お前なんか好きじゃない。

 という、決意を新たにした翌日。
 
「おはようございまーす」
 
 朝早く、桜沢くんが吉村くんを迎えに来た。吉村くんが、歯ブラシをくわえたまま目を丸くする。
 
「イノリー? 今日はやくね?」
「えへ。目が覚めたから、来ちゃったー」
「彼女か。すぐ用意するわ!」
 
 大急ぎで洗面所に飛び込む吉村くんに、「ゆっくりでいいよー」と桜沢くんが声をかける。ぽかんとして、その様子を見ていたら、桜沢くんがペコリと頭を下げて。
 
「早くに、すみませんー」
「あっ、大丈夫だよ。おれも佐賀も、朝早いから」
 
 そう伝えると、桜沢くんはホッとしたように息を吐いた。彼は、部屋の中でぱたぱたと準備をする吉村くんを、優しい目で見つめている。
 
「お待たせ!」
「ううん。行こっかー」
「西浦先輩、行ってきます!」
「うん、行ってらっしゃい」
 
 二人はおれに揃って頭を下げると、ニコニコ笑いあって行ってしまった。
 廊下を曲がるまで二人の背を見送り、ドアを閉める。
 桜沢くんが、部屋に迎えに来たのは初めてだ。先輩のおれ達がいるから、朝早くに来るのは遠慮してたみたいなんだけど。
 
「よっぽど心配なんだろうな……」
 
 昨日、お風呂から帰ってきた桜沢くんに、おれ達の見解を伝えたときのことを思い出す。


 
「……おかしいな、って思ったんす。トキちゃんの背中、赤くなってたから。トキちゃんは、何でだろって言ってたけど……」
 
 桜沢くんは、静かに頷いて目を伏せた。吉村くんに聞かせるわけにいかなくて、呼び出した廊下は静まり返っていた。
 おれは、吉村くんにはこんな事情を知らせないでいたい、と言葉を続けた。
 吉村くんには、今まで通り胸を張って、楽しく過ごして欲しい。彼のおかれた状況は悲しいかな――序列を上げない限り改善しないから。「黒」から序列を上げる生徒は、僅かな例を除いてほぼ存在しない。なら、伝えても辛い思いをさせるだけだろうし。
 ――でも、そうすると、彼のことを見ている人が必要になる。
 そのために桜沢くんの協力は、必要不可欠だ。
 
「おれも、もちろん気を付けるつもりだよ。でも、学年が違うぶん、目が届かない所もあるかもしれない。だから――」
「大丈夫です。俺がトキちゃんの側にいて、離れないんで」
 
 おれの言葉を先読みしたように、桜沢くんが強い声で言う。
 
「ありがとう……! ごめんね、きみも大変なのに」
「いえ。トキちゃんより大事なもんないし。俺がそうしたいから」
「そっか……」
 
 不思議な色合いの瞳に、並々ならぬ気迫が籠っている。「絶対に守る」って意気込みを感じて、おれは心強くなった。
 桜沢くんも、「トキちゃんには知らせたくない」と同調してくれたのも大きい。
 
「トキちゃんは、ほんとに頑張る子なんで。でも、辛いって気持ちが、ないわけじゃないんす。傷つけずにすむなら、それが良いと思います」
「そっか、そうだよね」
 
 吉村くんには状況を伝えずに、サポートしていく。
 そういう方針が噛みあったところで、おれ達は部屋に戻った。あんまり部屋をあけて、妙に思われてもいけないからね。
 で、一夜明け。
 桜沢くんは、さっそく行動に起こしてくれている。おれも日直にかこつけて、吉村くんと一緒に登校しようかなって思ってたんだけど、必要なかったみたいだな。
 ……と、ガチャリとドアが音を立てて開く。ロードワークに出ていた佐賀が、戻ってきたようだ。
 
「……あ、おかえり」 
「おう」
 
 ぶっきらぼうに返事をすると、佐賀は部屋を見渡して眉根を寄せた。
 
「んだよ。吉村の奴、もう行ったンか?」
「ああ。桜沢くんが、さっき迎えにきて……」
「へえ」
 
 納得したのか、佐賀はジャージを脱いで身支度を始めた。裸の上半身から熱気が立ち上るのを見て、朝からよくやるなと思う。
 同室になって、佐賀が毎朝走りに出てるらしいことを知った。おれも朝早いからまあ、自然にね。
 今日は、いつもより切り上げるのが早かったみたいだけど。
 ふいに――昨夜、吉村くんがニコニコしながら言っていたのを思い出した。
 
「通りがかった佐賀先輩が、このジャージ貸してくれたんすよ。なんとか絞って帰るっすって言ったら「風邪ひく気か」って。先輩って、怖いけど優しいっすね」
 
 正直、意外だった。いやな奴だって思ってたけど、いいとこもあるんだなって。
 じゃあ、やっぱり今朝も吉村くんを心配して早く帰って来たのか?
 
「んだよ」
「いや、別に」
 
 じっと見ていると、不機嫌そうに睨まれる。
 ……やっぱ、ないか。愛想もないこいつが、そんなこと。
 
 
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