5章
「ローレン、ローレン! まったく……寝ていたらここにいる意味がないじゃないか。起きろ」
ホームは小人の街のホームと全く同じ内装だった。違ったのは、リビングは2階にあったということだ。一階は倉庫になっているようで、すぐに二階に案内された。リビングの中央にあるデスクにうつ伏せになって寝ていたのは、これまた金髪の少年だった。歳はゲルダより下で十二歳ほどに見える。ティルハーヴェンの住民は金髪の人が多いのだろうか。
頭をぺちんと叩かれたローレンはよだれを垂らしながら顔を上げ、寝ぼけ眼でゲルダとウェイバーを見た。太い眉が印象的だった。
「んあ……っは! ごめんなさい団長! ですが頼まれていた書類は整理しておきました!」
「うん、でも、寝てたらここにいる意味ないよね。君は留守番の意味が分からなかったかな。ほら、お茶を淹れて。ぼくはすぐに見回りに出るから、寝室を用意すること」
「はい、団長。ごめんなさい。行ってらっしゃい」
ローレンは眉をハの字にして、素直に謝った。ウェイバーはよろしく、と言って、すぐにホームから出ていってしまった。
ローレンは言われた通り、キッチンに向かい、ポットを使って湯を沸かした。ゲルダは大人しくリビングで待っていたが、聞こえてくるのが「お茶ってどうやって淹れるんだっけ」だったので、居ても立っても居られず、ゲルダもキッチンに入った。
壁には大きな鍋やフライパンが吊り下がっていて、どこかのレストランかと思うほどだった。ゲルダが声をかけると、ローレンは手をぱたぱたと振った。
「あっ、駄目ですよ、お客さんは待っててください」
「でも、分からないんだよね。私、ハーブ持ってるから、ハーブティー淹れてあげる。その間、もう一個頼まれてるのやってきたらいいよ。目覚めのハーブティーがいいよね」
「うう……、すみません……」
とぼとぼとローレンはキッチンから出ていく。頼まれていたことが十分にできないので、落ち込んでいた。なんだか魔法が使えないからと落ち込んでいるエリアスみたいだと思った。ポットがしゅんしゅんと湯気を吹き出すのをぼんやりと見ながら、エリアスの顔を思い出す。最後に見たエリアスの頬の痣を思い出すと、胸がつきんと痛んだ。痛みを感じ、ゲルダはようやく湯が沸いたことに気が付き、ハーブティーを淹れた。
リビングに運び、ローレンを待つが、いつまでも来なかったので、ドアが開いている部屋を見た。ぐしゃぐしゃのシーツを前に、呆然としている。ゲルダはそんなローレンを慰めながら、これも手伝った。
泣きそうなローレンにお茶をすすめた。
「ほんとごめんなさい。俺、まだ夜警の仕事をはじめたばかりで、経験がなくて……」
「うん、だからいいの。気にしてないから、飲んで。気分良くなるから」
「ありがとうございます……あの、ゲルダさんは、まじない師ですか?」
鞄からはみ出しているハーブの葉を見て、ローレンは尋ねてきた。
「あ、うん。まだ見習いだけど。それがどうかした?」
「いえ、ティルには、まじない師がいないから、珍しいなって思っただけです。俺たちがまじない師の代わりみたいなもんですけど。あ、夜の国の話って知ってますか?」
知ってる。だって、行ったから。とは言えず、ゲルダはローレンの話にうんうんと相槌を打ちながら聞いた。ママ・アルパから聞いた内容と同じである。夜の国の住民がこちらに来ないように角笛を持ち、夜を守る夜警たち。ローレンはその話が好きなようである。
上手に話ができたのが嬉しかったのか、ローレンの機嫌は良くなった。お礼を言われ、ゲルダは寝室に入る。
ベッドに入り、窓から空を見る。深く息を吐き、瞼を閉じた。遠くから、夜警の吹く角笛の音が聞こえた。栄えてはいるが、この街の治安はあまりよくないらしい。
(もう小人はこっちに来ない。人間もあっちに行かない。だから、この音は、じきに夜の国には届かなくなる――)
そうあってほしい。ゲルダは願いながら眠りに落ちる。
夢を見た。エリアスの夢だった。
自分はエリアスが大好きだった。いつも、暗いところにいた。エリアスが、光と一緒に自分を迎えに来てくれた。そのエリアスの雰囲気は、ゲルダの知るエリアスではなかった。この世の全てへの夢を失ったようなエリアスだった。
怒鳴り声が聞こえた。誰かと言い争っている。エリアスが殴られるところを、ゲルダは見てしまった。幼いゲルダは怖くて声を上げることもできなかった。泣きそうなゲルダのために、エリアスは一粒の丸薬を差し出した。
「元気になる薬」
