六年目の恋、もう一度手を繋ぐ

 その日の夜、俺は夕飯のラーメンを食い終えた後、家を出た。

「いってきまーす」

 と誰もおらん家に声をかけ、ジャージの首にタオルを巻き、ラケットバッグを肩にかけて。灰色にオレンジの水を撒いたような、夕方の空の下――副キャプに言われた、市営のテニスコートを目指して走った。
 市営のテニスコートは、田んぼのずらりと並ぶあぜ道を越えた先にある。緑のネットに覆われた高いフェンスが見えてくると、パーン、と小気味の良い打球音も聞こえてきた。

「こんばんはー!」
「おう、つむぎ。よう来たな!」

 フェンスの中に入ってくと、ジャージの集団から、副キャプが小走りに近づいてくる。夜でも爽やかな笑顔に、俺はぺこりと頭を下げた。

「練習誘ってもろて、ありがとうございます! お邪魔んならんよう、頑張ります」
「はは、真面目やなあ」

 副キャプが笑う。
 そう……昼休みに、副キャプが誘ってくれたんは、この夜練習やったんよ。なんでも、部活の練習だけで物足りひんと思った先輩らが、お金を出し合ってコートを借りてはるそうやねん。流石やで!
 コートにいた先輩らも、わらわらと集まってきはった。

「お、つむぎ来てるやん」
「こんばんは! よろしくお願いします!」

 赤べこのごとく、あっちゃこっちゃへ頭を下げる俺に、笑いが起こる。先輩らは、部活の時間と違うせいか、空気がいつもよりやらかい気がする。
 ベンチに座ってスポドリを飲んどった部長が、面白そうに言った。

「一年の、夜練習一番乗りはつむぎか。まあ、順当なとこやな」
「光栄です……!」

 俺はぴん、と背筋を伸ばし、声を張った。
 なんで渉を差し置いて俺かはわからんけど、チャンスはチャンスやし、ありがたく頂きます!

「アップは済んでんのか?」
「はい! 走ってきました」
「ほな、藤野が中におるから打ってこい」

 部長の言葉に頷き、俺はコートに入らせてもらう。ネットの向こうにおる、藤野先輩に声を張り上げた。

「藤野先輩、よろしくお願いしますっ」
「はいはい、よろしく」

 ひらひらと手を振る先輩に会釈し、ラケットを構えた。
 一年を代表して来てるんやから、頑張らんと!
 

 *


 軽くラリーした後、ゲーム形式の練習が始まった。コートが一面しかないから、ダブルスの勝ち上がり戦をやってん。

「副キャプテン!」
「はいよっ」

 ゲームポイントの大一番――俺は副キャプに合図を送り、ムーンボールを打った。それと同時に駆けだして、ネットにつく。隣の副キャプが、にっと笑った。

「行くで、つむぎ!」
「はい!」

 前衛平衡陣――二人とも前に出て、勝負をかける。

「おりゃっ」

 副キャプが、山田先輩のストロークを切って、絶妙な死に球を打つ。

「……っち!」

 ペースを乱された山田先輩は舌打ちし、俺のストレートに高めの返球した。コースが甘い。――前に出た方が、案外コースが限定されるんよな。

「やっ!」

 高く飛びあがり、バックハンドのハイボレーをお見舞いする。
 
 ポカッ!
 
 オープンコートに打球が突き刺さり、「ゲーム!」と部長が試合終了を告げる声が響いた。

「おー! やるやん」
「ヤマ、今日厄日違うか?」
「はあ? うっさいっすわ」

 コートを囲んでいた先輩たちが、どっと声を上げはる。俺はコート上で、はあはあと荒い息を吐きながら、信じられへん気持ちで一杯やった。
 
 ――うわああ……気持ち良かった~!
 
 やることなすこと、面白いみたいにはまってん。スキーで例えるなら、北海道の雪って感じ。めっちゃテニスが上手くなった気分やってん。
 汗を拭っていると、ぽんと頭を撫でられる。

「つむぎ、ようやった!」
「副キャプテン、ありがとうございました。俺、めっちゃ楽しかったです! 先輩のおかげで、すっごいノって」

 興奮して捲し立てる俺に、副キャプは笑う。

「なに言うてん。お前の実力やんか」
「いえ、そんなこと……」
「ほんまやって。いっつもサポートに徹しとるから、わからんだけよ」
「え……?」

 きょとんとする俺に、ニカッと笑いかけ、副キャプは部長のほうに歩いていく。何やら、真剣な顔で喋っとる先輩らを、ぼうっと眺めとったら、ぺんと頭を張られる。

「あでっ!?」
「ぼさっとしとらんと、クールダウンするで。今日は、俺らはもう終わりじゃ」
「あ……はいっ! ありがとうございました」

 山田先輩に首根っこを掴まれ、コートの外周を走りに行く。すっかり夜になり、冷えた外気が火照った体に心地いい。グリーンネットの張られたフェンスの向こうでは、また試合が始まっとるようやった。
 
 ――最後は……藤野先輩と、竹内先輩かあ。てか部長、試合いっぺんもしてへんけど……お。俺が入ったせいで、時間なかったんやろか?
 
