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第二ボタンと新しい制服

 2005年4月。僕はこの春から高校生になった。
 着慣れない真新しい制服に、履き慣れない靴、新調したカバン。ほんのすこし前まで中学生だったのに、高校の制服を着ていると急に大人になったような気がする。
 僕が通うのは、台場駅からゆりかもめで何駅か行った先にある月島総合高校。入学してから今日で一週間が経つ。
 月島総合があるのは月島というもんじゃ焼きが有名な地域で、僕の住んでいる家から割と近いところにある。東京メトロ有楽町線と都営大江戸線の月島駅が最寄り駅のため、ゆりかもめでは直接通えない。汐留駅で都営大江戸線に乗り換えて月島駅で降りるんだ。
 僕は電車の乗り換えに慣れているし苦じゃないけれど、月島高校に通う生徒は自転車通学の人も多いから、もう少ししたら自転車通学に切り替えようかと考え中だ。それに、同じ高校に通うひとつ年上の太一さんは自転車通学らしい。もうこれは決定かもしれないな。
 いま僕は、ゆりかもめに揺られて学校へ向かっている途中。通勤通学のラッシュの時間を避けて乗ったから、乗客はまばらだ。電車の窓から見える、見慣れた景色を眺めたりして過ごしている。
(こんな朝早くにゆりかもめに乗るの、不思議な感じがする)
 お台場から都心へ向かうとき、比較的よく乗るゆりかもめだけれど、通学手段としてはまだまだ乗り慣れない。
 眼に映る見慣れた景色が新鮮に思えるのは、新しい制服を着ているからか、それともこの春という季節特有のものだからか。なんだか無性にドキドキする。この感覚に慣れるまでにはもう少し時間がかかるだろう。
(そういえば。太一さんは、今日も朝練しているのかな)
 太一さんは高校でもサッカー部に所属していて、チームの中心にいる。何度か試合を見に行ったけれど、サッカーコート上で走り回っている太一さんはひときわ輝いて見えた。
 僕は、サッカーをしている太一さんの姿を見るのがとても好きだ。彼らしい、というのもあるけれど、なにより。
「ユニフォーム姿の太一さん、カッコいいからなあ……」
 何年経っても鮮明に覚えている、小学生のときのクラブでのユニフォーム姿。なんとなく見学に行ったサッカークラブだったけれど、背番号10のひと、その人を一目見た瞬間から目を離せなくなった。それが太一さんだった。
 僕がサッカーをやっていたのは小学生のときだけだったけれど、小学校のサッカークラブに入ったことは、太一さんと出会えたという意味で大きなターニングポイントだ。
 実は、太一さんと出会ったおかげでいまの僕があると言っても過言ではないくらいで。僕の世界を変えてくれた太一さんには感謝してもしきれないんだ。
 小学生でサッカーをやめた僕とは違って、太一さんは中学でもサッカーを続けて、高校でも続けている。僕はそのことを密かに嬉しく思う。だって、大好きな太一さんのユニフォーム姿を高校でも見ることが出来るなんて。この先もずっとその姿を見られたら……と思うけど、太一さんにも考えがあるだろうから、わがままは言えない。でも、できる限りずっと見ていたいなと、僕は思っている。もちろん、太一さんにやりたいことがあるなら、その夢を喜んで応援しようと思う。

(あと少しで駅に着くけど、もしも駅で太一さんとバッタリ会ってしまったら、なんて説明しようかな……)
 僕は一年ほど前から、太一さんに対してとあるドッキリを仕掛けている。一年もの間、それを続けていたけれど、そのドッキリ計画に思わぬ穴があったことに今更ながら気付き、ヒヤヒヤしていた。
 え? そのドッキリはなにかって?
