スマホの中の画廊
「死にたくないよ」
そう言った彼女の腕には管が繋がれていた。定期的に鳴るピッピッと彼女が生きていることを知らせる音、白い部屋、白いベッド、つやのなくなった長い長い髪、血の気のない肌、枝のように細い腕、布団の間に挟まれている脚は既に数ヶ月、立ち上がることも出来ていないせいで筋肉なんて無いに等しいのだろう。死に近い女の姿、現実離れしつつも生々しい姿。一つだけ。机の上に置かれている白いノートパソコンとデコレーションされたカバーに覆われたスマホだけは、彼女はまだこの世界の人間なのだと訴えていた。
彼女は悲壮感漂う言葉を、穏やかに笑いながら吐いた。その姿はどこまでもいつも通りの彼女なのが悲しくて、そして、何とも腹立たしい。
「じゃあ、死ぬなよ」
「無理無理」
俺の言葉をあっさりと一蹴してくる。前よりも痩けた頬、白っぽい唇を上げながら、彼女は笑う。
「もっと色んなことしたかったなあ」
「じゃあ、治せよ」
「無理だってばー」
花を花瓶に差し込んで、これからもう出来ないことに後悔の言葉を吐く彼女に、無茶なことを言った。
あまりに、穏やかでいつもと同じだから。俺もいつも通りに返す。
「いつもありがとうね。毎日来てくれるのはもうきみぐらいなものだったからさ、いい暇つぶしになってる」
「邪魔じゃないか?なんか色々ネットで自分の世界を作り込んでいるんだろ」
「ずーっと世界に入り込むのも疲れちゃうからねぇ。もうそんな集中力も大分無くなっちゃったし」
「ふーん」
「みんな、元気?」
「まあな」
「そっか」
「……恨み言とかねえのか?」
「恨み言?誰に?なんで?」
「……」
「うそうそ、君が言いたいことは分かるよ」
聞き返されたそれに、俺が押し黙ると彼女は吹き出した。窓の外の空に視線をついっと向けて、一拍置いて呟くように話し出す。
「何もないよ。だって怖いもんね、少し前まで普通に教室にいて、下らないお喋りして、マック行って、嫌味な先生の愚痴言ってたのにさ。入院して変わっていく同級生の姿なんて、ね」
「……」
「だから。きみが来てくれて嬉しかったよ。毎日来てくれたね。お父さんもお母さんも来てくれなくなっちゃったからさ」
「…………」
彼女の言う通りである。いつも彼女と一緒にいた友人らしきクラスメイトたちの病室へ行く脚が遠のいた理由は、死に直面している彼女の現実を知りたくないから。
近所の彼女の両親は最近では引きこもりっぱなし。時折見かける彼女の母親の姿は亡霊のようだった。血の繋がった両親ですから彼女の状態を目の前にできなくなってしまった。
だけど、それなら。他人から見て恐ろしい状態になっている彼女本人が、自分自身のことをどう思っているのか、想像できないのだろうか。それとも想像だにしていないのだろうか。彼女は優しいから、そんな理由で甘えて死に近い彼女を放置するのはどれだけ非道なことなのか、分からないのだろうか。何を言っても彼女を傷つけてしまう気がして、俺は何も返せなかった。
そうこうしているうちに、面会時間が終わりになってしまい、看護師に退出を促され、席を立った。
「今までありがとう。さようなら」
「……また、明日も来る」
「…………うん」
まるで今生の別れかと言わんばかりの言葉を否定するようにまた明日と言った。彼女は泣き出しそうな顔で笑った。初めて、悲しい顔を見た気がした。
その夜。彼女は容態が急変し、あっさりと亡くなった。
(そういえば、今日彼女が話していた内容、過去形だった)
そんなことを受話器越しに彼女の両親が彼女の死んだことを聴きながら、ぼんやりと思った。
そう言った彼女の腕には管が繋がれていた。定期的に鳴るピッピッと彼女が生きていることを知らせる音、白い部屋、白いベッド、つやのなくなった長い長い髪、血の気のない肌、枝のように細い腕、布団の間に挟まれている脚は既に数ヶ月、立ち上がることも出来ていないせいで筋肉なんて無いに等しいのだろう。死に近い女の姿、現実離れしつつも生々しい姿。一つだけ。机の上に置かれている白いノートパソコンとデコレーションされたカバーに覆われたスマホだけは、彼女はまだこの世界の人間なのだと訴えていた。
彼女は悲壮感漂う言葉を、穏やかに笑いながら吐いた。その姿はどこまでもいつも通りの彼女なのが悲しくて、そして、何とも腹立たしい。
「じゃあ、死ぬなよ」
「無理無理」
俺の言葉をあっさりと一蹴してくる。前よりも痩けた頬、白っぽい唇を上げながら、彼女は笑う。
「もっと色んなことしたかったなあ」
「じゃあ、治せよ」
「無理だってばー」
花を花瓶に差し込んで、これからもう出来ないことに後悔の言葉を吐く彼女に、無茶なことを言った。
あまりに、穏やかでいつもと同じだから。俺もいつも通りに返す。
「いつもありがとうね。毎日来てくれるのはもうきみぐらいなものだったからさ、いい暇つぶしになってる」
「邪魔じゃないか?なんか色々ネットで自分の世界を作り込んでいるんだろ」
「ずーっと世界に入り込むのも疲れちゃうからねぇ。もうそんな集中力も大分無くなっちゃったし」
「ふーん」
「みんな、元気?」
「まあな」
「そっか」
「……恨み言とかねえのか?」
「恨み言?誰に?なんで?」
「……」
「うそうそ、君が言いたいことは分かるよ」
聞き返されたそれに、俺が押し黙ると彼女は吹き出した。窓の外の空に視線をついっと向けて、一拍置いて呟くように話し出す。
「何もないよ。だって怖いもんね、少し前まで普通に教室にいて、下らないお喋りして、マック行って、嫌味な先生の愚痴言ってたのにさ。入院して変わっていく同級生の姿なんて、ね」
「……」
「だから。きみが来てくれて嬉しかったよ。毎日来てくれたね。お父さんもお母さんも来てくれなくなっちゃったからさ」
「…………」
彼女の言う通りである。いつも彼女と一緒にいた友人らしきクラスメイトたちの病室へ行く脚が遠のいた理由は、死に直面している彼女の現実を知りたくないから。
近所の彼女の両親は最近では引きこもりっぱなし。時折見かける彼女の母親の姿は亡霊のようだった。血の繋がった両親ですから彼女の状態を目の前にできなくなってしまった。
だけど、それなら。他人から見て恐ろしい状態になっている彼女本人が、自分自身のことをどう思っているのか、想像できないのだろうか。それとも想像だにしていないのだろうか。彼女は優しいから、そんな理由で甘えて死に近い彼女を放置するのはどれだけ非道なことなのか、分からないのだろうか。何を言っても彼女を傷つけてしまう気がして、俺は何も返せなかった。
そうこうしているうちに、面会時間が終わりになってしまい、看護師に退出を促され、席を立った。
「今までありがとう。さようなら」
「……また、明日も来る」
「…………うん」
まるで今生の別れかと言わんばかりの言葉を否定するようにまた明日と言った。彼女は泣き出しそうな顔で笑った。初めて、悲しい顔を見た気がした。
その夜。彼女は容態が急変し、あっさりと亡くなった。
(そういえば、今日彼女が話していた内容、過去形だった)
そんなことを受話器越しに彼女の両親が彼女の死んだことを聴きながら、ぼんやりと思った。
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