はぐれ者の花嫁
昼時――族長の砦にある厨では、年若い狼の悲鳴が響いていた。
「兄さぁん、やめてくださいよー!」
「せっかくの獲物が浮かばれないですよぉ!」
包丁を握るユキに、大騒ぎしながらまとわりついている彼らは、そっくりの顔立ちを涙に濡らしている。毛並みが火に入らないよう、頭に布を巻いたユキが、ぴしゃりと叱った。
「リン、エイ! 火を使ってて危ないから、厨で暴れるなって言ってるだろう。それに、ちゃんと美味しくしてみせるから、心配するな」
大好きな兄に窘められ、二人はしゅんと小さくなる。彼らはユキの三歳下の弟であり、双子の白狼である。幼いころに母を失ったため、面倒を見てくれた兄に懐いていた。
「ごめんなさい、ユキ兄さん」
「わかればいい。さ、勉強でもしておいで。兄さんが、美味い飯を食わせてやるからな」
ユキは手を伸ばし、高い位置にある頭を順番に撫でてやる。リンとエイは、毒を食らっても悔いなしといった顔で、大人しく戻って行った。その背を満足気に見送り、ユキは鳥の煮込みに向き直る。
「さて……ここに、柑橘を三つ丸ごと……?」
料理番の書いてくれた調理法を眺め、首をかしげる。ユキが料理を覚えたいと言ったら、古くから仕えてくれている彼らが、親切に書いてくれたのだが。
(書き損じかな……? この果実は甘くていいやつだし、甘味になってしまう)
いつも食べている鳥の煮込みを想像し、「やはりそんなに甘くない」と思ったユキは、かわりに唐辛子をぽいっと鍋に追加した。赤いスープなので、これだろうと判じたのだ。
もわ、と上がる湯気が刺激を増す。
「うん、いい感じだ」
大きな匙で鍋をかき混ぜると、真っ赤な汁からまるまるした鳥肉が姿を見せる。匙で軽くつくと、ほわりと肉が骨から剥がれ落ちた。しかし、ソンロウから頂いたスープの肉はもっと柔かかった気がする。
「もっと精進しないと……」
悔しさを堪え、呟いたとき――隣で、静かな声が言った。
「どうだ、順調か」
「……っ、父さん!?」
弾かれたように振り返ると、父が顎を擦りながら、鍋を覗いていた。
「なぜ、こちらに?」
「そなたが、ソンロウの為に料理を習いたいと言って来たと、料理番から聞いての」
「っ……!?」
父の言葉に、ユキは赤面する。ソンロウのことは伏せて頼んだはずなのに、すっかりバレているではないか。言葉を失い、口をパクパクさせるユキに、父は苦笑する。
「照れることはなかろう。そなたはソンロウを婿にすると言うたではないか。伴侶を大切にするのは、狼にとって当然のことじゃ」
「父さん……」
ユキは、目を見ひらいた。
(先生とのこと、怒られると思っていたのに……)
まるで、応援する様な口ぶりに驚いてしまう。
ユキの婿選びの儀式と言っても、実際は次の族長を選ぶためのもの。だから、皆はヒサメの一族のハクロが選ばれると思っていたはずだ。ヒサメの一族は数だけなら、族長の一族をしのぐほどの勢力があり、機嫌を損ねるのは得策ではない。
父も、本音ではハクロを選んで欲しいと思っていたのではないか――。
そう思っているのが顔に出ていたのか、父は言った。
「わしは、そなたの好きにして良いと伝えたはずだが」
「ですが……」
「儀式とは言え、雄でありながら花嫁を務めるそなたへの、せめてもの親心じゃ。それに……ソンロウにとっても、何かのきっかけになるやもしれぬ」
「え?」
ユキは驚いて、顔を上げた。
「あれには、先代のエゴを押しつけてしまったゆえ――……」
父は低く呟き、黒い瞳を悔恨に曇らせていた。苦悶する父に、ユキは驚く。
(先代……? おじいさまが、いったい……)
なにやら、自分の知らぬ事情があるのかもしれない。そう思い、問おうとしたとき――にわかに面が騒がしくなった。
「なんだ?」
怪訝に呟いたとき、家人が慌ただしく駆け込んでくる。
「族長! 突如、空から魔鳥の大群が現れ、東の村を襲っております!」
「何だと!?」
父は族長の顔になり、振り返った。
「行くぞ! 皆を助けねば」
「はい!」
ユキも頷き、駆け出した。
*
ギャアア……!
砦の外に出ると、耳をつんざくような叫び声が響いていた。森の東手にある村の上空に、黒胡麻のような影が飛び交っている。あれはすべて魔鳥だというのか。
「なんて数……!」
ユキは息を飲む。白狼の棲む森には魔獣の住処でもある。村に魔獣が襲うことも少なくはないが――あれは、あまりに異常な数だ。
(なにか磁力でも働いたか?)
