4章

 この思いをどうしたらいいのだろうか。ゲルダはぎゅっと体を丸めさせた。
 今の状況は自分が原因を作っている。自分が何も考えていなかったから。こうなるとは思っていなかったから。
 自分が夜の国に行こうと思わなければ、こうならなかっただろうか。自分があの時、エリアスを抱きしめなければ、こうはならなかっただろうか。
 自分に問う。何度も振り返る。自分のあやまちを。しかし、過去の自分を変えることはできない。変えることができるのは、これからの自分だった。
 帰ったほうがいい。帰らなければならない。自分がこれからすべきことは分かっていた。でも、エリアスへの想いは打ち消すことはできなかった。
(ごめん――私がここへ来てしまったばかりに)
 ゲルダは、かつてママ・アルパが自分に聞かせてくれた、恋歌を思い出した。
 結ばれてはいけない二人を哀しんだ歌だった。哀しみの歌なのに、どこか愛しさの残る歌だった。
 あの歌のように、ロンドのように、歌えば、気持ちの整理ができるだろうか。
 ポプリの香りに包まれた布団を思い出す。ぱちぱちと暖炉で火が爆ぜる、温かな夜だった。
 布団に入ったゲルダの頭を撫でながら、ママ・アルパは教えてくれた。
「歌はまじないだ。よく通る声で、気持ちを乗せて歌えば、まじないになる。だから、結ばれなかった二人はこうやって歌になった。叶えられなかったものを叶えるためのまじないになった。人々の心の中で、二人が結ばれるようにね」
「私、その二人が幸せに微笑んでいるところを思い出したわ」
「そう。それはよかった」
「ママ・アルパって、歌が上手なのね」
「ゲルダもいつか自分で歌おうと思う時がくるさ。歌わずにはいられなくなる――」
 ロンドもきっと同じだったのだろう。
 歌わずにはいられなくて、歌うのだ。
 昼の国に帰っても、心はエリアスにある。ずっと。
 ここで歌ってもエリアスには聞こえないだろう。自分のために歌った。そしてエリアスのために歌った。自分がいなくなっても悲しまないで、と。


「ゲルダの声が聞こえる!」
 急に足を止めたエリアスが叫んだ。上空からエリアスに指示を出していたハルムは何事かと思い、エリアスの元に戻った。
「急に止まって、何?」
「ゲルダが何か言っているんだ、聞こえるだろ!?」
「え? 聞こえないけれど」
 ハルムは首を傾げる。
 エリアスは耳に手を添え、声が聞こえる方角を探す。言葉までは聞き取れないが、確かにゲルダの声が聞こえるのだ。
 これはまじないだろうか。ゲルダの居場所を伝えるために歌っているのだろうか。まるでロンドの歌のようだ。
 エリアスたちが向かっていた塔の方から聞こえてくる。
「塔の方にいる! ハルム、道を教えてくれ」
 ハルムは上空に飛び上がり、エリアスに道を示した。この街は小人たちの街にしては大きすぎる。それに侵入者を恐れたのか、道が複雑に絡み合っていた。ハルムにとっては難しい迷路のようなものだ。
 苦戦しながらも少しずつ中央に近づく。すると、ハルムにもゲルダの声が聞こえだした。
「歌ってる、魔法が溢れてる」
 ロンドの時のようだとハルムも思った。ゲルダの魔法が街いっぱいに広がっていた。
 エリアスも魔法を感じ取っていた。指先だけではない。胸の中まで魔法が流れ込む感覚がする。
 胸まで拡がったどろどろの夜がなくなるかのような、心地よさがあった。
「今なら飛べるか……?」
 エリアスはぽつりと呟くと、風を自分の身に纏った。体を浮かせるほどの十分な風が集まったところで地面を蹴って、ハルムの隣まで上昇する。
「え、すごい!」
「魔法が切れる前に中央に行こう」
 エリアスはハルムを手で包み、風に自分を塔のある広場まで連れて行くように頼んだ。
 自分の風からは森の香りがする。故郷の森の香り。
 自分の力の源。それは、ゲルダから流れてくる魔法の中にも感じた。まるで、ゲルダが自分の魔法を持っているかのような――。
 エリアスのブーツが地面に着く。ゲルダの声はもう聞こえなかった。魔法も自分の体から抜けていく感覚がした。
 噴水広場の入り口。そこに降り立って見た光景に息を呑む。ハルムもひゅっと喉を鳴らした。
 広場を埋め尽くす小人たち。目が爛々と輝き、エリアスとハルムをぎろりと睨んでいた。
 小人たちの顔は土色だった。ぼろの服を着た小人たちがひしめき合っている。
「人間を呼んだな」
「人間は俺たちの力だ」
「人間は悪だ」
「人間を奴隷にしろ」
「人間を昼に帰せ」
「人間を働かせろ、小人のために」
「人間を昼に戻せ、夜の国のために」
 言っていることがめちゃくちゃだ。なぜそれをエリアスに向かって言ってくるのか。
 理解が追いつかないまま、小人たちはエリアスに向かって行進を始める。
「剣と魔法はどうしちゃったのよ!」
 ハルムが叫んで風の盾を作る。そうこうしている間に、エリアスとハルムは小人たちに囲まれてしまった。
「魔法の力は途切れた! 俺にこいつらを斬れって言うのか!?」
「だってこれ、どうするのよう! 身動きできないじゃない! ゲルダのところに行くんでしょう!?」
 エリアスは大きく息を吸って、そして吐いた。剣を鞘から抜く。白い刀身が月のように光った。
 ハルムが風の盾を消し、エリアスが剣を振るおうとしたその時だった。
 背後でベルの音が聞こえた。からん、からん、と揺れるベルの音だ。
「あーもー、夜警ってこんな大変な仕事だって聞いてないんですけど!? ほら、光たち、やっちゃって!!」
 可愛らしい声だが、苛立ちを隠せていない。エリアスが振り向こうとした瞬間、目が潰れるような閃光が襲いかかってくる。堪えきれずに手で目を覆った。
 ハルムも叫び声を上げた。
 小人たちのうめき声も聴こえる。
 沈黙が訪れる。エリアスは恐る恐る声のした方を見る。
 夜色のドレス。樫の木の杖。大きなベルにカンテラ。大量の光の妖精を連れて立っている。からん、とベルを鳴らしながら、小人の少女は小さな手を差し出した。
「ごめんね、亡霊たちが見え始めたから、先に小人たちをシェルターに避難させてたの。今日は酷い夜ね。ほんとうは、ここはもっといい街なのに。ようこそ、小人の街へ。夜警が歓迎するわ、エルフの王子様」
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