はぐれ者の花嫁
「して――ユキ様はどうしたんだ。こいつらから、非番だと聞いていたが?」
「あっ」
ソンロウに尋ねられ、ユキは当初の目的を思い出した。腕に抱いていた朝食の包は、まだ懐炉のように熱い。
「そうでした。先生、」
ユキは言いかけて、注目が集まっていることに気づいた。
(な、なんで皆、そんなに見ているんだ!?)
興味津々に見つめる部下たちに、ユキは思わず後ずさる。この状況で、ソンロウにだけ朝食を渡すのは、とてつもなく気恥ずかしいような――。
ユキの逡巡と、包みの発する良い匂いに、聡いロウジが察する。
「――そういうことですか。おい、とっとと行くぞ、負け犬ども!」
「ああ? んだよ、てめえもだろうが!」
ロウジは太い腕を振って、怒号を飛ばす仲間を先導し、岩場を駆け去っていく。残された狼たちも、ユキが居なければ二番手である彼に、続々従った。
「お前達、けがの手当てはしておけよ!」
その勢いにポカンとしながらも、ユキが大声で言うと、「応」と山彦のように声が返ってきた。ソンロウがくすくすと笑う。
「かわいい奴らだな。忠実だし、みな見所がある」
「……そうでしょう!」
ユキは、ぱっと顔を喜色に染める。群れを率いるものとして、配下が褒められることは喜びである。それが心から慕う師匠からであれば、尚更だ。
「あの狼たちは、心身共に強い。それでいて、努力を惜しまぬのです。今日、先生に手合わせしていただけたことも、彼らにとって宝になるでしょう」
いきいきと部下を褒めるユキに、ソンロウは眩し気に目を細めた。
「率いる者の人柄だろう」
「……!」
率直に褒められて、ユキはかっと頬を火照らせた。
「お、おやめください。そのような世辞を……!」
「はは。俺がなぜ、お前に世辞を言わなきゃならん? 褒めてんだから、素直に受け取れ」
からりと笑いながら言われ、ますますのぼせてしまう。本当は、滅多にない師匠からの褒め言葉が、嬉しくてたまらないのだ。
(だ、だめだ。またガキだと言われるぞ……!)
むずむずする口に力をこめ、ユキは咳払いする。
「先生。鍛錬、お疲れさまです。部下たちの面倒を見て頂き、ありがとうございました」
「ああ。いいってことよ」
改まったユキに、ソンロウもいったん笑いを治める。が、黄褐色の瞳は楽しそうに、ユキを見下ろしている。
「それで、腹が減ってはいないかと……これを。良ければ、貰ってほしいのですが」
ユキは早口に言い、大事に抱えていた包をソンロウに差し出した。ソンロウは、目を瞬く。
「俺にか」
「はい。今朝は、良い獲物が取れたので……」
つい、言い訳してしまいながら、ユキは走る鼓動を持て余していた。不思議そうに手の中の包みを見ていたソンロウは、やがてにっと笑った。
「そうか。ありがたく頂こう」
「……はい!」
ユキの黒い瞳が、喜びに輝く。ソンロウの大きい手に包みが収まるのを、くすぐったい気持ちで見つめる。すると、ソンロウはふっと目を細め、巨躯を屈めた。
「未来の嫁御の気遣いは、無碍にできんからな」
「~~!?」
低く、つやめいた囁きを耳に吹き込まれ、ユキは全身を火にした。
鍛錬場で食するのも味気ないので、いつもの岩場に向かう。ユキは、自分の家に来ないかと勧めたが、ソンロウは肩を竦めたのみだった。
「先生……」
「なに。堅苦しいのが、嫌なだけさ」
もの言いたげなユキの頭を撫で、ソンロウは先を行く。風になびく斑の毛並みを、ユキは切ない目で見つめた。
――ソンロウは族長の従弟だが、立場が難しい。
彼の母親が、宿敵である黒狼の一族と駆け落ちしたためだ。父の話では、村一番の手練れだったソンロウの母は、許嫁を裏切り、家族を捨ててまで、白狼の森を出て行ったという。
やがて番を失い、斑の毛並みの子を抱いて村に帰ってきた妹を、先代は許さなかった。
たとえ死んだとしても、砦に戻ることはならぬ――。
そう命じ、親子を危険な森の外れに棲ませ、村に助けを求めることを禁じた。村に帰って七年後――先代が狩りで命を落とし、ユキの父が族長を継いで、やっと呼び寄せられたそうだ。
