第二ボタンと新しい制服
太一さんの高校入試が終わり、そこから一週間後に中学の卒業式。そしてその翌日が高校入試の合格発表だった。僕が受験したわけでもないのに、その日はずっとソワソワしていた記憶がある。お昼過ぎ、僕の携帯電話が鳴った。着信画面を見ると表示は太一さんだった。僕は急いで電話を受けた。
「もしもし、太一さん?」
『おう、光子郎。急なんだけどさ、今から会いに行ってもいいか? どこにいる?』
電話の向こうの太一さんの声は明るかった。
「家にいますよ。来られますか?」
『ああ。行ってもいいなら』
「大丈夫ですよ。お待ちしています」
『サンキュ。待ってろよ』
太一さんはそう返事をして電話を切った。太一さんのあの声の感じだと、いい知らせが聞けそうな気がする。
太一さんは10分もしないで僕の家にやって来た。
「おばさんは?」
「買い物に出ています」
「そっか、じゃあ遠慮しなくていいな」
そう言った次の瞬間、太一さんは何も言わずに僕に抱きついて、僕の胸に顔を埋めてきた。思いがけないことに、僕は思わず固まった。
「ど、どうしました? 太一さん」
僕の問いかけに太一さんは黙ったまま答えない。
もしかして、もしかすると。悪い結果だったのだろうか。
「太一さん、黙っていては分からないですよ。怒ったりしません。僕はどんな結果でもちゃんと受け止めますから」
僕は太一さんに抱きしめられたまま、太一さんへ素直な気持ちを伝えた。
そして、ようやく口を開いた太一さんが言ったことは。
「あ、のさ…………オレ……合格だったよ。おまえの、おまえのおかげで受かったんだ。ありがとうな」
太一さんは顔を上げて満面の笑みを見せた。その知らせを聞いた僕は思わず拍子抜けした。あれだけ溜めておいて、合格だったとは!
「もう! 驚かせないでください! 僕てっきり不合格だったのかと思ったじゃないですか!」
「悪い。あまりに嬉しくてさ。おまえになんて伝えたらいいのか、おまえに会ったら、言葉が上手く出てこなくなっちまって。驚かせてごめんな」
嬉しくて言葉が出てこなくなる気持ちはよく分かる。僕はそう言われてとても嬉しかった。
「太一さん、おめでとうございます。僕のおかげだなんて。太一さんが頑張ったからですよ」
「いいや。おまえがいなかったら絶対受かってないって。ほんとありがとう」
心からの太一さんの言葉に、僕も心から、
「いいえ、どういたしまして」
と、言葉を返した。
ふと、僕は立ち話が長くなりそうなことに気が付き、
「よかったら上がっていってください」と声をかけた。
すると太一さんは、すまなそうにして、
「そう言ってくれて嬉しいんだけど。オレ、このあと用事があるんだ。だからもう帰らなきゃ」と言った。
結果を報告するためだけに、わざわざ来てくれたことに驚きつつ、嬉しさを感じる。けれど、忙しい最中に申し訳なく思う。
「そうだったんですね。お忙しいのにすみません」
「おまえが謝るなよ。オレが直接言いたかったんだから」
「どこか行かれるんですか?」
「高校の制服の採寸に行ってくるんだ」
太一さんのその一言を聞いた僕の中に、寂しさがこみ上げてきた。そうか、もう太一さんと同じ学校に通うことはないんだな、と。
急に黙り込んだ僕を太一さんは不審に思ったようで、
「どうした?」と声をかけてきた。
「あ、いえ。太一さんが本当に高校生になるんだなあって思ってそれで」
「寂しいのか?」
「う……は、はい……」
僕は俯いた。いつもは強がってしまうけれど、本当はさみしいと思うのだ。太一さんはそんな僕の気持ちを汲んでか、こんなことを言い出した。
「心配すんなって。オレが高校生になろうとオレとおまえの関係は変わらない。そうだろ?」
それはその通りだと思う僕は黙って頷いた。
「高校生になってもさ、光子郎がうんざりするくらい会いに来るから。いまから覚悟しとけよ?」
そう言いながら太一さんは僕の頭をくしゃりと撫でて笑った。
この口約束は先に話した、太一さんが高校入学して一週間ほどした頃に、勉強のことで僕に泣きついてきたことによって、あっさりと果たされることになる。
その日からさらに二週間ほど過ぎた頃。
