君に捧げる紅の衣
「ふぐっ……!?」
涙に溺れて、目が覚めた。
げふげふと咳き込んでいると、外から大きな話声がする。
――うう……梅と、だれ……?
なんだか、聞き覚えのあるお声。泣きながら眠っていたせいで、ぼんやりする頭をふらふらと振り……ハッとする。
「――婚礼衣装っ!!」
バッと腕の中を見下ろすと、いつの間にかお布団に変わっている。
「……あれ?」
僕は、きょとんとする。知らないうちに、寝台に横になっていたみたい。腕に抱いていたはずの紅の衣は、もと通り衣架けに掛けられていた。
どうして、と思ってから、窓辺に水差しと盥が用意されていることに、きづく。やわらかい布巾も一緒で……こんなことをしてくれるのは、梅以外に考えられなかった。
――そっかあ。梅、様子を見に来てくれたんだ……
ちょっと気恥ずかしい気持ちで、涙と鼻水でがびがびする顔を袖で拭った。結局、心配をかけちゃったや。それはすっごく申し訳ないんだけど……優しさが胸に沁みた。
「よし……顔洗って、すっきりしよう!」
ずっしりする水差しをとって、盥に水をはる。
『火の呪力よ、熱して』
水面に手をかざして念じると、赤い光が揺らいだ。たちまち、もうもうと湯気が上ってきて、「ひええ」と手を引いた。
「熱っ、熱ーい! やりすぎちゃった」
大慌てで、水を継ぎ足す。……結局三回繰り返して、適温になったお湯で、やっと顔を洗う。瞼は熱っぽいけれど、さっぱりしてひとごこちついた気がする。
「――いい加減にしてくださいな!」
そのとき、扉の向こうで大きな怒鳴り声がした。ぼくは驚いて、ぴょん、と飛び上がる。
「お、大きな声を出すんじゃない! 羅華様に聞こえるではないか」
「怒鳴らせているのは誰ですか?張 殿、あなたでしょう!?」
続いて聞こえてきた会話に、目がまん丸になる。
「……梅と。張殿って――文徳さん?」
扉の前で言い合ってるのは、梅と文徳さんみたいだ。僕はびっくりしてしまう。っていうのも、こんな風に梅が怒鳴るのを聞いたことがないし、文徳さんが訪ねてくるなんて、珍しいから。
扉の向こうから、また声が聞こえてきた。
「そんなに、怒ってくれるな……なにも、今すぐに縫ってくれ、というのではないのだ! お加減が良くなったらでいい。皆に大見得切った手前、持ち帰ることも出来ないし」
「そんなものは、あなたのご都合でしょう? 羅華様におしつけないで。これだから、容貌と家柄の良い殿方は気が遣えなくていやよ!」
「か、関係ないだろう!?」
二人の言い合いが続く。
意気軒高な梅に、文徳さんはたじたじになっているみたいだ。でも、ぽんぽんと行きかう言葉は、なんだか小気味いい。
――それにしても。文徳さん、僕に用事があって来たのかな?
じっと盗み聞きしているのも気が引けて、僕は扉に近づいた。
「あのー。どうしたんですか?」
「羅華様!?」
ひょこ、と顔を出すと、二人の声が重なった。
「申し訳ありません、羅華様。お休み中に、騒ぎ立ててしまって……すぐに追い返しますから」
梅が、心底申しわけなさそうに眉を下げた。文徳さんが「ちょっと待った!」と慌て声で叫ぶ。
「羅華様、お待ちを! どうか、私に慈悲を下さいませッ」
「ちょっ、張殿!」
梅が眉を吊り上げる。おろおろと二人を見比べていると、文徳さんが言う。
「昨日、お話ししていた霊符の件で……お話だけでもっ」
「霊符!」
僕はハッとする。昨日、文徳さんと玄家の窮状についてお話したのを思い出したんだ。僕は、梅に両手を合わせて、見上げる。
「ごめんね、梅、僕がお願いしたんだ。中に入ってもらって」
*
「どうぞ」
来客用の卓に文徳さんと対面で座っていると、梅がお茶を運んできてくれた。
「ありがとう、梅」
「いいえ。――張殿、羅華様は本調子ではあられません。どうぞ、手短に」
僕に笑い返した梅は、くるりと文徳さんを睨みつけ、お部屋の角に控えた。文徳さんはそわそわと肩を上げて、お茶に口をつけている。
「あのう、文徳さん。僕に御用ってなんでしょう? さっき、霊符って言ってましたが……」
「はっ……そうなのです。羅華様に、お願いしたいことがございまして……こちらなのですが」
僕の質問に、文徳さんはいそいそと携えていた箱を、卓の上に置いた。ぐ、と目の前に滑らされたそれに、僕は目をぱちりとする。見た感じ、螺鈿細工の立派な箱だけど、強い力を感じる。「開けてもいい?」と指をさすと、頷かれたので、ぱかりと蓋を持ち上げた。
「わ……!?」
中身を見て、僕は目を見ひらく。
眩いほど白い絹が、折畳まれていたんだ。綺麗なのはもちろんなんだけど、神々しいほどの水の呪力を感じて、のけ反ってしまう。
「これって、もしかして……」
「ご推察の通り、玄家の領内にある霊洞で浄めた絹布にございます。実は、王太子殿下が都の騒乱を治めるため、祈祷を行うそうでして。そのとき纏う霊衣をご所望なんですよ」
文徳さんが言うには、殿下は都にお家騒動が伝わって、王室の威信が揺らぐのは困るんだって。だから、立派に祈祷を行って、殿下のお力を示したいんだって……よくわかんないけど、すごいや!