 それはこの物語を読み進めて貰えたら分かると思うので、いまは秘密です。
(一年も前からやってきたこと、最後の最後にあっさりとパーにしたくないからな……用心しないと)
 僕は、このドッキリの大成功を成すべく、自分に対して改めて誓い直していた。
 そうこうしているうちに汐留駅に着き、僕はゆりかもめを降りて都営大江戸線に乗り換えた。汐留駅から月島駅までは10分ほどで着いてしまう。しかし、移動時間も貴重な時間のうちだからと僕はカバンから一冊のノートを取り出した。
「昨日デジタルワールド関連でいろんな人と連絡を取り合っていたから、すっかり予習忘れていたけど……僕にはこのノートがあるから」
 僕がいま手にしているノートは、一年前のいまごろ、高校の授業内容について自分でまとめたものだ。このノートには高校一年の各教科の授業内容がびっしりと書かれている。
 高校に入学したばかりの僕が、なぜ自作のそんなノートを持っているのかというと。これには、太一さんが深く関わってくるのだ。
(僕より年上の人の家庭教師なんて。相手が太一さんだから引き受けているようなものだけど)
 僕と太一さんはお互い受験生になる前から一緒に勉強することがしばしばあった。そして忘れもしないちょうど一年前のこと……太一さんが受験生になってすぐのころに、僕は太一さんからこんなことを頼まれた。
『オレの受験勉強に付き合ってもらえないか。出来れば1・2年の数学、教えてくれると助かる』
 それまで部活一辺倒だった太一さんにこんなことを頼まれて、僕はビックリした。だけど、これまで一緒にテスト勉強をしていても僕にちょっかいばかり出していて、勉強に対するやる気があまり感じられなかった太一さんが、勉強にやる気になったことに、僕は素直に嬉しさを覚えたんだ。
 冷静に、というか冷静に考えなくとも、年下が年上の人の家庭教師を引き受けるのはおかしな話だ。けれど、太一さんが僕に頼ってくるということは。僕が太一さんに必要とされているということだから、それが嬉しくてつい引き受けてしまったのだ。
 太一さんがめでたく志望校に合格したことにより、この件の僕の使命は完遂されたかに見えた。
 しかし。
 太一さんが高校入学して一週間ほどした頃。太一さんは僕の家にやって来てこう言ってきたのだ。
「オレ、高校生にはなったけど勉強はお前と一緒にやりたい。だから、これからも一緒に勉強会やらないか。あとここだけの話、高校の数学がサッパリ分からないんだ。これなんだけど、光子郎は分かるか?」
 思わぬ提案。それとちょっと耳を疑う頼みごと。
「勉強会の申し出、素直にうれしいです。太一さんが良ければ是非やりましょう。ですが……高校の数学の分からないところを中学生に聞く高校生なんて、普通いますか……?」
 このときの僕の表情は、若干呆れていたと思う。確かに数学ならば、高校二年生程度の内容だったらおそらく。授業を受けていなくとも参考書を見れば解けるとは思う。でも、さすがに高校生の学習内容を中学生が教えるなんて。だけど。
「だってしょーがねーだろ? 分からねえもんは分からねえんだからさ。難しい数学の問題を解いたり、ワケの解らないパソコンのプログラムをいとも簡単に扱えたりするおまえなら。中学生でも高校の数学、分かるんじゃないのか?」
 無理やりだけど、太一さんらしい言い分。
「オレはいつだっておまえを信用してるぞ」
 うっ。なんか僕、太一さんに違う意味で口説かれているような気が。僕は黙って太一さんの話すのを聞いていた。
「おまえと一緒ならオレ、勉強頑張れるんだよ。だからさ、この通りだ!」
 僕と一緒なら頑張れる。
 情けないことにこんな単純な一言で僕の心はいとも簡単に動かされてしまった。ああ、好きな人の一言って恐ろしい。
 僕はため息を吐いた後、こう返事した。
「太一さんの分からない問題、いまから解いてみますから。どうぞ上がってください」
 太一さんはあっけに取られていた。
「いいのか?」
 もしかして、僕が断ると思っていたのかもしれない。僕も内心あっけに取られた。
「いいのか、って……。太一さんが言ってきたんでしょう? それに、勉強会となるとこれまで通り、僕が太一さんに教える家庭教師パターンになりそうですから。大丈夫です」
