君に捧げる紅の衣

 それから――僕は、本当に寝込んでしまったんだ。
 辰さんが無事ってわかって安心したからかな。
 部屋に戻ったら、熱が出てきてしまって……薬師のおじいちゃんが言うには、疲労のせいなんだって。今まで、呪力を使いすぎるってことが無かったから、からだがびっくりしてるんだとか。

「若君様達も、何度も経験されておられます。そのたび、よりお強くなられました」

 ふぉふぉ、とどこか嬉しそうなおじいちゃんの言葉を、僕は熱に浮かされたまま聞いた。今まで、甘やかして貰ってたんだなあ、って恥ずかしい気持ちと、期待があったんだ。これで僕ももっと、強くなれるのかな――って。
 もちろん、皆に心配かけてるから、心の中でだけどね。
 そういうわけで、僕はこんこんと寝込んじゃったんだ。

「羅華様。ご加減は如何ですか?」

 梅がずっとつきっきりで、看病してくれてね……ひんやりした優しい手が、額に触れるとほっとして、よく眠れたの。文徳さんや、お兄様もお見舞いに来てくれた気がする。
 お二人とも僕の寝ているときに、甘いものを置いてってくださって。枕元の卓に新しいお菓子があって、びっくりちゃった。
 真綿に包まれるように、静養する日々。そんな中――辰さんの容体を知ることは出来なかった。
 

 *


 「よいしょ……」

 まばゆい陽射しを受けながら、僕は作業台に座っていた。針先に点した白銀の光を、絹の手巾にちくちくと差していく。
 
 ――久しぶりの刺繍、楽しいなあ。
 
 ふふ、と笑う。玉止めをして、糸を切る。真っ白い手巾に、白銀の梅の花がたくさん咲きほこっていた。

「やった、上手にできたぁ!」

 手巾を高く掲げて、にこにこしていると、扉が開いた。

「羅華様? もう起きていらっしゃったんですか?」
「うん。おはよう、梅!」

 盥をもって、びっくりした顔をしてる梅に笑いかけた。

「昨夜、熱が下がったばかりですのに……」
「大丈夫! だって、五日も寝ていたんだよ。もう、すっかり元気っ」

 立ち上がって、両手を広げて見せる。おまけにくるくる回ると、梅が慌てて近づいて来た。

「羅華様っ」
「梅、ありがとう。ずっと看病してくれて」

 そっと手を握ると、梅が涙ぐんだ。

「本当に、お元気になられてよかった……」

 優しいねえやの涙に、胸がきゅっと痛む。誘拐されて、熱まで出して……どれほど心配をかけてしまっただろう。

「梅……心配かけてごめんね。もう大丈夫だよ」

 僕は、梅の頬に伝う涙を、手巾でそっと拭った。

「まあ……! 私などに、もったいのうございますわ」
「ううん、梅に渡そうと思ってたんだ。いつもありがとう、って伝えたくて……」

 あと、元気になったよって安心してほしくて。お礼と言うには、ちっとも足りていないんだけど……とモゴモゴと言うと、梅はきょとんとしたあと、微笑した。

「ありがとうございます、羅華様。大切にします」

 手巾を受け取ってくれて、僕もぱっと笑顔になる。朝の光が差し込む室で、僕と梅は笑いあった。
 

 
 朝ごはんを食べ終わった頃、文徳さんとお兄様がお部屋にやってきた。

「やあ、羅華。調子はどうだい」

 お部屋に入ってくるなり、僕を抱き上げたお兄様に、にっこり笑って頷く。

「御機嫌よう、お兄様。おかげさまで、すっかり元気です」
「そうか? 少し痩せていないか。兄様にもっとよく顔を見せてごらん」

 腕に抱えられたまま、じっと瞳を覗き込まれる。お兄様の肩越しに、文徳さんが肩を竦めていた。

「あ、あの……お兄様っ」

 僕はお兄様の肩に掴まって、声を上げた。ずっと聞きたかったことを聞きたくて。でも、その前にお兄様がにこりと目を細める。

「羅華、今日はお前に報告があってね」
「……え?」

 お兄様は長椅子に腰かけると、話し始めた。隣に座らされた僕は、首をかしげる。

「報告、ですか?」
「あの事件の顛末についてです、羅華様」

 正面に座った文徳さんが、両手を揉みながら、話し出した。

「若君様が動かれていた、王太子様暗殺の件。そして、羅華様が攫われた件……首謀者は同じものでございました」
「あ……王弟殿下?」

 僕は、はっとした。あの廃墟で聞いたことを、お兄様たちに話していたんだ。「王弟殿下に頼まれた」って言っていたこと。お兄様に恨みを持っそうだったこと――。ひじ掛けにゆったりと凭れて、お兄様が笑う。

「廃墟で倒れていた男どもを締め上げたら、簡単に吐いた。――あいつらは流しの術者でな。あの中の一人の妹が、王弟の妾として最近召されたそうなのだ。王弟はその者に溺れ、権力を欲さんとした……まあ、よくある展開だが」
「は、はあ……?」

 なんか難しい。眉を寄せていると、頭をうりうりと撫でられる。

「わからなくて良い。ただ――お手柄だよ、羅華。今回のことを明るみに出せば、王弟は失脚する。これで、殿下の御身の無事は守られるだろう」
「ほ、本当ですか!?」

 僕は、ぱっと顔を明るくする。文徳さんが笑顔で頷いた。

「はい! すでに殿下に報告し、王弟の一族は捕らえました。これにて、任務終了と言うわけですな」
「わあ……! おめでとうございます、お兄様」
「おめでとうございます」

