君に捧げる紅の衣

 ――辰さん、なにか怒ってる……?

 緑色の瞳の奥に、何か複雑な感情が見て取れて、僕は戸惑った。辰さんを見た文徳さんが「ひょっ」と息を飲み、危ないものみたいに、僕の手を離す。

「そそそれでは、私はこれにて!羅華様、何卒お願い申し上げますぞ」
「あ――はいっ。任せて下さい」

 僕が頷くかどうかで、文徳さんはお部屋を駆けだしていく。脱兎のようなお帰りにポカンとしていると、辰さんは冷たい目で廊下を見やっていた。
 梅が、やれやれと肩を竦める。

「まったく……忙しない人ね。辰殿、どうなさいました? 先ぶれはありませんでしたが……」

 後半は、扉の側に立っている辰さんに向けられた。家人であっても、侍女への言伝なしに僕の部屋に入ってはいけない――和やかな梅の声に咎めの気配が乗る。僕は、慌てた。

「梅、いいの。辰さんは……」

 僕の婚約者――と言おうとして、喉につっかえる。なんでか、辰さんの前でいえないような気がしたんだ。すると、凛とした低い声が重なってきた。

「羅華様、良いのです」

 辰さんと目が合い、ドキリとする。――緑の瞳に、さっきまでの険はなかった。不思議に思っていると、辰さんは美しい一礼をした。

「不躾に申し訳ない、梅殿。所用から戻ってきたところ、景岳様から羅華様のお加減が悪いと伺ったのです。それで、居てもたってもいられず……見舞いにきました」

 辰さんの手には薄桃色の包みが握られていた。それは、きっと僕の大好きな桃花楼のお菓子で、梅が「まあ」と微笑した。

「そうでしたの。そういうことでしたら、私は退出させて頂きますわ」
「えっ?」
「ありがとう、梅殿」

 僕を間に挟んで、和やかに交わされる会話にぎょっとする。すぐにも退出しようとする梅の袖に、僕はぎゅっと縋った。

「ま、まままって。梅も、ここにいて……!?」
「羅華様。辰殿が来てくださって、ようございましたね。――若君様、麗瑶様には、梅がうまく取りなしておきますわ」

 優しいねえやは、悪戯っぽく微笑むと、しずしずと出て行ってしまった。手を伸ばしたまま、固まる僕の前で、「ごゆっくり」と扉が閉められる。
 シーン、と沈黙が落ちた。
 
 ――嘘~! 待って、梅~! 辰さんと二人きりが、今は困るの~!
 
 普段の僕なら、辰さんと二人きりなんて小躍りしちゃうけど。いまは、梅の気遣いが完全に裏目を引いちゃってるよぉ!
 半泣きで扉を見つめていると、足音が近づいてきた。

「羅華様」
「!」

 静かに名を呼ばれ、ビクリと肩を震わせる。
 
 

「……あ!」

 驚いて、辰さんを振り仰ぐ。
 
 ――どうしよう、心の準備が……!
 
 何を話せばいいかわからなくて、狼狽えていると……緑の瞳が、心配そうに細められた。

「羅華様、ご加減はいかがです」
「え?」

 辰さんの硬い指先が、そっと目尻を撫でる。

「目が、赤くなっています。……昨夜、あの後も起きていたんですか」
「……っ」

 昨夜――。核心をつく言葉に、ギクリとする。
 盗み聞いてしまった辰さんと剛さんのやりとりが甦り、僕はさっと青褪めた。

「……羅華様?」
「あっ――ええと。はい……お部屋には、すぐに戻ったんですけど! 長ーく起きてたんです。その、刺繍をしないとなので……!」

 不思議そうに首を傾げた辰さんに、慌てて弁明する。盗み聞きしたの、知られたくなかったの。僕が知ってるってバレたら、何か変わっちゃいそうで――。
 必死に、お部屋に居たって言いはっていると、辰さんは納得してくれたみたい。ふう、と大きくため息を吐いた。

「そう、ですか。よかった」

 ほとんど聞こえないくらいの、囁きが落ちる。ぼくは「えっ」と聞き返す。

「辰さん……心配してくれたの?」
「当然でしょうが」

 おずおずと尋ねると、辰さんはぱっと顔を上げた。眉を寄せていて、すっごく心外そうだ。思わず身を引いた僕の手を取って、辰さんは言う。

「心配するに決まっているでしょう? ――あなたは、大切な方なんですから」
「……っ」

 真摯な声に、ぱあっと頬が熱くなった。
 見上げた辰さんは、いつもの優しい微笑を浮かべている。あんまり安心して、目がぶわりと潤む。僕は感激のままに、厚い胸に飛びついた。

「辰さんっ」
「!」

 清冽な香が鼻先をくすぐる。ふと――嗅ぎなれない、甘い香の匂いもして、あれっと思う。きっと、僕の為にお菓子を買いに行ってくれたからなんだ。優しい辰さんに、胸がきゅんきゅんと甘く痛む。
 
 ――ほら! 辰さんは、嘘なんてついてない……っ。
 
 こんなに、こんなに優しいんだもん。
 お仕事で忙しいのに、僕のお見舞いに来てくれたんだよ。きっと、僕のことを好きでいてくれる。やっぱり、剛さんが勘違いしてるだけなんだよ――。
 ぎゅ、と藍色の衣を握って、大好きな人を笑顔で見上げた。

「辰さん、あのねっ……?」

 はしゃいだ声が、途中で固まる。
 辰さんは――ひどく強張った顔をして、そっぽを向いていたんだ。大きな手で顔の下半分を覆って、息もしていないみたい。
 まるで、嫌いなものを避けるような仕草に、僕は凍り付いた。
 
 『俺の気持ちなど、関係ない』

 冷たい声が、心に過る。
 僕は衣を掴んでいた手を、放した。足から力がぬけ、床にへたりこんでしまう。
 すると、辰さんがはっとして、僕を抱きかかえる。

「……羅華様!」

 そっと抱き上げられ、椅子に座らされる。

「大丈夫ですか。お疲れなのに、気が利きませんでしたね」
「……辰さん」

 いつもの優しい辰さんが、そこにいた。さっきのが、嘘みたい……そう思って、僕は、泣きたくなった。

 ――辰さん、二人いるの?
 
 僕が知らないだけで、もう一人いる?剛さんと話していた時の冷たい辰さんと、目の前に跪いて、心配そうに手を握ってくれる辰さんと……うまく重ならないよ。
 鼻を啜る僕に、辰さんがいよいよ心配そうに眉を顰め、立ち上がった。

「梅殿を呼んできます。もう、休まれた方が良いでしょう」

 辰さんは藍色の長衣を翻し、部屋を出て行く。いまは、自信がぺちゃんこだから。あんまり颯爽とした背に、悲しくなってしまう。

「うう……っ。どうして……?」

 しゃくりあげていると、卓に置かれた薄桃色の包みが目に入る。辰さんが持って来てくれたお土産。震える手で包みをとれば、ふわりと甘い香りがする。昨日の自分なら、大好きなお菓子に「わあい」って大喜びしていたに違いない。そう思うと、切なくて顔が歪む。

「わあああん」

 泣きながら、包みをぎゅっと抱いた。桃の花の香りがして、二つの夜を思い出す。大切な話をしていた辰さんのことも。
 
 ――優しい辰さんと、冷たい辰さん……どっちが、正しいの?

 ズキズキする胸に、甘い優しさを抱きながら、僕はわんわん泣いた。

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