「制服、出来上がったんだ! 見に来いよ」
と、太一さんに電話で呼び出された。「すぐに行きます」と答えて、僕は急いで太一さんの家に向かった。
僕が太一さんの家のドアを開けると、そこには太一さんが待ち構えていた。
「よく来たな、上がれよ」
「おじゃまします」
僕が太一さんの部屋に入ると、ハンガー掛けに見慣れない真新しい制服がかけてあった。
「わあ。綺麗な色の上着ですね」
「だろ? 学校案内のパンフレットで見たよりも良くてさ。4月からこれ着るの、ほんと楽しみだ」
太一さんは嬉しそうに笑っている。僕の中にあるさみしさは相変わらずあるけれど、太一さんが嬉しそうにしていると僕も嬉しくなってくる。ここで僕は思い切って、太一さんに制服を着ているところを見たいとリクエストした。
「お、いいぜ。ちょっと部屋の外で待っていてくれ」
「いいですけど……。部屋の外に出る必要、あるんですか?」
「着替えするときにおまえがいるとちょっとな」
「別にコソコソ着替えなくとも。僕たち男同士じゃないですか。恥ずかしいとかないでしょう?」
「着慣れない服の着替えを見られていると、なんか気恥ずかしくてダメなんだよ。それに着替えを見たら新鮮味がないじゃん。オレの制服姿が見たいなら、光子郎は一度、部屋の外に出る」
そう言われた僕は、部屋の外に出されて太一さんの着替えが終わるのを待つことになった。太一さんの着替えを待つ間、僕は心の中で、アレをしているときは平気で恥ずかしいことをしてくるくせにな、と毒づいた。
数分後。
「おまたせ、入っていいぞ」
太一さんが僕を呼んだ。僕は太一さんの部屋のドアを開けた。すると、そこにいたのは――
「じゃーーん!」
先ほど見せてもらった、月島総合の制服に身を包んだ太一さんがいた。それはまさしく、高校生の太一さんだった。
「太一さん、とてもよく似合っています」
「だろ? 中学の制服が緑だったからなあ。すごく新鮮だし、なにより高校生、って感じがして尚更いいぜ!」
太一さんは終始嬉しそうだ。だけど僕は……
「なあ、光子郎。なーんでそんな顔をしてるんだよ」
僕の曇った顔を太一さんは見逃さない。
「オレが晴れて高校生になれる、っていうのに……光子郎は嬉しくねえのかよ」
そうじゃない。そうじゃないのだけど――
「うれしいです、うれしいですが――太一さんが中学生になったばかりの頃を思い出してしまって」
お台場小学校とお台場中学校は、同じ敷地にないとはいえ、さほど離れていない場所にそれぞれある。それでも、いくら近かろうが学校が違うという事実にとても寂しさを覚えたのだ。
太一さんが進学する月島総合高校は、台場からさらに離れた、月島という地域だ。どちらかが会おうとしなければ、日常的に会うことはなくなってしまう。おおよそ自分らしくないと思っても、気持ちが抑えられなくなってしまった。
「太一さんとまた、離れてしまう。やっぱり僕、寂しいです」
いまの僕の顔は、きっと泣きそうになっていると思う。
「なあ、オレから光子郎にお願いがあるんだけど」
「なんですか?」
「オレが着ているこの制服さ、着てみてくんない?」
「……は?」
太一さんの突拍子も無い願いごと。僕のさっきまでの気持ちはどこかへ飛んで行ってしまった。
「頼む! この通りだ!」
「はあ」
僕は戸惑いながらも太一さんに言われるがまま、太一さんの制服に袖を通した。そして。
「くっ……。あっはっは! なんだよそれ……すげーぶかぶかじゃん!」
お腹を抱えて大笑いする太一さんに僕はカチンときた。
「サイズの合わない服を無理やり着ているんですもん、そんなの当たり前じゃないですか! なに言っているんです!」
太一さんは変なツボにハマったのか、このあとしばらく笑い続けていた。そして、気が済むまで笑ったあと、
「可愛いよ、すっごく」と、僕の耳元でそう囁いた。
「で、年上彼氏の制服を着てみた感想は?」
そのひとことで太一さんが何故僕に制服を着せたがったのかが分かり、急に熱が上がったような気がした。
「なーに、顔赤くしているんだ? 可愛いなあ」
「か、可愛いと言われても、ちっとも嬉しくありませんからね!」