 試合を見ながら走ってたら、先を行く山田先輩が、声を上げた。

「おい。小山内」
「は、はい!」

 急に話しかけられて、声がひっくり返る。

「どうやった、お前。風間さんと組んで」
「え――凄かったっす。めっちゃ勉強させてもらいました!」

 意外な問いに、目を瞬く。思ったまんま答えたら、山田先輩は「そうか」とぶっきら棒に頷かはる。

「風間さんはダブルス上手いからな」
「いや、副キャプもですけど、お二人は俺の憧れなんです……! 俺と渉も頑張って、でっかいダブルスペアに、」

 山田先輩は、急にでっかい舌打ちした。

「……アホか、お前……」
「えっ、すんません!?」
「……チッ」

 それきり会話はなくて、俺達はもくもくとクールダウンした。
 謎やったけど、山田先輩が不機嫌なんは、今に始まったことやないからね。
 

 *

 
「つむぎ、どうやった?」
「めっちゃ楽しかったです!」

 街灯に照らされる夜道を、副キャプと並んで歩きながら、俺は笑って答えた。

「ほな良かった」
「誘ってもろて、ありがとうございました。つぎは、みんなと一緒に来させてもらいますっ」

 先輩らが、同期のみんなも来ていいって言うてくれたんよ。昼間、話し合っていた練習場所の問題がさっそく解決して、めっちゃ嬉しい。

「うんうん。人数増えたら、コート代も安くなるしな。何より、やる気のある奴は大歓迎やから」

 副キャプが目を細めて笑った。
 
 ――みんな、絶対喜ぶ。はやく伝えたいな……!
 
 ワクワクして、足取りが軽くなる。副キャプは、自転車を押して、のんびりと歩調を合わせてくれている。

「すんません。家の方向ちがうのに、送ってもらうなんて……」
「はは。ちょうど、コンビニ寄りたいなて思ってたし。暗いから、つむぎ一人やと危ないやろ?」

 当たり前みたいに言われて、ちょっと照れる。真正面から、気遣われたんは久しぶりやったから。
 
 ――渉のアホなんか、帰る言うても「バイバーイ」やからなあ……。
 
 空しくなって、遠い目をしていると……副キャプがふと言った。

「なあ、つむぎ。渉とは、ダブルス組んでどれくらいなん?」
「えっ、急ですね!?」
「急に気になってん……で?」

 副キャプの薄茶の目が、興味深そうに見下ろしとった。俺は、「ええと」と顎を撫でる。

「十歳で初めて試合に出て、それからなんで……かれこれ、六年目っす」
「へえ! さすが幼なじみやなあ。最初から、ダブルスやったん?」

 副キャプは目を丸くした。

「そうなんです。渉のやつ……俺とやないと試合に出ないって言うたんですよ」

 言いながら、懐かしい気持ちになった。六年前の夏、俺と渉の初試合を思い出して――。



 『いやや!試合なんか出ん!』

 渉は、泣きながら地団駄を踏んどった。
 小さいころ、通ってたテニスクラブでは、十歳からは絶対に試合に出なあかんかったん。俺と渉も、例外やなくて、コーチに勧められたんやけど。
 
 『渉くん、上手なんやから大丈夫や。優勝できるくらいやって』
 『いやなもんは、いやじゃ! そんなん出たない!』

 渉はどんだけ熱心に口説かれても、うんて言わんくて。もともと、内弁慶なやつやから、試合と聞いただけで不安やったんやと思う。
 でも、俺は不満やった。
 
 ――もったいないわ。渉、いちばん上手いのに!
 
 渉が、誰より熱心に練習してるん知ってたから。試合を拒んでることで、みんなに根性なしやらと酷いこと言われるんは、もどかしかったん。
 やから、俺は渉を説得したんや。
 
 『渉、一緒にダブルスに出よう! 俺と二人やったら、怖くないよ』

 ダブルスのペアとして、一緒に戦おう。渉は涙に濡れた目を、ぱちりとさせた。
 
 『……つむちゃん、ほんま? 一緒にいてくれるん?』
 『うん。渉が怖かったら、俺が手を引いたる!』
 『……うん!』

 俺が出した手を、渉は笑顔で握り返してくれたんよ。

 

 
 ――あの頃の渉は、可愛かったなあ。
 
 懐かしい思い出に、じんわりと来ていると、副キャプはにこにこしていた。

「幼馴染っちゅうのは、ええもんやな」
「へへ……」

 照れくさくて、手をプラプラさせる。副キャプは静かに言った。

「それで、ずっと尽くしてるんやなあ」
「え?」

 俺は、目を丸くする。

「つむぎ。俺はな、今日お前と組んでおもろかったわ。お前は、もっと出来る子やと思う」
「えーっ。光栄です!」

 褒められて歓声を上げると、副キャプも笑う。
 夜道に、街灯が白い導を作る。にぎやかな笑い声が響いた。
 

 *

 
「ほな、お疲れさん」

 副キャプが自転車のハンドルを返し、言う。俺は気を付けして、礼をする。

「ありがとうございました! お気をつけて」

 副キャプは笑って、自転車にまたがると、あっという間に遠くまで漕ぎ出していく。颯爽とした背に頭を下げたまま、俺はほうと息を吐いた。

「コンビニ、寄ってへんやないすか……」

 結局、俺の住むコーポ安らぎの手前まで、送ってくれはったんよ。途中、何度か「ここまでで」って言うてんけど、「ええから」って言うてくれて。

「さすが、モテモテの副キャプは違うなあ」

 誰と違って、とは言わんけど。
 俺は、久しぶりに明るい気分で、階段を上る。そして――ぎょっとした。
 家の前に、小山のような人影がしゃがみ込んでんのが見えたから。

「渉……?」

 おそるおそる尋ねると、むくっと影が起き上がる。

「――他に誰がおるわけ?」

 刺々しい応えが返る。
 最高に機嫌の悪そうな渉に、俺は頬が引き攣るのを感じた。
 
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