「へえーっ。王太子様ってお優しいんですね!」
僕は、手をぱちぱち叩いた。天上のお方なのに、都のもめ事も考えてくださってるなんてありがたいなあ。感激していると、文徳さんは苦笑して言う。
「そこで、その霊衣をですね。羅華様に縫って頂きたく……」
「ええっ!?」
「お願いいたします! 職人たちが、昨日の羅華様のご活躍に、自分たちに殿下の霊衣を縫うなど出来ないと言いまして……どうか、この文徳を助けると思って、引き受けて頂けませんか!?」
がば、と卓に手をついた文徳さんに、僕は狼狽えた。僕が、殿下の、霊衣!? 嘘でしょう、と目を剥く。
「そ、そんな……! 熟練の先輩たちを差し置いて、僕なんかに無理ですよー!」
「いいえ、いいえ! 羅華様しかおられませぬ! 他の職人たちも、霊符づくりで紛糾していて、とても万一失敗できない殿下の衣など……ご加減がよろしくなってからで、全然良いので! 本当に!」
立ち上がる僕と、卓に伏す文徳さんで言い合う。すると――控えていた梅が、冷たく言った。
「張殿、羅華様がお嫌だと言っているでしょう。だいたい、羅華様はお元気になられても、婚礼衣装を縫うという大変なお仕事を抱えておいでなのですよ。そこに、殿下の霊衣などという重圧。ご主君の弟君を何だと思っていらっしゃるの?」
「う……うぬぬ」
文徳さんが唸る。僕は、梅の言葉にギクリとしていた。
――こ、婚礼衣装……
チラ、と衣架けに掛けられた紅い衣を見る。だいぶ形になってきたそれに、胸がズキっと痛んだ。そこから目を引き剥がし、僕は文徳さんに向き合った。
「わかりました、文徳さん。僕で良ければ、縫わせてください」
「羅華様っ?」
梅が、ぎょっとして声を上げる。文徳さんが、ぱああ、と顔を明るくする。卓につけていた額が真っ赤になっていた。
「あ、ありがとうございます! 張文徳、このご恩は忘れませぬ!」
両手を滑らかな手に取られ、押し戴かれる。大げさな文徳さんに驚いていると、梅が心配そうに言う。
「よろしいのですか? そんな……」
「いいの。僕がね、玄家の役に立ちたいっていったんだよ。僕で力になれるなら、なんでもするよ」
「羅華様……なんとご立派なのでしょう!」
梅が口を覆い、目を潤ませる。感極まっているらしいねえやに、僕はちょっぴり申し訳なくなった。
――ほんとは、褒めてもらえるような子じゃないんだ……ただ、婚礼衣装に向き合うのが、怖くて……
大切な紅の衣。心を込めて縫ってきたからこそ……今は、縫えそうにない。濁った気もちが入ると、刺繍は輝かなくなってしまうから。
悲しい気持ちで、俯いたときだった。
「――何をしているんです、文徳殿」
低い声が割って入った。はっとして顔を上げると――いつからいらっしゃったんだろう。開け放たれた扉に手をついて、大好きな人が立っていた。
「辰……?!」
文徳さんが、真っ青になって叫んだ。辰さんは「ごきげんよう」と、僕と文徳さんに笑いかけた。
――辰さん?