その後、ソンロウはユキが生まれるまでは、砦に棲んでいたという。族長はソンロウを厚く遇し、己が従弟として遇するように求めていた。その甲斐もあってか、砦の者たちはソンロウを慕っているのだが……肝心のソンロウが、砦に寄りつかない。
ユキは、遠ざかるソンロウの背を見つめた。
(また、断られてしまった……どうしてだろう。先生は、俺の幼いころは、ここまででは……)
ソンロウが砦を避けるたび、”ここは己の場所ではない”と示されるようで、ユキは寂しい。
幼いころは、武術師範だった関係もあり、ソンロウは砦によく顔を出してくれた。が、ユキが長じてからは、仕事が関係しない限り、足を踏み入れようとしない。
(……おれに、遠慮してくださってるのかも)
ソンロウは、一族の後継として、ユキに期待をかけて、可愛がってくれた。あり得ない話では無い。
だからこそ、ユキはソンロウを繋ぎ留めたいのだ。
何故なら――誰が何と言おうと、あの族長の砦に相応しいのはソンロウだ。
ユキはそう信じるからこそ、不当に権利を奪われたソンロウに、居場所を返したい。
恋心からだけでなく、一族を思う者としての願いだった。
「おい、坊! 置いてっちまうぞ」
風の中、振り返ったソンロウの笑みに、ユキは胸を打たれる。
「はい!」
速度を上げて、愛する師匠の後を追った。
*
いつもの岩の上に座りこみ、ユキの持って来た弁当を広げた。
香辛料をふりかけて焼いた串焼きに、ソンロウがかぶりつく。豪快に二切れを咀嚼し、喉が大きく動いた。
「――美味いな」
「そうですか!?」
じっと反応を窺っていたユキは、ホッと胸を撫でおろした。
仕留めるのと捌くのは得意だが、調理はあまり得意ではないユキだ。串焼きのような、適当にかぶりつく程度の料理ならば出来るが、繊細な煮込みなどは失敗してしまう。
(弟や部下たちに、「頼むからやめてくれ」と言われるものなぁ……)
ユキ自身は、皆に料理を振舞うのが好きなので複雑ではある。串焼きを食べるソンロウを、そわそわと見つめていると、
「坊」
ふいにソンロウが、ひょいと何か投げてよこした。咄嗟に受け止めて、ユキは目を瞬く。それは、楕円形の筒である。長時間移動する、調達役が持つ糧食用の容器に違いない。
「これは……」
「食え。昼に食おうと持っていたが、俺はもういらん」
「えっ……そんな、恐れ多い!」
ぎょっとして、返そうとするがソンロウは受け取らない。串焼きにかぶりついて、聞くつもりはなさそうだ。ユキは途方にくれ――結局、好奇心に負けて、蓋を開けた。
もう、と白い湯気が上がる。
「わあ……!」
甘酸っぱい果実と、肉汁のよく煮込まれた匂いがした。蓋の内側についていた匙をとり、赤いスープをかき混ぜてみると、細かく刻まれた野菜と、やわらかそうな塊の肉がたっぷり煮込まれているとわかる。
「頂きます」
肉を匙で掬い、口に運ぶ。――とろけるように柔らかい。脂の旨味が、野菜が煮込まれて甘酸っぱいスープと絡み、絶品だった。
「お――美味しい!」
匙を勢いよく動かし、がっついて食べるユキに、ソンロウが笑う。
「大げさな奴だ。たいしたもんじゃねえだろ」
「いや、そんなこと……」
事も無げに言うソンロウに、憤慨しかけ――ユキは、はたと気づく。
(このメシは……いったい誰が?)
絶品のスープを、匙で混ぜる。……細かく切られた野菜に、繊細な味つけ。随所に、たおやかな手の存在が感じられる。
ユキは察した。――これはきっと、ソンロウを慕う雌狼の差し入れなのだろう。いつも、独り身の彼の世話を焼きたがり、器量の良い雌たちが群がっていることを思い出したのだ。
「……うっ」
そう思うと、絶品だったスープの味が、わからなくなった。急に、手をとめたユキに、ソンロウが怪訝そうに眉を上げる。
「どうした? 腹でも痛いか」
「い、いえ……」
ソンロウは、ユキが何に傷ついているか解っていないようだ。そのことにも、少なからず打撃を受けながらも……ユキは、匙を握り直す。
(落ち着け、おれ……先生がもてることくらい、わかっていたろ! これはむしろ、好機だ。自分にないものを見極め、鍛えるんだ……!)
