第二ボタンと新しい制服
「これ、約束の第二ボタンだ」
鍵を開けてパソコンルームの中に入ったあと、太一さんはそう言って僕に第二ボタンを差し出してきた。
「あ、ありがとうございます」
僕がなにも考えずに、素直に受け取ろうとした。そのとき、太一さんからストップがかかった。
「これをおまえにやるのに、オレからひとつ条件がある」
「条件ですか。なんでしょう」
「オレのこの第二ボタンと光子郎の制服の第二ボタンとの交換が条件。ダメかな」
僕はそれを聞いた瞬間、どういうことか飲み込めずにいた。
「えっ。僕の第二ボタンとの交換ですか? 僕はまだあと一年、この制服を着るんですが……」
太一さんは今日で中学の制服を着るのは最後かもしれない。だけど、僕はあと一年残っている。どうしてそんな提案をしてきたのだろう、と僕は疑問に思った。すると太一さんは。
「交換するオレの第二ボタンを使うんだよ」
こう言ってきたのだ。
「一年間、中学卒業までの間、オレのボタンを代わりに制服に付けて使ってほしい。学校が違っても光子郎のそばにいられるように」
さらに太一さんは続けた。
「来年の中学の卒業式の日に、おまえに会えるとは限らないからさ。いまのうちに貰っておきたいんだ。オレ、光子郎の第二ボタン、誰にも取られたくないから。どうかな」
僕はようやく話が飲み込めた。第二ボタンの交換だなんて。そんなこと、いつ太一さんは思いついたのだろう。
「そういうことでしたら……喜んで」
僕は早々に自分の制服の第二ボタンを取り外し、太一さんに差し出した。太一さんはそれを受け取り、代わりに太一さんのものだった第二ボタンを僕の手のひらに乗せてくれた。
「交換してくれてありがとうな。大切にするよ」
「僕も制服に付けて大切に使います」
僕は貰ったばかりの第二ボタンをそっと握りしめた。このボタンを卒業するまで使い続けるんだ。太一さんのものだったこのボタンを。
そんなことをぼんやり考えていたとき、太一さんの手が僕の肩に触れた。そして、太一さんは僕をまっすぐに見つめ、
「光子郎。オレは卒業しても、おまえのことずっと好きでいるからさ。だからおまえも、オレをずっと好きでいてくれよ」
と言った。
「心配しなくとも。僕は昔から太一さんのことが好きですし、信じていますし。それはこれからも変わりませんから」
僕はそう返事をした。太一さんは嬉しそうに「ありがとな」と返してくれた。次の瞬間。
太一さんは僕を抱き寄せた。そして。
太一さんの唇が僕の唇に触れる。
僕は反射的に目を閉じて、僕は太一さんに抱き寄せられたまま、この身を任せていた。
こんなこと、たとえキスでも学校内でしているところを見られたら、大騒ぎになりそうだけれど……、パソコンルームの密室に僕と太一さんのふたりきりなら問題ないか。そう思っていた。
そう、僕たちはパソコンルームに「ある人物」がいたことをすっかり忘れていたのだ。
「すっごくいいシーン……最高……」
その一言で僕と太一さんは、急に我に返った。
「それに。男の子同士なら第二ボタンの交換、って手があるのね! ほどなるほどなる」
「み、京!?」
「いたんですか!」
「あたしがもし男の子だったらなあ、同じ手口を使って賢くんと……」
「みーやーこっ!」
「ハイッ!?」
太一さんが強めに呼びかけて、ようやく京くんは妄想の世界から戻ってきた。
「京くん……君はいつからそこにいたんですか」
僕がもう一度京くんに問いかけると、京くんから驚愕の返事が来た。
「えっ、あたし、最初からずっとこの部屋の中にいましたけど」
「はあ!?」
「え、まさかまさか。泉先輩も太一さんも全く気付いてなかったんですか?」
驚きの声を上げる京くんに、僕と太一さんはただ黙って頷いた。
「んもう、泉先輩も太一さんも、あたしに気付かないくらいイチャイチャしちゃって……キスまで見せて頂いて、ごちそうさまです♡」
その言葉に、僕は急にものすごく恥ずかしくなった。太一さんとふたりきりだと思い込んだ上、キスまでして……完全に油断していた。穴があったら入りたい。
そんな僕の羞恥心はおかまいなしに、
「あのう、第二ボタンの交換だなんてステキだと思ったんですけど、どっちが提案したんですか?」