そう言われて、ゲルダはそれを信じて飲んだ。気がついたら、ゲルダは森にいた。その時にはすべての記憶を失っていた。
混乱して泣いていたら、ママ・アルパが自分を見つけてくれたのだ。
『あなたにも見せてあげました――我が愛し子の過去です。あなたの中にある魔法と夜は、我が愛し子の夜。あなたは、どうしますか』
愛に満ちた声がして、ゲルダは目を覚ました。
ただの夢、ではなかった。目覚めたら、手放してしまった記憶が全部戻っていた。
ゲルダはもともとゴンド島の住民ではなかった。幼かったので、自分がどの町に住んでいたかまでは記憶にないが、ごく普通の家庭の子供だった。両親がでかけている時に、一人で家で遊んでいた時だった。見えない手に引っ張られ、自分は気がついたら別の部屋に座っていた。エリアスが興奮した様子で自分を抱き上げたことも、エリアスに魔法を飲まされたことも、全て思い出した。エリアスの強い魔法をかけられ、五十年も夜の国にいたのだ。さらにこちらに戻ってから十年ほどは経っている。両親はもう他界しているのかもしれない。けれど、エリアスを責める気にはならなかった。
ゲルダは体を起こし、胸を両手でおさえる。
(もう一回、行かなきゃ……。夜の国の女王が、私の夜に語りかけて、思い出させてくれたんだ。どうするって、行くしかない……! 返さなきゃ。エリアスに、魔法を……っ)
まだ夜だった。まだ間に合う。ゲルダは布団を蹴飛ばし、ブーツを履いた。
ハーブと水晶が入った鞄を肩に下げ、まじないを施したカンテラをひっつかみ、ゲルダはリビングにいるローレンに声をかけた。
「蝋燭をちょうだい!」
「え、ええ? うちのでよければ……」
ローレンは困惑しながらも、一階の倉庫から大きな蝋燭を持ってきてくれた。夜警が使っているものだ。一晩中使えそうなものだ。ゲルダは蝋燭に火をつけ、カンテラに入れた。
「ごめんなさい。私、行くところがあって。ウェイバーさんにも、お礼を伝えておいて!」
ホームから飛び出したゲルダは空を見上げて、あっと声をあげた。
明るさに負けていた星々が姿を見せていた。それも、空を埋め尽くすほどの。
夜の国で見た星空が、昼の国に広がっていた。
広場にいたティルハーヴェンの住民たちも、面白そうに空を見上げていた。その意味を知らずに。
ホームは小人の街のホームと全く同じ内装だった。違ったのは、リビングは2階にあったということだ。一階は倉庫になっているようで、すぐに二階に案内された。リビングの中央にあるデスクにうつ伏せになって寝ていたのは、これまた金髪の少年だった。歳はゲルダより下で十二歳ほどに見える。ティルハーヴェンの住民は金髪の人が多いのだろうか。
頭をぺちんと叩かれたローレンはよだれを垂らしながら顔を上げ、寝ぼけ眼でゲルダとウェイバーを見た。太い眉が印象的だった。
「んあ……っは! ごめんなさい団長! ですが頼まれていた書類は整理しておきました!」
「うん、でも、寝てたらここにいる意味ないよね。君は留守番の意味が分からなかったかな。ほら、お茶を淹れて。ぼくはすぐに見回りに出るから、寝室を用意すること」
「はい、団長。ごめんなさい。行ってらっしゃい」
ローレンは眉をハの字にして、素直に謝った。ウェイバーはよろしく、と言って、すぐにホームから出ていってしまった。
ローレンは言われた通り、キッチンに向かい、ポットを使って湯を沸かした。ゲルダは大人しくリビングで待っていたが、聞こえてくるのが「お茶ってどうやって淹れるんだっけ」だったので、居ても立っても居られず、ゲルダもキッチンに入った。
壁には大きな鍋やフライパンが吊り下がっていて、どこかのレストランかと思うほどだった。ゲルダが声をかけると、ローレンは手をぱたぱたと振った。
「あっ、駄目ですよ、お客さんは待っててください」
「でも、分からないんだよね。私、ハーブ持ってるから、ハーブティー淹れてあげる。その間、もう一個頼まれてるのやってきたらいいよ。目覚めのハーブティーがいいよね」
「うう……、すみません……」
とぼとぼとローレンはキッチンから出ていく。頼まれていたことが十分にできないので、落ち込んでいた。なんだか魔法が使えないからと落ち込んでいるエリアスみたいだと思った。ポットがしゅんしゅんと湯気を吹き出すのをぼんやりと見ながら、エリアスの顔を思い出す。最後に見たエリアスの頬の痣を思い出すと、胸がつきんと痛んだ。痛みを感じ、ゲルダはようやく湯が沸いたことに気が付き、ハーブティーを淹れた。