魔鳥は頭に方角を記録する石を持つ。本来、格上である白狼の村にここまで大挙するなど、何か妙な力に衝き動かされているような……。
「ユキ、ぼやぼやするな!」
弓を携えた族長が怒鳴る。諸肌を脱ぎ、隆起した筋肉には魔獣による爪痕が、亀裂のように走っている。ユキも表情を引き締め、声を上げた。
「ロウジ! ロウジはいるか」
「――はい!」
すぐさま駆けつけたロウジに、ユキは命じた。
「おれは族長と共に村の援護に行く。お前は手下を率いて、砦の者を守ってくれ」
「了解!」
勢いよく駆け去ったロウジに背を向け、ユキもまた東の村へと走り出した。
(みな、無事でいてくれ)
「兄さぁん、やめてくださいよー!」
「せっかくの獲物が浮かばれないですよぉ!」
包丁を握るユキに、大騒ぎしながらまとわりついている彼らは、そっくりの顔立ちを涙に濡らしている。毛並みが火に入らないよう、頭に布を巻いたユキが、ぴしゃりと叱った。
「リン、エイ! 火を使ってて危ないから、厨で暴れるなって言ってるだろう。それに、ちゃんと美味しくしてみせるから、心配するな」
大好きな兄に窘められ、二人はしゅんと小さくなる。彼らはユキの三歳下の弟であり、双子の白狼である。幼いころに母を失ったため、面倒を見てくれた兄に懐いていた。
「ごめんなさい、ユキ兄さん」
「わかればいい。さ、勉強でもしておいで。兄さんが、美味い飯を食わせてやるからな」
ユキは手を伸ばし、高い位置にある頭を順番に撫でてやる。リンとエイは、毒を食らっても悔いなしといった顔で、大人しく戻って行った。その背を満足気に見送り、ユキは鳥の煮込みに向き直る。
「さて……ここに、柑橘を三つ丸ごと……?」
料理番の書いてくれた調理法を眺め、首をかしげる。ユキが料理を覚えたいと言ったら、古くから仕えてくれている彼らが、親切に書いてくれたのだが。
(書き損じかな……? この果実は甘くていいやつだし、甘味になってしまう)
いつも食べている鳥の煮込みを想像し、「やはりそんなに甘くない」と思ったユキは、かわりに唐辛子をぽいっと鍋に追加した。赤いスープなので、これだろうと判じたのだ。
もわ、と上がる湯気が刺激を増す。
「うん、いい感じだ」
大きな匙で鍋をかき混ぜると、真っ赤な汁からまるまるした鳥肉が姿を見せる。匙で軽くつくと、ほわりと肉が骨から剥がれ落ちた。しかし、ソンロウから頂いたスープの肉はもっと柔かかった気がする。
「もっと精進しないと……」
悔しさを堪え、呟いたとき――隣で、静かな声が言った。
「どうだ、順調か」
「……っ、父さん!?」
弾かれたように振り返ると、父が顎を擦りながら、鍋を覗いていた。
「なぜ、こちらに?」
「そなたが、ソンロウの為に料理を習いたいと言って来たと、料理番から聞いての」
「っ……!?」
父の言葉に、ユキは赤面する。ソンロウのことは伏せて頼んだはずなのに、すっかりバレているではないか。言葉を失い、口をパクパクさせるユキに、父は苦笑する。
「照れることはなかろう。そなたはソンロウを婿にすると言うたではないか。伴侶を大切にするのは、狼にとって当然のことじゃ」
「父さん……」
ユキは、目を見ひらいた。
(先生とのこと、怒られると思っていたのに……)
まるで、応援する様な口ぶりに驚いてしまう。
ユキの婿選びの儀式と言っても、実際は次の族長を選ぶためのもの。だから、皆はヒサメの一族のハクロが選ばれると思っていたはずだ。ヒサメの一族は数だけなら、族長の一族をしのぐほどの勢力があり、機嫌を損ねるのは得策ではない。
父も、本音ではハクロを選んで欲しいと思っていたのではないか――。
そう思っているのが顔に出ていたのか、父は言った。
「わしは、そなたの好きにして良いと伝えたはずだが」
「ですが……」
「儀式とは言え、雄でありながら花嫁を務めるそなたへの、せめてもの親心じゃ。それに……ソンロウにとっても、何かのきっかけになるやもしれぬ」
「え?」
ユキは驚いて、顔を上げた。
「あれには、先代のエゴを押しつけてしまったゆえ――……」
父は低く呟き、黒い瞳を悔恨に曇らせていた。苦悶する父に、ユキは驚く。
(先代……? おじいさまが、いったい……)
なにやら、自分の知らぬ事情があるのかもしれない。そう思い、問おうとしたとき――にわかに面が騒がしくなった。
「なんだ?」
怪訝に呟いたとき、家人が慌ただしく駆け込んでくる。
「族長! 突如、空から魔鳥の大群が現れ、東の村を襲っております!」
「何だと!?」
父は族長の顔になり、振り返った。
「行くぞ! 皆を助けねば」
「はい!」
ユキも頷き、駆け出した。
*
ギャアア……!
砦の外に出ると、耳をつんざくような叫び声が響いていた。森の東手にある村の上空に、黒胡麻のような影が飛び交っている。あれはすべて魔鳥だというのか。
「なんて数……!」
ユキは息を飲む。白狼の棲む森には魔獣の住処でもある。村に魔獣が襲うことも少なくはないが――あれは、あまりに異常な数だ。
(なにか磁力でも働いたか?)
魔鳥は頭に方角を記録する石を持つ。本来、格上である白狼の村にここまで大挙するなど、何か妙な力に衝き動かされているような……。
「ユキ、ぼやぼやするな!」
弓を携えた族長が怒鳴る。諸肌を脱ぎ、隆起した筋肉には魔獣による爪痕が、亀裂のように走っている。ユキも表情を引き締め、声を上げた。
「ロウジ! ロウジはいるか」
「――はい!」
すぐさま駆けつけたロウジに、ユキは命じた。
「おれは族長と共に村の援護に行く。お前は手下を率いて、砦の者を守ってくれ」
「了解!」
勢いよく駆け去ったロウジに背を向け、ユキもまた東の村へと走り出した。
(みな、無事でいてくれ)
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