と、京くんが聞いてきた。
「交換したいと思ったのはオレ、欲しいって言ってきたのは光子郎から」と太一さんが答えてくれる。
「泉先輩、先約していたんですねー。すごーい」
京くんは素直に感心していた。
僕は自分の中の気分を変えたいと、ふと疑問に思っていたことを太一さんに質問した。
「僕の第二ボタンと太一さんの第二ボタンを交換するって、いつ思いついたんですか?」
「あたしも気になります! 差し支えなければ教えてください!」
「昨日の夜、寝る前に。オレの第二ボタンをそのままあげても別によかったんだけどさ。なんか味気ないと思って。それで昨日ふと、光子郎の第二ボタンと交換なら記憶にも残るし、これだったらほかの誰にも光子郎の第二ボタンを取られなくて済むからいいなって思いついてさ。我ながら名案だと思うんだけど、京はどう思う?」
「すっごくいいです。太一さん天才じゃないですか?」
京くんは太一さんに向かって興奮気味に言った。
「あたしも賢くんに制服の第二ボタンのこと、言っておこうかなあ」
あまりにも気が早い京くんの発言に僕と太一さんは思わず苦笑いした。
「おいおい。賢は京よりひとつ年下だろ? あいつまだ中学生にもなってないじゃないか、なあ」
太一さんは僕を見て同意を求めてきた。僕も同感だ。
すると京くんは。
「泉先輩も太一さんも分かってない。将来のことは早め早めに考えないと! 『命短し、恋せよ乙女』って言うじゃないですかあ」
そう言いながら息を巻く京くんを横目に見て、僕と太一さんはため息を吐いた。
しばらくして京くんと別れたあと、僕は太一さんと一緒に帰った。これはお互いが中学生での最後の下校だ。僕の胸には、迫るものがあった。だけど。太一さんは高校生になるだけだ。学校が離れるからと言って心の距離も離れるわけじゃないだろう、とそのときの僕は思っていた。もちろん、僕の努力も必要だと感じながら。
家に帰ってから、太一さんから譲り受けた第二ボタンを、太一さんに譲った僕の第二ボタンの代わりに付けた。そして残りの在学期間中着用していた。そのボタンに触れると、不思議と太一さんがそばにいてくれるような気がした。
そしていま。中学の制服の上着から取り外した太一さんから貰った第二ボタンは、お守り代わりとして持ち歩いている。
……と、ここまでが僕がいま手に持っている、太一さんから貰った第二ボタンのエピソードだ。
京くんは何故か僕と太一さんの関係が気になるらしく、その後も「最近、太一さんとはどうなんですか」と時折メールで聞いてくる。別に面白いことは特に無いけれど……太一さんとの恋愛的なネタの話を期待しているのかもしれない。
だけど、その手の話なら僕よりミミさんとか、空さんに聞いたほうが面白そうな話をしてくれそうだし、同性同士で付き合っている僕たちよりは京くんの参考になるんじゃないのかな、と思っている。
さて。第二ボタンにまつわる話の次は、僕が着ている月島総合高校の制服の話だ。
制服の話を始める前に。ひとつ話しておきたいことがある。
僕が月島総合を受験すると決めていたのは、一年半以上も前。一年半前というのは僕が中学二年生の二学期。それほど前から、僕の志望校は変わっていなかった。
僕の進学先を親戚や知り合いに告げると、みんな驚く。
揃って言われるのは、
「もっと上の学校を狙えたのではないか」
ということ。それに尽きるんだ。
確かに、月島総合の合格ラインと僕の中学での模試の結果を照らし合わせると、決して自慢ではないけれど、僕の成績のほうがかなり上だったのは事実なんだ。実際、先生には高専を受けないか、とか有名私立校の特待生付き上位クラスを十分に狙える、など様々なありがたいアドバイスを頂いていた。
それでも、僕は。月島総合高校を選んだ。
どうしても、この月島総合に進学したかったのだ。
それも、太一さんがいるから、という僕らしくない安直な決め方で。
でも、それだけが理由じゃない。
太一さんに。太一さんの通う高校の真新しい制服を、僕に。
あんなことをされたら。
誰だって、気持ちが揺れ動くに違いないんだ――
ここから、月島総合高校の制服の話をする。どうか最後まで聞いてほしい。