僕だって男だ。太一さん限定で甘くはなるけど、可愛いと言われるのは少々心外だったりもする。
納得いかない僕をよそに、太一さんは僕の着ているシャツのボタンをプチプチと外し始め、ズボンの中に入れていたシャツも出させていた。
この光景になにやら既視感を覚えた。
「だぼだぼの制服でシャツのボタンを全部外して前をはだけさせるとなんかエロいよな。事後、みたいな感じがして」
太一さんのその発言に僕は警戒心を露わにした。
「なっ! なにを考えているんですか!」
「なにっておまえ、分かっているんだろ? だけど今日は家に、母さんもヒカリだっているからなんもしねえよ……って、なんだその目は」
「なんにもしない、と言うときの太一さんほど信用できないものはありませんからね」
「なんだよそれー。光子郎はオレとヤるの好きだろ? 違うのか?」
「はあ?」
「いつもさ、気持ちいいからもっと、って積極的におねだりしてくるじゃ……っていてて! なにすんだ!」
「僕はそんなことは断じて言っていませんからね」
太一さんの頬を強くつねりながら僕は否定する。
「いや、おまえオレとセックスするの大好きだろ。この前のときも言っていたじゃん……ってこれ以上頬をつねるな!」
「黙って言わせておけば……まったく、太一さんはどうしてそう、デリカシーがないんですか! 恥ずかしいですよ!」
と、そのとき。
「太一、あんた光子郎くんになにやっているのよ」
突然、太一さんのお母さんがこちらを覗いてきた。太一さんは必要以上に驚きの声を上げた。
「か、母さんこそ! 勝手に部屋覗くなよ」
僕は慌てて着せられていた太一さんのシャツのボタンを留めて、笑顔を繕った。危なかった。
「太一、いくら仲がいい光子郎くんでも、届いたばかりの制服で遊んじゃダメじゃない。あんた、高校生になるんだから少しは大人にならないと」
おばさんの手厳しい言葉がため息混じりで聞こえてきた。言われた太一さんは拗ねた表情をしている。
「光子郎くん、ごめんなさいね。うちの太一が――あら?」
おばさんは僕をまじまじと見ている。
「よく見るとその制服、光子郎くんによく似合っているじゃない? サイズをちゃんと合わせたら、とてもピッタリな気がするわ」
おばさんはそう言いながら勝手に感心している。
「そ、そうですかね……」
すかさず太一さんはほくそ笑んだ。
「ほれみろ。光子郎はやっぱりオレと同じ学校に来るべき運命なんだよ」
そこへ、太一さんのおばさんがピシャリと言う。
「太一が勝手に決めることじゃないでしょう」
「でも」
「でも、じゃないの。光子郎くん、太一と違って光子郎くんは頭が良くて選択肢もたくさんあるんだから、いくら仲のいい先輩の太一に言われたからって無理することないのよ。志望校はよく考えてね」
確かに。それは当たり前の話だ。太一さんに言われたから、といってもそれを選ぶ権利は僕にある。
「あ、もちろん私が言った、制服の色が似合っているってことも気にしないでね。中学までと違って、高校は自分で選ぶ最初の進路だから。もちろんある程度は親御さんの意見もあると思うけど」
「ご心配頂いてすみません。僕は大丈夫です。自分のことは他人に左右されず決めるのが僕の信念ですから」
そう笑顔でおばさんに返すと、安心したようにおばさんは家事を再開するため他の部屋へ行った。おばさんが部屋から十分に離れたことを確認してから、太一さんはこんなことを言い出した。
「母さんはあんなこと言っているけど、オレと同じ高校に来れば、たった一年だけ離れるだけで済むぜ? それに、オレとお揃いの制服着られるぞ?」
思いがけない、とても魅力的な言葉。この口説き文句に、僕の心が揺らいだ。
「光子郎、早く来いよな」
「早く、と言っても……少なくともあと一年はかかりますよ?」
「え! じゃあ、いいのか!?」
「そうですね。前向きに考えておきます」
僕は微笑みながら曖昧に返事をして答えをはぐらかした。
太一さんには明言しなかったけれど、僕の進学先はその時点よりもずっと前から、太一さんが志望校を決めて間もない頃から決まっていたのだ。そして。このとき僕の頭の中に例のドッキリ計画も思い浮かんでいた。