 梅と二人、ペコリと礼を取る。お兄様は「うん」と鷹揚に頷いた。

「ありがとう。だが、殿下はご兄弟が多い故、氷山の一角にすぎないだろう。あの気の弱い王弟が、今回のことを自ら企てたとも考えにくい……きっと黒幕がいるはずだ」
「えっ」

 まだ終わりじゃないの?
 ガッカリした空気が出ていたのか、お兄様が困ったように笑った。卓上の砂糖菓子を一つつまみ、僕の口にぽんと放り込む。砂糖がしゅわりと溶ける。

「美味しいかい?」
「……おいひいです」

 ぼうっとしていると、お兄様が優しい声で言った。

「大丈夫だ。羅華を傷つけたものを、兄様は逃すつもりはない。必ず捕えて、じきじきに許しを請わせてやるさ」
「お兄様……」

 お砂糖より甘い笑みを浮かべるお兄様。どこか凄味のあるそれは、お兄様が本気の証で――僕は、慌てて頷いた。

「む、無茶はしないでね……」
「ふふ。さて……病み上がりなのに、長居してすまなかったな」

 お兄様はすっくと立ちあがると、扉に向かう。黒い長衣が翻り、伽羅の香が漂う。僕は、はっとした。

「お、お兄様!」
「ん?」
「あの……辰さんは……」

 僕は、聞きたかったことを、おずおずと口にした。お兄様は、僅かに目を瞠る。
 
 ――元気になるまでは、辰さんに会わせるなって……お兄様が命じたって、侍女の子が教えてくれた。でも……。
 
 僕は、お兄様の袖を摘まんだ。

「僕、もう元気になりました。だから、辰さんのお見舞いに行きたいです」

 懸命に、お願いする。
 辰さんに、ずっと会いたかった。だから……。じっと待ち構えていると、お兄様はため息をついた。

「いいだろう」

 
 *
 

 庭園で切り出して貰った花を抱え、医館に急ぐ。

「羅華様! 走っては危のうございます」
「あっ、ごめん。梅」

 梅に窘められ、歩調を緩める。でも、気もちが逸って仕方ない。

「辰さんに、早く会いたくて……」

 おろおろと呟く。
 
 ――ずっと、会いたかった。でも、回復してからじゃないと、会う資格がない気がして……。
 
 僕を庇って怪我をした辰さん。具合に悪いまま会いに行ったら、怒られちゃうと思ったから。だから……梅にも、他の侍女の子にも聞かないように頑張った。
 辰さんの容体を聞いたら、走って行ってしまいそうだったから。

「……辰さん、大丈夫かな」

 あんなに、ひどい怪我だったのに。
 ぎゅ、と花束を抱くと、葉から落ちた露が袖を濡らした。

「羅華様」

 丸まった背に、梅がそっと手を添えてくれる。
 優しい温もりに勇気を得て、僕は辿り着いた辰さんの病室の戸を開けた。

「失礼します……」

 そっと中を覗く。
 薬師の先生もいない。窓からの陽ざしが、まっすぐに床を照らしている。

「羅華様、どうぞお花を。私が活けて参りますわ」
「あ……ありがとう」

 花を受け取って、梅が出て行く。きっと、気を利かせてくれたんだ。
 僕は、奥の寝台まで、足音を忍ばせて、近づいた。寝台は帳が下りたままで、しんと静まり返っている。

「辰さん」

 おそるおそる、帳をもち上げる。あの日と同じように、寝台に眠る辰さんがそこにはいた。
 閉ざされた瞼に、白い頬。暗い色の寝衣の襟がはだけ、包帯が見えていた。
 
 ――辰さん、眠ってる……?
 
 傷ついた愛しい人に、ずきんと胸が痛む。
 さっき、お兄様に聞いたんだ。刃に塗られていた毒のせいで、呪力が回復しなかったんだって。傷は塞がらないし、熱も出て……昨夜、やっと快方に向かい始めたんだって……。
 
 『練度の高い辰でなければ、死んでいた。お前を守ったことを褒めてやろうと思うよ』

 真っ青になった僕の頬を撫で、お兄様は言った。
 
 ――僕のために、こんなことになって。それなのに、僕が馬鹿なせいで、お見舞いにも来れないで……。
 
 涙を堪え、寝台の側に跪く。布団に手を入れて、そっと手を握った。いつも暖かい手が冷たくって、心がひやりと竦む。
 
 『四呪の光よ……辰さんを癒して』

 小さく唱えると、手のひらから光が溢れ出した。辰さんを少しでも癒してくれるように、と念じる。辰さんが守ってくれた僕に出来ること――これしか浮かばない。
 光に包まれる辰さんが、次第に滲んでいく。

「辰さん、ごめんなさい……」

 うっく、としゃくりあげた。
 僕のせいで、大切な辰さんを酷い目に遭わせてしまった。心苦しくて……でも、本当に辛い人の前で泣いてしまう自分が嫌で、ぎゅっと目を閉じる。
 力を注いで、しばらくしたころ――手のひらのなかで、指先がピクリと動いた。

「……っ」

 濡れた睫毛を瞬く。はっとして、枕元を見上げると、辰さんの瞼が震えていた。

「……羅華様」

 ゆっくりと開いた緑の瞳が、僕を映していた。
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