鍵を開けてパソコンルームの中に入ったあと、太一さんはそう言って僕に第二ボタンを差し出してきた。
「あ、ありがとうございます」
僕がなにも考えずに、素直に受け取ろうとした。そのとき、太一さんからストップがかかった。
「これをおまえにやるのに、オレからひとつ条件がある」
「条件ですか。なんでしょう」
「オレのこの第二ボタンと光子郎の制服の第二ボタンとの交換が条件。ダメかな」
僕はそれを聞いた瞬間、どういうことか飲み込めずにいた。
「えっ。僕の第二ボタンとの交換ですか? 僕はまだあと一年、この制服を着るんですが……」
太一さんは今日で中学の制服を着るのは最後かもしれない。だけど、僕はあと一年残っている。どうしてそんな提案をしてきたのだろう、と僕は疑問に思った。すると太一さんは。
「交換するオレの第二ボタンを使うんだよ」
こう言ってきたのだ。
「一年間、中学卒業までの間、オレのボタンを代わりに制服に付けて使ってほしい。学校が違っても光子郎のそばにいられるように」
さらに太一さんは続けた。
「来年の中学の卒業式の日に、おまえに会えるとは限らないからさ。いまのうちに貰っておきたいんだ。オレ、光子郎の第二ボタン、誰にも取られたくないから。どうかな」
僕はようやく話が飲み込めた。第二ボタンの交換だなんて。そんなこと、いつ太一さんは思いついたのだろう。
「そういうことでしたら……喜んで」
僕は早々に自分の制服の第二ボタンを取り外し、太一さんに差し出した。太一さんはそれを受け取り、代わりに太一さんのものだった第二ボタンを僕の手のひらに乗せてくれた。
「交換してくれてありがとうな。大切にするよ」
「僕も制服に付けて大切に使います」
僕は貰ったばかりの第二ボタンをそっと握りしめた。このボタンを卒業するまで使い続けるんだ。太一さんのものだったこのボタンを。
そんなことをぼんやり考えていたとき、太一さんの手が僕の肩に触れた。そして、太一さんは僕をまっすぐに見つめ、
「光子郎。オレは卒業しても、おまえのことずっと好きでいるからさ。だからおまえも、オレをずっと好きでいてくれよ」
と言った。
「心配しなくとも。僕は昔から太一さんのことが好きですし、信じていますし。それはこれからも変わりませんから」
僕はそう返事をした。太一さんは嬉しそうに「ありがとな」と返してくれた。次の瞬間。
太一さんは僕を抱き寄せた。そして。
太一さんの唇が僕の唇に触れる。
僕は反射的に目を閉じて、僕は太一さんに抱き寄せられたまま、この身を任せていた。
こんなこと、たとえキスでも学校内でしているところを見られたら、大騒ぎになりそうだけれど……、パソコンルームの密室に僕と太一さんのふたりきりなら問題ないか。そう思っていた。
そう、僕たちはパソコンルームに「ある人物」がいたことをすっかり忘れていたのだ。
「すっごくいいシーン……最高……」
その一言で僕と太一さんは、急に我に返った。
「それに。男の子同士なら第二ボタンの交換、って手があるのね! ほどなるほどなる」
「み、京!?」
「いたんですか!」
「あたしがもし男の子だったらなあ、同じ手口を使って賢くんと……」
「みーやーこっ!」
「ハイッ!?」
太一さんが強めに呼びかけて、ようやく京くんは妄想の世界から戻ってきた。
「京くん……君はいつからそこにいたんですか」
僕がもう一度京くんに問いかけると、京くんから驚愕の返事が来た。
「えっ、あたし、最初からずっとこの部屋の中にいましたけど」
「はあ!?」
「え、まさかまさか。泉先輩も太一さんも全く気付いてなかったんですか?」
驚きの声を上げる京くんに、僕と太一さんはただ黙って頷いた。
「んもう、泉先輩も太一さんも、あたしに気付かないくらいイチャイチャしちゃって……キスまで見せて頂いて、ごちそうさまです♡」
その言葉に、僕は急にものすごく恥ずかしくなった。太一さんとふたりきりだと思い込んだ上、キスまでして……完全に油断していた。穴があったら入りたい。
そんな僕の羞恥心はおかまいなしに、
「あのう、第二ボタンの交換だなんてステキだと思ったんですけど、どっちが提案したんですか?」