やはり、料理を習得しよう。そう意志を固め、真剣にスープを味わった。ソンロウを慕う雌の気持ちを思うと、申し訳なかったが、恋と戦に手段は選んではならない。
「……美味いか? 坊」
「はい」
戦いに挑むように飯を食らっている弟分を、ソンロウは頬杖をついて、じっと眺めていた。
「あっ」
ソンロウに尋ねられ、ユキは当初の目的を思い出した。腕に抱いていた朝食の包は、まだ懐炉のように熱い。
「そうでした。先生、」
ユキは言いかけて、注目が集まっていることに気づいた。
(な、なんで皆、そんなに見ているんだ!?)
興味津々に見つめる部下たちに、ユキは思わず後ずさる。この状況で、ソンロウにだけ朝食を渡すのは、とてつもなく気恥ずかしいような――。
ユキの逡巡と、包みの発する良い匂いに、聡いロウジが察する。
「――そういうことですか。おい、とっとと行くぞ、負け犬ども!」
「ああ? んだよ、てめえもだろうが!」
ロウジは太い腕を振って、怒号を飛ばす仲間を先導し、岩場を駆け去っていく。残された狼たちも、ユキが居なければ二番手である彼に、続々従った。
「お前達、けがの手当てはしておけよ!」
その勢いにポカンとしながらも、ユキが大声で言うと、「応」と山彦のように声が返ってきた。ソンロウがくすくすと笑う。
「かわいい奴らだな。忠実だし、みな見所がある」
「……そうでしょう!」
ユキは、ぱっと顔を喜色に染める。群れを率いるものとして、配下が褒められることは喜びである。それが心から慕う師匠からであれば、尚更だ。
「あの狼たちは、心身共に強い。それでいて、努力を惜しまぬのです。今日、先生に手合わせしていただけたことも、彼らにとって宝になるでしょう」
いきいきと部下を褒めるユキに、ソンロウは眩し気に目を細めた。
「率いる者の人柄だろう」
「……!」
率直に褒められて、ユキはかっと頬を火照らせた。
「お、おやめください。そのような世辞を……!」
「はは。俺がなぜ、お前に世辞を言わなきゃならん? 褒めてんだから、素直に受け取れ」
からりと笑いながら言われ、ますますのぼせてしまう。本当は、滅多にない師匠からの褒め言葉が、嬉しくてたまらないのだ。
(だ、だめだ。またガキだと言われるぞ……!)
むずむずする口に力をこめ、ユキは咳払いする。
「先生。鍛錬、お疲れさまです。部下たちの面倒を見て頂き、ありがとうございました」
「ああ。いいってことよ」
改まったユキに、ソンロウもいったん笑いを治める。が、黄褐色の瞳は楽しそうに、ユキを見下ろしている。
「それで、腹が減ってはいないかと……これを。良ければ、貰ってほしいのですが」
ユキは早口に言い、大事に抱えていた包をソンロウに差し出した。ソンロウは、目を瞬く。
「俺にか」
「はい。今朝は、良い獲物が取れたので……」
つい、言い訳してしまいながら、ユキは走る鼓動を持て余していた。不思議そうに手の中の包みを見ていたソンロウは、やがてにっと笑った。
「そうか。ありがたく頂こう」
「……はい!」
ユキの黒い瞳が、喜びに輝く。ソンロウの大きい手に包みが収まるのを、くすぐったい気持ちで見つめる。すると、ソンロウはふっと目を細め、巨躯を屈めた。
「未来の嫁御の気遣いは、無碍にできんからな」
「~~!?」
低く、つやめいた囁きを耳に吹き込まれ、ユキは全身を火にした。
鍛錬場で食するのも味気ないので、いつもの岩場に向かう。ユキは、自分の家に来ないかと勧めたが、ソンロウは肩を竦めたのみだった。
「先生……」
「なに。堅苦しいのが、嫌なだけさ」
もの言いたげなユキの頭を撫で、ソンロウは先を行く。風になびく斑の毛並みを、ユキは切ない目で見つめた。
――ソンロウは族長の従弟だが、立場が難しい。
彼の母親が、宿敵である黒狼の一族と駆け落ちしたためだ。父の話では、村一番の手練れだったソンロウの母は、許嫁を裏切り、家族を捨ててまで、白狼の森を出て行ったという。
やがて番を失い、斑の毛並みの子を抱いて村に帰ってきた妹を、先代は許さなかった。
たとえ死んだとしても、砦に戻ることはならぬ――。
そう命じ、親子を危険な森の外れに棲ませ、村に助けを求めることを禁じた。村に帰って七年後――先代が狩りで命を落とし、ユキの父が族長を継いで、やっと呼び寄せられたそうだ。