実は、僕は進学するにあたって、太一さんにだけ月島総合高校に進学することを言っていない。太一さんには秘密にしているのだ。それはなぜか。太一さんの驚く顔が見たい。
ただその一心だったのだ――
「もしもし、太一さん?」
『おう、光子郎。急なんだけどさ、今から会いに行ってもいいか? どこにいる?』
電話の向こうの太一さんの声は明るかった。
「家にいますよ。来られますか?」
『ああ。行ってもいいなら』
「大丈夫ですよ。お待ちしています」
『サンキュ。待ってろよ』
太一さんはそう返事をして電話を切った。太一さんのあの声の感じだと、いい知らせが聞けそうな気がする。
太一さんは10分もしないで僕の家にやって来た。
「おばさんは?」
「買い物に出ています」
「そっか、じゃあ遠慮しなくていいな」
そう言った次の瞬間、太一さんは何も言わずに僕に抱きついて、僕の胸に顔を埋めてきた。思いがけないことに、僕は思わず固まった。
「ど、どうしました? 太一さん」
僕の問いかけに太一さんは黙ったまま答えない。
もしかして、もしかすると。悪い結果だったのだろうか。
「太一さん、黙っていては分からないですよ。怒ったりしません。僕はどんな結果でもちゃんと受け止めますから」
僕は太一さんに抱きしめられたまま、太一さんへ素直な気持ちを伝えた。
そして、ようやく口を開いた太一さんが言ったことは。
「あ、のさ…………オレ……合格だったよ。おまえの、おまえのおかげで受かったんだ。ありがとうな」
太一さんは顔を上げて満面の笑みを見せた。その知らせを聞いた僕は思わず拍子抜けした。あれだけ溜めておいて、合格だったとは!
「もう! 驚かせないでください! 僕てっきり不合格だったのかと思ったじゃないですか!」
「悪い。あまりに嬉しくてさ。おまえになんて伝えたらいいのか、おまえに会ったら、言葉が上手く出てこなくなっちまって。驚かせてごめんな」
嬉しくて言葉が出てこなくなる気持ちはよく分かる。僕はそう言われてとても嬉しかった。
「太一さん、おめでとうございます。僕のおかげだなんて。太一さんが頑張ったからですよ」
「いいや。おまえがいなかったら絶対受かってないって。ほんとありがとう」
心からの太一さんの言葉に、僕も心から、
「いいえ、どういたしまして」
と、言葉を返した。
ふと、僕は立ち話が長くなりそうなことに気が付き、
「よかったら上がっていってください」と声をかけた。
すると太一さんは、すまなそうにして、
「そう言ってくれて嬉しいんだけど。オレ、このあと用事があるんだ。だからもう帰らなきゃ」と言った。
結果を報告するためだけに、わざわざ来てくれたことに驚きつつ、嬉しさを感じる。けれど、忙しい最中に申し訳なく思う。
「そうだったんですね。お忙しいのにすみません」
「おまえが謝るなよ。オレが直接言いたかったんだから」
「どこか行かれるんですか?」
「高校の制服の採寸に行ってくるんだ」
太一さんのその一言を聞いた僕の中に、寂しさがこみ上げてきた。そうか、もう太一さんと同じ学校に通うことはないんだな、と。
急に黙り込んだ僕を太一さんは不審に思ったようで、
「どうした?」と声をかけてきた。
「あ、いえ。太一さんが本当に高校生になるんだなあって思ってそれで」
「寂しいのか?」
「う……は、はい……」
僕は俯いた。いつもは強がってしまうけれど、本当はさみしいと思うのだ。太一さんはそんな僕の気持ちを汲んでか、こんなことを言い出した。
「心配すんなって。オレが高校生になろうとオレとおまえの関係は変わらない。そうだろ?」
それはその通りだと思う僕は黙って頷いた。
「高校生になってもさ、光子郎がうんざりするくらい会いに来るから。いまから覚悟しとけよ?」
そう言いながら太一さんは僕の頭をくしゃりと撫でて笑った。
この口約束は先に話した、太一さんが高校入学して一週間ほどした頃に、勉強のことで僕に泣きついてきたことによって、あっさりと果たされることになる。
その日からさらに二週間ほど過ぎた頃。
「制服、出来上がったんだ! 見に来いよ」
と、太一さんに電話で呼び出された。「すぐに行きます」と答えて、僕は急いで太一さんの家に向かった。
