お前なんか好きじゃない。

「大したこっちゃないんすよ。あの――」
 
 頬をかきながら、吉村くんが話し出したときだった。
 その後ろから現れた佐賀が「とりあえず入れ」って吉村くんに促した。お前、居たんだ……。
 桜沢くんに肩を抱かれるようにして、吉村くんが部屋に入ってくる。よく見ると、下もサイズの合ってないジャージで、靴下も履いてないみたいだった。
 おれは、ぐしょ濡れの学生鞄を受け取って、広げた新聞の上に置く。
 
「それで、トキちゃん。何があったの?」
 
 心から心配そうな声で、桜沢くんが尋ねる。
 
「こいつ、噴水で溺れてやがったんだよ」
「んなっ!?」
 
 その問いに答えたのは、何故か佐賀で。吉村くんが、ぎょっとした様に叫んだ。
 
「どうして言っちまうんですかっ。言わないでってお願いしたのにっ!」
「は。誰も言わねえとは言ってねえよ」
「ひでー!」
 
 肩を竦める佐賀に、吉村くんがきゃんきゃんと抗議する。ちょっと待って……状況が上手く飲み込めないけど、とにかく一番気になるのは。
 
「あの、噴水って――」 
「何それ。トキちゃん、誰がそんな酷いことしたの」
 
 おれを遮って、静かな声が吉村くんに問いただす。それは、ごく穏やかな声音なのに、ひやりとするような危うい響きを孕んでいた。
 おれは、思わず固唾を飲む。
 吉村くんが、「あわわ」と焦りながら、千切れんばかりに首を振った。
 
「いやいや! 俺が勝手に躓いて、ドボンしただけ!」
「でも、先輩に「内緒」って言ったんだろ。トキちゃん、なんか隠してる?」
「そりゃ、だってさ、この歳で噴水で溺れたとかだせえし。だから、佐賀先輩にっ――くしゅん!」
 
 必死に弁解していた吉村くんが、唐突にくしゃみをする。途端に、桜沢くんは顔を青くして狼狽え始めた。
 
「あっ……トキちゃん。寒い? ごめんね、気づかなくて……!」
「平気らって。うおっ、脱ぐな! 巻き付けるな!」
 
 桜沢くんのカーディガンで、吉村くんがぐるぐる巻きにされているのを見て――おれは、はっとした。

「吉村くん、お風呂に行っておいで。温かくしないと風邪ひいちゃうよ」
「あっ、すんません。でも」
「吉村、つべこべ言わねぇで行ってこい」
「トキちゃん、そうしよ? 俺も行くから」
「おお……」

 吉村くんは、押しきられるように頷いて。桜沢くんと二人、大浴場へ向かった。




 パタン、とドアが閉まるのを見届けて――おれは佐賀を振り返る。

「佐賀、何があったの」

 吉村くんは、「躓いた」って言ってたけど。……そのまま信じるのは、あまりに楽観的だ。「黒」って序列は、それくらい重いから……。
 佐賀は、おれの対面にどかりと腰を下ろす。不機嫌な顔をさらにしかめて、口を開いた。

「校舎の二階の窓で、ギャーギャー騒いでる馬鹿がいてよ。うっせえなと思ってみりゃ、下の噴水に向かって、風魔法を打ってやがった」
「なっ……?!」

 おれは息を飲む。

「噴水で吉村が溺れてた。あいつが起き上がろうとする度、奴らゲラゲラ笑って、風魔法で突き飛ばしてやがったんだ」
「……そんな」

 およそ、人のすることと思えない。

「吉村は「躓いた」なんつってるが、大方突き飛ばされたんだろうよ」
「そいつらは、どうなった?」

 胸の悪さを押さえつつ、たずねる。すると、佐賀は苛立たしげに、舌打ちをした。

「ブッ飛ばして、風紀に突き出した。どうせ、「悪ふざけでした」で済まされちまうだろうがな」
「ひどい……」

 けど――恐らく、佐賀の言うとおりになる。そういう悪ふざけは、この学園ではよくあることだから。男子高校生の悪のりとして、大目に見られてしまうだろう。
 そこに、序列の上下による力関係のような、デリケートな問題は差し挟まれない。
 そのせいで……どれだけの低序列の生徒が、泣き寝入りしているか。
 おれは、拳をきりきりと握りしめた。

「吉村くんは、気づいてた? ……酷い目に合わされたこと」
「いや、あいつは何も気づいてねェ。本気で自分が躓いたと思ってる」
「そっか……」

 少しホッとする。
 あの明るい顔が曇るのは、見たくなかったから。
 でも、彼が酷い目にあったのは事実だ。そして……恐らく、これは始まりに過ぎない。
 吉村くんが「黒」である限り、こう言った「悪ふざけ」は後をたたないだろう。

「あいつ、ヤベェだろうな」
「……ああ」

 佐賀が低い声で呟いた。
 おれも、神妙に頷く。低序列の生徒が、どれほど肩身が狭いか……少しはわかるつもりだ。
 彼が、気づいていない分――おれが気をつけてあげなきゃ。
 おれは、深く決意した。
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