笑っているのに、玉のように硬い瞳に、僕は戸惑った。
涙に溺れて、目が覚めた。
げふげふと咳き込んでいると、外から大きな話声がする。
――うう……梅と、だれ……?
なんだか、聞き覚えのあるお声。泣きながら眠っていたせいで、ぼんやりする頭をふらふらと振り……ハッとする。
「――婚礼衣装っ!!」
バッと腕の中を見下ろすと、いつの間にかお布団に変わっている。
「……あれ?」
僕は、きょとんとする。知らないうちに、寝台に横になっていたみたい。腕に抱いていたはずの紅の衣は、もと通り衣架けに掛けられていた。
どうして、と思ってから、窓辺に水差しと盥が用意されていることに、きづく。やわらかい布巾も一緒で……こんなことをしてくれるのは、梅以外に考えられなかった。
――そっかあ。梅、様子を見に来てくれたんだ……
ちょっと気恥ずかしい気持ちで、涙と鼻水でがびがびする顔を袖で拭った。結局、心配をかけちゃったや。それはすっごく申し訳ないんだけど……優しさが胸に沁みた。
「よし……顔洗って、すっきりしよう!」
ずっしりする水差しをとって、盥に水をはる。
『火の呪力よ、熱して』
水面に手をかざして念じると、赤い光が揺らいだ。たちまち、もうもうと湯気が上ってきて、「ひええ」と手を引いた。
「熱っ、熱ーい! やりすぎちゃった」
大慌てで、水を継ぎ足す。……結局三回繰り返して、適温になったお湯で、やっと顔を洗う。瞼は熱っぽいけれど、さっぱりしてひとごこちついた気がする。
「――いい加減にしてくださいな!」
そのとき、扉の向こうで大きな怒鳴り声がした。ぼくは驚いて、ぴょん、と飛び上がる。
「お、大きな声を出すんじゃない! 羅華様に聞こえるではないか」
「怒鳴らせているのは誰ですか?
続いて聞こえてきた会話に、目がまん丸になる。
「……梅と。張殿って――文徳さん?」
扉の前で言い合ってるのは、梅と文徳さんみたいだ。僕はびっくりしてしまう。っていうのも、こんな風に梅が怒鳴るのを聞いたことがないし、文徳さんが訪ねてくるなんて、珍しいから。
扉の向こうから、また声が聞こえてきた。
「そんなに、怒ってくれるな……なにも、今すぐに縫ってくれ、というのではないのだ! お加減が良くなったらでいい。皆に大見得切った手前、持ち帰ることも出来ないし」
「そんなものは、あなたのご都合でしょう? 羅華様におしつけないで。これだから、容貌と家柄の良い殿方は気が遣えなくていやよ!」
「か、関係ないだろう!?」
二人の言い合いが続く。
意気軒高な梅に、文徳さんはたじたじになっているみたいだ。でも、ぽんぽんと行きかう言葉は、なんだか小気味いい。
――それにしても。文徳さん、僕に用事があって来たのかな?
じっと盗み聞きしているのも気が引けて、僕は扉に近づいた。
「あのー。どうしたんですか?」
「羅華様!?」
ひょこ、と顔を出すと、二人の声が重なった。
「申し訳ありません、羅華様。お休み中に、騒ぎ立ててしまって……すぐに追い返しますから」
梅が、心底申しわけなさそうに眉を下げた。文徳さんが「ちょっと待った!」と慌て声で叫ぶ。
「羅華様、お待ちを! どうか、私に慈悲を下さいませッ」
「ちょっ、張殿!」
梅が眉を吊り上げる。おろおろと二人を見比べていると、文徳さんが言う。
「昨日、お話ししていた霊符の件で……お話だけでもっ」
「霊符!」
僕はハッとする。昨日、文徳さんと玄家の窮状についてお話したのを思い出したんだ。僕は、梅に両手を合わせて、見上げる。
「ごめんね、梅、僕がお願いしたんだ。中に入ってもらって」
*
「どうぞ」
来客用の卓に文徳さんと対面で座っていると、梅がお茶を運んできてくれた。
「ありがとう、梅」
「いいえ。――張殿、羅華様は本調子ではあられません。どうぞ、手短に」
僕に笑い返した梅は、くるりと文徳さんを睨みつけ、お部屋の角に控えた。文徳さんはそわそわと肩を上げて、お茶に口をつけている。
「あのう、文徳さん。僕に御用ってなんでしょう? さっき、霊符って言ってましたが……」
「はっ……そうなのです。羅華様に、お願いしたいことがございまして……こちらなのですが」
僕の質問に、文徳さんはいそいそと携えていた箱を、卓の上に置いた。ぐ、と目の前に滑らされたそれに、僕は目をぱちりとする。見た感じ、螺鈿細工の立派な箱だけど、強い力を感じる。「開けてもいい?」と指をさすと、頷かれたので、ぱかりと蓋を持ち上げた。
「わ……!?」
中身を見て、僕は目を見ひらく。
眩いほど白い絹が、折畳まれていたんだ。綺麗なのはもちろんなんだけど、神々しいほどの水の呪力を感じて、のけ反ってしまう。
「これって、もしかして……」
「ご推察の通り、玄家の領内にある霊洞で浄めた絹布にございます。実は、王太子殿下が都の騒乱を治めるため、祈祷を行うそうでして。そのとき纏う霊衣をご所望なんですよ」
文徳さんが言うには、殿下は都にお家騒動が伝わって、王室の威信が揺らぐのは困るんだって。だから、立派に祈祷を行って、殿下のお力を示したいんだって……よくわかんないけど、すごいや!
