ合っていなくないか?

 首を傾げる吉村くんの様子に、不安を覚える。
 転校って言うより、もっと最新の大変な事情があるよね? いじめに遭って、校舎から突き落とされたなんて、ただ事じゃあないのに。まるで、何でもないみたいな――
 
 ――とんでもない怪我を治したわけです……
 
 田野先生の言葉が甦り、おれはハッと目を見開いた。
「もしかして」と、ある可能性に思い至り、おれは慌てて立ち上がる。
 
「田野先生――!」
 
 壁にかかった内線電話に飛びついて、先生を呼び出した。
 
 
 


 
 結果から言うと、おれの危惧した通りのことが起きていた。
 駆けつけた田野先生が、さっそく吉村くんを診察してくれたんだけど。
 
「吉村くん、どうも記憶障害が起きていますね。再生魔法の後遺症でしょう。あの大怪我を負う切欠になった出来事を丸ごと忘れてしまっています。恐らく――校舎から落ちたことはおろか、いじめに遭ったことも、覚えていないでしょう」
 
 そう、難しい顔で告げられて、愕然としてしまう。
 再生魔法は、回復魔法の上位互換の術式で。回復魔法が自己治癒能力を高めるものだとすると、再生魔法は新たに”作り出す”魔法だ。
 パソコンとかのバックアップと同じで、細胞に残る一番新しい記憶から、失われた部分を「復元」する。だから――直した部分だけ「過去」のパーツになるせいか、損傷部位が大きいほど記憶の混乱が起こってしまう。
 吉村くんは、命に係わる大怪我を負ったから、かなりの記憶が無くなってしまったようだ。
 
「魔力の流れが安定してくれば、記憶が戻るかもしれません」
 
 田野先生が、励ますように言う。
 驚いたけど、少し合点が行った気がもする。吉村くんは目が覚めてから、余りに普通の態度だったから。事件のことを覚えていないなら、あのけろっとした様子にも、納得がいく。
 しかし、大変なことになった。
 吉村くんが、辛い記憶を失っているなら、それに越したことは無い。辛いことは、わざわざ覚えていなくたっていいはず。
 でも、そうすると――桜沢くんが離れた理由をますます話せなくなってしまった。
 それを切欠に、吉村くんが辛い記憶を思い出してしまうかもしれないから。
 
「……桜沢くん、君は知らなかったんだろうね」
 
 もし、このことを知っていたら――離れなかったはずだ。好きな人が、大けがをして記憶を失っているのに、そばを離れられるはずがない。
 でも、おれは桜沢くんに戻って来てと言うことは出来ない。
 吉村くんに、桜沢くんが離れた理由をいう事も。
 なら、おれに出来ることは、なんだろう。
 二人が離れ離れでいるのを、見ているしかないのか――?
 
「……」
 
 考えて、考えて。
 おれは、決意した。
 急いで、寮の部屋に走って帰る。
 勢いよくドアを開けると、ちょうど部活から帰ってきたところだったらしい。佐賀が、怪訝そうな顔で振り向いた。
 その目を挑むように見て、おれは言う。
 
「――佐賀、話があるんだ」
 
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