お前なんか好きじゃない。
それからの事態は、あまりに目まぐるしく過ぎていった。
近くの生徒に佐賀が詰め寄っていたこと。
風紀委員や、教師が慌ただしく校舎を駆けていく様子。
佐賀に腕を引かれ、たどり着いた医務室がたいへんな騒ぎになっていたこと――後輩だと説明して、中に入れてもらった医務室で、ベッドに横たわる吉村くんの血の気の失せた顔。
ベッドの側に縋りついている、桜沢くんの悲痛な声。
……全部、覚えてはいるんだけど。
脳みそがぼんやりしていて、薄い膜を通したように現実感が無かった。
「吉村くんは、幸いにも命に別状はありませんでした。誰かが、落下直後に再生魔法をかけてくれていて、それで九死に一生をえたのでしょう。ただ――四階から落ちたんです。本当に、大変な怪我を治したわけです。その反動で、暫くは眠り続けると思います」
医務室の田野先生が、常は穏やかな顔を、緊張に引き締めて言った。
説明を聞いていた葛城先生が神妙に頷き、深く頭を下げる。それから――吉村くんに休息が必要と言うことで、おれ達は医務室を出された。
ただ一人、桜沢くんを除いて。
「トキちゃんの側に居させてください」
田野先生に、何度も頭を下げて。葛城先生が、「親しい者の魔力が近くにあった方が、回復しやすい」と助け船を出し、田野先生がなんとか折れたのだった。
引き戸を閉める直前、ベッドの脇に膝まづく桜沢くんの姿が見えて。おれは、見ていられなくて顔を背けた。
廊下を歩きながら、葛城先生がおれ達を振り返る。
「お前達も、大丈夫か。驚いたろう」
「あ……」
真っ直ぐな目に、何を言ったらいいのか分からず口ごもる。すると、佐賀が切り込んだ。
「葛城先生、一体何があったんですか」
「生徒に話す事ではない、と言いたいが……お前達には、知る権利があるな。現在わかっていることだけを伝えよう。吉村は、芸術棟の第二音楽室から、落下した。集団暴行に巻き込まれ、突き落とされたそうだ。目撃者が、すぐに医務室と風紀に連絡したので、凶行に出た生徒達は捕まった」
葛城先生は、たんたんと説明していた。あえて、そうしてるのだとわかる語調だった。
「この後、調査が入る。詳しいことはまた、わかってくるはずだ」
「わかりました」
佐賀が静かに頷くのを、おれは聞いていた。
なんだか、言葉が出なくてさ。
寮に戻っても、生徒達の関心は「事件」のことで持ちきりだった。ロビーで、おれに気づいた田中と真北が、駆け寄って来てくれたけど……何を話したかは覚えてない。ただ、「大丈夫」とかなんとか、頷いた気はする。
おれは、大丈夫に決まってる。
「大丈夫」じゃない人は、まだ医務室にいるんだから。
事件の翌日――
昼頃には、浮かび上がってきた真相に生徒達は浮足立っていた。
吉村くんをリンチにかけ、大怪我させたのは――桜沢くんの信者だったそうだ。
桜沢くんに手が届かないという鬱憤を、仲の良い吉村くんにぶつけた。
そんなくだらない理由で、吉村くんは死ぬほどの怪我を負ったんだ。
「桜沢、あの黒にべったりだったし」
「だな。桜沢の野郎、他に興味ねーってツラしてっから」
「そういうのが、やべえのを煽っちゃったみたいな?」
「よくあるやつ」
「ねえよ。だって、桜沢に恨み持った生徒と組んで、黒をリンチにかけたんだろ」
「そこまでするか」
「男の嫉妬って、こえー」
食堂で、後ろの席の奴が話しているのが聞こえてきて、肩が強張った。
「……出るか?」
心配そうに眉を下げる田中に、無言でうなずく。
田中と真北に断わって、先に食堂を出た。心配して連れてきてくれたのに、申し訳ない。
「……」
桜沢くんは、いまも吉村くんに付いているんだろう。
このことが、渦中の彼の耳に入っていないことを、願うほかなかった。これほどの噂になっていて、ありえないと分かっていても。
昼休みで、ざわざわする廊下を抜けて、医務室へたどり着く。
引き戸を引くと、消毒液の匂いがツンと鼻を刺した。
一番手前の、カーテンが締まっているベッド。カーテンの下から、膝まづく長い脚が見えた。
近づいて行くと、やはり桜沢くんだ。昨夜とかわらない様子で、吉村くんの手を握っていた。
「……どう?」
静かに問いかけると、桜沢くんは前を向いたまま首を横に振った。
広い背中越しに、吉村くんの顔を覗き込む。日に焼けた顔が、血の気を失って真っ白だ。
痛ましくて、唇を噛み締めると――桜沢くんがぽつりと言った。
「……トキちゃんね、強い子なんです」