「へえーっ。王太子様ってお優しいんですね!」
僕は、手をぱちぱち叩いた。天上のお方なのに、都のもめ事も考えてくださってるなんてありがたいなあ。感激していると、文徳さんは苦笑して言う。
「そこで、その霊衣をですね。羅華様に縫って頂きたく……」
「ええっ!?」
「お願いいたします! 職人たちが、昨日の羅華様のご活躍に、自分たちに殿下の霊衣を縫うなど出来ないと言いまして……どうか、この文徳を助けると思って、引き受けて頂けませんか!?」
がば、と卓に手をついた文徳さんに、僕は狼狽えた。僕が、殿下の、霊衣!? 嘘でしょう、と目を剥く。
「そ、そんな……! 熟練の先輩たちを差し置いて、僕なんかに無理ですよー!」
「いいえ、いいえ! 羅華様しかおられませぬ! 他の職人たちも、霊符づくりで紛糾していて、とても万一失敗できない殿下の衣など……ご加減がよろしくなってからで、全然良いので! 本当に!」
立ち上がる僕と、卓に伏す文徳さんで言い合う。すると――控えていた梅が、冷たく言った。
「張殿、羅華様がお嫌だと言っているでしょう。だいたい、羅華様はお元気になられても、婚礼衣装を縫うという大変なお仕事を抱えておいでなのですよ。そこに、殿下の霊衣などという重圧。ご主君の弟君を何だと思っていらっしゃるの?」
「う……うぬぬ」
文徳さんが唸る。僕は、梅の言葉にギクリとしていた。
――こ、婚礼衣装……
チラ、と衣架けに掛けられた紅い衣を見る。だいぶ形になってきたそれに、胸がズキっと痛んだ。そこから目を引き剥がし、僕は文徳さんに向き合った。
「わかりました、文徳さん。僕で良ければ、縫わせてください」
「羅華様っ?」
梅が、ぎょっとして声を上げる。文徳さんが、ぱああ、と顔を明るくする。卓につけていた額が真っ赤になっていた。
「あ、ありがとうございます! 張文徳、このご恩は忘れませぬ!」
両手を滑らかな手に取られ、押し戴かれる。大げさな文徳さんに驚いていると、梅が心配そうに言う。
「よろしいのですか? そんな……」
「いいの。僕がね、玄家の役に立ちたいっていったんだよ。僕で力になれるなら、なんでもするよ」
「羅華様……なんとご立派なのでしょう!」
梅が口を覆い、目を潤ませる。感極まっているらしいねえやに、僕はちょっぴり申し訳なくなった。
――ほんとは、褒めてもらえるような子じゃないんだ……ただ、婚礼衣装に向き合うのが、怖くて……
大切な紅の衣。心を込めて縫ってきたからこそ……今は、縫えそうにない。濁った気もちが入ると、刺繍は輝かなくなってしまうから。
悲しい気持ちで、俯いたときだった。
「――何をしているんです、文徳殿」
低い声が割って入った。はっとして顔を上げると――いつからいらっしゃったんだろう。開け放たれた扉に手をついて、大好きな人が立っていた。
「辰……?!」
文徳さんが、真っ青になって叫んだ。辰さんは「ごきげんよう」と、僕と文徳さんに笑いかけた。
――辰さん?
笑っているのに、玉のように硬い瞳に、僕は戸惑った。