リビングに運び、ローレンを待つが、いつまでも来なかったので、ドアが開いている部屋を見た。ぐしゃぐしゃのシーツを前に、呆然としている。ゲルダはそんなローレンを慰めながら、これも手伝った。
泣きそうなローレンにお茶をすすめた。
「ほんとごめんなさい。俺、まだ夜警の仕事をはじめたばかりで、経験がなくて……」
「うん、だからいいの。気にしてないから、飲んで。気分良くなるから」
「ありがとうございます……あの、ゲルダさんは、まじない師ですか?」
鞄からはみ出しているハーブの葉を見て、ローレンは尋ねてきた。
「あ、うん。まだ見習いだけど。それがどうかした?」
「いえ、ティルには、まじない師がいないから、珍しいなって思っただけです。俺たちがまじない師の代わりみたいなもんですけど。あ、夜の国の話って知ってますか?」
知ってる。だって、行ったから。とは言えず、ゲルダはローレンの話にうんうんと相槌を打ちながら聞いた。ママ・アルパから聞いた内容と同じである。夜の国の住民がこちらに来ないように角笛を持ち、夜を守る夜警たち。ローレンはその話が好きなようである。
上手に話ができたのが嬉しかったのか、ローレンの機嫌は良くなった。お礼を言われ、ゲルダは寝室に入る。
ベッドに入り、窓から空を見る。深く息を吐き、瞼を閉じた。遠くから、夜警の吹く角笛の音が聞こえた。栄えてはいるが、この街の治安はあまりよくないらしい。
(もう小人はこっちに来ない。人間もあっちに行かない。だから、この音は、じきに夜の国には届かなくなる――)
そうあってほしい。ゲルダは願いながら眠りに落ちる。
夢を見た。エリアスの夢だった。
自分はエリアスが大好きだった。いつも、暗いところにいた。エリアスが、光と一緒に自分を迎えに来てくれた。そのエリアスの雰囲気は、ゲルダの知るエリアスではなかった。この世の全てへの夢を失ったようなエリアスだった。
怒鳴り声が聞こえた。誰かと言い争っている。エリアスが殴られるところを、ゲルダは見てしまった。幼いゲルダは怖くて声を上げることもできなかった。泣きそうなゲルダのために、エリアスは一粒の丸薬を差し出した。
「元気になる薬」
そう言われて、ゲルダはそれを信じて飲んだ。気がついたら、ゲルダは森にいた。その時にはすべての記憶を失っていた。
混乱して泣いていたら、ママ・アルパが自分を見つけてくれたのだ。
『あなたにも見せてあげました――我が愛し子の過去です。あなたの中にある魔法と夜は、我が愛し子の夜。あなたは、どうしますか』
愛に満ちた声がして、ゲルダは目を覚ました。
ただの夢、ではなかった。目覚めたら、手放してしまった記憶が全部戻っていた。
ゲルダはもともとゴンド島の住民ではなかった。幼かったので、自分がどの町に住んでいたかまでは記憶にないが、ごく普通の家庭の子供だった。両親がでかけている時に、一人で家で遊んでいた時だった。見えない手に引っ張られ、自分は気がついたら別の部屋に座っていた。エリアスが興奮した様子で自分を抱き上げたことも、エリアスに魔法を飲まされたことも、全て思い出した。エリアスの強い魔法をかけられ、五十年も夜の国にいたのだ。さらにこちらに戻ってから十年ほどは経っている。両親はもう他界しているのかもしれない。けれど、エリアスを責める気にはならなかった。
ゲルダは体を起こし、胸を両手でおさえる。
(もう一回、行かなきゃ……。夜の国の女王が、私の夜に語りかけて、思い出させてくれたんだ。どうするって、行くしかない……! 返さなきゃ。エリアスに、魔法を……っ)
まだ夜だった。まだ間に合う。ゲルダは布団を蹴飛ばし、ブーツを履いた。
ハーブと水晶が入った鞄を肩に下げ、まじないを施したカンテラをひっつかみ、ゲルダはリビングにいるローレンに声をかけた。
「蝋燭をちょうだい!」
「え、ええ? うちのでよければ……」
ローレンは困惑しながらも、一階の倉庫から大きな蝋燭を持ってきてくれた。夜警が使っているものだ。一晩中使えそうなものだ。ゲルダは蝋燭に火をつけ、カンテラに入れた。
「ごめんなさい。私、行くところがあって。ウェイバーさんにも、お礼を伝えておいて!」
ホームから飛び出したゲルダは空を見上げて、あっと声をあげた。
明るさに負けていた星々が姿を見せていた。それも、空を埋め尽くすほどの。
夜の国で見た星空が、昼の国に広がっていた。
広場にいたティルハーヴェンの住民たちも、面白そうに空を見上げていた。その意味を知らずに。