「……うん」
「辛いことがあっても、自分でなんとかしようって頑張っちゃう。俺、そんなトキちゃんがすげぇって思うし、大好きだけど……すげぇ心配でもあって」
「……うん」
話してるけど、返事はいらない類の声だった。おれも、ただ頷いて聞く。
「だから、俺が気をつけなくちゃ。俺が、トキちゃんの辛いの、気づいてあげなきゃって思ってたのに……」
「……」
桜沢くんの肩が、悪寒に耐えるように震えた。
「馬鹿だ。トキちゃんは優しいから……俺のせいでいじめに遭ってるなんて、言えるわけないのに」
「!」
桜沢くんは、ベッドの脇にある吉村くんの荷物を、振り返った。開いたバッグの上に、ノートが開いた状態で置いてあり――そこには夥しいカミソリが貼られていた。
あからさまな悪意に、おれは胸が悪くなる。
――桜沢くんに近づくな。
中心に、真っ赤な文字で殴り書きの警告が書かれていた。
その上に、桜沢くんが紙を一枚置く。
読め、ということだろうか。紙に目を落とし――おれはハッとして、桜沢くんを振り返った。
「……トキちゃん、昨日こいつらに呼び出されたみたいなんです。それで……一人で、けりをつけようとしたんだ。きっと、俺が知らないうちに、終わらせるつもりで……」
「吉村くん……」
やっぱり、おれは大切なことを見落としていた。
吉村くんは、嘘がつけない子だ。
だから、誰にも心配かけまいと「黙って」いたんだ……
桜沢くんが、吉村くんの手を額に押し抱く。許しをこうように。
「トキちゃん……ごめん……気づかなくて、怖い思いさせて、ごめんね……!」
桜沢くんの悲しい声を聞きながら、おれは後悔に胸が潰されそうになる。
――おれのせいだ。
吉村くんに、きちんと伝えておくべきだった。どれだけ危ない状況なのか、彼に伝えていれば。
きっと、一人で行こうなんて思わなかったはずだ。
それに――
この学園では、同性の恋愛がオープンで……だから、二人の関係がどんな憶測を呼ぶか、知らせていれば。
おれだって、そういう色目には苦労したじゃないか。
来たばかりの二人の分も、おれが注意しなきゃならなかったんだ。
――ごめん、桜沢くん。ごめん、吉村くん……!
焼けるような後悔に苛まれ――おれは、何も言うことができなかった。
近くの生徒に佐賀が詰め寄っていたこと。
風紀委員や、教師が慌ただしく校舎を駆けていく様子。
佐賀に腕を引かれ、たどり着いた医務室がたいへんな騒ぎになっていたこと――後輩だと説明して、中に入れてもらった医務室で、ベッドに横たわる吉村くんの血の気の失せた顔。
ベッドの側に縋りついている、桜沢くんの悲痛な声。
……全部、覚えてはいるんだけど。
脳みそがぼんやりしていて、薄い膜を通したように現実感が無かった。
「吉村くんは、幸いにも命に別状はありませんでした。誰かが、落下直後に再生魔法をかけてくれていて、それで九死に一生をえたのでしょう。ただ――四階から落ちたんです。本当に、大変な怪我を治したわけです。その反動で、暫くは眠り続けると思います」
医務室の田野先生が、常は穏やかな顔を、緊張に引き締めて言った。
説明を聞いていた葛城先生が神妙に頷き、深く頭を下げる。それから――吉村くんに休息が必要と言うことで、おれ達は医務室を出された。
ただ一人、桜沢くんを除いて。
「トキちゃんの側に居させてください」
田野先生に、何度も頭を下げて。葛城先生が、「親しい者の魔力が近くにあった方が、回復しやすい」と助け船を出し、田野先生がなんとか折れたのだった。
引き戸を閉める直前、ベッドの脇に膝まづく桜沢くんの姿が見えて。おれは、見ていられなくて顔を背けた。
廊下を歩きながら、葛城先生がおれ達を振り返る。
「お前達も、大丈夫か。驚いたろう」
「あ……」
真っ直ぐな目に、何を言ったらいいのか分からず口ごもる。すると、佐賀が切り込んだ。
「葛城先生、一体何があったんですか」
「生徒に話す事ではない、と言いたいが……お前達には、知る権利があるな。現在わかっていることだけを伝えよう。吉村は、芸術棟の第二音楽室から、落下した。集団暴行に巻き込まれ、突き落とされたそうだ。目撃者が、すぐに医務室と風紀に連絡したので、凶行に出た生徒達は捕まった」
葛城先生は、たんたんと説明していた。あえて、そうしてるのだとわかる語調だった。
「この後、調査が入る。詳しいことはまた、わかってくるはずだ」
「わかりました」
佐賀が静かに頷くのを、おれは聞いていた。
