6章
狭間の霧は濃く、先が見えない。カンテラをかざし、道を探したが、それでも見えなかった。
エリアスはリュートに迎えに行くよう頼むと言ってくれた。しかし、リュートの姿は見えない。
冷たい霧が頬を濡らす。あの日、自分は、期待に胸を膨らませて狭間に向かった。まじないがあれば大丈夫だと、根拠のない自信と共に。ハルムに石がたまたま当たり、まじないが通用したのも、結局、自分の中にあるエリアスの魔法がそうさせたのかもしれない。
エリアスの魔法を返してしまえば、今のまじないの感覚は変わってしまうのかもしれない。けれど、それでいいとゲルダは思う。ママ・アルパの教えを信じていれば、きっと、本当の自分のまじないができるようになる。だから、魔法を返すのは、エリアスのためでもあり、ゲルダのためでもあった。
遠くから、ベルの音が聴こえた。リュートの持っているベルの音だ。耳を澄まし、ベルの音がどちらから聴こえてきているのかを確認する。
しかし、そのベルの音を、風がかき消した。
妖精だ。狭間の妖精がまたやってきた。姿を隠した妖精たちが、また自分を笑う。
『エルフの魔法を持った人間』
『ねえ、教えてよ、あなたはエルフを愛しているの?』
話が伝わるのがとても早い。風の妖精らしいな、とゲルダは思った。
妖精たちは、面白い話が好きだ。以前、狭間を抜けた時は、まじないで妖精に勝った。しかし、今度は、ゲルダは語って聞かせた。
エリアスと過ごした時間は、魔法のような時間だった。
「私がエリアスと一緒に過ごした時間は、幼い私にとって、大切なものだったよ。だって、エリアスしかいなかったもの」
大好き、と何度も伝えた。あの、生きることに希望を見いだせないような顔をしていたエリアスは、そう言うだけでぱっと顔を輝かせた。
自分が彼の支えだった。あの狭い世界の中で、自分を押し殺して生きていた彼が、自分といる時だけ、生きる喜びを感じていた。
あの時のエリアスはゲルダを愛してくれていた。エリアスはゲルダに何度も魔法を見せてくれたし、何度も語ってくれた。何度も抱きしめられ、何度もキスをもらった。だから、ゲルダもエリアスのことが好きだった。
記憶を失っても、再び出会った。それは、奇跡だったのかもしれないし、魔法が引き寄せていたのかもしれない。
「エリアスの魔法が、エリアスに帰りたがっているのかもしれない。エリアスの魔法が、私にそうさせている部分もあるかもしれない。でも、私自身も、エリアスのことは好き。目の前のことに一生懸命になってる彼は、力に溺れた私を、救ってくれたと思ってる」
『でも、あなたは、昼の国の住民。夜と一緒にいることは叶わないわ』
「分かってるよ。エリアスも分かってる。だから、離れてても大丈夫なまじないをしに行くの」
気づいたら、妖精たちが、ゲルダの前にいた。
ゲルダの話に涙を流す妖精もいた。
一人の妖精が、ハルムの鼻にキスをした。
「私たちは、ここから見ているわ。あなたと、エルフの、物語。それから、私たちの姉妹。ハルムはこれからもエルフと共にいるのでしょう?」
「契約が切れない限り。でも、ハルムが帰りたいと願うなら、エリアスはきっと許すわ。ハルムは私たちと一緒に、人魚の街に行ったの」
ゲルダが言うと、妖精たちは羨ましさに声を上げた。
ハルムはきっと、ここに帰ってきたら、この妖精たちに質問攻めされるのだろう。
「あなたたちがハルムの物語を待っていると、ハルムに伝えておくわ」
「ありがとう、まじない師。さあ、では、行って。夜警が迎えに来たわ」
妖精たちは風を起こし、霧をかき混ぜた。すると、ベルとカンテラのさがった杖を持ったリュートの姿が現れた。
ゲルダを見つけたリュートは、ほっとしたかのように溜息をついた。
カンテラの中にいる光の妖精も、ゲルダに手を振る。
この混乱に対応しているリュートは、少しだけ疲れていた。
「分かってたら、あなたを昼に戻しはしなかった。小人の街を早く元に戻さないといけないと焦っていたのかも。根本的な原因が解決されてなければ、もとに戻ることなんてないのに。これは私の落ち度だわ。ごめんなさい」
リュートは素直に謝った。
「ううん。あの時は私も早く昼に帰ったほうがいいと思ったから。夜の女王が、夢で教えてくれたの」
「夢で? 女王様はそのようなことができるのね。でも、女王は、見ているだけ。いつも、この世界を、愛の眼差しで見つめるだけ。今も、きっと見ているわ。あなたとエリアスのこと」
それから、と、リュートは微笑んだ。
「風の妖精をよく手懐けたわね。さすがだわ、まじない師」
「まだ見習いだよ。私は、これからもっと、修行をしないといけない。私の本当の力を知らないといけないの。私は、自分の力を見誤ってたから」
ゲルダは鞄の紐を握る。
リュートはベルを鳴らしながら言った。
「エリアスは、力は信じることだと言ったわ。だから、私もあなたとエリアスを信じる。私はあなたたちを信じて、小人の街の夜警として仕事をするわ」
霧がかき混ぜられる。リュートのベルの音に合わせて、風の妖精たちが踊り始めた。
「よい夜を、まじない師見習いゲルダ」
霧が晴れ、リュートとゲルダは小人の街の広場にいた。
さあ、行って、と言われ、ゲルダは身を屈め、リュートを抱きしめた。
「ありがとう。リュート。ティルハーヴェンの夜警たちも、私たちのために頑張ってくれてるから。私、エリアスのところに行ってくる……!」
魔法と、とびきりのまじないを渡しに。