と、京くんが聞いてきた。
「交換したいと思ったのはオレ、欲しいって言ってきたのは光子郎から」と太一さんが答えてくれる。
「泉先輩、先約していたんですねー。すごーい」
京くんは素直に感心していた。
僕は自分の中の気分を変えたいと、ふと疑問に思っていたことを太一さんに質問した。
「僕の第二ボタンと太一さんの第二ボタンを交換するって、いつ思いついたんですか?」
「あたしも気になります! 差し支えなければ教えてください!」
「昨日の夜、寝る前に。オレの第二ボタンをそのままあげても別によかったんだけどさ。なんか味気ないと思って。それで昨日ふと、光子郎の第二ボタンと交換なら記憶にも残るし、これだったらほかの誰にも光子郎の第二ボタンを取られなくて済むからいいなって思いついてさ。我ながら名案だと思うんだけど、京はどう思う?」
「すっごくいいです。太一さん天才じゃないですか?」
京くんは太一さんに向かって興奮気味に言った。
「あたしも賢くんに制服の第二ボタンのこと、言っておこうかなあ」
あまりにも気が早い京くんの発言に僕と太一さんは思わず苦笑いした。
「おいおい。賢は京よりひとつ年下だろ? あいつまだ中学生にもなってないじゃないか、なあ」
太一さんは僕を見て同意を求めてきた。僕も同感だ。
すると京くんは。
「泉先輩も太一さんも分かってない。将来のことは早め早めに考えないと! 『命短し、恋せよ乙女』って言うじゃないですかあ」
そう言いながら息を巻く京くんを横目に見て、僕と太一さんはため息を吐いた。
しばらくして京くんと別れたあと、僕は太一さんと一緒に帰った。これはお互いが中学生での最後の下校だ。僕の胸には、迫るものがあった。だけど。太一さんは高校生になるだけだ。学校が離れるからと言って心の距離も離れるわけじゃないだろう、とそのときの僕は思っていた。もちろん、僕の努力も必要だと感じながら。
家に帰ってから、太一さんから譲り受けた第二ボタンを、太一さんに譲った僕の第二ボタンの代わりに付けた。そして残りの在学期間中着用していた。そのボタンに触れると、不思議と太一さんがそばにいてくれるような気がした。
そしていま。中学の制服の上着から取り外した太一さんから貰った第二ボタンは、お守り代わりとして持ち歩いている。
……と、ここまでが僕がいま手に持っている、太一さんから貰った第二ボタンのエピソードだ。
京くんは何故か僕と太一さんの関係が気になるらしく、その後も「最近、太一さんとはどうなんですか」と時折メールで聞いてくる。別に面白いことは特に無いけれど……太一さんとの恋愛的なネタの話を期待しているのかもしれない。
だけど、その手の話なら僕よりミミさんとか、空さんに聞いたほうが面白そうな話をしてくれそうだし、同性同士で付き合っている僕たちよりは京くんの参考になるんじゃないのかな、と思っている。
さて。第二ボタンにまつわる話の次は、僕が着ている月島総合高校の制服の話だ。
制服の話を始める前に。ひとつ話しておきたいことがある。
僕が月島総合を受験すると決めていたのは、一年半以上も前。一年半前というのは僕が中学二年生の二学期。それほど前から、僕の志望校は変わっていなかった。
僕の進学先を親戚や知り合いに告げると、みんな驚く。
揃って言われるのは、
「もっと上の学校を狙えたのではないか」
ということ。それに尽きるんだ。
確かに、月島総合の合格ラインと僕の中学での模試の結果を照らし合わせると、決して自慢ではないけれど、僕の成績のほうがかなり上だったのは事実なんだ。実際、先生には高専を受けないか、とか有名私立校の特待生付き上位クラスを十分に狙える、など様々なありがたいアドバイスを頂いていた。
それでも、僕は。月島総合高校を選んだ。
どうしても、この月島総合に進学したかったのだ。
それも、太一さんがいるから、という僕らしくない安直な決め方で。
でも、それだけが理由じゃない。
太一さんに。太一さんの通う高校の真新しい制服を、僕に。
あんなことをされたら。
誰だって、気持ちが揺れ動くに違いないんだ――
ここから、月島総合高校の制服の話をする。どうか最後まで聞いてほしい。