僕が太一さんの家のドアを開けると、そこには太一さんが待ち構えていた。
「よく来たな、上がれよ」
「おじゃまします」
僕が太一さんの部屋に入ると、ハンガー掛けに見慣れない真新しい制服がかけてあった。
「わあ。綺麗な色の上着ですね」
「だろ? 学校案内のパンフレットで見たよりも良くてさ。4月からこれ着るの、ほんと楽しみだ」
太一さんは嬉しそうに笑っている。僕の中にあるさみしさは相変わらずあるけれど、太一さんが嬉しそうにしていると僕も嬉しくなってくる。ここで僕は思い切って、太一さんに制服を着ているところを見たいとリクエストした。
「お、いいぜ。ちょっと部屋の外で待っていてくれ」
「いいですけど……。部屋の外に出る必要、あるんですか?」
「着替えするときにおまえがいるとちょっとな」
「別にコソコソ着替えなくとも。僕たち男同士じゃないですか。恥ずかしいとかないでしょう?」
「着慣れない服の着替えを見られていると、なんか気恥ずかしくてダメなんだよ。それに着替えを見たら新鮮味がないじゃん。オレの制服姿が見たいなら、光子郎は一度、部屋の外に出る」
そう言われた僕は、部屋の外に出されて太一さんの着替えが終わるのを待つことになった。太一さんの着替えを待つ間、僕は心の中で、アレをしているときは平気で恥ずかしいことをしてくるくせにな、と毒づいた。
数分後。
「おまたせ、入っていいぞ」
太一さんが僕を呼んだ。僕は太一さんの部屋のドアを開けた。すると、そこにいたのは――
「じゃーーん!」
先ほど見せてもらった、月島総合の制服に身を包んだ太一さんがいた。それはまさしく、高校生の太一さんだった。
「太一さん、とてもよく似合っています」
「だろ? 中学の制服が緑だったからなあ。すごく新鮮だし、なにより高校生、って感じがして尚更いいぜ!」
太一さんは終始嬉しそうだ。だけど僕は……
「なあ、光子郎。なーんでそんな顔をしてるんだよ」
僕の曇った顔を太一さんは見逃さない。
「オレが晴れて高校生になれる、っていうのに……光子郎は嬉しくねえのかよ」
そうじゃない。そうじゃないのだけど――
「うれしいです、うれしいですが――太一さんが中学生になったばかりの頃を思い出してしまって」
お台場小学校とお台場中学校は、同じ敷地にないとはいえ、さほど離れていない場所にそれぞれある。それでも、いくら近かろうが学校が違うという事実にとても寂しさを覚えたのだ。
太一さんが進学する月島総合高校は、台場からさらに離れた、月島という地域だ。どちらかが会おうとしなければ、日常的に会うことはなくなってしまう。おおよそ自分らしくないと思っても、気持ちが抑えられなくなってしまった。
「太一さんとまた、離れてしまう。やっぱり僕、寂しいです」
いまの僕の顔は、きっと泣きそうになっていると思う。
「なあ、オレから光子郎にお願いがあるんだけど」
「なんですか?」
「オレが着ているこの制服さ、着てみてくんない?」
「……は?」
太一さんの突拍子も無い願いごと。僕のさっきまでの気持ちはどこかへ飛んで行ってしまった。
「頼む! この通りだ!」
「はあ」
僕は戸惑いながらも太一さんに言われるがまま、太一さんの制服に袖を通した。そして。
「くっ……。あっはっは! なんだよそれ……すげーぶかぶかじゃん!」
お腹を抱えて大笑いする太一さんに僕はカチンときた。
「サイズの合わない服を無理やり着ているんですもん、そんなの当たり前じゃないですか! なに言っているんです!」
太一さんは変なツボにハマったのか、このあとしばらく笑い続けていた。そして、気が済むまで笑ったあと、
「可愛いよ、すっごく」と、僕の耳元でそう囁いた。
「で、年上彼氏の制服を着てみた感想は?」
そのひとことで太一さんが何故僕に制服を着せたがったのかが分かり、急に熱が上がったような気がした。
「なーに、顔赤くしているんだ? 可愛いなあ」
「か、可愛いと言われても、ちっとも嬉しくありませんからね!」
僕だって男だ。太一さん限定で甘くはなるけど、可愛いと言われるのは少々心外だったりもする。
納得いかない僕をよそに、太一さんは僕の着ているシャツのボタンをプチプチと外し始め、ズボンの中に入れていたシャツも出させていた。
