君に捧げる紅の衣

 ――いつかの夢を見た。
 
 それは、もっと幼いころ。春が過ぎ、夏が来て……玄家の庭園では、桃の木が若々しい緑の葉を揺らしていた。

「辰さん、辰さんっ」

 小さい僕が、辰さんを見つけて駆け寄っていく。
 他家への出稽古に赴いていた彼と会うのは、一か月ぶりだった。同じく、帰ってきたばかりの武人の人達の集団に、鉄色の髪が目立っている。
 
 ――わああ……辰さんだあ!
 
 彼らが解散したのを見計らい、逸る想いで木の影から飛び出した。

「辰さん~!」

 槍を担いだ彼が振り返ったのと、僕が石畳につまずいたのと、同時だった。

「わあっ」
「――羅華様!」

 転んじゃう――そう思って、固く目を閉じる。でも、予想してた痛みは訪れなくて……かわりに、あたたかいものに頬がくっついていた。
 カラン、と槍が地面に転がって音を立てる。

「……あれ?」
「まったく、あなたは……」

 目をぱちぱちしていると、頭上から呆れ声が降ってくる。眩しい陽光を背負い、辰さんが眉を寄せていた。地面に座り込んだ辰さんが、僕を抱きとめてくれたんだ。

「急いだら危ない、って言ってるでしょう?」

 言いながら、怪我をしていないか確かめるよう、緑色の瞳が動く。叱られても、優しいから平気なんだ。僕は、ぱっと顔を輝かせた。

「辰さんっ。受けとめてくれてありがとう」
「……聞いていないでしょ。全く」

 ピョン、と胸に飛びこむと、辰さんはやれやれとため息をついた。包帯をまいて、ごわごわした手が背に添えられる。旅装のせいか、ちょっと砂埃と汗のにおいがした。
 
 ――……武人の人は汗くさいけど、辰さんはいいにおい。
 
 僕はΩだから、匂いに敏感なんだって。でも……侍女の梅の優しい香の匂いとも、文徳さんの華やかな香り、お兄様とお姉様の玄妙な香りとも違う。
 爽やかで、焼けた砂みたいに熱い匂い……心臓がどきどきする。
 すんすんと鼻を鳴らしていると、べりっと引き剥がされちゃう。

「やめなさい、羅華様。はしたないですよ!」

 目元を赤くした辰さんに窘められる。大好きな人から引き剥がされ、僕はしょんぼりと肩を落とした。

「うう……辰さんの意地悪っ」
「何とでも言いなさい」

 すっくと立ちあがった辰さんが、手を差し出してくれる。きょとんと目を丸くする僕に、辰さんは言う。

「立てますか? 無理そうなら、抱えますが」
「……はい! 抱っこしてください!」

 優しい言葉に、ぱっと心に花が咲く。僕は、満面の笑顔で両手をのばした。辰さんは、「やれやれ」と笑って、抱き上げてくれる。
 僕は、ぎゅっと肩に抱きついて、目を丸くした。

「あれ。辰さん、なんだかお兄様みたい」
「……私が、景岳様に? 恐れ多い」

 ふ、と吐息だけで辰さんは笑う。

「本当ですっ。なんだか、前より大きいんですもん!」

 僕は、信じていなさそうな辰さんに、力説する。辰さんが稽古に出かける前よりも、視界が高いの。上背のあるお兄様に抱っこしていただくときと、同じくらいで――。
 辰さんは、「ああ」と頷いた。

「そう言えば、背が伸びたと言われます」
「やっぱりー!」

 歓声を上げる僕に、辰さんがくすりと笑う。会えないひと月の間に、辰さんがずっと大人になってしまったみたい。

「羅華様のことも、前よりも軽く感じますよ」
「本当ですか?」

 誇らしそうな口ぶりに、心が浮き立つ。がば、と肩に乗りかかるように、抱きついた。

「えへへ。じゃあ、もっとぎゅってして下さいー」
「まったく……甘えん坊ですね、貴方は」

 呆れながら、しっかりと抱き直してくれる。広い肩にしがみつきながら、僕はくすくす笑った。
 小さな腕一杯に辰さんを抱きしめると、この人は自分のものって思えたの。
 辰さんに抱えられて、桃の並木道を歩いていると、瑞々しい若葉が髪に触れる。見上げていた葉に手が届き、思わず一枚摘み取った。

「辰さん、見て!」

 陽光に透き通る緑の葉を、片目に当ててみせる。

「すっごく綺麗。辰さんの瞳みたい」
「羅華様……」

 辰さんは、驚いたみたいに目を丸くしてる。見開いた緑の瞳に、僕の満面の笑みが映っていた。
 綺麗な、大好きな人。ずっと大切にして、守りたいって思うんだ。

「僕も大きくなって、辰さんを守りますっ」

 辰さんは笑って、頭を撫でてくれた。
 それは私の台詞ですよ、と微笑みながら――。

 

 *
 


 辰さんのこと、大好き。
 ずっと僕の側に居てほしい。笑っていて欲しい。
 
 ――でも、全部わがままだったのかな……?
 