なんだか、言葉が出なくてさ。
寮に戻っても、生徒達の関心は「事件」のことで持ちきりだった。ロビーで、おれに気づいた田中と真北が、駆け寄って来てくれたけど……何を話したかは覚えてない。ただ、「大丈夫」とかなんとか、頷いた気はする。
おれは、大丈夫に決まってる。
「大丈夫」じゃない人は、まだ医務室にいるんだから。
事件の翌日――
昼頃には、浮かび上がってきた真相に生徒達は浮足立っていた。
吉村くんをリンチにかけ、大怪我させたのは――桜沢くんの信者だったそうだ。
桜沢くんに手が届かないという鬱憤を、仲の良い吉村くんにぶつけた。
そんなくだらない理由で、吉村くんは死ぬほどの怪我を負ったんだ。
「桜沢、あの黒にべったりだったし」
「だな。桜沢の野郎、他に興味ねーってツラしてっから」
「そういうのが、やべえのを煽っちゃったみたいな?」
「よくあるやつ」
「ねえよ。だって、桜沢に恨み持った生徒と組んで、黒をリンチにかけたんだろ」
「そこまでするか」
「男の嫉妬って、こえー」
食堂で、後ろの席の奴が話しているのが聞こえてきて、肩が強張った。
「……出るか?」
心配そうに眉を下げる田中に、無言でうなずく。
田中と真北に断わって、先に食堂を出た。心配して連れてきてくれたのに、申し訳ない。
「……」
桜沢くんは、いまも吉村くんに付いているんだろう。
このことが、渦中の彼の耳に入っていないことを、願うほかなかった。これほどの噂になっていて、ありえないと分かっていても。
昼休みで、ざわざわする廊下を抜けて、医務室へたどり着く。
引き戸を引くと、消毒液の匂いがツンと鼻を刺した。
一番手前の、カーテンが締まっているベッド。カーテンの下から、膝まづく長い脚が見えた。
近づいて行くと、やはり桜沢くんだ。昨夜とかわらない様子で、吉村くんの手を握っていた。
「……どう?」
静かに問いかけると、桜沢くんは前を向いたまま首を横に振った。
広い背中越しに、吉村くんの顔を覗き込む。日に焼けた顔が、血の気を失って真っ白だ。
痛ましくて、唇を噛み締めると――桜沢くんがぽつりと言った。
「……トキちゃんね、強い子なんです」
「……うん」
「辛いことがあっても、自分でなんとかしようって頑張っちゃう。俺、そんなトキちゃんがすげぇって思うし、大好きだけど……すげぇ心配でもあって」
「……うん」
話してるけど、返事はいらない類の声だった。おれも、ただ頷いて聞く。
「だから、俺が気をつけなくちゃ。俺が、トキちゃんの辛いの、気づいてあげなきゃって思ってたのに……」
「……」
桜沢くんの肩が、悪寒に耐えるように震えた。
「馬鹿だ。トキちゃんは優しいから……俺のせいでいじめに遭ってるなんて、言えるわけないのに」
「!」
桜沢くんは、ベッドの脇にある吉村くんの荷物を、振り返った。開いたバッグの上に、ノートが開いた状態で置いてあり――そこには夥しいカミソリが貼られていた。
あからさまな悪意に、おれは胸が悪くなる。
――桜沢くんに近づくな。
中心に、真っ赤な文字で殴り書きの警告が書かれていた。
その上に、桜沢くんが紙を一枚置く。
読め、ということだろうか。紙に目を落とし――おれはハッとして、桜沢くんを振り返った。
「……トキちゃん、昨日こいつらに呼び出されたみたいなんです。それで……一人で、けりをつけようとしたんだ。きっと、俺が知らないうちに、終わらせるつもりで……」
「吉村くん……」
やっぱり、おれは大切なことを見落としていた。
吉村くんは、嘘がつけない子だ。
だから、誰にも心配かけまいと「黙って」いたんだ……
桜沢くんが、吉村くんの手を額に押し抱く。許しをこうように。
「トキちゃん……ごめん……気づかなくて、怖い思いさせて、ごめんね……!」
桜沢くんの悲しい声を聞きながら、おれは後悔に胸が潰されそうになる。
――おれのせいだ。
吉村くんに、きちんと伝えておくべきだった。どれだけ危ない状況なのか、彼に伝えていれば。
きっと、一人で行こうなんて思わなかったはずだ。
それに――
この学園では、同性の恋愛がオープンで……だから、二人の関係がどんな憶測を呼ぶか、知らせていれば。
おれだって、そういう色目には苦労したじゃないか。
来たばかりの二人の分も、おれが注意しなきゃならなかったんだ。
――ごめん、桜沢くん。ごめん、吉村くん……!
焼けるような後悔に苛まれ――おれは、何も言うことができなかった。