 言いながら、それって大丈夫なのかと自分自身にツッコミを入れる。そして太一さんの返事を待つ。太一さんの表情は最初、ポカンとしていたけど、直ぐにとても嬉しそうな顔に変わった。
「ワリイ、恩に着る!」
 中学と高校で学校が離れてしまった僕たちだったけど、こうして、定期的に会う勉強会の約束を交わしたんだ。
 その日からというもの。僕は中学生だけど、しかも中三で受験生なのに。高校生の問題を参考書とにらめっこしながら解いていくことになったのだった……。
 でも結果的に。僕は太一さんと同じ高校へ進学することになり、年度毎の教科書の改定があったりすることもあるとはいえ。僕が購入した教科書は、太一さんが使っていた昨年度と同じ出版社の教科書だったから、内容ももちろん同じで。日常の予習を必要以上にやり込まなくても良いと分かったことは思わぬ幸運だった。
 近頃デジタルワールド関連でたくさんの人と忙しくやり取りをしているため、勉強に必要以上に時間を取られないのは僕にとって好都合なのだ。もちろん、やるべきことはちゃんとやっているけども。
 正当な理由で太一さんと一緒にいられる時間が持てるのは正直とても嬉しい。ただでさえ僕が中学、太一さんは高校、という形で離れてしまい、すれ違いが多くなるなと寂しく思っていたから、どんな形であれ太一さんと一緒にいられるのは、本当に嬉しいんだ。
 だからと言って、甘くしたりはしない。むしろ太一さんのためを思って厳しくしようとはしている。でも太一さんに丸め込まれて、最終的に甘くなってしまう僕だけど……。結局のところ太一さんのことが好きだから、仕方がないのかな、と諦めモードになってしまいつつある今日この頃だ。
 ここまで読んでお気付きの人がほとんどだと思うけれど、僕と太一さんは付き合い始めて二年以上が経つ恋人同士。喧嘩をすることもあるけれど、基本的には仲がいいほうだと僕は思っている。
 こんな話をしているうちにいつの間にか学校に着いた。グラウンドには朝練をやっている運動部の部員がいる。遠巻きに見て、サッカー部もいそうだ。こんなところで太一さんに見つかってはいけないと、僕はそそくさと昇降口へと急いだ。
「ふう……」
 太一さんへ仕掛けている「ドッキリ」はもっと劇的な形でネタばらしをしたいから、太一さんと同じ校内に居られるのが嬉しくても、変な緊張感を持って過ごすのはなかなかに骨が折れる。でも、僕がそうすると決めたことだから。もう少しの辛抱だ。
 僕は自分の教室に入り、自分の席に座る。周りを見回すと、まだ誰も登校してきた気配はない。教室の時計を見ると、まだ8時になっていない。通学時間の感覚がまだ掴めていないため、ここのところ早めに家を出ていたのだけど、今日はさらに早く出てしまっていたようだ。
「やっぱり早く来すぎたか……」
 ため息を吐きつつも、予習できる時間が出来たからよかったと気を取り直した。さっき電車の中で見ていたノートを出してパラパラとめくる。ノートを見ているうちに、太一さんへの家庭教師時代を思い出し、いろいろ苦労したなと、僕は思わず苦笑いしてしまった。
 でも、太一さんのことを恨むようなことは、もちろんだけどない。むしろ太一さんがいたからこそ、僕はこの月島総合へ進学を決めたんだ。
「そうだ。そういえばあれ、持ってきていたっけ」
 僕はあることを思い出し、カバンの中に入れていたあるものを探り始めた。そして探り当てたもの。それは小さなお守りだった。神社で売っているようなお守りではなく、僕のお母さんが手作りで作ってくれたものだ。僕はそのお守りの入り口を広げて、それから逆さにした。すると、中から転がり出てきたのは緑色をしたひとつのボタン。
 このボタンは太一さんが中学を卒業するときに貰った、お台場中の制服の第二ボタンなんだ。
 僕が月島総合に進学した理由。
 太一さんがいるから、というのも大きな理由なのだけど。
 その理由は、いま僕が着ている新しい制服なんだ。授業が始まるまで時間があるので、せっかくだから、この第二ボタンと新しい制服、それについての話をしようと思う。
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