1章

 気がついたら朝になっていた。
 昨晩、ママ・アルパから不思議な話を聞いたせいか、夢の中で話の続きを見ていたような気がした。
 ゲルダはゆっくりと身を起こした。
 ママ・アルパは朝食のパンを焼いている。
 ぼんやりと宙を見る。そしてまた横になった。
 目を瞑ると、鬱蒼とした森が見える。その森は、このバルバ村を囲む森とは違った。濃い霧に包まれた森はどこか神秘的だった。夢の中で見ていたのは、この世にない森だった。
 楽しかった、ような気がする。誰かが一緒にいたような気もする。
 自分は森の中で遊んでいた。自分は幼かった。
 ゲルダはゆっくりと瞼を持ち上げた。両手で顔を覆う。
 夢なのに、夢ではないような感覚がして、気持ち悪かった。
 夢の中で、自分は、背の高い、男の人と一緒にいた。男は森のことをよく知っていた。森の中は危ないから、絶対にここにいなさい。男はそう言っていた。ここ、というのは、男の住んでいたツリーハウスだった。巨木の上に構えられたその家の中は、必要な家具が一式揃っており、不自由なく過ごせた。
 男は自分のことを大切にしてくれていた。そんな男と過ごす日々が、幼いゲルダにとってはとても楽しかった。
 男の顔はよく分からない。しかし、長く輝く美しい絹のような髪は憶えている。その男が、何か、自分に”いいもの”をくれたような気がする。けれど、それが何なのかは憶えていなかった。
(なんか、不思議な夢だったな)
 現実味のある夢だったのは、ママ・アルパの話が上手かったから。ゲルダは大きく溜息をついて、手を顔から離した。
「おはよう、ママ」
「ああ、おはよう、ゲルダ。気分が優れないのかい?」
 ポットの中には、ハーブが入れられていた。ちょうどハーブティーが出来上がっていたので、ゲルダは木製のカップの中に、自分とアルパの分のハーブティーを注いだ。
「なんか、不思議な夢を見た。多分、ママが昨日、夜の国の話をしてくれたからだと思う。私、森にいた。男の人と一緒に」
「そうかい。誰しも人は夢を見る。様々な記憶が混ざり合って、不思議な物語が生まれたりするものだよ。この村は森に囲まれているからねえ。ゲルダ、幼い頃に森にいたのを憶えてないのかい?」
「憶えてないよ、そんなこと」
 ママ・アルパは焼いたパンと卵を皿に載せ、テーブルに運んだ。ゲルダも残りのハーブティーの入ったポットとフォークとナイフを運ぶ。
 テーブルに着き、神に祈りを捧げた。
「ゲルダは森で一人でいたんだよ。どういうわけか。親の姿がなかったから、私が育てることにした」
「えっ」
 ゲルダは今まさに口に入れようとしていた目玉焼きの黄身をぼとりと皿の上に落とした。
 今、ママ・アルパが教えてくれたのは、この家に来る前の話だ。
 自分がどうしてママ・アルパに育てられ、この家にいるのか、まったく考えたことがなかった。憶えていなかったからだ。すっかり、両親の記憶が抜け落ちているのだ。
 憶えていないから、考えても無駄だったし、知るつもりもなかった。
「ママ、私、捨てられたの?」
「分からない。占いをしても、古代文字の示すものは、辻褄が合わなかった。占いが弾かれるような感覚があった。だから、私はゲルダが森の中で一人いた、という事実しか知らない。きっと、今日見た夢は、ゲルダの遠い記憶にあった森なんじゃないかね」
 ゲルダはフォークを口の中に入れたまま宙を見た。
 自分が見た森と、村を囲む森は、どこか雰囲気が違った。様々な記憶が混ざってのことだから、こういうこともあるのだろうと無理に納得をする。
「納得いかないようだね」
「まあ、ね。私もここに来る前のことは全く憶えてないし。あ、でも、本当のこと全部知りたいとは思ってないわ。私にとって、ママは、ママしかいないし」
 そう言うと、アルパは嬉しそうに笑った。
 二人でゆっくりとお茶を飲み、朝食を終える。
 ママ・アルパはこれから隣村までまじないを売りに行くと言う。無理についてこなくても良い、と言われるので、ゲルダはゲルダで、家で仕事をするつもりだった。
 冬はハーブがあまり採れない。秋までに貯めておいたハーブが傷まないように、湿気てしまったハーブは乾燥をさせないといけなかった。
 外から薪を持ってきて、暖炉に入れる。暑いくらいがちょうどいい。暖炉の壁に糸を掲げ、クリップを使ってハーブを干していく。ハーブのいい香りが部屋に広がった。
 乾燥するのを待つ間、いつも売れる薬の調合もある程度しておこうと売れたまじないを記録している手帳の入ったポーチを持った時だった。
 普段と違った重さに違和感を覚える。
 ゲルダは首をかしげてポーチを開けた。見慣れない巾着袋が入っている。
 巾着袋をポーチから出し、口を開けた。
「えっ」
 驚きの声が出る。
 なぜなら、それは、ママ・アルパが使っている唯一の占い道具だったからだ。古代文字が刻まれた占い石。翡翠に刻まれた黄金の文字。一つ一つは小石程度の大きさだが、その石はこの世の全てを見せてくれる、特別な石だった。
 なぜこれが自分のポーチの中に入っているのだろう。
 間違えて入れることはない。だったら、ママ・アルパは敢えて自分のポーチに入れたのだ。
 ゲルダは巾着の中に手を入れ、一つだけ石をつまみ上げた。
 ”授ける”の石だった。
「授ける――」
 ゲルダが呟くと、石が一瞬、光ったような気がした。
 その煌めきは暖炉の火の光を反射して見えたものだろうか。ゲルダは不思議に思いながらも石を巾着に入れた。
 それから、床に石を広げた。ママ・アルパがやっているように。
 文字が見えたものだけ拾い上げる。表になっていたのは、四つの石だった。文章になるように、並べ替える。
「”私”、”向かう”、”誕生”の、”地”?」
 ゲルダが読み上げると、また、石が光ったような気がした。
 風が入り込んでいて、火が揺らいでいるのだろうか。もし隙間風が入っているなら、直さないといけない。ゲルダは石を片付けて、巾着袋をポーチの中に入れた。
 そして、隙間がないか、壁の点検を始めたのだった。
 
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