その後、ソンロウはユキが生まれるまでは、砦に棲んでいたという。族長はソンロウを厚く遇し、己が従弟として遇するように求めていた。その甲斐もあってか、砦の者たちはソンロウを慕っているのだが……肝心のソンロウが、砦に寄りつかない。
ユキは、遠ざかるソンロウの背を見つめた。
(また、断られてしまった……どうしてだろう。先生は、俺の幼いころは、ここまででは……)
ソンロウが砦を避けるたび、”ここは己の場所ではない”と示されるようで、ユキは寂しい。
幼いころは、武術師範だった関係もあり、ソンロウは砦によく顔を出してくれた。が、ユキが長じてからは、仕事が関係しない限り、足を踏み入れようとしない。
(……おれに、遠慮してくださってるのかも)
ソンロウは、一族の後継として、ユキに期待をかけて、可愛がってくれた。あり得ない話では無い。
だからこそ、ユキはソンロウを繋ぎ留めたいのだ。
何故なら――誰が何と言おうと、あの族長の砦に相応しいのはソンロウだ。
ユキはそう信じるからこそ、不当に権利を奪われたソンロウに、居場所を返したい。
恋心からだけでなく、一族を思う者としての願いだった。
「おい、坊! 置いてっちまうぞ」
風の中、振り返ったソンロウの笑みに、ユキは胸を打たれる。
「はい!」
速度を上げて、愛する師匠の後を追った。
*
いつもの岩の上に座りこみ、ユキの持って来た弁当を広げた。
香辛料をふりかけて焼いた串焼きに、ソンロウがかぶりつく。豪快に二切れを咀嚼し、喉が大きく動いた。
「――美味いな」
「そうですか!?」
じっと反応を窺っていたユキは、ホッと胸を撫でおろした。
仕留めるのと捌くのは得意だが、調理はあまり得意ではないユキだ。串焼きのような、適当にかぶりつく程度の料理ならば出来るが、繊細な煮込みなどは失敗してしまう。
(弟や部下たちに、「頼むからやめてくれ」と言われるものなぁ……)
ユキ自身は、皆に料理を振舞うのが好きなので複雑ではある。串焼きを食べるソンロウを、そわそわと見つめていると、
「坊」
ふいにソンロウが、ひょいと何か投げてよこした。咄嗟に受け止めて、ユキは目を瞬く。それは、楕円形の筒である。長時間移動する、調達役が持つ糧食用の容器に違いない。
「これは……」
「食え。昼に食おうと持っていたが、俺はもういらん」
「えっ……そんな、恐れ多い!」
ぎょっとして、返そうとするがソンロウは受け取らない。串焼きにかぶりついて、聞くつもりはなさそうだ。ユキは途方にくれ――結局、好奇心に負けて、蓋を開けた。
もう、と白い湯気が上がる。
「わあ……!」
甘酸っぱい果実と、肉汁のよく煮込まれた匂いがした。蓋の内側についていた匙をとり、赤いスープをかき混ぜてみると、細かく刻まれた野菜と、やわらかそうな塊の肉がたっぷり煮込まれているとわかる。
「頂きます」
肉を匙で掬い、口に運ぶ。――とろけるように柔らかい。脂の旨味が、野菜が煮込まれて甘酸っぱいスープと絡み、絶品だった。
「お――美味しい!」
匙を勢いよく動かし、がっついて食べるユキに、ソンロウが笑う。
「大げさな奴だ。たいしたもんじゃねえだろ」
「いや、そんなこと……」
事も無げに言うソンロウに、憤慨しかけ――ユキは、はたと気づく。
(このメシは……いったい誰が?)
絶品のスープを、匙で混ぜる。……細かく切られた野菜に、繊細な味つけ。随所に、たおやかな手の存在が感じられる。
ユキは察した。――これはきっと、ソンロウを慕う雌狼の差し入れなのだろう。いつも、独り身の彼の世話を焼きたがり、器量の良い雌たちが群がっていることを思い出したのだ。
「……うっ」
そう思うと、絶品だったスープの味が、わからなくなった。急に、手をとめたユキに、ソンロウが怪訝そうに眉を上げる。
「どうした? 腹でも痛いか」
「い、いえ……」
ソンロウは、ユキが何に傷ついているか解っていないようだ。そのことにも、少なからず打撃を受けながらも……ユキは、匙を握り直す。
(落ち着け、おれ……先生がもてることくらい、わかっていたろ! これはむしろ、好機だ。自分にないものを見極め、鍛えるんだ……!)
やはり、料理を習得しよう。そう意志を固め、真剣にスープを味わった。ソンロウを慕う雌の気持ちを思うと、申し訳なかったが、恋と戦に手段は選んではならない。
「……美味いか? 坊」
「はい」
戦いに挑むように飯を食らっている弟分を、ソンロウは頬杖をついて、じっと眺めていた。