ゲルダはエリアスを探しに駆けた。
エリアスはリュートに迎えに行くよう頼むと言ってくれた。しかし、リュートの姿は見えない。
冷たい霧が頬を濡らす。あの日、自分は、期待に胸を膨らませて狭間に向かった。まじないがあれば大丈夫だと、根拠のない自信と共に。ハルムに石がたまたま当たり、まじないが通用したのも、結局、自分の中にあるエリアスの魔法がそうさせたのかもしれない。
エリアスの魔法を返してしまえば、今のまじないの感覚は変わってしまうのかもしれない。けれど、それでいいとゲルダは思う。ママ・アルパの教えを信じていれば、きっと、本当の自分のまじないができるようになる。だから、魔法を返すのは、エリアスのためでもあり、ゲルダのためでもあった。
遠くから、ベルの音が聴こえた。リュートの持っているベルの音だ。耳を澄まし、ベルの音がどちらから聴こえてきているのかを確認する。
しかし、そのベルの音を、風がかき消した。
妖精だ。狭間の妖精がまたやってきた。姿を隠した妖精たちが、また自分を笑う。
『エルフの魔法を持った人間』
『ねえ、教えてよ、あなたはエルフを愛しているの?』
話が伝わるのがとても早い。風の妖精らしいな、とゲルダは思った。
妖精たちは、面白い話が好きだ。以前、狭間を抜けた時は、まじないで妖精に勝った。しかし、今度は、ゲルダは語って聞かせた。
エリアスと過ごした時間は、魔法のような時間だった。
「私がエリアスと一緒に過ごした時間は、幼い私にとって、大切なものだったよ。だって、エリアスしかいなかったもの」
大好き、と何度も伝えた。あの、生きることに希望を見いだせないような顔をしていたエリアスは、そう言うだけでぱっと顔を輝かせた。
自分が彼の支えだった。あの狭い世界の中で、自分を押し殺して生きていた彼が、自分といる時だけ、生きる喜びを感じていた。
あの時のエリアスはゲルダを愛してくれていた。エリアスはゲルダに何度も魔法を見せてくれたし、何度も語ってくれた。何度も抱きしめられ、何度もキスをもらった。だから、ゲルダもエリアスのことが好きだった。
記憶を失っても、再び出会った。それは、奇跡だったのかもしれないし、魔法が引き寄せていたのかもしれない。
「エリアスの魔法が、エリアスに帰りたがっているのかもしれない。エリアスの魔法が、私にそうさせている部分もあるかもしれない。でも、私自身も、エリアスのことは好き。目の前のことに一生懸命になってる彼は、力に溺れた私を、救ってくれたと思ってる」
『でも、あなたは、昼の国の住民。夜と一緒にいることは叶わないわ』
「分かってるよ。エリアスも分かってる。だから、離れてても大丈夫なまじないをしに行くの」
気づいたら、妖精たちが、ゲルダの前にいた。
ゲルダの話に涙を流す妖精もいた。
一人の妖精が、ハルムの鼻にキスをした。
「私たちは、ここから見ているわ。あなたと、エルフの、物語。それから、私たちの姉妹。ハルムはこれからもエルフと共にいるのでしょう?」
「契約が切れない限り。でも、ハルムが帰りたいと願うなら、エリアスはきっと許すわ。ハルムは私たちと一緒に、人魚の街に行ったの」
ゲルダが言うと、妖精たちは羨ましさに声を上げた。
ハルムはきっと、ここに帰ってきたら、この妖精たちに質問攻めされるのだろう。
「あなたたちがハルムの物語を待っていると、ハルムに伝えておくわ」
「ありがとう、まじない師。さあ、では、行って。夜警が迎えに来たわ」
妖精たちは風を起こし、霧をかき混ぜた。すると、ベルとカンテラのさがった杖を持ったリュートの姿が現れた。
ゲルダを見つけたリュートは、ほっとしたかのように溜息をついた。
カンテラの中にいる光の妖精も、ゲルダに手を振る。
この混乱に対応しているリュートは、少しだけ疲れていた。
「分かってたら、あなたを昼に戻しはしなかった。小人の街を早く元に戻さないといけないと焦っていたのかも。根本的な原因が解決されてなければ、もとに戻ることなんてないのに。これは私の落ち度だわ。ごめんなさい」
リュートは素直に謝った。
「ううん。あの時は私も早く昼に帰ったほうがいいと思ったから。夜の女王が、夢で教えてくれたの」
「夢で? 女王様はそのようなことができるのね。でも、女王は、見ているだけ。いつも、この世界を、愛の眼差しで見つめるだけ。今も、きっと見ているわ。あなたとエリアスのこと」
それから、と、リュートは微笑んだ。
「風の妖精をよく手懐けたわね。さすがだわ、まじない師」
「まだ見習いだよ。私は、これからもっと、修行をしないといけない。私の本当の力を知らないといけないの。私は、自分の力を見誤ってたから」
ゲルダは鞄の紐を握る。
リュートはベルを鳴らしながら言った。
「エリアスは、力は信じることだと言ったわ。だから、私もあなたとエリアスを信じる。私はあなたたちを信じて、小人の街の夜警として仕事をするわ」
霧がかき混ぜられる。リュートのベルの音に合わせて、風の妖精たちが踊り始めた。
「よい夜を、まじない師見習いゲルダ」
霧が晴れ、リュートとゲルダは小人の街の広場にいた。
さあ、行って、と言われ、ゲルダは身を屈め、リュートを抱きしめた。
「ありがとう。リュート。ティルハーヴェンの夜警たちも、私たちのために頑張ってくれてるから。私、エリアスのところに行ってくる……!」
魔法と、とびきりのまじないを渡しに。
ゲルダはエリアスを探しに駆けた。