 綺麗な玉鈴お姉さんと、親しく話す辰さんの横顔が浮かぶ。
 
 『本当は、桃家の令嬢を想っているんだろう?』

 怒りを滲ませた剛さんの言葉も。
 僕の願いが、辰さんを傷つけていたんだろうか――。
 


「……う」

 ずき、と頭が痛み、僕は呻いた。

「……おい、こいつ目が覚めたんじゃねえか……?」
「漸くか。やれやれ……王弟殿下は気が短いというに」

 ざわざわと、低い声が頭上で囁き合っている。
 
 ――なに……おうてい、ってだれ?
 
 体が重い。僕は、重たい瞼を押し上げて、のそりと目を開けた。

「……え?」

 そして、現れた光景に目を見張る。
 僕は、埃っぽい床に転がされていたんだ。体は縄のようなものでぐるぐる巻きに縛られる。そして――天井を遮るように、ぐるりと見知らぬ男の人達の顔が、覗き込んでいた。
 燭台の火に照らされ、不気味な影が揺れる。

「ひゃああっ」

 怖くなって、甲高い悲鳴を上げる。
 
 ――だれ!? やだようっ、怖い顔ー!
 
 すると、僕を取り囲んでいた人たちが、どっと笑い声をあげた。……こんなに低くて大きな声を聞いたことがない。頭の中で銅鑼が鳴らされているようで、思わず身を丸めた。

「はは……可愛い声だ。玄家つっても、この状況じゃ可憐なもんだな」
「違いない。これが、玄景岳であっても、変わりないかもしれんぞ」

 肩をつき合い、嫌な笑みを浮かべている。僕は、彼らの言葉にはっとした。

「玄、家……僕が、玄家のものって、知ってるの? あ……あなたたちは、だれっ?」

 カタカタと震えているせいで、声が上ずった。
 でも、変なお花のせいで気を失って、見覚えのない室にいるんだもん。怖い顔をした男の人達といい――どう考えても、誘拐だぁ!
 ずると、男たちの一人が、猟犬のような笑みを浮かべた顔を、ぬっと近づけてきた。

「ふん。去る高貴なお方の御意向でな。貴様ら玄家のものは、苦しめてやれとお望みなのじゃ」
「……高貴な、お方……?」

 おうむ返しにすると、ふんと鼻で笑われる。

「おぬしらは、いるだけで我らが主の邪魔なのだ。消えてもらわねばならぬが――その前に、憎き玄景岳には苦しんで貰えとお達しでな」

 男は言い、懐から短刀を取り出した。灯明に照らされ、刀身がぎらりと鈍く光る。

「ひ……っ」
「可愛い顔に怪我をしたくなければ、動くでないぞ!」

 そう言って、僕の髪をひと房すくうと、ざくりと切り落とした。パラり、と短くなった髪が、肩に落ちる。
 
 ――わあー!? 頑張って伸ばしてたのに……!
 
 呆然としているうちに、男は僕の髪を箱に納め、満足そうに言う。

「これを玄家のものに送ってやろう。この艶のある黒髪――玄家直系の証。身内びいきの玄景岳は、腰を抜かすだろうよ」
「首を差しだせと言うても、聞くかも知れぬ」
「お……お兄様に、酷いことしないで!」

 悪だくみをしている男たちに、僕は咄嗟に叫んだ。
 男たちは、また銅鑼のような声で笑う。髪を掴まれ、顔をあげさせられる。

「あうっ!」
「なんと健気なことよ……殿下への献上品にするのでなくば、可愛がってやれたのになあ」
「……!?」

 笑いながら、床に叩きつけられる。「うう」と痛みに呻いた。

「そこで、大人しくしておれ!」

 男たちは居丈高に言うと、室を出て行った。僕は、薄暗い部屋に取り残される。
 
 ――え……えらいことになっちゃったよぉ~!
 
 僕は、よじよじと身を捩る。
 何かよくわかんないけど。あの人達のくちぶりだと、彼らがお兄様たちが戦っていた人たちなんじゃないかって思う。

「”王弟殿下”て言ってた。お兄様に、知らせなくちゃ……!」

 僕は、自分の体を見下ろす。――僕を戒める黒い縄には、四枚の呪符。

「風火水土の、闇の呪力……」

 道理で身じろぐと、力を吸われている気がした。

「……これなら、大丈夫」

 僕は、すうと息を吸いこんだ。大切な人達の顔を思い浮かべる。
 
 ――お兄様、梅……辰さん。すぐに行きますから……!
19/19ページ
スキ