この光景になにやら既視感を覚えた。
「だぼだぼの制服でシャツのボタンを全部外して前をはだけさせるとなんかエロいよな。事後、みたいな感じがして」
太一さんのその発言に僕は警戒心を露わにした。
「なっ! なにを考えているんですか!」
「なにっておまえ、分かっているんだろ? だけど今日は家に、母さんもヒカリだっているからなんもしねえよ……って、なんだその目は」
「なんにもしない、と言うときの太一さんほど信用できないものはありませんからね」
「なんだよそれー。光子郎はオレとヤるの好きだろ? 違うのか?」
「はあ?」
「いつもさ、気持ちいいからもっと、って積極的におねだりしてくるじゃ……っていてて! なにすんだ!」
「僕はそんなことは断じて言っていませんからね」
太一さんの頬を強くつねりながら僕は否定する。
「いや、おまえオレとセックスするの大好きだろ。この前のときも言っていたじゃん……ってこれ以上頬をつねるな!」
「黙って言わせておけば……まったく、太一さんはどうしてそう、デリカシーがないんですか! 恥ずかしいですよ!」
と、そのとき。
「太一、あんた光子郎くんになにやっているのよ」
突然、太一さんのお母さんがこちらを覗いてきた。太一さんは必要以上に驚きの声を上げた。
「か、母さんこそ! 勝手に部屋覗くなよ」
僕は慌てて着せられていた太一さんのシャツのボタンを留めて、笑顔を繕った。危なかった。
「太一、いくら仲がいい光子郎くんでも、届いたばかりの制服で遊んじゃダメじゃない。あんた、高校生になるんだから少しは大人にならないと」
おばさんの手厳しい言葉がため息混じりで聞こえてきた。言われた太一さんは拗ねた表情をしている。
「光子郎くん、ごめんなさいね。うちの太一が――あら?」
おばさんは僕をまじまじと見ている。
「よく見るとその制服、光子郎くんによく似合っているじゃない? サイズをちゃんと合わせたら、とてもピッタリな気がするわ」
おばさんはそう言いながら勝手に感心している。
「そ、そうですかね……」
すかさず太一さんはほくそ笑んだ。
「ほれみろ。光子郎はやっぱりオレと同じ学校に来るべき運命なんだよ」
そこへ、太一さんのおばさんがピシャリと言う。
「太一が勝手に決めることじゃないでしょう」
「でも」
「でも、じゃないの。光子郎くん、太一と違って光子郎くんは頭が良くて選択肢もたくさんあるんだから、いくら仲のいい先輩の太一に言われたからって無理することないのよ。志望校はよく考えてね」
確かに。それは当たり前の話だ。太一さんに言われたから、といってもそれを選ぶ権利は僕にある。
「あ、もちろん私が言った、制服の色が似合っているってことも気にしないでね。中学までと違って、高校は自分で選ぶ最初の進路だから。もちろんある程度は親御さんの意見もあると思うけど」
「ご心配頂いてすみません。僕は大丈夫です。自分のことは他人に左右されず決めるのが僕の信念ですから」
そう笑顔でおばさんに返すと、安心したようにおばさんは家事を再開するため他の部屋へ行った。おばさんが部屋から十分に離れたことを確認してから、太一さんはこんなことを言い出した。
「母さんはあんなこと言っているけど、オレと同じ高校に来れば、たった一年だけ離れるだけで済むぜ? それに、オレとお揃いの制服着られるぞ?」
思いがけない、とても魅力的な言葉。この口説き文句に、僕の心が揺らいだ。
「光子郎、早く来いよな」
「早く、と言っても……少なくともあと一年はかかりますよ?」
「え! じゃあ、いいのか!?」
「そうですね。前向きに考えておきます」
僕は微笑みながら曖昧に返事をして答えをはぐらかした。
太一さんには明言しなかったけれど、僕の進学先はその時点よりもずっと前から、太一さんが志望校を決めて間もない頃から決まっていたのだ。そして。このとき僕の頭の中に例のドッキリ計画も思い浮かんでいた。
実は、僕は進学するにあたって、太一さんにだけ月島総合高校に進学することを言っていない。太一さんには秘密にしているのだ。それはなぜか。太一さんの驚く顔が見たい。
ただその一心だったのだ――
